VSバレー部①
ちょうど昼休み終了のチャイムが鳴った。今日は清掃がないため次の授業の準備をするために時間割表を見た。
そこで俺のやる気は一気に絶望へと変わった。五時限目の歴史はまだいい。問題の六限目、本日最後の授業だ。その授業は体育、しかも種目はバレーボール。
今朝から女子バレー部のことで頭がいっぱいになっていたので忘れていたが、今日は六限目にバレーの授業がある。
俺は足の怪我のため、体操服に着替えてボール拾いをするだけなのだが、六限目の体育の後は帰るのが遅くなり、着替えていると他の生徒の迷惑になってしまうのでSHRの後に着替えて帰宅しなければならない。
中学の時は体操服を着た状態で帰ってもよかったのだがうちの高校はどんな時も制服姿で帰らないといけないという決まりがある。
授業終了後に急いで教室に戻ればなんとかなるかもしれない。歴史の授業は幸いにも自習だったので、五限目のうちに荷物をカバンの中に直し、早く帰る方法を考えた。
「学ラン熱いし脱いどこ、……学ラン? ……そうか!」
思いついてしまった。ホームルームの前に着替える方法を。
思いついたところでチャイムが鳴る。四十五分間丸々使い切ってしまったようだ。俺は着替えてゆっくり体育館へ向かう。途中で六時限目開始のチャイムが鳴ってしまうが、足の怪我を理由に遅刻することができる。体育館についたとき、ネットはすでに張られており皆準備体操をしているところだった。
準備体操の邪魔をしないように、壁を伝って体育担当の先生がいるところまで歩いていく。
先生たちには気づかれないように少し離れた場所に座る。こうすることで遅れて来たにもかかわらず元からいたように見せることができる。現に体育担当の先生たちは俺を注意することなく授業を進めていく。
俺が最も苦手な先生も今はいないので、何か聞かれても最初からいたと嘘をつくことができる。だが、今日はとことんついていない日なので気を付けないといけない。
「球宮く~ん、遅れて来たのにのに先生に報告しないのはいけないんだよ~」
本当に運がない。この人がいるなんて。
「元からいましたよ。先生が見てなかったんじゃないですか?」
「残念でしたー、先生体育職員室から見てたからね!」
「先生も遅れてきてるじゃないですか」
「先生はいいんですよ、先生だから」
この人は笹木琴海先生、身長百六十センチで去年この学校に来た体育教師だ。年齢は二十四歳で今年二十五歳になる、年齢=彼氏なしという美人なのに可哀そうな先生だ。
普段は温厚な性格だが、自身に対して年齢のこと、恋愛のことを言われると阿修羅と化す。
去年、高校に入学して笹木先生が担任になり、入学式の次の日に先生に質問をする時間があったが、クラスの誰かが冗談交じりに彼氏がいるのかを聞いていたがその瞬間先生から笑顔が消え、残りの授業時間を説教という風に過ごした。
そして俺は笹木先生のことがとても苦手だ。
理由はいろいろあるが一番の理由はこの先生が女子バレー部の顧問だということだ。もともと体操競技をしていたらしいがこの学校には体操競技の部活は無い。更にうちの学校には女子バレーをしていた教師もいない。そんな時に新任である笹木先生に白羽の矢が立った。それをこの先生は快く承諾したのである。
そこまでは俺に関係はなかった。問題はここからだ。
この先生は俺が中学三年の時のバレーの試合を見に来ていたらしいのだ。
本来、部活顧問は一年生が入学する前に決定するのだが、女子バレー部に関しては前にいた顧問の先生が突然寿退職してしまい、俺たちが入学した後に顧問が決定した。
つまり、先生は俺がコーチを引き受けてくれるという前程で顧問を受けたのだ。
誘いを断ったときにそのことを聞かされて正直呆れた。
それ以来先生は事あることに俺を誘ってくる。
「球宮くん、バレー部のコーチ引き受けてくれないかな? 今なら先生何でも言うこと聞くよ、……あっ、えっちぃのはだめだけどね‼ それでも足りないならうちの部員の子も何人か貸してあげるからコーチになってくれないかな?」
「いやいや、部員を売っちゃダメでしょ。それに、何と言われようと俺はバレーボールに関わるつもりはありませんから」
このように先生は自分を売ってまでコーチに誘って来ようとする。でも、勝手に部員を売るのはだめでしょ。
「それに、俺がバレーに関わったら怪我人が出ますよ?」
「スポーツに怪我は付き物だから大丈夫だよ」
いや大丈夫じゃねーだろ。
「はぁ、今日もダメか。でも、気が変わったらいつでも言ってね? 私はいつでも大歓迎だから」
もうすぐ試合が始まるので先生はこの場を離れていった。俺も審判につかないといけないため移動する。主審は先生方がしてくれるため、線審は生徒がしなくてはならない。その中でも授業見学者と女子バレー部員は優先的にしなくてはならない。
更に女子バレー部は男子に混ざらないといけないという決まりもある。これは評価をするにあたり、女子に混ざって手を抜かれると評価しずらい、かといって本気を出してしまうと一般女子生徒の評価も難しくなってしまうため男子に混ざることになっている。これはほかの競技でも一緒だ。
