99・闇なる蛍火、我が手に宿れ
クレアとカミラは歴戦の猛者だ。
それは間違いない。
しかしそんな彼女ら二人をもってですら、この男の接近にはこれっぽっちも気が付かなかった。
まるで無から生命体が生まれたかのような──そんな不可解な状況。
(転移魔法か……? いや、そのような気配は感じなかった)
本来、転移魔法には莫大な魔力が必要となる。ゆえに魔力探知に優れている者ならば、それを感知することは容易いだろう。
しかしこの男が現れる時、クレアはなにも感じなかった。
それはまるで──。
「儂らの知らぬ、全く別の理が働いておる……そう考えられるな」
「はあ? クレア。お前、なにを言っているのだ」
ピンときていない様子のカミラ。
カミラはそもそも、こういった人の気配を読むなどの術は劣っている。そんなことをしなくても、圧倒的な戦闘力で相手をねじ伏せられるからだ。
クレアですら無理なのに、カミラが気付ける道理はなかった。
「お主は誰じゃ? なにをしようとしておる」
クレアは目の前の男に警戒を募らせる。
その者は白いローブに身を包んでいる聖職者のような佇まいだ。
歳は三十代くらいだろうか。
金色の長髪に、病的なまでに真っ白な肌。体の線も細く、押せば倒れてしまいそうだ。
病人──そう言った方がまだ納得出来る。
だが、彼から発せられる異常な魔力。
ほとんどゼロに等しい正気とは反比例した、満ち足りた力。
さすがのカミラもそれを感じ取り、腰の剣に手をやる。とはいえ、すぐに襲いかかる真似はしなかったが……。
「私はエトガル」
彼がゆっくりとこちらに近付きながら、語り始める。
クレアとカミラはその場から動けない。
男の話に耳を傾けなければならない──そんな不思議な義務感が頭を支配していたからだ。
「私は空っぽ。世界を我が手にするための必要不可欠な依り代。それがこの体」
「意味不明なことを宣うな。言ってることが支離滅裂じゃぞ」
しかしそれが彼──エトガルの不気味さに拍車をかけているようであった。
彼はゆっくりクレアたちに手をかざす。
その人差し指には指輪がはめられており、そこに鎮座している紅色に輝く石には見覚えがあった。
「ほお、それは紅色の魔石か」
辺境の街ノワールの古代竜を出現させ、王都に《大騒動》を起こさせた魔石。
挑発的な口調のまま、クレアはさらに問いを重ねる。
「お主が今回のことを引き起こさせた元凶ということかのう?」
四天王の一人、ブレンダはブラッドを探すと同時、紅色の魔石について調べていた。
(まあ正しくは、儂が紅色の魔石を放置しておったから、勝手に調べていただけじゃが──って今はどうでもいい!)
首を横に振って、無駄な思考を省く。
なんでも、紅色の魔石はゼブノア教団と呼ばれる組織が所持しているらしい。
その教団は謎に包まれ、さすがのブレンダの情報網でもこれ以上のことは分からなかった。
「…………」
彼はなにも答えなかった。
まるで「君と話す価値はない」と言っているかのように、クレアたちを見下していた。
「ごちゃごちゃ言ってるが、そこを通らせろ。さもなくば斬る。そんな簡単な話──!?」
とカミラが言葉を続けようとした時であった。
エトガルは開戦の合図もないまま、魔法を発動させた。
暴風が部屋の中に吹き荒れる。
「カミラ!」
「分かっている! おい、少年! 私から離れるんじゃないぞ!」
「う、うん!」
ユリアーナの弟を放置しておくわけにはいかない。
そんなことはカミラも分かっていたのか……彼を左腕で抱き、右手で剣を握った。
「●●●●●」
「──っ!」
エトガルの言葉を聞き、ぞっと鳥肌が立つ。
その一瞬の言葉に、大量の情報が込められていたからだ。
それが耳から入ってきて、脳がキャパオーバーを訴える。
常人なら、彼の言葉を聞いてまともに立っていられないだろう。
しかしクレアとカミラは尋常ならざる精神力で、なんとかその場に踏みとどまった。
「なんだ!? あいつはなにを言っている?」
「知らん! 今はそんなことより──」
戦いに集中しなければらない。
「メテオバレッド!」
