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ゲレンデ

作者: 柿畑 紫慧

「うっひょうぅぅ!」

歓声をあげてリョウが雪を切って滑り降りていった。

どちらかと言えば大人しめな彼の意外な一面が風と共に過ぎ去っていく。

「おっし。」

小さく口の中で呟いて気合いを入れる。斜面にボードを押し出すと、しゃりりと足元が鳴った。


遥かに先に行って、小さくなっていってしまったリョウの背中を追いかけるように滑っていく。平日のスキー場は閑散としていて、人にぶつかる心配もなかった。

体を傾けてボードのエッジで雪を切る。手に触れる斜面の冷たさは、厚い手袋の上からはよくわからなかった。


「おーっす、取り敢えず、昼まで一旦自由ってことで。」

ふもとまで降りて来ると、待っていた彼はそれだけ言って嬉々としてリフト場へと向かっていった。よほど楽しいらしい。そういえば、あいつは雪国出身だったっけと今更のように思い出した。


リフト場から垂れ流しにされた名前の知らないポップミュージックが、なかなか耳の中から離れていってくれない。どうしても、スキー場は陽キャの世界という感覚が抜けていかない。彼みたいに自分の世界に簡単に入り込める人間はいいのだろうけれども。


4、5回滑ったたところで、足から外したボードを立てかける。早くも「もういいや」という気分になってしまった。


誘われて来た近くのスキー場は本当に地元の人間しかいないような寂れたところで、その割には設備なんかは結構整っていたりして、何だか違和感を覚えてしまった。売店でホットコーヒーを買い、どこに座ろうかとほんの少しだけ迷って、窓際のカウンターへ向かう。まだお昼までだいぶ時間があるからか、客はまばらにいるばかりだった。


席に着こうとしたところでふと、トレーの上にシュガースティックとミルクがそれぞれ2つずつ乗っかっているのに気がついた。何でだろう、特に注文の時に言った覚えはないんだけれども。というか。

「使わないんだけどな…。」

『UCC』というロゴが描かれたミルクをつまみあげてみる。そう言えば久しぶりに見たな、これ。コーヒーは普段から何も入れないタイプなので、とんと使う機会がなかった。コーヒーゼリーを最後に食べたのも、いつだっけ…?


そんなことを考えていたもんだから、後ろから声をかけられた時には少々驚いてしまった。

「あの…。」

びくついた肩を隠すようにゆっくりと振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。年齢は、俺と同じか、少し上か。淡いピンクのスキーウェアの彼女の右手には、俺が注文したものと同じ、白いカップが乗っかっていた。

「もし良ければで良いんですけど…そのお砂糖とミルク、いただけませんか?先ほど「使わない」とおっしゃっていたので…。」

彼女のトレーの上をよく見てみると、確かにコーヒーカップ以外のものが見当たらなかった。

「あ、ええ、良いですよ。」

もしかしたら彼女と注文を取り違えてしまったのかもしれないな、と思いながら答える。

「っありがとうございます!何だかもう一回店員さんに言いに行くのも気まずくて…。」

彼女はそう言いながら、俺の隣の席に座った。


さぁぁっと小さな小さな音を立てて、白い粉が黒い液体の中へと消えていく。

「…コーヒーには、何も入れない派ですか?」

「ええ、まぁ。」

彼女の手元を何となく見ていたら、そう聞かれた。

「私は甘いのが好きで、いっぱい入れちゃうんですけど。」

続けて彼女はパキリとミルクのふたを開け、トポトポと注いでいく。

「ふふ、連れと一緒ですね。」

「連れ?」

「ええ、私、近くの大学の四年生なんですけど。今日は後輩に誘われて来てて。彼も、何も入れないんですよ。それどころか、『コーヒーはそれだけで完成された飲み物なんだ。それに何か入れるなんて、悪魔のすることだ」って。」

「ははぁ、なるほど。」

「あなたも私が砂糖を入れる手を見て、彼と同じ目、してましたよ?」

悪戯っぽく笑う彼女は、何だかとても楽しそうだった。

「いやいや、そこまでは思ってないですよ。」

「『そこまで』ってことは、ちょっとは思ったんですね。」

「まぁ、ちょっとは…。」

二人でくすりと笑う。初対面だというのにこんなに楽に喋れる相手、というのはとても珍しいな、と他人事のように思った。


「…もしかして、○○大の方ですか?」

近くの国立大の名前を言われる。

「いえいえ、大学三年生ですけど、大学はもっと遠くの方です。今は友達と二人、旅行で来てて。」

「へぇ、じゃぁ一応後輩さんだ。」

「彼に誘われて僕もスキー場来たんですけど、早々についていけなくなってしまったというか。」

「ははぁ、それでこんなところに。」

「ええ。」

苦笑しながら、僕もカップのふちに口をつける。

「ま、私も似たようなもんですけどね。」

と彼女は言う。

「スキー場来たは良いものの、彼に早々に置いていかれちゃって。ここでこうして時間潰してるってわけです。」

「やっぱり、ある程度レベルが高くないと、滑ってても楽しくないですよねぇ。」

斜面の所々に上がる、小さな雪煙を見ながら彼女が言う。

「まぁ、確かに。でも、滑らないと上達しないっていう矛盾がまた、ありますしね…。」

「そうそう、小さい頃からやってればまた違うんでしょうけど。」

彼女との話はとても心地が良い。まるで、返って来て欲しい言葉が当たり前のように返って来ているような。


15分ほど話していただろか。

「あ、先輩!こんなところでサボってたんですね」

声の方を振り向くと、ひょろりと背の高い男性が立っていた。彼が「連れ」なのだろう。

「サボってる、とはまた失敬な。こうやって英気を養っているのがわからないのかい?」

「養ったところでどうせ何も変わんないんですから。さ、いきましょ。リフト代が勿体ないです。」

「…ということらしいので。」

彼女が俺の方を向いて言う。

「お砂糖とミルク、ありがとうございました。それじゃまた、ゲレンデで、会えたら。」

「ええ。では。」

彼女は残ったコーヒーを綺麗に飲み干すと、席を立った。


歩いていく彼女らの声が、だんだん小さくなっていく。

「にしても先輩、顔広いっすね…。さっきの人、誰ですか?」

「え、知らない人だよ、たまたま話してただけ。」

「っつ…。初対面であれだけ楽しく話せるって、先輩はつくづくコミュ力の化け物ですねぇ…」


少しだけ冷めたコーヒーを、一人で啜る。

やっぱりブラック一択だなと、改めて思った。


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