113・たかが神ごときが魔王に勝てると思うな
《カミラ》
その少女は逃げていた。
「はあっ……はあっ……」
ルリだ。
彼女はカミラがブリスを捜索して旅に出た時、助けて村まで送り届けた少女である。
巨人が村内を我が物顔で闊歩している。
それはルリが見上げても、顔が雲に隠れて分からないくらい巨大だった。
両親とは、はぐれてしまった。
この混乱の最中、少女を助ける大人は誰一人いない。
「きゃっ!」
必死に逃げていたが──やはり少女の短い手足と、少ない体力では限界がある。
ルリはその場で転んでしまった。
「た、た、た……」
巨人の足裏が目の前にどんどん迫っていく最中──少女は叫んだ。
「助けて──っ!」
「仕方ないな」
えっ──と思う間もなく、巨人とルリの間に一人の女性が現れる。
彼女は大剣を横薙ぎに払って、巨人の右腕を切断してしまった。
「うむ……クレアに作ってもらった魔法剣だが、やはり使いにくいな。愛用の剣は灰になったし、予備の剣も魔王城の中にあったから仕方がないが……」
と彼女は不愉快そうに口元を歪めた。
「あ、あなたは……カミラお姉ちゃん?」
「ルリ、助けにきたぞ。元気にしていたか?」
カミラはルリの頭を撫でて、巨人を見上げる。
「相手がクソ女の分身ごときなのは気に食わんが……あの時の借りをしっかり返させてもらうぞ!」
カミラは地面を蹴り上げ、巨人に立ち向かっていった。
《クレア》
王都。
「怪我人は退避! 少しでも戦える者は民を守るんだ! 巨人に怯むな!」
ユリアーナは剣を上げて、味方の騎士達を鼓舞し続けていた。
しかしみんな、見るからに疲弊している。
いくら攻撃を浴びせても怯む様子すら見せない謎の巨人に、心が折れかけてしまっているのだ。
その証拠にユリアーナの指示を無視して、何人かの騎士が逃げ出した。騎士としてあるまじき行動だが、ユリアーナはそれを責められない。
「ボクもここまでかな……?」
ユリアーナ自身も深く傷を追っている。
体の至る所から血が流れ、ふらふらの状態。
だが、剣を握ることだけはやめず、謎の巨人を見据えていた。
「ならば……! 少しでも巨人に一矢報いてやる。この命が枯れるまで、ボクは戦い続ける!」
ユリアーナが剣を振り上げ、巨人に向かっていくと──。
「雑魚は休んでおれ。人間の寿命は短い。ちょっとは命を大切にするのじゃ」
ズシャアアアアアアン!
耳をつんざくような雷音。
見上げると、この戦いで初めて巨人にダメージが通っていた。
「これは雷魔法……? でもこんなの誰が……」
「儂じゃ」
声のする方を向く。
するとそこには三階建ての建物の少し上空から、こちらを見下ろす一人の少女の姿があった。
「君は……魔王軍の四天王。確か名前はクレアと言っていたかな?」
「そうじゃ。助けにきてやったぞ」
「助けに……きて……?」
彼女は魔王軍だ。
人間を助ける道理はどこにもない──それどころか、この巨人騒ぎも全て魔王軍の仕業だという噂が王都民の間で流れている。
もちろん、ユリアーナはそんな噂に流されなかったが、まさか助けにくるとは予想外だった。
「おお、苦しんでおる。良い様じゃなあ」
クレアはユリアーナに興味をなくしたのか、今度は巨人と対峙する。
「試したい新魔法がたくさんある。お主で試させてもらうぞ!」
クレアがさっと手を上げると、女神を中心に嵐が吹き荒れ、空からは雷が降り注いだ。
《エドラ・ブレンダ・ローレンス》
「ライトニングアロー!」
エドラ達がノワールに転移すると、ギルドの受付嬢のシエラが巨人に踏み潰されそうになっている光景が目に入った。
彼女はすかさず雷撃魔法を放ち、巨人の気を逸らす。
「大丈夫ですか? シエラさん」
「エドラさんですか……? 王都にいたんじゃ……」
「事情を説明するのはあと」
とエドラは巨人を見上げる。
この程度の魔法では巨人に傷一つ付けられない。それくらいは分かっていたことだ。相手は女神の分身なのだから。
街は燦々たる状況だった。
阿鼻叫喚の中、怪我人がそこら中で倒れている。
(死んでないよね……?)
