111・本気
「く……っ!」
ユリアーナは剣を突き出し、頭上に落ちてきた瓦礫を破壊する。
「なにが起こっているっていうんだ!」
──最初に気付いたのは、城内を駆け回っている最中だった。
騎士や城の臣下達は《大騒動》が起こったのに続いて、宮廷魔道士エトガルが何者かに殺されたことに混乱している。
そして魔王軍四天王の目撃情報も相まって、これら全ては魔族のせいにされようとしていた。
その誤解をユリアーナが解こうとしていると、王都の至る所で赤い光が拡散。異常な魔力だということはユリアーナでも分かった。
すぐさま窓から城の外を見ると、天にも届かんとするばかりの巨人が王都の中心に出現した。
その巨人は女の姿をしている。体は眩しい光に包まれており、それはまるで女神のよう。
しかしやることは女神とは真逆。
その巨人は突如暴れ回り、人や建物を壊していったのだ。
まさに生ける災厄──そんな印象をユリアーナは抱いた。
彼女はそれを見て、窓から飛び降りた。
なんとかあの巨人に近付こうと足を踏み出したところで、ブリスの声が聞こえてきたということだ。
『どういうことだ?』
「ボクにも分からないんだ! だが──」
ブリスにもっと話を聞きたいが、それをする余裕がない。
こうしている間にも、巨人は人々を蹂躙していった。彼等・彼女等は混乱し、可能な限り巨人から離れようと逃げ回っている。
「最悪だ! 《大騒動》がせっかくおさまったかと思えば……あいつは一体なんなんだ!?」
「そういえば、《大騒動》も魔王軍が起こしたって聞いたぜ!? 魔王軍がとうとう本気で攻めてきたんだ!」
人々はこの騒ぎも魔王軍の仕業だと決めつけていた。
「ブ、ブリス! これは魔王軍のせいじゃないんだよね?」
『ああ。事実は逆だ。おそらく、これも女神の仕業なんだろう』
女神……?
突拍子もないことを言われ、ユリアーナの頭に疑問が渦巻く。
「くっ……! これ以上、話している余裕もない! 悪いけど、戦いに集中させてもらうよ!」
そう言って、ユリアーナは意識を目の前の巨人に集中させる。
──ブリスは女神の仕業だと言っていたが、なんにせよこいつは人に仇をなす存在だ。
なんとしてでもここで食い止めなければならない。
「だ、だが……どうやってこの巨人を打ち崩せばいいんだ!?」
ユリアーナの両手は恐怖で震えていた。
今にも倒れてしまいそうな絶望感を抱えながらも、民のために逃げ出すわけにはいかない。
ユリアーナは自分をそう奮い立たせ、巨人に立ち向かっていった。
◆ ◆
「……ということだ」
「なるほどな。この聖なる魔力──おそらく突如現れた巨人は女神の分身みたいなものだろう」
「赤い光ということは、紅色の魔石か? あの腹黒女神、各地にばら撒いた紅色の魔石をここで使ったか。その魔石の魔力の力を借りることによって、自らの分身を生み出したのじゃろう」
魔王とクレア姉が順番にそう口にする。
王都にある紅色の魔石は、アヒムが所持していたものだけではなかったのだ。まあ、あの緊迫した場面で、全てを確認することは出来なかったので、あったとしてもなんらおかしくはないが。
「そして──それは王都だけに留まらない。世界の各地から、似たような反応を感じる」
と魔王は忌々しげに続けた。
「世界の各地……そんなことまで分かるの?」
とエドラが質問すると、
「まあな。だが、威張れるほどのことではない。なんにせよ女神が暴走する前に、私は気付けなかったのだから」
魔王はそう自嘲した。
「全て儂等の責任にされるというのも腹が立つな」
とクレア姉が憤った様子で言う。
「仕方なかろう。王都で起こった《大騒動》──そして女神が乗り憑ったエトガルの件。タイミングが悪すぎた。人間達が誤解するのは無理もない話だ」
