115・俺は君のことを愛している
「アリエル、君はそこにいるんだな」
アリエルの体を借りている女神を見る。
先ほどの精神攻撃──わざわざ幻覚のアリエルに「わたくしにあの夜の続きを見せてください」なんて言葉を吐かせるはずがない。
あれは本物のアリエルだ。
あの中にアリエルの人格が残っていて、俺に語りかけてくれたのだ。
そう思うと、体に力が湧いてくる。今ならなんでも出来そうな気がした。
「逆効果……でしたか」
女神がぴとっと蔦に人差し指を付ける。
すると蔦はポロポロと崩れ落ちるかのように消滅してしまった。
「この程度で俺がどうにかなると思ったのか?」
「あなたに罪を償ってもらおうと思っただけです。神を殺すという許されざる罪をね」
そう言って、女神は戦いを再び始めた。
アリエルの体を好き勝手に使い、俺に剣を向けるのが不快だ。さっさと勝負を着けてしまいたい。
しかしどれだけ攻撃を浴びせても、女神を崩せない。
傷つく度に、彼女は再生していっているからだ。
このままでは埒が明かない。
「ちっ……」
焦りのためか、舌打ちをしてしまった。
あと一押し──強力な魔法を放つ必要がある。
『ブラッド』
思考を繰り広げていると──頭の中に声が響いてきた。
クレア姉だ。通信魔法で語りかけてくれているのだろう。
『こちらはもう片付いた。あとはお主が女神を倒すだけじゃ』
『まさか苦戦してるんじゃないだろうな?』
続けてカミラ姉の声も聞こえてくる。
今まで彼女達の声を聞いても、不愉快になるだけだった。
だが、今は違う。
体の内から今まで感じたことのないような自信──そして力が湧いてきた。
『死ぬ気で頑張ってみてください。大丈夫です。私があなたを守ります』
『そうそう! ブレンダがどんな傷も癒してくれるよ! ブラッド! 頑張れ!』
ブレンダ姉とローレンス姉も応援してくれる。
疲れた体に活力が湧いてくる。
それはからからに乾ききった地面に、一滴の水が落とされるような感覚だ。
『ブリス、聞こえる? アリエルを助けてあげて。私はアリエルの隣で笑っているブリスが好き!』
とエドラも檄を飛ばしてくれる。
『ブラッドちゃん』
最後に──魔王の声。
彼女の声には心配の類が込められていなかった。
あるのは俺に対する全幅の信頼だ。
『ブラッドちゃんなら、なんでも出来る。昔──ブラッドちゃんを拾った時から、いつかこういう日が来ると思っていた──子が親を超える日をな!』
ああ──俺はみんなに見守られている。
俺は己が願いのみを背負っているわけではない。
「魔王とは──全ての頂点に立ち、全ての者の願いを叶える存在だ。だから俺はみんなの願いを叶える。お前とは違ってな」
「その魔力──っ!?」
俺が魔力を増幅させているのに対して、女神が初めて焦りの表情を見せる。
「させません!」
女神が無数の光の矢を飛ばしてくる。
「アブソリュートガーデン」
しかし俺は自分の周りに結界魔法を張り、それらを防ぐ。
「ま、まさか……っ! あの時、たった一度見ただけで私の魔法を再現してみせたというのですか!」
「これだけじゃないぞ」
俺の両手に光の球が顕現する。
それは徐々に大きくなっていき、やがて部屋全体を覆い尽くすまでの球体に変化した。
「お前があの時、使おうとしていた魔法はこれだな?」
女神が破滅の光から逃れようとする。
だが、無駄だ。
「たかが神ごときが魔王に勝てると思うな」
──シャイニングジャッジメント。
それは魔王による絶対なる裁き。
この裁きの前には、神すらも逃れることが出来ない。
「わ、私が人間ごときにやられるというのかああああああ!」
絶叫する女神の体を巨大な光が押し潰す。
やがてその声が聞こえなくなると、女神──いや、アリエルが倒れ伏せていたのだった。
「アリエル……」
俺はその名を呼びながら、一歩ずつ倒れているアリエルに近付く。
アリエルを両手で抱えると、彼女の両目は固く閉じられていた。
──アリエルを救い、女神を倒す方法。
まず女神を戦闘不能状態にする。これについては達成した。
しかしこれは一時的なものだ。すぐに女神は再生し、意識を取り戻すだろう。
だからそれまでに、俺はアリエルの頭の中を俺でいっぱいにして、女神を断罪──そして追放する必要がある。
魔王から話を聞いた時、俺には一つの考えが思い付いていた。
そしてそれはあの夜の続きでもある。
「約束を果たすよ」
俺はアリエルに顔を近付け──その小さな唇にそっと口づけをした。
柔らかい唇。初めてのキスの味は甘酸っぱかった。
時間が切り取られ浮遊し、不確かなものとなる。
俺は確かなものを探すため、彼女の全てを知ろうとした。
最初は暗闇の中でもがいていた。
しかし小さな光に触れると、徐々にその形が分かってくる。
それはそんな尊い共同作業。
溶けて彼女と一体になった気がした。
時間が経てば経つほど、彼女への愛おしさが増大していく。
──今までの思い出が頭の中を駆け巡った。
一番最初は冒険者になるための試練だ。家出したばかりで右往左往している俺に、彼女は優しく微笑みかけてくれた。
そして魔王城での試練の際、俺はアリエルへの思いに気付いた。
その思いの丈をぶつけようとすると──彼女は遠くに行ってしまって、もうその手を握れないのかとも絶望した。
しかし今、彼女は俺の腕の中にいる。
幸せだ。俺は大切なものを抱きしめることが出来たのだから。
やがて俺がそっと顔を離すと、
「ん……」
アリエルがゆっくり目を開ける。
「おはよう、アリエル」
「おはようございます。なんだか長い夢を見ていた気分ですわ」
優しげな口調で言うアリエル。
──アリエルの中にいた女神は、これで完全に消滅した。
こうやって話している目の前のアリエルは、俺が愛した彼女だった。
間違うはずがない。
何故なら──先ほどの彼女の表情とは、丸っきり違っていたのだから。
「怖かった。もう二度とあなたに会えないかと絶望したから」
「俺もだ」
「でもきっと、あなたなら迎えにきてくれると──信じていましたわ」
「遅くなってごめん」
「謝らないでください。感謝の言葉だけで十分ですわ」
「ああ、そうだな。また君に会えてよかった。待っててくれて、ありがとう──アリエル」
魔王城が元に戻っていく。
それは女神が完全にいなくなって、その魔力を維持出来なくなったからだ。
「あらためて言わせてくれ」
「はい」
俺は彼女の目を誠実に見つめて、こう口にする。
「アリエル──俺は君のことを愛している」