エドラはそう心配になるが。
「安心してください。私達が来たからもう大丈夫ですよ──パーフェクトキュア」
ブレンダが治癒魔法を発動する。
淡い青色の光が広がっていき、見る見るうちに怪我人を癒していった。
「街全体に治癒魔法をかけました。やはり女神の分身ということもあって、治癒魔法を阻害するような魔力はまだ薄い。この程度なら私の治癒魔法がお役に立てそうです」
「そ、その人は一体……」
「それを説明するのも後」
とエドラはシエラの口元に人差し指を付ける。
一瞬で高度な治癒魔法を発動させたこともそうだが、驚くべきはなによりその範囲。
街全体に治癒魔法をかけるなんて出鱈目だ。彼女のことだから、それはブラフではないだろう。
「でもあの巨人を倒さなかったら、根本的な解決にならないよね〜」
「その通りです」
ブレンダは真剣そうだが、ローレンスはそうでもなかった。
彼女は後頭部に手を回して、呑気に声を発する。
「エドラちゃん……って言ってたっけな。ボクとブレンダの魔法は攻撃に向いてないんだ。だから君に頑張ってもらうよ。いいかな?」
「も、もちろん!」
「いい返事だね」
とローレンスが微笑み、エドラに支援魔法をかける。
「……っ!」
驚いて、声を漏らしてしまいそうになる。
体中から力が湧いてくる。魔力量も数百倍にまで膨れ上がっていくのを感じた。
普通ならここまで急激な強化は体に負担がくる。まともに動けなくなるのが普通だった。
しかし不思議なことに、今のエドラは心地よさすら感じていた。
(さすが……魔王軍四天王)
エドラは心からそう感嘆するのだった。
「フレイム・グングニル!」
エドラは巨人に上級炎魔法を発射する。
炎の巨大な槍は一直線に巨人に向かっていき、その巨躯を貫いた。
胸元に大きな穴がぽっかりと空き、嘆きの声が街に響く。
「さすがっ! 効いてるよ!」
「ローレンスさんのおかげ! これならいけるよ!」
希望が湧いてきた。
それはブレンダに治癒魔法をかけられ、気力を取り戻した周りの冒険者も同様であった。
「お、おい……絶対に勝てないと思い始めていたが、あれだったらいけるんじゃないか?」
「お、俺、知ってるぜ! エドラの隣にいるあの女二人は魔王軍の四天王だ! 昔、戦場で見たことがある」
「どうして魔王軍が俺達を助けてくれるんだ……? もしかして、この騒ぎは魔王軍の仕業じゃない?」
「なんにせよ、魔王軍の四天王が力を貸してくれるなら百人力だ!」
人々は巨人──そしてエドラ達を交互に見やる。
(みんなの認識が徐々に変わり始めている)
心が折れかけていた冒険者も武器を手に取り、巨人に立ち向かっていった。
「ふふふ、元気ですね」
「大丈夫かな?」
「はい。どんな傷を負っても──仮に死んでも、私があの人達を癒しましょう」
「ならボクはみんなに魔法をかけて、強くなってもらうよ〜!」
ブレンダとローレンスの言葉が頼もしかった。
「エドラちゃん、よそ見しないで! どんどんいくよ!」
「うん!」
《魔王》
「おおー、なかなか壮観だな」
魔王城を守るように、女神の分身──巨人が連なっている。
数は十や百では収まらないだろう。
大地を埋め尽くすように、巨人が蠢いている。
それを魔王は小高い丘の上から、見下ろしていた。
「雑魚が何体集まろうとも、雑魚のままだ。我らの敵ではない」
だが、絶望的な光景を前にしても、魔王は狼狽える気配がない。
それどころか、口元には好敵手を見つけた時のような笑みが浮かんでいた。
「とはいえ、放置していてはなにを仕出かすか分からん。違う場所に移動するかも分からないしな──よっと」
魔王は空を飛び、巨人に掌を向ける。
巨人の大群の中心が大爆発を起こす。闇柱が立ち上がり、一瞬で数体の巨人が消滅した。
「我らの邪魔をするな」
続けて魔王は魔法を連発。
「我らは神なき後の世界でも生きていける」
巨人が闇の爆発から逃れるように動き、魔王に攻撃を仕掛けるが──彼女には届かない。
「何故なら──我らは一人ではないからだ」
魔王はたった一人で、この巨人達を圧倒していた。
「世界を新しく作り変えようとする意志。そのような傲慢は万死に値する。我ら──人間も魔族はそなたの玩具ではない」
魔王は空を自分の庭のように飛び回り、巨人達を殲滅していく。
魔王城から発せられる白光を、深い闇で染め上げていく。
彼女はその光景を眺め、こう口にした。
「たかが神ごときが魔王に勝てると思うな」