04
ラストは自分の姿が嫌いだった。
他と比べて、余りにも悍ましいから。
自分にはレアリのような神々しさがない。
トルミレやリオネラのような凛々しさもない。
なぜ自分だけああではないのだろう。
常に引け目がついて回った。
本来であれば巫女と名乗るのも烏滸がましい異形だ。
他者にその身を晒すなど以ての外。
ラストにとって虚無としての姿を見られる事は拷問に等しい。
だから努めて争いを避け、人の姿に徹していた。
今、この時までは。
変身を拒む全ての感情が霞んでいた。
単純に戦いを避けられないというのもあるが、腹を括ったというよりは腹が立ったからだ。
全身を無数の羽虫に変えて散らばる。
「それで逃げられると思うなよ」
リオネラの羽ばたきに、そこからは想像も付かぬ程の暴風が巻き起こる。
風を自在に操るのが彼女の能力だ。
逃げ遅れた虫達が引き裂かれていく。
「…………」
ある程度の犠牲は仕方ない。
ラストは冷静に距離を取り、風の隙間を見定めた。
(……あそこだ)
そして、待機させていた虫を放つ。
「――った」
狙い通り、それはリオネラの肩に突き刺さった。
「何だこれ……虫?」
痛みと困惑の入り混じった顔でそれを引き抜く。
虫達を寄せ集めて体を作る。
「面白いでしょ。その子」
頭部に鏃のような角を持ち、実際の矢の半分程の速度で飛ぶ。
「初めて見るぞこんなの。一体どこに生息してるんだ」
角を持ったまま、怪訝な顔で虫を見る。
「ここ」
自分の体を指で叩く。
ラストはどんな虫にでもなれたし、また生み出す事も出来た。
たとえそれが、本来は存在しない種であっても。
だから今の虫にも名前はない。
「いくらでも作れるよ」
これは正確ではなかった。
微細とはいえ体力を消耗するので限りはある。
だがそれも、一度の戦いで何万と生み出せばの話。
そこまでの長期戦は想定していないし、わざわざ説明する気もない。
「それは怖いな」
然して怖がった素振りもなく肩を竦める。
信じていないのか。
あるいは信じてなお脅威と見做していないのか。
ラストにはどちらでもよかった。
わからないなら思い知らせてやればいい。
体からさらさらと剥がれ落ちる粒子が、次々得体の知れぬ虫となって飛び立つ。
それを見てリオネラが再度羽ばたく。
今度は風を使った不可視の斬撃だった。
体が一瞬にして寸断されるが、ラスト自身はもうそこにいない。
「外れ」
虫の羽音を使い、あたかもどこかで喋っているかのように見せる。
正面からではまず勝てない。
それがわかっているから、ラストはひたすら奇策を練る。
安い挑発もその一環だ。
しかし次の瞬間、それは来た。
前触れは微かな振動。
直後、叩きつけられた衝撃に吹き飛ばされる。
「っ!?」
「当たり」
仕返しだと言いたげな声。
一体何をされたのか。
体勢を立て直しながら探る。
周囲の景色に擬態し、更に他の虫にも紛れていた。
まさかそれを見破ったのか。
ありえぬという動揺を抑えて他の虫達から情報を集める。
そこでラストはようやく気付いた。
今のは自分を狙ったものではない事に。
「斬りつけるだけが風の使い方じゃないって事」
全容を掴む前にリオネラ自らそれを明かす。
「圧縮して撃ち出せば打撃にもなるんだゾ」
ラストの戦法に面積の狭い斬撃では効果が薄い。
その判断は正しかった。
威力は劣るが、全方位に向けた衝撃波。
それが今の攻撃の正体だ。
被害は甚大。
球状に展開していた虫達は、その大半が散った。
また一から仕切り直しだ。
「いま仕切り直そうとしてるだろ」
当然のように見抜かれる。
「いいよ。頑張りな」
言いながら羽ばたく。
自身はその場に留まりながらバタバタと。
それでいて止まる気配がない。
周囲の変化は少ししてからだ。
竜巻というほどではない。
初めは小規模な旋風が一つ二つ。
けれどその数を続々と増やしていった。
