107・君が一番なんだ
「なあ、クレア」
「なんじゃ」
アリエルの部屋の前。
彼女はエドラの隣の部屋だ。そちがの方が警備がしやすいと考えたためだ。
そしてカミラとクレアはお互い少し距離を離して、床に座っていた。
カミラは前を向いたまま、こう問いかける。
「ブラッド、中でなにを話していると思う?」
「……さあな。見当も付かん」
とクレアはカミラの問いに、そっけない様子で答えた。
(このことがバレたら魔王様に大目玉かもしれないな)
そう──当然といえば当然なのだが、ブラッドが窓からアリエルの部屋に侵入したことは、既に二人とも気が付いている。
そもそもアリエルの警護を任されているのだ。
ブラッドだからいいものの、そう簡単に侵入者を許す二人ではない。
それなのにブラッドの行動を黙認したのは……。
「お主はどうしてブラッドを咎めない?」
「多分、お前と考えていることと一緒だよ。ブラッドも一人前の男だ。姉である私達が、逐一行動を見張る必要もないさ」
とカミラは肩をすくめた。
カミラとクレア──いや、ブレンダとローレンス、四天王達は今までブラッドにパワハラ教育を施してきた。
彼のことが嫌いだったからではない。
彼に期待していたからだ。
しかしそれ以上に──ブラッドのことが好きだった。
「結局、あいつが家出した理由も儂等が弟離れ出来ていなかったことが、そもそもの原因だったかもしれぬ」
「かもな」
ブラッドを危ない目に遭わせたくなかった。
ブラッドともっと一緒にいたかった。
ゆえに彼のプライバシーなど構いもせず、今までカミラ達はブラッドに構い続けた。
そんな彼女達だ。
今まで通りなら、ブラッドがアリエルの部屋に忍び込もうとした瞬間──血相変えて扉を開け、彼を止めていただろう。
「ブラッド、立派になっていたな」
「うむ」
カミラの言葉に、クレアは首を縦に振る。
久しぶりに見たブラッドは一回り大きく見えた。そして血の試練も成功させ、カミラ達を助けた時は、別人かと思ったほどだ。
(私達が負けた相手──エトガルにもブラッドは圧倒した。認めるしかない。ブラッドはもう私達より数倍強い)
今まで自分達の所有物として、ブラッドを見ていた節がある。
しかし今はそんな気はさらさら起こらなかった。
だが。
「ブラッドが破廉恥なことをしようとした場合は別じゃ。即刻止めに入るぞ」
「当たり前だ!」
──それはさすがにまだ早い。
カミラとクレアは目を合わせて、力強く頷いた。
◆ ◆
「そうだったんですね。そんな試練が……」
俺が一通り話を終えると、アリエルは驚いた様子でそう口にした。
「ああ。いくら敵を倒しても徒労のように思えた。【答え】なんて見つかりっこないと思ったんだ」
「ですが、ブリスは今ここにいる。それは【答え】が見つかったからですわね?」
と期待を込めた目で俺を見るアリエル。
「ああ」
「その【答え】とは一体なんだったんですか?」
「俺にとっての【答え】とは──大切なものの存在だったんだ」
その言葉をアリエルは真剣な眼差しで受け止める。
魔王が口すっぱく、俺に言い聞かせていた言葉がある。
──力というものは、それを振るう者によって如何様にも形を変える。過ぎたる力は毒だ。
というもの。
それには俺も賛成だ。
自分の器を大きく超える力を持ったとしても、ディルクやアヒムのようにおかしくなってしまう。
「俺は人間の基準で言うとかなり強い。本来なら調子に乗っていてもおかしくなかった。しかし……」
「四天王達の存在があった……そういうことですわね?」
アリエルの言葉に、俺は首肯する。
調子に乗っている暇なんてなかった。それどころか四天王から「無能だ」と罵られ、自分のことを弱いと思い込んでいた。
「今だから言えるんだが、それが逆に功を奏していたかもしれないな。だが──」
と俺はさらに続ける。
「俺は四天王に鍛えられているうちに、いつの間にか強大な力を得ていた。ディルクやアヒムみたいに、おかしなことを考えずにも済んだ。しかし俺には守りたい大切なものがなかったんだ」
「四天王や魔王さんは違うんですか?」
「ふっ。魔王はともかく、四天王なんて憎悪の対象でしかなかったさ。少なくとも、ここを出る前はな」
そして魔王はあまりに強すぎて、俺が守る必要もなかった。そもそも俺が守られる側だった。
「俺は試練の最中、守りたい大切なものがなにかに気付いたんだ。それが結果的に【答え】だった」
「その大切なものとは……?」
「アリエル。君のことだ」
と俺はアリエルの目を真っ直ぐ見る。
すると彼女は最初、なにを言われたか分からずきょとんとした表情だった。しかし徐々に理解が追いついてきたのか、見る見るうちに顔を赤くした。
「わ、わたくしですか!?」
「そうだ。なにか変なことを言ったか?」
「い、いえ……そう言われることは嬉しいんですが、わたくしなんかで良いのかと思いまして」
「もちろん、エドラも大切な人だ。それだけじゃない。ノワールで出会った人々は、俺にとって全てかけがえのない存在だ」
「だったらわたくしではなくても……」
「……分からないか?」
「え?」
──勇気を出せ。
俺は大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
そして冷静にこう口にした。
「君が一番なんだ」
「わ、わたくしが……?」
彼女も俺の視線を真っ直ぐ受け止めてくれる。
「ああ。今まで、自分の本当の気持ちに気が付かなかった。しかし試練の最中、君の顔が真っ先に思い浮かんできた」
あの時、アリエルは俺に声をかけてくれた。
もちろん、あれは俺の都合のいい妄想でしかないことも分かっている。
しかし彼女がすぐ隣にいてくれるかと思うと、自分でも驚くくらいの力を出せた。
「俺一人だったら、あそこで諦めていただろう」
だから──そう断言出来る。
「ブリス……」
アリエルは目を潤ませて、俺を見つめる。
今までの俺だったら照れ臭くなって、目線を逸らしてしまうところだっただろう。
だが、今はそうならない。
アリエルのことが愛おしくて堪らなくなり、彼女の体を強く抱きしめたい衝動に強く駆られた。
「アリエル──俺は君のことを……」
気付けば、俺はアリエルの両肩に手をかけていた。
「ブリス……わたくしも──」
そのまま俺達は唇を重ね──
「GAAAAAAA!」
──ようとした瞬間。
つんざくような絶叫が聞こえ、現実に引き戻される。
「今のはなんだ……?」
戸惑っていると、部屋の扉が勢いよく開けられた。
「ブラッド! 非常事態だ! なにか嫌な予感がする」
「今の声は……アヒムかのお? あやつだったら目を覚さなかったはずなのに、急にどうして……」
二人は部屋に俺がいたことに少しも気に留めず、緊張感がこもった声を発した。
やっぱり……か。
まあ二人には気付かれているとは思っていたんだよな。俺もそこまでするのもどうかと思って、隠蔽魔法もろくにかけなかったし。
「アヒム……か。確かクレア姉があとで話を聞こうと思って、城に転送してくれてたんだよな」
「そうじゃ」
「カミラの言う通り、嫌な予感がするな。すぐに様子を見に行こう」
俺がそう言うと、カミラ姉とクレア姉は首肯した。
「アリエルを一人にさせるのは不安だ。悪いが、一緒に付いてきてくれるか?」
「もちろんですわ」
先ほどのとろけきった顔からとは一転。
表情を険しくて、アリエルはそう言葉を返した。