90・世界を我が手に
「ブリスは無事でしょうか?」
「ブリスならきっと大丈夫。今までもそうだった」
「それはそうですが……」
王都の宿屋。
その一室でアリエルとエドラの二人は心配そうな面持ちで、ブリスが戻ってくるのを待っていた。
かれこれ、ブリスがここを離脱してから、一時間は経過しようとしているだろうか。
(心配する必要はありません……ブリスだけではなく、四天王のクレアさんもいます)
そうアリエルは自分に言い聞かせる。
ブリスが元魔王軍だと聞いて、一時は驚いたが……今ではそれも落ち着いている。
たとえブリスが何者であろうが、『ブリス』であることには変わりないのだ。中身が入れ替わっているわけではない。
それよりも、ブリスがあれだけ強かった理由がはっきりして、付き物が取れて爽快なくらいだ。
(ですが……なんでしょうか。この胸騒ぎは……? まだなにか波乱が起こるような気がします)
そして奇しくも──アリエルの嫌な予感は的中する。
「キャアアアアアア!」
一階から女性の悲鳴。
「エドラ!」
「うん」
それを聞いて、二人の中の戦いのスイッチが入る。
二人が一階に降りると……そこには魔物に襲われている宿屋の女将の姿があった。
「なんてこと……!」
アリエルは反射的に抜刀。
一閃し、魔物を斬り伏せた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「は、はい……ありがとう。急に外から魔物が襲ってきて……」
よかった。
所々擦り傷を負っているが、命に別状はなさそうだ。
(でも……まだ魔物が王都に残っていた?)
地面に転がっている魔物の死体を見ながら、アリエルは数瞬の間に考える。
王都に乗り込んできた魔物は、ほとんど一掃したはずだ。
残りは騎士団や冒険者に任せていても、十分対処出来る。
取りこぼしがあった──?
だが、それもおかしい。
《大騒動》直後ということもあり、王都では厳重耐性が敷かれている。こうしている間にも、騎士団の人々が街中を警備しているはずだ。
女将に襲いかかっていた魔物は決して強くはなかった。ユリアーナ率いる騎士団ならば、片手間でも倒せるくらいだ。
それなのに、こうして宿屋にまで入り込んでくるということは──。
「アリエル様」
逡巡していると、宿屋の出入り口から一人の男が姿を現した。
甲冑を被り、鎧を身にまとっている。
「騎士団……の方ですか?」
問いかけるが返事はこない。
なにかがおかしい……アリエルは強烈な違和感を覚えた。
剣を抜いたまま、アリエルは警戒を怠らず騎士団の男に再度声をかける。
「まだ市内には魔物が残っているようです。現にこうして……」
しかしここでアリエルの言葉が止まる。
アリエルの質問に答えないまま、騎士が歩みを進めたからだ。
そしてそれは一人だけではない。
その後ろには何十人もの騎士が連なっていた。
甲冑で顔が隠れているため、視線までは読み取れなかった。
この時になって、初めてアリエルも異常を確信した。
「……なんのおつもりですか?」
アリエルは剣を構え、騎士達を見据える。
「アリエル、おかしい。油断しないで」
異常を察知したのはアリエルだけではない。
エドラも同様に魔力を編み、いつでも魔法を発動出来るように構える。
「あなた様をお迎えに参りました」
「お迎え?」
「はい。あなた様は計画の重要な鍵となるのです。蒼天の姫である……アリエル様はね」
「……!」
一瞬声を上げそうになってしまったが、アリエルは動揺を悟られないように無表情を装った。
蒼天の姫。
あの魔族──アヒムも言っていた言葉だ。
(どうして、騎士団の方々があの魔族と同じことを言う? そして……わたくし達に向けられる殺意。一体この方々はなんの……)
しかしどちらにせよ、あまり良い報せではなさそうだ。
アリエルはそう判断し、視線をキッと強いものにしてこう問いを続ける。
「……嫌だと言ったら?」
「ならば無理矢理にでも連れ去るのみです」
騎士達のまとっている雰囲気が、さらに剣呑なものになった。
「エドラ」
「分かってる」
アリエルはエドラを呼びかける。
(どうやらエドラも同じ考えみたいですわね)
騎士達がなにを考えているか分からない。
しかしアリエルの勘が告げる。
彼等に決して付いて行ってはいけない……と。
言葉で騎士達を説得するのも難しいだろう。
ならば戦うしかない──とアリエルは覚悟を決めた、その時だった。
「相変わらず君達はスマートじゃないね。可能な限り、アリエル嬢は無傷で連れ帰ろっていう指示を忘れたのかい?」
聞き覚えのある女性の声。
騎士達が左右に分かれて、道を空ける。
すると──奥から一人の女性がアリエル達に歩み寄ってきた。
その姿を見て、アリエルは声を大きくする。
「ユリアーナ!」
そう……王国騎士団第二隊、隊長。ユリアーナであったのだ。
ユリアーナはアリエルを見てふっと笑いかけ、彼女の前で立ち止まる。
「アリエル。ごめんだけど、ボク達と一緒に来てくれるかな?」
「……あなたはなにを考えてらっしゃるのですか?」
だが、アリエルは警戒を崩さない。
だが……ユリアーナはその問いに答えず、己が剣を振るった。
反射的にアリエルは剣でそれを受け止める。その衝撃で自分の手から剣が離れてしまった。
(速い……っ!)
ユリアーナの実力は分かっているつもりだった。
しかしあの武闘大会よりも、さらに剣を振るう速度が上がったように思える。
そのため、彼女の剣を完全に受け流すことが出来なかったのだ。
(あの時の戦いは本気ではなかったということでしょうか……?)
「アリエル!」
アリエルが思考している最中、エドラがすかさずユリアーナに魔法を放つ。
炎の槍が一直線に伸び、ユリアーナを貫こうとした。
だが。
「遅い」
彼女はそう一言だけ言い、剣を振るってエドラの魔法を消滅させてしまった。
二発目の魔法を放とうとエドラが手をかざした瞬間──ユリアーナが一瞬で距離を詰め、エドラに剣を突き立てる。
「無駄だよ。君ではボクには勝てない。おとなしくて」
少しでも動けば殺す──。
そんな覚悟が、ユリアーナの言葉には含まれていた。
「エドラ!」
アリエルはエドラを助けにいこうと、床に落ちた剣を拾いにいこうとするが──他の騎士達が彼女の動きを止める。
十数本の剣や槍をアリエルの首に向けた。
「さっさと諦めなよ」
そんなアリエルに、ユリアーナが顔を向ける。
冷めきった表情だった。
「言うことを聞いてもらうよ。君には拒否権がないんだ。教皇様がお呼びだ」
「教……皇」
アリエルはその言葉を反芻する。
そして未だ混乱している最中の彼女に対して、ユリアーナはゆっくりとした口調でこう言った。
「世界を我が手に──世界は新しく生まれ変わるんだ」