「がんばれがんばれ」
ここまで行くともう頑張りようがない。
風の領域内に留まれば忽ちバラバラに引き裂かれる。
ラストは堪らず虫達を引かせる――というのがリオネラの予想だろう。
(行って)
待機中の虫達に号令を下す。
最初の一匹が、まずリオネラの右翼に突き刺さった。
「いった、え?」
傷はそれ程深刻ではない。
それよりもこの風で虫が飛んできた事に驚いていた。
先程の鏃虫の改良版である。
「その子達は暴風の中でも飛べるよ」
言ってる傍から次々刺さる。
彼らは風の流れを把握し、その中で泳ぐよう設計してある。
風が意味を成さないと知り、リオネラは再び飛翔した。
「やるじゃんラスト」
流石にこれは速すぎて追えない。
「お姉ちゃんも負けないぞ」
そう、他の虫なら。
擬態を続けながら体を作り、背後から忍び寄る。
「楽しそうだね」
こんな事は一刻も早く終わらせたいのに。
「!?」
耳元の囁きに、リオネラが加速しながら身を翻す。
引き離して姿を捉えるつもりだったのだろう。
しかしラストはその背にぴたりと付いたまま。
「どこだー?」
虫の羽を使った攪乱用の声と判断したらしい。
「出てこーい」
無防備な背中に、腕を突き刺した。
「おっ」
驚きの声が、迫り上がってきた血液に塞がれる。
それでも抵抗を試みたリオネラが、身を捩った途端凍り付く。
至近距離でラストの姿を見たから。
「ラス、ト……?」
聞きたくなるのも無理はない。
人間の瞳とは異なる大きな複眼。
縦と横に開く二重の顎。
鎧のように体表を覆う黒い外骨格。
まるで牙のように発達した三対の腕。
飛行に用いる、それぞれ形態の異なる複数の翅。
さぞ悍ましかろう。
身動きが取れぬよう腕を掴んでから、翼を骨ごと引き千切る。
「――っ!」
耳を劈くような甲高い悲鳴は、完全に鳥類のものだった。
あまりの声量に耳を塞ぐ。
その隙を突かれた。
ラストの体を蹴って、拘束を振り解く。
「あっ――」
逃げられる。
別にいいか。
そんな迷いに体が固まる。
どの道そう遠くへは行けない傷だ。
だが離れたリオネラは、そのまま地上へと落ちてしまった。
もう空中に留まる力すら残っていないらしい。
遅れて後を追う。
途中、傍にガルムとキースがいるのを見て変身を解いた。
仰向けに倒れたまま動かないリオネラの横に降り立つ。
「ようラスト」
右手を上げようとしたのだろう。
だが実際に出来たのは僅かに浮かせるだけ。
ろくに動かぬとわかり、ぱたりと下ろす。
困ったもんだろ、と言いたげな苦笑。
「やるじゃん」
満身創痍でもいつもと変わらぬ辺りがリオネラらしかった。
ラストはラストで一向に掛ける言葉が見付からない。
「勝った癖に、何て顔だよ」
言われて、自分が泣いている事に気付いた。
「だって」
嗚咽に声が震える。
元よりリオネラ達を止めに来たのだ。
これで目的の一部は達せられた。
だというのに、少しも嬉しくなかった。
むしろ悲しい。
とはいえ周りが見えなくなる程ではなく。
実際それは、前触れもなく唐突に起きた。
最初に聞こえたのは破裂音だ。
次の瞬間、ラストの胸部が小さく爆ぜた。
「――え?」
§
ラストの背を撃ち抜くと、それはゆっくり体を起こした。
服の隙間からではどうにも視界が悪い。
随分とおかしな事になってしまった。
どさりとラストの倒れる音。
仕方ないので上の服を脱ぎ捨てる。
「いや、死ぬかと思いました」
視点が低い。
子供にでも戻ったような気分だった。
「やはり備えはしておくものですね」
「エルマー……?」
こんな状態でも察するものがあったのだろう。
まさかという顔で起き上がったリオネラが。
「あぁリオネラ様。ご無事ですか?」
本人と認めてなお、彼女の驚きは薄れなかった。
「それ、どうなってんの?」
当然だろう。
傍目には首のない死体が平然と立っているのだから。