しかしこのままでは、たとえ戦いが終わったとしても、人間と魔族の間には大きな怨恨が残るだろう。
そう考えると気持ちも萎えてくる。
そこまで女神が考えているとは思えないが……嫌な手を使いやがる。
「しかし今は終わった後のことまで考えている場合ではありません。まずは女神を打倒しなければ、私達は皆殺しにされてしまうでしょう」
とブレンダ姉が冷静な口調で言った。
「その通りだ。そこで女神を倒すための術だが──まず、ヤツはまだ完全にアリエルちゃんの体を掌握していないと考えられる」
魔王の言葉に、みんなは一様に頷く。
戦いの最中、アリエルの意志が逆流して、俺達を逃してくれたのが良い例だろう。
「ゆえにまだ女神の力は完全ではないと考えるのが妥当だ」
「完全じゃないのに、あの力……」
エドラが自分の体を抱えて身震いする。
──どんな攻撃も女神の前では無力だった。
正直、あれは反則的な強さだ。エドラが絶望の表情を浮かべても無理はない。
「女神が完全体になってしまえば、我らに勝ち目はなくなる」
「魔王様でもダメなのー?」
「ああ──女神は我より強い。ローレンス、先ほどの戦いを思い出せ。我でも女神に傷一つ付けることは出来なかった」
この場にいるみんなが息を呑む音が聞こえた。
勝てない──。
そう思っても仕方のない場面だが、エドラはともかく、四天王一同は焦りを見せない。
焦っても仕方がないと本能で理解しているからだ。
「ゆえに女神が完全体になるまでに、ヤツを仕留めるべきだ。我らにはあまり悠長な時間が残されておらぬ」
「…………」
魔王達が話し合っている内容に、俺は口を挟まず耳を傾けていた。
彼女達の声が何故だか遠く聞こえる。
内容が頭に入ってこない。
今こうしている間にも、俺の頭はアリエルのことでいっぱいだった。
「しかしどうやって女神を倒すのですか?」
「ブラッドちゃんだ」
ブレンダ姉が魔王に質問すると、彼女はそう即答した。
「ブラッドちゃんは魔王の血の力を手中におさめることにより、既に我より強くなっている。我はブラッドちゃんに賭けるべきだと思う」
「はあ? こんな腑抜けたヤツにか? さっきもあのクソ女に歯が立たなかったじゃねえか!」
カミラ姉が腕を組み、俺に嫌悪感を向ける。
彼女がそう言うのも仕方がない。
心のどこかで、俺は「女神には勝てない」と思い込み始めていたからだ。
「うむ……」
しかし魔王はそう思わなかったのか。
近くまで歩み寄り、透き通った両目で俺を見る。
「ブラッドちゃん。そなたは先ほど、本気を出していなかったな?」
ああ──こいつは全てお見通しなんだ。
当たり前だ。
魔王は昔から俺のことを見てくれている。
時には甘く、時には厳しく──。
常に俺のことを考えてくれた。
「本気を出せば、アリエルちゃんごと殺してしまうことを恐れたに違いない」
「…………」
「酷なことを言うが、アリエルちゃんのことは諦めろ。中途半端な気持ちのままでは死ぬぞ?」
──そんなことは分かっている。
魔王はなにも言わない俺をジッと見つめている。俺がなにか言い出すまで、こいつは何時間──いや、何日でも何年でも何十年でも何百年でも、待ち続けるだろう。
敵わないな、こいつには。
魔王の大きさを実感した。
「……俺は」
必死に考えを絞り出して、俺は言葉を紡ぐ。
「分かっているんだ。俺の考えが甘えなんだと。アリエルを救って、女神も倒すっていうハッピーエンドを実現するのは都合が良すぎるんだと……」
なんにせよ、アリエルごと女神を殺してしまう方が確実だし楽だ。今は少しでも勝率が高い方が選ぶべき場面なのだろう。
「…………」
「でもやっぱり俺は捨てられない。俺は──大切なものを守りたい。だから──」
バッと顔を上げる。
思考はクリアになっていた。もう迷いはない。
「アリエルを救う。そんでもって女神も倒す」