うちのクラスに女子バレー部はいないが他のクラスにいるため何名か男子の中に女子が見える。
体育は八つあるクラスを半々のグループに分けて行う。うちのグループは二組、六組、八組とオレの所属する三組で六組には一人、八組には四人女子バレー部員がいる。
男子は元の人数五十九人に女子バレー部員五人を合わせ俺を引いて六十三人と、人が多いため一つ七人のチームを九つ作る。
コートは五つあり男子が使えるのは三コートなので、九つのチームを三チームずつに分け、その三チームでローテーションをすることにした。時間制で必ず二試合できるようにしてある。
チーム分けは女子バレー部とバレー経験者が合わさらないように分けた。
俺が線審をするコートのチームには女子バレー部員が全チームにいる。あまり関わりたくないため、おとなしく線審をすることにした。黙々と試合が続いていく中、女子バレー部員のサーブのターンになった。その女子はエンドラインから少し後ろに下がって構える。
ボールを前のほうに投げ助走を開始する。俺の目の前で行っているので体の動きがよく見える。練習を始めてまだ時間は立っていないようだ。完全に助走に乗り切れていない。
そして彼女はジャンプしてサーブを打つ。ジャンプした後のボールを打つ瞬間は奇麗な形になっている。それだけに助走がしっかりできていないのは残念だ。
彼女の打ったボールはコートの端に決まる。ノータッチエースだ。彼女も小さくだがガッツポーズをとっている。俺自身もいい球だと思った。本来ならば。
俺は左手でエンドラインをさし右手に持っているフラッグを頭上で左右に振る。エンドラインを踏んでいたので、相手の得点だ。
「おいおい、今の踏んでなかっただろ! ちゃんと見てなかったのか?」
先程サーブを打った人が突っかかってきた。
「ちゃんと見て踏んでたから旗を振ったんだ。練習したてで上手く打てたのにラインを踏んだ判定が出たかっらて文句言うな」
「……てめぇ!」
女子生徒は俺の胸倉をつかんできた。
「怪我か何か知らねぇが、さぼってるやつが口出すんじゃねぇよ⁉」
俺は何もする気はないが、暴力沙汰に発展しそうなので誰か止めに来てほしい。
「まぁまぁ、朋紀落ち着いて。朋紀が踏んでないと思っても審判である彼が踏んでると判断したんだから認めないと」
助けを待っていると一人の女子がこちらに来ていた。
今試合をしていたもう一人の女子バレー部だ。
「アキ、……チッ、わかったよ。てめぇ今回はアキに免じて認めてやるが、次誤審なんてしたらぶっ飛ばすからな!」
そう言い残し朋紀と呼ばれた女子はコートに戻っていった。捨て台詞が雑魚の悪役のように聞こえるのは俺だけだろうか。
「うちの朋紀がごめんね。あの子最近なかなか上達しない自分に苛立ってて、バレーをしてる時はよく頭に血が上るのよ」
「いや、気にしてないし。それに上達しないのに続けているのはすごいと思う」
「……君、もしかしてだけどバレー経験者?」
突然彼女の目の色が変わった。誤っているときは接しやすい女性と思っていたけど、急に眼の色を変えてきた。まるで新しい獲物を見つけた虎のような。
「俺はバレーが嫌いなんだが、どうしてそう思うんだ?」
「バレー部のマネージャーをしているわけでもないのに、サーブでエンドラインを踏んだ時に出すジャッジが上手かったからかな? でもバレーが嫌いなら経験者じゃないかな? いや、バレーはしてたけど途中で嫌いになった可能性も……」
「早く戻って試合再開したほうがいいんじゃないか?」
俺の言葉に彼女は我を取り戻しコートのほうに体を向ける。
「そういえば君、名前なんて言うの?」
「球宮元成……っ⁉」
急に名前を聞かれたのでとっさに答えてしまった。女子バレー部にはあまり教えたくなかったのに。
「球宮くんか、私、山之内秋穂! ねぇ球宮くん、バレーってとても楽しいのに嫌いなんてもったいないよ。さっきの球宮くんのジャッジで次は私のサーブなんだけど私の代わりに打ってみない?」
「…………はい?」
山之内は何を言っているのだろうか。俺が体育を見学しているのは怪我しているからなのに、サーブを打たないかって。
俺はサーブを打つ気なんてさらさらない。そもそも見学者を参加させるなんて、体育教師が許すわけない。
「サーブ、私の代わりに打ってもらってもいいですよね、笹木先生?」
……今、笹木先生って言った? いや、笹木先生は女子のほうに付いているはずだからこのコートにいるわけがない。
そう思いながら俺は顔を上げる。しかし、先程いた審判の先生はおらず、代わりに笹木先生がいた。
どうやら俺は疲れているようだ。
目をこすってもう一度審判のいるほうを見る。だが、そこには笹木先生がいた。
「さっき朋紀さんが球宮くんの胸倉を掴んでいるとき変わってもらったの。バレー部が不祥事を起こすと私も困るから。それで、秋穂さんの代わりに球宮くんがサーブを打つ、だったわよね? もちろんいいよ。それに、教師の間でも流石に少しでも参加してもらったほうがいいんじゃないかって話が上がってたし、ちょうどいいよ。あ、でも無理だけは禁止だからね!」
