95・悲しき人種
「待ちくたびれたよ──遅いから、もう来ないと思ってた」
優雅な足取りでユリアーナは、アリエルたちのもとへ一歩ずつ近付く。
その言動からは圧倒的勝者の余裕すら感じ取れ、アリエルは無意識に身震いした。
「やっぱりそういうことだったの」
「そういうこと?」
エドラが発した言葉に、アリエルが問いを挟む。
「うん、おかしいと思った。ここのフロアに誰も見張りを付けていない。しかも牢屋にかけていた魔法の施錠もお粗末なものだった。いくらなんでも無用心すぎる」
「…………」
黙って耳を傾けているユリアーナ。その歩みは止まらなかった。
「あなたは最初から私が助けにくるのが分かってた。そうして、アリエルと私をわざとと合流させた。なんのつもり?」
エドラが警戒を募らせる。
その言葉を聞き、ユリアーナは「はっ!」と笑う。
「バレちゃったか。まあでも隠すつもりはなかったから、どうでもいいけどね。そうだよ。ボクは君にわざとアリエルを助けさせた」
「わざと──」
ここでアリエルの頭に、一つの可能性が浮かぶ。
だが、ユリアーナはその可能性──希望を摘み取るように、そっと掌を向けた。
「勘違いしないでね。君たちを裏切ったボクが、実はそうじゃなかった──そう考えているかもしれないけど、それは間違いだよ」
「で、では、どうして!」
アリエルが声を荒らげる。
ユリアーナが自分を裏切ったとは、未だに信じられなかったのだ。
(武闘大会の時……わたくしはユリアーナと剣を交えました)
口から出た言葉は嘘を吐く。
しかし剣は別だ。
そこには嘘交わりのない、真の言葉が乗せられる。
ゆえに真剣勝負の最中、剣を交わらせば、相手の考えていることが手に取るように理解出来るのだ。
(ユリアーナの剣は真っ直ぐでした。ただひたすらに、愚直に腕を磨き上げた人の剣筋……そんな彼女が曲がったことをするなんて、到底思えないですわ)
その彼女の考えが見え透いていたのか。
ユリアーナは不快そうに顔を歪める。
「そういう顔、しないでくれるかな? 勝手にボクに期待して、勝手に見損なうのはやめて欲しい」
そう言って、ユリアーナは剣をアリエルに放り投げる。
一瞬、攻撃かと思ったが……どうやらそうでもないらしい。アリエルは素直にそれを受け取った。
「これは……わたくしの剣?」
ここに閉じ込められる際、ユリアーナに取り上げられたものだ。
「──ボクは君ともう一度戦いたかった。だから彼女をここに呼び寄せた」
ユリアーナはそう口にし、自らもレイピアを右手で握る。
「ボクは最初からこういう人間だ。戦いの中でしか喜びを見出せない。ボクたちは戦うことでしか、語り合えないんだ。ここから脱出したいなら──ボクを殺してみせてよ」
剣を構え、殺気を飛ばすユリアーナ。
密度の濃い殺気だった。こうして立っているだけでもクラクラしてしまうくらい。
「……どうしてもですか?」
アリエルの問いに、ユリアーナは答えない。
(この沈黙が答えということですか……)
諦めて息を吐くアリエル。両手で剣を握った。
「アリエル。私も戦う」
隣に立つエドラも射抜くような眼差しで、ユリアーナを見ていた。
彼女も不要な迷いは捨て切ったようだ。
「悲しい人種ですね。わたくしたちは」
「うん。悲しいね」
ユリアーナが声の調子を変えずに言う。
「さあ、いくよ。ボクを楽しませてご覧!」
最初に仕掛けたのはユリアーナだった。
床を蹴り、アリエルに直行する。
「はあっ!」
目にも留まらぬ早技──しかしアリエルは自分の体が両断される寸前で、ユリアーナの剣を受け止めた。
両者の間で鍔迫り合いが起こる。
「ファイアーランス!」
エドラがユリアーナに魔法を放つ。
だが、ユリアーナには届かなかった。
一瞬目の前から彼女がいなくなったかと思うと、すぐにその場から離脱していたからだ。
「ははは! やっぱり戦うのは楽しいね! でもおかしいね? もしかして、アリエル──君はボクに勝てると思っているのかい?」
「はっ! なにをおかしなことをおっしゃいますか! 負けると思って戦うバカはどこにもいません」
「うん、その通りだね。でもアリエル、一つ間違っている。圧倒的力量さを分からず、相手に突っ込むのは勇気ではなく──それはただの愚か者だ!」
ユリアーナの体から魔力が迸る。
「あれは……?」
「おや、エドラは一足早く気付いたようだね。さすがは優秀な魔法使いだ」
表情を柔らかくするユリアーナ。
「そう──これはあの武闘大会、ブリスと戦っている時に暴走させた魔力だよ」
「な、なんですって!?」
「全力で叩き潰さないのは失礼かと思ってね」
ユリアーナの体内にある魔力が……膨張していく?
黄金の魔力がまるで彼女を中心に爆発したように増えていく。
天井にまで魔力が迸り、彼女が一本の光の柱にすら見えた。
膨大な魔力のせいで、起こる風圧。
アリエルはそれに吹き飛ばされないように踏ん張って、ユリアーナに問いを続けた。
「そ、それは、あなたでもよく分かっていない魔力だったのではないですか!? どうしてそれを今更!」
あの時──ユリアーナは確か言っていた。
『この楽しい戦いが終わってしまうと思ったら、ついあれを出してしまった……』
……と。
あれというのは無論、今ユリアーナに発現している魔力のことだ。
そしてこの魔力を解放することによって、超人的な力を得られる反面──自分の力で抑えることが出来ないのだと言っていた。
だからこその暴走なのだ。
しかしユリアーナは彼女の問いを一笑する。
「なかなか君はお人好しだね! そんなボクの言葉を信じるなんて!」
「なっ……!」
「嘘に決まっているじゃないか! ボクはあの時、ブリスを殺そうと思ってこの魔力が発現させた! まあ彼の力がボクの予想以上に出鱈目だったから、仕留め損なったけどね。でも──」
やがて魔力はユリアーナの体に集約し、一定の安定を見せた。
だが、それは魔力が薄くなったという意味ではない。
高密度の魔力をその身に纏い、完全に手中におさめているのだ。
今のユリアーナからは、武闘大会の時に見せた無様な暴走の様は一切感じない。
「君たちを殺すなら、この力だけで十分だ」
その瞬間。
ユリアーナの姿が目の前から消失し──エドラの胸部を剣で貫いたのだ。





