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黒猫と戦国のお姫さま  作者: 市川甲斐
1 捨て猫
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(3)

 海未は一旦伊織を部屋から追い出して、山本の姿をした少女と二人きりになった。途中で海未は一度自分の部屋に戻り、ロングコートとジーンズを持って再び伊織の部屋に入っていく。廊下で待っていた間に、母が「行ってきます」という声が聞こえたので、伊織は「はーい」とだけ答える。今日は土曜日だが、母は出勤日だ。しばらく階段に座って待っていたが、やがてドアがガチャと開いて、海未が顔を出した。


「ごめん。ちょっと、入って」


 その先のベッドに海未のコートとジーンズを穿いて座っている少女の姿を見て、改めて伊織はドキッとした。それはどう見ても山本真穂だ。伊織は自分の部屋に女子を入れたことはおろか、付き合った事さえ無い。そんな自分の部屋に女子がいる。しかもそれは、気になっている彼女なのだ。海未は彼女の隣に座り、少し離れた椅子に座るように伊織に言うと、ため息をついた。


「伊織。この子って知ってる子なの?」


「うん。同じクラスの山本さん……のはずなんだけど」


「そうよね。アンタたちの高校の制服よね」


「あの……でも、違うんだよね」


 その「違う」というのがどういうことなのか自分でも説明はつかなかったが、確かに彼女ではなさそうだ。すると、海未は静かに頷いた。


「とりあえず、私達のことを『敵か、味方か』って聞いてくるから、味方だっていうことは分かってもらったんだけどさ。それで、この子ね。自分のことを、武田家の姫だって言って」


あずさ姫じゃと申しておろうが」


 その彼女は海未の方を見て答えた。


「は? アズサ姫?」


 伊織が驚いて言うと、その彼女は次に伊織の方を振り向いた。


「そうじゃ。武田勝頼が娘、梓姫じゃ」


「勝頼……? って、戦国時代のあの武田勝頼のこと?」


「何じゃ。そなた、父上を知っておるのか」


 彼女は身を乗り出した。その勢いに思わず体を引く。


「い、いや……知ってるって言っても、歴史上の人物としてだけど」


「なんでも良い。とにかく、私を父上の所に連れて行ってくれぬか」


「つ、連れて行く?」


「そうじゃ。そもそもここはどこなのじゃ」


「どこって、甲府だよ」


 そう言うと、彼女はハッとして、海未の方を向いた。


「甲府? 府中のことか。ここは、府中なのか?」


「そうね。窓の外を見てみる?」


 海未はそう言って立ち上がり、カーテンを開けた。窓から明るい日差しが入ってくる。すると、その彼女も立ち上がって窓の前に立った。その後ろから伊織も窓の外を眺める。そこから見える風景は、一戸建ての家が広がる普通の住宅地の風景だ。土曜日の朝とあって近くに見える幹線道路を通る車もまだ少ないが、それでもたまに車が行き交っている。


「ここが……甲府なのか?」


「そうよ。見ての通り、山に囲まれた盆地の真ん中よ」


「いや……こんなに家がびっしりと……。それに、家の造りも何やら見慣れぬ。ここが府中であるはずが無かろう。そなたたち、私をたばかろうと嘘を申しておるのじゃな。本当はどこなのじゃ」


 彼女が振り返って言うので、伊織は窓の向こうに見える一点を指差した。


「嘘じゃないよ。ほら、あそこに富士山が見えるでしょ」


「富士山?」


 伊織の示す方向に顔を向けた彼女は、そこをじっと見ていた。甲府盆地を囲む山の向こうに、冬晴れの空を背景にして、雪を被った富士山の頂上付近がはっきりと見えている。すると彼女は、その周りの山々を見回していく。


「まさか……本当に、甲府なのか」


「あなたは、どこにいたの?」


 海未が尋ねると、その彼女は振り返って答えた。


「甲府じゃ」


「甲府?」


「そうじゃ。躑躅ヶ崎の館のあった北の方の山中を追手から逃げておったのじゃが、周りを囲まれて……」


「追手?」


「そういえば、敵はどこに行ったのじゃ。虎政も、お富もどうなった」


 彼女はそう言って、じっと伊織の方を見つめた。


「そなたたち……敵ではないというが、どこの手の者じゃ。織田でも、徳川でも、北条でもないのであろう」


 不審そうな目で見つめてくる彼女の前で、伊織はハッとして尋ねた。


「もしかして……君を追っていた敵って、織田と徳川の連合軍のこと?」


「そうじゃ」


「それって、もしかして本当の戦国時代の話じゃないの? 確か、織田と徳川の連合軍に攻められて、武田家が滅亡する」


「滅亡じゃと!」


 彼女は声を張り上げて、伊織に一歩近づいた。


「どういうことじゃ。武田家が滅亡するというのはまことか」


 少女は隣にいた海未にも顔を向ける。


「まあ……そうよね。その後、江戸時代は、この辺りは幕府の直轄地だったんだっけ」


「エド? チョッカツチ?」


 少女は茫然として海未を見つめていた。


「うん。……まあ、そうなんだけど、それはたぶん、君の時代よりもっと後のこと」


 伊織がそう言うと、海未は腕を組んで言った。


「じゃあ、何。この子は戦国時代からタイムスリップしてきたってこと?」


「うん、たぶん。でも、見た目はどう見ても山本さんなんだけど」


「何それ。じゃあ、中身だけタイムスリップ?」


「どういうことじゃ。何を言っておるのかよく分からぬが」


 彼女が不審そうな顔で尋ねるので、伊織は彼女の方を向いて答えた。


「ああ、つまり……たぶん、君が生きていた時代は、この時代よりずっと昔だってこと」


「何じゃと?」


「そう。だから、ええと……ここは、君の時代から440年くらい後の世界なんだ」


 伊織がそう言うと、彼女は唖然とした様子でこちらを見つめていた。確かに、そんな事を急に言われても想像もつかないだろう。それで伊織は、スマホで武田家の滅亡について書かれたサイトを調べて、それを彼女に見せた。


「長篠の戦い以降、武田家の勢力は衰えていく。そして、重臣たちにも裏切りが続いて、最後には織田・徳川の連合軍に攻められて、武田勝頼の自害により滅亡するんだ」


 彼女もその画面を一緒に覗く。そして、じっとそれを見ていたが、やがてそこから顔を離して、床に脱力したように座り込んだ。


「そうじゃ……。木曾が裏切り、怒った父上がそれを征伐しようと出陣した。しかし、浅間山が噴火して兵たちが動揺し、大敗したのじゃ。そこからは次々に家臣に裏切られ、ずっと厳しい戦いになっていた。甲斐に侵入した敵から必死に逃げていた我らも、追手に囲まれてもう逃げ場はなかった」


 少女は静かに俯いた。


「父上……」


 うっ、うっと静かに嗚咽する声が続く。海未はティッシュペーパーを取って彼女の目頭をそっと拭いた。「すまぬ」と少女は答えて、ティッシュペーパーをギュッと握った。

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