96・希望(絶望)はどこから来るのか
「あっ……」
神速の剣捌き。
そのため、アリエルは目と思考が追いつかなかった。
エドラはユリアーナに剣を貫かれた後、数秒の後に事態を把握しているようだった。
それは即ち──痛みが頭に伝わるよりも早く、ユリアーナを剣を突いたということの証明である。
「エドラ!」
アリエルはすぐさま、助けに入ろうと剣を振るう。
だが、届かない。
剣は空を切り、ユリアーナには擦りすらしなかった。
「まずは一人」
剣をエドラから抜くユリアーナ。エドラの体がゆっくりと床に倒れてた。
「エドラ、エドラ!」
アリエルはしゃがみ、エドラの身を案じる。
しかしエドラはそんな彼女の気遣いを、さっと手で制した。
「いい……私なら大丈夫。致命、傷じゃ……ないから……」
「で、でも! こんなに血が出てる!」
エドラの声は息絶え絶えで、いつこのまま二度と動かなくなってもおかしくないように思えた。
「アリエルの敵は目の前に……いる」
エドラは倒れたまま、震えた右手でユリアーナを指差した。
「戦いの最中に、よそ見しちゃ……ダメ。私も、ちょっと休んだら、加勢する……から……」
「──っ!」
急激に意識と視線が、ユリアーナに戻るアリエル。
「ははは! 君は良いお友達がいていいねえ。羨ましいよ」
しかしユリアーナはアリエルたちを見て、そう高笑いを上げていた。
あくまで自然体のユリアーナ。
今のアリエル相手では、剣を構える動作すら無駄だと考えているのだろうか……。
「でもそれは大きな枷となるよ。足手まといはさっさと切り捨てなきゃならない」
「枷……足手まとい……エドラがそうだと言うんですか!?」
アリエルは心の奥から、ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
「おっ、やっと良い表情をしてくれたね」
それを見て、ユリアーナは感心したように声を出す。
「だって君、そうじゃないか。友達とか仲間なんてものは、自分の枷にしからない。人は誰かを守ろうとした時に、大きな隙が出来る。ならばその枷なんて、さっさと取っ払った方が──君はもっと強くなれる」
「そ、そんなこと有り得ません! 人は誰かを守ろうとする時に、大きな力を出すことが出来るのです!」
「へえ。ついさっき、ボクに慈悲をかけられていた人の言葉とは思えないねえ」
「慈悲……ですか?」
「うん」
ユリアーナは剣先をアリエルに突きつける。
「さっきの君、隙がありすぎて逆に怪しんじゃったくらいだよ。アリエルが友達を案じていた時間で、ボクは君を百は殺せた」
「……っ!」
悔しくて歯を噛み締めるアリエル。
ユリアーナの言っていることが、はったりじゃないことを深く理解していたからだ。
(ユリアーナは友達や仲間は枷だと言っている……ならば)
アリエルは強い視線を彼女に向けながら、こう質問する。
「では、あなたは守るべきものが一つもないと? 守るものがないあなたは、わたくしたちよりも強いとおっしゃりたいのですか?」
「…………」
それは僅かな動揺であった。
集中していなければ見逃してしまうほどの、ほんの少しの違い。
ユリアーナは考え込んでいたようだが──それも瞬きほどの時間。
やがて彼女は、
「……残念ながら、ボクにも枷はある」
と寂しげに言った。
(枷はある……? なら──)
ユリアーナの守るべきものはなんなのだろうか。
国民? それとも国王陛下だろうか。
ユリアーナはこの国の騎士だ。
当然、そういう答えになってもおかしくないと思うが……違う気がする。
アリエルの思考を振り払うように、ユリアーナは言葉を続ける。
「けど、だから互角だなんて見当違いなことを考えるのはやめてね。君とボクの間に隔たっている実力の差は──とてつもなく大きいのだから!」
またもやユリアーナが視界から消失。
アリエルが再度、身構えるよりも速く──彼女は床に倒されていた。
すぐに立ち上がろうとするが、それよりも速く、顔のすぐ横の床に剣が突き刺さった。
「これで終わりだね。やっぱりつまらなかった」
ユリアーナがアリエルを見下す。
「どうする? これでもまだ君はボクに勝てるとでも言うつもりかい? 一応言っておくけど、ボク……まだ全然本気を出してないよ」
「か、勝てないから戦わないという選択は有り得ません! 守るべきものがある限りは、前を向く。それが──冒険者としての誇りです!」
「ふふ、なかなか良い誇りだね。覚えておくよ」
ユリアーナが床から剣を抜き、剣先をアリエルに向ける。
「じゃあその誇りを胸に抱いたまま、死んでくれるかな? 君も本望じゃないか。たとえ死んだとしても冒険者の誇りを守れたんだからさっ!」
「……っ!」
ユリアーナがアリエルの胸を剣で貫こうとする。その光景がやけにゆっくりに見えた。
だが、ゆっくりに見えたからといって、躱せるわけでもない。
自分はユリアーナより速く動けないからだ。
──悔しい。もっと強くなりたい。
分からない間に殺されるなら、ある意味楽だったのかもしれない。
しかし神様というのは無慈悲なもので、アリエルにそれを許さなかった。
(助けて──)
絶体絶命。
死ぬのも時間の問題。
そんな状況でありながらも、アリエルの脳裏にはたった一人の男の顔が浮かんでいた。
(ブリス──っ!)
ユリアーナの剣が、アリエルの薄皮に到達した刹那──。
「俺に黙って、なに勝手なことをしてくれる」
声。
この声を聞けば、なにが起こったのかはっきりと分かった。
「ブリス!」
ブリスがユリアーナの剣を握る手をおさえ、彼女の凶行を止めていたのだ。
「ちっ!」
舌打ちして、ユリアーナがアリエル──そしてブリスたちから距離を取る。
「悪い、アリエル。また遅くなってしまったな。いつもギリギリになってしまって、申し訳ない」
「そ、そんな……っ! 謝らないでください」
嬉しくなって、ブリスの大きな背中に抱きつきたくなってしまった。
だが、アリエルは首を横に振り、その気持ちを押し留める。
彼女は上半身を起こし。
「ブリス! 気をつけてください。今のユリアーナはわたくしたちの敵です。そして武闘大会で暴走させた魔力を、完全に飼い慣らすことによって──」
「ああ、大丈夫。大体分かっているからな」
アリエルの言葉を途中で止めるブリス。
「エドラ……すぐに治してやるからな」
胸元から血を流し、息も絶え絶えのエドラに向かって俺は治癒魔法を発動する。
彼女の胸元を中心に、暖かい光が灯った。
「じきによくなる。お前らはそこで休んでろ」
そう言って、俺はユリアーナに意識を集中させた。
「待たせたな。それにしても……わざわざ待ってくれるなんて優しいんだな」
「君に後で言い訳されても困るからね。『仲間のことが気に掛かってって、本気を出すことが出来なかった!』……って」
とユリアーナ心底嬉しそうな表情を作る。
「まさか君ともう一度戦えるとはね──さあ! 戦おう! 今のボクなら君にすら勝てる! 命を賭けた楽しい戦いをいざ──」
「ふんっ、一度俺に負けたくせに大した自信だな」
だが、ユリアーナのそんな態度をブリスは鼻で笑った。
彼の体にあった魔力が増大していく。
(この禍々しい魔力は……古代竜……いえ、魔族の時にも見たもの……?)
ということは、これが四天王『魔法』の最強格、クレアの言っていた魔王の魔力ということでしょうか……?
アリエルが見定めている最中、ブリスはこう言葉を続けた。
「魔王が本当の絶望というものを見せてやろう」





