(9)
辺りはすっかり暗くなっていた。
ロウソクだけを灯した薄暗い部屋の中で、私は蓮姫とともに武田勝頼の側に座っていた。勝頼は鎧を脱いで、身軽そうな紺色の着物を着ている。髭を少し剃ったようで、顔立ちがさっきより若々しく見えた。ただ、その顔はげっそりとしていて、鎧を脱ぐと余計にその体が痩せているのもよく分かる。彼は目の前にある膳の上に置かれたお椀を持って、黙って食べていた。
蓮姫は勝頼の右斜め前の辺りに座り、私はそのさらに隣に座っていた。蓮姫は勝頼の食べる様子をじっと見つめているが、何も話しかけない。そして勝頼の方も何も話さない。
(黙っていないで、何か話せばいいのに)
私は茶会の時に「自分から話したらいい」と蓮姫に伝えたが、彼女からすれば実際にはそう簡単ではないのかもしれない。それに、勝頼の左斜め前には、重臣と思われる鼻の下に髭を生やした武士が座っていて、黙々と食べている。部屋の端の方には虎政が座っているが、彼もまた当然のように黙っていて、部屋の中はしんとしていた。この静けさの中で、蓮姫が先に口を開くのは確かに難しいだろう。
やがてようやく食事が終わり、端の方に控えていた虎政が膳を下げていく。そこでようやく勝頼が蓮姫の方に顔を向けて口を開いた。
「どうじゃ。城内は特に変わりは無かったか」
「はい。特に、変わりなく」
そうか、と言っただけで勝頼は黙ってしまった。そして、再び沈黙が続く。
(それだけ……?)
私は思ったが、自分から何を話したら良いのか分からず黙っていると、勝頼は黙って立ち上がろうとした。
「あの——」
蓮姫が突然呼びかけた。勝頼が彼女の方を振り向く。
「何じゃ。何かあるのか」
「実は……梓姫が、熱を出しまして」
「何じゃと。まことか」
突然、勝頼の視線が私に向けられた。私は慌てて首を振る。
「いえ……大した熱じゃ……」
「ええ。今は大丈夫だと思います。数日前でしたでしょうか。私もお見舞いに参ったのですが、元気そうな様子だったので、茶会をしたいと申したのです。すると、姫がお受けになったのでございます」
「なんと。そなたが、梓と……」
勝頼は驚いた様子で、再びそこに座り直し、蓮姫の方を見つめる。それに対して彼女は黙って頷いた。
「本当に、あのようにじっくりと梓姫と話したことは初めてでございます。大変楽しい思いをいたしました。そうであろう、梓」
蓮姫はそこで私に笑顔を向けた。
「あっ……はい」
私も慌ててそう答える。勝頼は蓮姫と私の方を順番に見ていたが、そこで突然、ハハハと笑い出した。
「聞いたか、信豊。蓮が梓と茶会をしたのだぞ。あれほど気が合わなかった二人が、一体どうしたというのじゃ」
「いえ……何よりの事でございます。齢は近いとは言え、親子になられるのですから」
勝頼の左前にいた武士が静かに答えた。すると勝頼も頷く。
「蓮も、梓姫も、大人になったということか。これは久々に良き話を聞いた。良きことじゃ」
ハハハ、と再び勝頼は笑ったが、その笑いは次第に収まり、彼の視線が私の方に向いて止まった。
「大人……か」
勝頼はじっと私の方を見つめる。何か言うのだと思って待っていたが、彼はそのまま頷いただけだった。
「よし。それでは今日は久々にゆっくりと寝床で休もうかの」
勝頼は立ち上がり、部屋を出て行く。もう一人の武士もその後ろに続いて姿を消した。続いて蓮姫も立ち上がって、その後を追って行った。