「いやぁ、細切れにでもされない限りは治る体にしておいたんですが、こんな状態に」
首の断面が早々に塞がり行き場を失ったせいか、エルマーの顔は現在腹部にあった。
とんだ手違いである。
「いやおかしいだろ」
ご尤も。
頭上の肩を竦めて見せる。
やはり妙な感じだった。
「これは失敗ですね」
元に戻る保証もないが、起きてしまった事は仕方ない。
「しかしこのお陰でラスト様を仕留められたのだから、わからないものです」
「助かったけど、ラストが動かないのは何で?」
倒れたまま動かず、呼吸も浅い。
体に穴が開いたとはいえ小さなものだ。
人ならともかく虚無がここまで弱る傷ではない。
「毒です。虚無用の」
リオネラの疑問に、簡潔な答え。
霊装を仕込んだ義手を持ち上げながら。
一発撃つ毎に指先が吹き飛ぶのが難点だった。
お陰で今も人差し指が痛々しい断面を晒している。
「勿論死にはしないのでご安心を」
そもそも虚無を殺せる程の毒がまずないのだが。
放っておけばラストもじきに動けるようになってしまう。
その前に次の処置を施しておきたかった。
純粋な虚無は貴重な存在だ。
一体として無駄には出来ない。
「なるほどね」
奥の手だったが、こちらに驚いた様子はない。
首無しで動き回った後に見せる物ではなかった。
「じゃあ後はこっちで上手い事やっておくよ」
「いえ、このまま地下の研究室に運ぶので私が」
近くに部下がいないというのもあるが、それでなくとも人任せにはしたくなかった。
一刻も早くトルミレの横に彼女を飾りたい。
屈んでその肩に触れる。
まるで宝物を扱うような丁重さで。
「っ!」
ラストはそれが気に食わなかったらしい。
何とかエルマーの手から逃れようと身を捩って抵抗を始めた。
「おや、意外と動けるものですね」
幸い動かせるのは胴体だけらしい。
抗う姿はまるで魚だ。
「ははっ、こらこら」
拘束は容易と思いきや、この力が意外に強い。
勿論エルマー自身が非力というのもあるが。
中々押さえ込めず、最初に浮かべていた笑みも次第に消えていく。
「全く、悪い子だ」
口調だけは穏やかに髪を掴む。
そして力任せに持ち上げると、顔面から地面に叩きつけた。
しかしラストは怯まない。
それどころか先程よりも抵抗の度合いが増した。
「じっとして、下さ――」
むきになって再び振り上げた手から、不意に重さが消えた。
「うおっ?」
反動で背後へ倒れ込む。
しっかり掴んでいたつもりだが。
「っ!?」
訝しむエルマーが、状況に気付いて目を剥いた。
力不足でラストを放したのではない。
髪を掴む前腕自体が中程から消失していたのだ。
「あ……え?」
落ちた腕と噴き出す血に、まるで実感が持てなかった。
遅れて来る痛みよりも驚きの方が大きい。
一体何が。
答えを求めてリオネラを見る。
「え?」
彼女はいつの間にかラストを抱きかかえていた。
それはいい。
(誰だ……?)
その瞳に射竦められながら、エルマーは目を疑う。
まるで別人だった。
眼差し一つでこうも変わるものだろうか。
睨まれている訳ではない。
ただ見られている。
だというのに平伏したくなる程の威圧感を帯びていた。
「いや、これは」
違う。
弁解しなくては。
許しを。
何に対してかもわからず、本能的に首を振る。
そして彼女の背には、翼を模した無数の刃。
「私の妹に何をする」
叱責を含む低く鋭い口調に、視線を引き戻される。
「つっ!」
続けて全身に走る痛み。
凍り付く体を、まるで打ち砕く様な。
ぼとりと何かの落ちる音。
残った腕まで軽くなる。
肘から血と、角張った肉片が次々零れ落ちていた。
「あぁ……」
どうやら自分は間違えたらしい。
おまけにもはや手遅れときている。
(やりすぎたか)
目を閉じる。
諦めと恐怖から。
「失せろ」
それが、エルマーの聞いた最後の声だった。