質問もする間もなく参加することが決まってしまった。
俺がその場で突っ立っていると、後ろから山之内が押してくる。
そのまま俺はエンドラインに立たされ山之内にボールを渡される。
「せっかくなんだし楽しまないとね!」
元気のいい笑顔でそう言ってくる山之内だが、俺には悪魔が笑っているように見えた。
ボールを受け取った俺は数年ぶりの感触を味わう。最後に触ったのは一年と半年前、その時は本気でサーブを打ったことがあったが数発なら何の支障もなく打つことができた。今本気で打っても足が耐えられるか分からないし、うまく決まるかも分からない。
そもそも先生は無理だけは禁止と言ってたし、山之内も代わりに打ってみない、とは言っていたが本気で打って、と言っていなかった。だったら、
山之内から渡されたボールを一度床に置き、軽く腕を伸ばし、腰を回し準備運動をする。
笹木先生の笛が鳴ると同時にフローターサーブを打つ。
入れるために打つサーブなのでそこまで強い球ではない。
打ったボールは先程オレの胸倉を掴んだ朋紀という生徒のところに飛んでいく。女子バレー部の彼女が取れないことは無いと確信し、スパイクレシーブをしないようにコートの外に出ようとしたとき、彼女がサーブをよけた。
こちらの得点になったが、コートにいた両チームだけでなく外で待機していたもう一つのチームも驚いていた。
誰でも取れそうな緩いボールをよけたらそうなるだろう。それも女子バレー部が。
もう一度俺のサーブになってしまったので横を向いていた体を正面に向けたとき、ボールがすごい勢いでこちらに飛んできた。
とっさに体が反応してしまいレシーブの姿勢でボールを上げてしまった。
さっきのボールは朋紀さんが打ったボールらしい。振りかぶった後の右手には握りこぶしを作っているのが見えた。
「てめぇ、さっきの態度といい今のサーブといい、舐めてんのか? お前がバレーを嫌っていようが関係ねぇ、私は全力でしてるんだから本気で来いよ!」
彼女には俺が手を抜いていることが分かったようだ。
次にどのようなボールを打とうか迷っていると外やコート内から声が聞こえた。
「うわ~、容赦ないな茅山の奴」
「あいつ、確か球宮だっけ? 可哀そうだよな、素人で怪我してるのに本気で来いって言われて」
「さっきあいつのサーブで旗を振っていた腹いせじゃね?」
「大体今やってるのってただの授業だろ? 茅山なに向きになってるんだ」
「授業ごときで向きになるなんてダサくね?」
コートの外だけでなくコート内でもそのような声が飛んでいる。
俺は、この声のせいで小学生の頃の体育でやったバレーを思い出してしまった。
まだバレーが好きだったころ、体育の授業でバレーをすることになった。当時バレーが大好きだった俺は体育の授業にも本気で挑んでしまい、チームメイトだけでなく相手チームもやる気をなくしてしまい、俺は先生に怒られた。それだけならよかったが、チームメイトや相手チームからは非難の声が飛ばされた。
俺はその時思った。どうして授業に本気で取り組んでいるやつが怒られなければならないのか、バッシングを受けないといけないといけないのか。
それが今目の前で起きている。果たして俺はこのままでいいのだろうか。相手が本気で授業に取り組んでいるのに、怪我を理由に緩い気持ちで受けても。
……否、相手が本気でプレーをしているのに、それを緩い気持ちで返してしまったら、非難の声を出していた生徒以下になってしまう。
俺は準備運動をすることにした。先程の緩い準備運動では無く、怪我をしないための準備運動を。
本気で打つのは久しぶりなので足が持つか分からない。
医者にも長時間の激しい運動は禁止と言われているが、裏を返せば短時間ならいいという意味だ。短距離走などは完全に禁止させられたが。
準備運動を終え、エンドラインよりそれなりに離れたところに立つ。
ボールを持ち構える。狙いは茅山のいるところ。今いる位置とは対角にいるので全力で打たないといけない。
先生が笛を鳴らす。
そこで一度気持ちをリセットする。今、バレーが嫌いだの、足の怪我だのそんなことどうでもいい。相手の本気の気持ちに応えるか応えないかだ。そして俺は応えることを選んだ。だからこそ本気で行く。
左手でボールを前にあげる。一年と半年ぶりにしては上出来なサーブトスだ。助走を開始し左足でブレーキを踏む。痛みはない。そのまま前にジャンプ、久しぶりすぎてあまり高く跳ぶことはできなかった。それでも腕をためてボールが落ちてくるまで待つ。落ちてきたところで腕を振りボールを打つ。
最後は上半身に頼りきりだったがそれでも威力のあるボールは茅山のところに飛んでいく。
茅山はボールの正面に入りレシーブの姿勢を作る。
ボールへの反応は素晴らしい、しかし少々前すぎるように思う。
思った通り、ボールは茅山の二の腕にあたり後ろへ飛んでいく。