03
戦いながら、ガルムは違和感を拭えずにいた。
体が軽い。
これはツカサとの立ち合いでも感じていた事だ。
レアリの話では、それは身体的な能力の向上に依るものらしい。
だが変わって日が浅い、というか殆ど直後のせいか、どうにも持て余していた。
幸い戦況はガルムが押してる。
だというのに、下手な苦戦よりやりづらい。
腹立ちまぎれの大振りを、キースは後方へ飛んで躱す。
「妙ですね。キース君には隊長を凌ぐだけの力を与えた筈ですが」
仕切り直しという所で、後方で観戦していたエルマーが口を挟む。
「あぁ?」
確かにガルムの知るキースではない。
太刀筋に面影はあるが、殆ど別人だ。
「そんな簡単に強くなったら苦労しねーよ、クソが」
「では試してみましょう」
言って、エルマーがキースの首筋に何かを押し当てた。
「……おい」
恐らくは筒状の器具。
ガルムは初めて見る物だ。
大半が握られているため全容は見えない。
「お前、何を」
「ぎっ、あああああアアアアアアアッ!」
直後、仮面越しにもけたたましい絶叫が上がった。
折れんばかりに仰け反るキースの後で、エルマーが何かを囁く。
叫び声によってそれがガルムの耳に届く事はなかった。
それが引き金となった事は確かだろう。
キースが弾かれたように襲い掛かってきた。
「うおっ!」
その速度は先程までの比ではない。
左からの叩きつけるような一刀に、踏みしめた踵が沈む。
かと思えば右からの回し蹴り。
受けた腕と足を軋ませながら後方へ飛び退く。
だが距離が開いたのは一瞬だった。
畳み掛けるような追撃と応戦。
息を吐く暇もない剣戟の中、妙な事に気付いた。
先程から視界に微量の血しぶきが舞っている。
斬り合いの最中だ。
程度に関係なく知らぬ間に傷を負っている事もある。
だが何かおかしい。
違和感の正体にはすぐ気付いた。
まず、飛沫を散らしているのはキースである。
だというのに、身に付けた霊装はどこも裂けていない。
それらは全て、服の内側から染み出たもので。
「ぐっ、ごあ、げはっ!」
「――おい」
可能性に思い至り、無意識に呟く。
「嘘だろ」
先程の声は、戦意の表れと思っていた。
だが違うのだ。
仮面から滴る血液が確信を強める。
これは苦痛の叫びだ。
先程からずっと、キースは限界を超えて戦っている。
いや、戦わされている。
動揺が剣筋を乱し、一手後れを取った。
「――お」
気付いた頃にはもう遅い。
左から横薙ぎに振るわれる一刀は避けようがない。
それがわかったから、ガルムはあえて大剣を捨てて踏み込む。
刀は左腕で受ける。
そして、空いた右手で仮面越しにキースを殴り飛ばした。
捨て身の一撃は、果たしてそれに見合っていただろうか。
ガルムは他の隊長のように仰々しい鎧は纏わない。
大剣を扱う上で動きづらいからだ。
とはいえ隊長格の霊装である。
ただの布に見えてその耐久性は並の鎧と大差ない。
「いってぇ……」
が、だからといって無傷という訳ではない。
斬撃が打撃に変換されただけ。
それは骨を砕くのに十分な威力であった。
この戦いではもう使い物になるまい。
相当な痛手を受けたガルムの関心は、しかし別にあった。
「お前、キースに何した?」
落とした刀を拾ってから聞く。
それなりに効いたのか、もう限界か。
キースは倒れたまま起き上がろうとしない。
「おや、気付きましたか」
エルマーが感心したように眉を持ち上げた。
小馬鹿にしたような態度が癪に障る。
「彼は今、自分の身体能力以上の力を発揮出来るようになっています。まぁそんな事をすれば体も長くは持ちませんが、出し惜しんで負けるよりはいい」
骨は折れ、肉は裂け、それでも無理矢理戦わされている状態だ。
キースの感じる苦痛は計り知れない。
「てめぇ」
「キース君」
殺意と共に踏み出すと、エルマーがその名を呼んだ。
「――っ!」
もはや声にもならぬ、濁音を詰め合わせたような悲鳴。
キースは苦痛を絞り出しながら起き上がる。
「よせ。もう立つな」
届かぬとわかっていながら呼び掛ける。
「せめて相打ちですよ」
エルマーが指を差すと、キースは深く身を屈めた。
目の錯覚か、一瞬地面が波打つ。
圧力を伴って押し寄せる気迫は、さながら津波のよう。
(くそっ)
そこに籠められた力は、恐らく今までで一番強い。
予感があった。
キースの攻撃はこれで最後だと。
それ以上は本当に彼の体が持たない。
わざわざ迎え撃たずとも避ければ終わるだろう。
その選択肢が、キースが地を蹴るのと同時に消えた。
速すぎたのだ。
とても逃げ回れる速度ではない。
かといって近距離で躱すのも無理がある。
力技で押え込むのは論外だ。
今のキースではガルムの体も持たない。
消去法で残った選択肢は反撃のみ。
それ以外に生存の道はない。
が、それは同時にキースの死も意味していた。
(どうする……)
刹那の逡巡。
直後の閃きに、ガルムは構えを解く。
「やるよ」
大剣を元の刀に戻し、下から掬い上げるように投げた。
キースは当然のようにこれを刀で弾く。
展開としては理想的。
接触と同時に刀を変形させる。
植物のつるのように。
キースの刀に絡み付いたそれを、今度は限界まで肥大させる。
もはや武器としては到底振るえぬ重量まで。
「引っ掛かったァ!」
