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黒猫と戦国のお姫さま  作者: 市川甲斐
プロローグ
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プロローグ

 私は夜の闇の中を走っていた。


「お早く! もう里の方に松明が見えております」


 後ろから甘利虎政(とらまさ)が叫んだ。振り返るまでもなく、まだ遠くからではあるがたくさんの喚声が聞こえている。前を行くおとみの姿だけを頼りに、私は息を上げながら必死に山の中を駆け上がっていく。木々の間から月の光が注ぐ足元には、白い雪がまだ残っており、その上を歩くたびにザクザクと音が聞こえた。


 夕刻に府中の街に敵の軍勢が攻め入って火の手が上がり、その軍勢の一部が私達が隠れていた里にも向かってくるとの知らせが入った。里の護衛に当たっていた甘利虎勝は、残された僅かな軍勢で里の入口の砦に向かったが、私達を逃がすだけの時間稼ぎしかできないだろう。その里の裏手からは金峰きんぷ山に向かう山道が続くが、私達はその途中の峠を越した先にある隠れ里を目指そうとしていた。ただ、危険な山道を暗闇の中で歩き続けることは無謀であるため、まずはその手前にある古いお宮に隠れ、夜が明けるまで待とうというのが虎政の考えだった。


 闇の中を必死に走り、途中で少し振り返ると、深い森のおかげなのか喚声も聞こえなくなり、松明の火も見えなくなっていた。少しだけ安心してまたしばらく山を上がっていくと、急に木々が開けて、小さなお宮の建物が見えてきた。


「姫様。こちらに」


 お富がお宮の引き戸を開けると、中はがらんとしていた。祭壇はあるが特に何も置かれていない。お富は持って来た包みの中から蝋燭ろうそくを取り出して火を灯すと、ユラユラと赤い光が内部を照らした。


「さすがに追手もそう易々とここまで来ますまい」


 お富は私の方を向いて言うと、再び外に出ていった。お宮は人が4人ほど入れるかどうかといった狭い造りだが、壁があるので少しは寒さがしのげそうだ。お宮の引き戸の前には虎政が立っていて、山の下の方の様子を窺っている。


「虎政。中に入れ。そこでは寒かろう」


 私がお宮の中から声を掛けると、虎政はこちらを振り向いた。


「恐れ入りまする。しかし、まだ里の様子がよく分からぬゆえ、いましばらくここで様子を見ておりまする」


「そうか。では済まぬが頼む。ただ、いつでも入ってくるがよい」


 ハッと虎政は答える。私は彼の背に負われた数本の矢を見て、ため息をついた。山を上がってくる時に聞こえた喚声から考えて、敵の数は相当多いに違いない。確かにここは、里の者でもなかなか来ることがない場所だと聞いているし、私達のためにわざわざ敵がここまでやって来るとも思えない。


(しかし、もし来たとしたら……)


 そう思うと再びため息が出る。私はそこで、背負っていた包みをそっと降ろすと、そこから「ニャア」と言って黒猫が姿を現した。私はその猫を胸に抱えて、床に座る。


 その時、お富がわらを抱えて中に入ってきた。


「姫様。申し訳ございませぬ。敵方に知れますので火を焚くのはやめにしたいと思いますので、これで少し暖をお取りくださいませ」


 そう言って彼女は私の座っていた周りに藁を置いていく。


「お富、済まぬ。……そなたも疲れておろう。虎政が外を見てくれているうちに、しばらく共に休まぬか。明日の夜明けからすぐに動けるようにな」


 ハッ、とお富は答えたが、彼女は引き戸の近くに移動してそこに座り、外に顔を向けた。やはり休むつもりはないらしい。私は仕方なく、お宮の壁に背をあてて座り直し、黒猫を膝の上に置いて周りの藁を膝の上に重ねていく。すると、黒猫の体温もあって、僅かだが膝の辺りが温まってくるような気がしてきた。


 お宮の引き戸から再び外を見ると、まだ虎政がじっとそこに立っている。そして、その向こうの空には、白く輝く銀色の月が光っていた。


(今日は、満月か——)


 冬空には雲はなく、満月が大きく輝いている。その明かりがお宮の中にまで注ぎ込んでくる。それはまるで、私達がここにいることを敵方に伝えているかのように思えた。


(やはりあの時、虎勝の申し出を受けるべきであったか……)


 私はため息をついた。何日か前に、虎勝から言われた策を思い出す。しかし、私はそれをすぐに断った。その結果、私を守るために、虎勝は僅かな手勢を率いて先ほど敵の大軍に向かっていったが、おそらくひとたまりもあるまい。それに、敵が来れば、里にいた女子供や老人達もやられてしまうであろう。


 全て、私の決断と、その結果だ。


 そう思うと、胸の奥がズキンと痛んで眠ることなど到底できそうにない。しかし、すぐ近くにいるお富にそれを知られたくない一心で、私はただ黙って目を閉じて眠る振りをした。


 どれくらいの時が経ったのだろうか。


「敵じゃ!」


 突然、虎政の声が聞こえ、ハッとして目を開けた。すると、カタンという音が聞こえてくる。見ると、お宮の外で、ユラユラと火が燃えているような明かりが見えた。火矢だ。


 私は黒猫を足元に置いてすぐにその場で立ち上がった。お富も懐刀を取り出して私の側に立つ。その時、お宮の外で弓を引いていた虎政が、呻き声を上げて後ろに倒れた。


「虎政っ!」


 私は叫んだが、すぐにたくさんの火矢がお宮の建物に音を立てて突き刺さっていく。すると、あっという間にそこから建物に火が回り始めた。喚声とともに足音も近づいてくる。


「お富……もはやこれまでじゃ」


「姫様——」


 既にお宮の引き戸の辺りには赤々と火が燃えている。私はその向こうに見える暗い空を仰いだ。そこにはまだ大きな満月が輝いている。パチパチと建物が燃えていく音の中で、ふと誰かの声が聞こえてきた。


『この石がそなたを守ってくださる』

 

 私はハッとして首に提げていた印伝の袋を握りしめる。


 その時、ニャアという黒猫の声とともに、私のすぐ近くでシュッという音が聞こえた。

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