クレアは魔法を発動し、エトガルに対抗する。
高圧縮の炎弾がおよそ百発、彼に襲いかかる。
だが、エトガルの指にはめられている指輪が一瞬光ったかと思うと、大量の弾丸は彼の前で静止。
そのまま地面に落ちてしまった。
「ほお、やるではないか」
そう口を動かすものの、クレアは内心動揺していた。
(いとも容易く儂の魔法を防ぐとは……こんなことが出来るのは、魔王様くらい──)
思考を続けている間にも、戦場はさらに激しさを増していく。
「ふんっ!」
しかしカミラが追撃する。
目にも留まらぬ早技。
カミラが神速で剣を振るう。しかも一度ではない。一振りに一万の斬撃が隠されている。
舐めプする傾向があるカミラが、最初の一撃目から本気を出している。
それほどまでに彼の異常さが肌で感じ取れるのだろう。
だが、エトガルはそのさらに上をいった。
「はあっ?」
カミラが間抜けな声を出す。
何故なら──エトガルがすっと前に手を突き出し、カミラの剣を人差し指と中指で摘んだからだ。
「●●●●●」
またもや意味不明の言語を吐くエトガル。
そのままカミラの剣をへし折ろうとするが、彼女は咄嗟に彼の腹部目掛けて蹴りを入れる。
しかしそれも直撃する寸前で、不可視の壁によって防がれる。
カミラはそれに生命の危機を感じたのか、剣を引いて、その場から離れようとする。
「●●●●●」
エトガルは今度、そんな彼女の右腕を掴んだ。
カミラは逃れようともがくが、それもダメ。エトガルは彼女の右腕を掴んだまま離さない。
紅色の魔石が一際輝く。
それは死の運命を予感させる煌めきであった。
「うおおおおおお!」
カミラの判断も早い。
彼女は剣を口で咥え、そのまま自分の右腕を切断してしまったのだ。
これによってエトガルと距離を取ることに成功するカミラ。
「なかなか無茶をするのお。お主はバカか?」
「…………」
挑発するが、カミラから答えは返ってこない。
クレアがそっとカミラの肩に手を当てると、彼女の右腕は瞬く間に元通りになった。
カミラはあまり治癒魔法が得意ではない。しかしそれは四天王基準でという話。彼女でもこれくらいの芸当は容易い。
「●●●●●」
「くるぞ!」
「分かっている!」
次にエトガルは攻撃に転じた。
あらゆる魔法──そして不可解な力が、彼女たちに襲いかかる。
クレアとカミラは対抗するが、こちらからの攻撃が何故だか一切通じない。
「はあっ、はあっ……」
「ちいぃっ!」
肩で息をするカミラ。舌打ちするクレア。
「はっ……はは。まさかこんなぽっと出に、ここまで苦戦するとはな。こんなことはいつぶりだろうな」
「さあ、な。少なくとも、四天王に任命されてからは、一度たりともなかった」
こんな状況でありながら、二人の顔は笑っている。
魔王軍、四天王の意地であった。
「お、お姉ちゃんたち……大丈夫?」
カミラの左腕に抱えらえているユリアーナの弟も、彼女らを心配した。
「なに、問題ない。私らは負けん」
「その通りじゃ。なんせ我らは──人間どもを恐怖のどん底に陥れる、魔王軍四天王じゃからな」
「クレア。たまには良いこと言うではない。そうだ──私たちは四天王。魔王様が野望を叶えるまで、決して退くことは許されぬ」
そしてクレアとカミラはお互いに視線を合わす。
「まさかお主と協力することになるとはのお。これを使うのは、いつぶりじゃ?」
「百年から先は数えていない」
そう言って、二人は少年のような笑みを浮かべた。
クレアがカミラの背中に手を当てる。すると部屋全体にどす黒い闇が拡散した。
「ゆけ」
クレアの目は真っ赤になっている。ありったけの魔力をカミラの貸与したため、眼球の血管が破裂したのだ。
「こいつは任せた」
カミラはユリアーナの弟を、クレアに預ける。
その両手には闇の剣が握られていた。
目を瞑るカミラ。
「闇なる蛍火、我の手に宿れ。世界を闇で覆い尽くしたまえ」
とカミラは決して驕らず、決して昂らず。
極めて冷静に努めて、ぼそっと──剣に懇願する。
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