腕が下がるのを見て、ガルムは嬉々として躍り掛かった。
使えぬとわかった刀を、キースは即座に捨てる。
突き上げるような横腹への殴打に体が浮いた。
あばら骨の折れる音。
深々と突き刺さる拳。
抑える間もなく喉の奥から血が噴き出した。
それらに構わず、ガルムはキースの胸倉を掴む。
軽く首を逸らせてから、仮面に向けて渾身の頭突き。
それまで殴っていたせいもあっただろう。
キースの仮面は、まるで卵のような脆さで砕けた。
並んでその場に倒れ込む。
激痛に全身が悲鳴を上げている。
もはや寝返りを打つ余力すらない。
「ガルム、隊長……」
それでも、聞こえた声には笑みが漏れた。
「よう。目ぇ覚めたか?」
仮面を壊して呪縛が解ける確証はなかった。
正直な所、見た目が気に入らないから殴っていただけだ。
「よう。目ぇ覚めたか?」
「ご迷、惑、を」
どうやら操られながらも意識はあったらしい。
予想していたような混乱はない。
「気にすんな。部下の面倒見んのも仕事の内だ」
尤も今までした事はなかったが。
ファビオも草葉の陰で呆れている事だろう。
死を覚悟した割に怪我の程度は軽い。
いや、重いは重いのだが。
一撃でも食らえば原型は留めぬものと思っていた。
限界を超えた動きは、キースの肉体も十分に破壊していたらしい。
「折角助けたんだ。死ぬんじゃねーぞ」
「……はい」
そこに、足音が聞こえてきた。
「そうですよキース君」
次に不快な声。
見るまでもなくエルマーとわかる。
「くそが」
「よくぞ役割を果たしてくれました。ご苦労様」
足音が頭部の近くで止まる。
「ざけん、じゃねーぞ……」
起き上がりたいのに、のたくるような動きしか出来ない。
「おや、まだ動けましたか」
力を振り絞って持ち上げた頭を蹴り飛ばされる。
半回転して俯せから仰向けに。
「あまり怖がらせないで下さい。私はあなたが思っている十倍は弱いのですから」
「貴様っ」
「キース君も大人しくしていて下さいね。別に殺すつもりはありません。むしろ逆だ。じっとしていれば必ず助けてみせます」
再び奴隷のように使役するためだ。
だとすればこのまま死ぬよりずっと酷い。
「キース。動けるか?」
「……申し訳、ありません」
悔しげに絞り出すような否定。
「だよな」
わかってはいた。
「俺もだ」
どうやら本当にここまでらしい。
空を見上げながら、諦念を噛み締める。
視界の端に目障りな男が映った。
「ようクソ野郎」
「何でしょう?」
無駄と知りつつ、その瞳に最大限の殺意を滾らせて告げる。
「ここで俺を殺さなかったら、絶対後悔させて――」
途中、上空を黒い影が横切った。
言葉を失ったのは、そちらに気を取られたからではない。
同時にエルマーの頭部が消失したからだ。
「やる、から」
理解が追いつかぬまま、用意していた啖呵の断片が零れる。
遅れて残された体の倒れる音。
「……隊長が、やったんですか?」
困惑はキースも同様に。
「ばかいえ」
そういうガルムも、まさかキースが……と考えなかった訳ではない。
「無事か?」
音もなく視界に入り込んで来たのは、ウノだった。
「お、おう」
どうやら彼女も無事だったらしい。
「いやボロボロじゃないか」
呆れたように言ってからガルムの肩に触れた。
「弱いなぁ人間は。しかも弱い奴ほど強がるんだよな。哀れ過ぎるからもっと弱そうにしていた方がいいぞ。演技いらないからその方がお前も楽だろ?」
優しく揺すられながら罵られる。
なぜそんな事を言われなければならないのか。
不満を抱いたのは、しかし一瞬だった。
体中の激痛が引いていく。
まさか自分に雑言を浴びて快楽を得る素養が隠されていたのか。
ガルムの内に芽生えた困惑は、幸い杞憂だった。
いくら何でも気の持ちようでどうにかなる傷ではない。
方法はともかく、確実に治っている。
「ぎっ――!」
そう思って体を起こそうとした時、再び激痛が走った。
どうやら完治には程遠いらしい。
「これは応急処置だから、しばらくは安静な」
「お、おぉ」
出来ればもう少し前に聞きたかった。
ウノはガルムから離れ、今度はキースの元へ。
「な、何だ君は、うっ」
「弱いの弱いの死んどけ~」
軽く踏まれる事に抵抗を示したのも束の間、こちらもすぐ異変に気付いく。
「これは、一体」
「じゃあ我はもう行くからな。後は他の奴に看て貰え」
「あ、ああ」
何が何だかわからぬ内に去っていく。
礼を言いそびれたと気付いたのは、ウノがクレネに入ってからだ。
「……あの、彼女は?」
予想外の決着に、キースも困惑していた。
「あー」
何と言えばいいのだろう。
ガルムもよくは知らないのだが。
「巫女みたいなもんだ」
恐らくそこまで間違っていないであろう説明。
「なるほど。どうりで」
それで十分だったのか、あっさり納得してくれた。
さて、レアリ達は目的を果たせただろうか。
もはや自分に出来る事もないが。
物思いに耽っていると、遠くで鳥の鳴き声がした。
空から何か落ちてきていると気付いたのはその直後だ。
「――あ?」
一瞬目を疑うが、間違いない。
おまけにそれは物ではない。
人だ。
「おいおい」
このまま行くと近くに落ちる。
しかしわかった所で動くだけの余力もない。
そしてそれは、勢いのまま地面に叩きつけられた。