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黒猫と戦国のお姫さま  作者: 市川甲斐
2 拾い猫
14/55

(3)

 障子を少しだけ開けたまま、何枚も着物を掛けて障子の近くに座って外を見ていた。背中の方は温かいが、畳に慣れていないせいなのか、足元から寒さが伝わってくる気がする。それでも、外の風も収まり、雲の切れ間からは、夕焼けの赤い空が見えていた。その時、廊下を歩いてくる足音が聞こえてきた。


「まあ、姫様。お加減はよろしいのでしょうか」


 先ほどの女性が少し先に座ってから尋ねた。


「ええ。少し、良くなりました」


「それは何よりでございます。ところで、先ほど月の里のおさがお越しになり、姫様に急ぎお目通りしたいと申しております。ご体調が優れぬゆえ、お断り申し上げたのですが、どうしても火急の用だと申しておりまして」


「月の里?」


「はい。それで里長は、姫様のご体調が優れぬならば、少し祈祷をさせてもらいたいので、是非お会いしたいとのことでございます」


「そうですか……分かりました」


 正直言って何のことなのかさっぱり分からないが、ここにいるだけでは何も分からない。私は立ち上がると、案内する女性の後をゆっくりと歩いて行った。


 廊下の角を曲がった先の部屋で、女性が障子を開けた。その部屋は、畳敷きの8畳ほどの部屋であったが、その左側に一人の人間が頭を下げて座っている。黒髪を後ろに一つだけ縛り、着ている山吹色の着物にはシャボン玉のような丸い白い円がいくつも描かれていて、オシャレに感じた。


(女の人だったのか……)


 里の長と聞いたので、勝手に高齢の男性だと想像し、やや身構えていたが、ホッとした。私はその人の正面に置かれている座布団の上にゆっくりと正座すると、案内してきた女性が外から障子を閉めた。


「姫様には、病み上がりのところをお目通りくださり、恐縮至極でございます」


 目の前の女性がひれ伏したまま言った。先ほど案内してきた女性より、声も若そうな感じだった。


「いえ……あの、どうぞ」


 何と答えて良いか分からずにそれだけ言うと、目の前の女性がゆっくりと頭を上げた。大きな黒い瞳を持った綺麗な顔立ちの女性で、彼女は私をしばらく見つめると、ニコッと笑った。


「富どの。しばらく座を外していただけないでしょうか」


 女性が声を張って言うと、障子の外から「はい」という静かな声が聞こえ、続いて足音が遠くなっていった。


「姫様。お久しゅうございますね。前にお会いしたのはいつでしたでしょうか」


「え……ええ」


 笑顔でこちらを見つめている女性に相槌を打つと、しばらくしてその女性は着物の袖で口の辺りを隠すようにしてフフっと笑った。


「申し訳ありませぬ。無理なさることはありませんよ。あなたが本当の梓姫ではないことは分かっています」


「えっ——」


「いえ……姫の姿はしておりますが、心が異なるようですね」


 女性はニコニコとしながら言った。さっきまで自分の傍にいた女性は全く気が付いていなかったようだったが、この女性はまだ会ったばかりだというのに、自分のことを「姫」ではないとすぐに気づいた。私が何も答えられずにいると、女性は続けて尋ねた。


「あなた様は、一体、どういうお方なのですか」


「私は……山本真穂と言います」


 私は答えた。そうだ。それが私の本当の名前のはずなのだ。高校生だと付け加えたが、女性は「コウコウ?」と繰り返して不思議そうな顔をした。やはり彼女には分からない単語らしい。女性が黙ってしまったので、私は女性に尋ね返す。


「それにしても……どうして私が偽物だと?」


「それは……姉上の力を感じました」


「姉?」


「ええ。私の姉上であり、本物の梓姫の母である、早月さつきの力を」



 女性は竹内志月(しづき)と名乗った。彼女が話すところでは、彼女の住む小さな山里は、この城からもそれほど離れていない場所にある。その里の長は代々女性が務めていて、里長は昔からいわゆる「巫女」のような役割をしているという。この地方を治める者はもちろん、周辺の国からもやってくる者もいるらしく、それを拒む者には災いが起こるとされ、この戦国の世でも特異な存在とされているようだ。


「姉上は、4年前に亡くなりました」


「えっ、亡くなったって……」


「まだよわい32になったばかりでした」


 志月は顔を横に向けた。その先には白い障子があるだけだが、雲が出てきたためなのか、その色が次第に暗くなってきた気がする。


「私は姉上と2つ違いなのですが、姉上は幼き頃から不思議な人でした。何でも、少し先の事が分かると申しましてね。子供ながら、川が氾濫したり、地震が起きたりする前に、その時の長であった母上にそれを伝えていました。初めは皆も偶然だと言っていましたが、何度かそうしたことがあったので、次第に姉上のことを神の子として敬うようになりました。そして、その噂が御館おやかた様——つまり、先代の信玄公ですが——その耳にも入ったのです」


「それで……ここに嫁いできたんですか」


「ええ。当時は武田家が長年同盟を結んでいた今川家を攻め、念願の海を手に入れて一大勢力を誇った時期でした。御館様は後継ぎである勝頼公の権威を高めるためとして、その側室に姉上を迎えたのです。そして、2年後に産まれたのが梓姫です」


 梓姫はすくすくと育ち、それに比例して武田家の領土もさらに拡大していった。そしてついに信玄公は上洛を決める。破竹の勢いで徳川家康を攻め、さらに西に向かっていく。しかし、その途上で信玄公は病死してしまい、勝頼公が当主となった。彼女は、私も聞いたことがある武田家の話をかいつまんで話してくれた。


「しかし、その姉上も亡くなってしまった」


 志月はそれだけ言うと、そこでまた横を向いて黙ってしまった。それはまるで、何か言おうとしたことを呑み込んでしまうような感じに見えた。


「でも……あなたは、さっき、そのお姉さんの力を感じたと」


 彼女の言葉を促そうとしてそう言うと、志月は「ええ」とだけ言ってため息をついた。


「姉上の力はとても強かったのです。正直申し上げて、その力の本当のところは、今となってもよく分からないことが多いのです。ただ、あなたからはその姉上の力を強く感じます」


「私から……ですか」


 私がそう呟くと、志月は静かに頷いた。

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