第二話 少年と冒険者①
1
竜。
強靭な肉体、堅牢な鱗と外骨格、鋭い牙や爪、驚異的な生命力、大空を自由自在に飛び回る翼、人類を大きく上回る魔力。
それらを備えた強大な生命体。伝説や御伽噺の中の架空の存在とされてきたモノ。
それは突如として世界に現れた。
空を覆い尽くす巨大な影の群れは、次々と人々に襲いかかり、街を焼き、生命と言えるものを喰らい尽くそうとした。
人々は武器を持ち、魔力を操り、知恵を絞り、仲間と協力することで竜と対抗した。
それでも、竜の驚異は余りにも凄まじく、竜は瞬く間に世界全体にその版図を広げることとなった。
そして、『竜災の日』と名付けられた竜による大侵略が開始された日より既に5年が時が経過していた……。
「1年ぶりか。王都に戻ってきたのは」
「はい。皆さんお元気でしょうか?」
巨大な城門がゆっくりと開き、一台の馬車を迎え入れる。
馬車の車窓から、大きく開かれ、どんどん近付いてくる城門を眺めながらどこか感慨深そうに呟く男と、相槌を打つ少年は共に無事に王都に戻ってこれたことを喜んでいた。
男の方は30代手前といったところか。眉間に皺を寄せた目付きの悪い人相に後ろの方で緩く結んだ少し白髪交じりの黒髪、黒いローブの上に胸当てを装着し、傍らには柄頭に赤い石が埋め込まれた剣が控えている。
胸元には銀色のドッグタグが馬車の揺れに合わせて揺れている。
何故かローブの袖から覗く手は、左手だけ厚手のグローブが嵌められている。
男の対面に座るのは15歳ほどのまだ幼さが残る顔立ちの少年で、傷がほとんどない皮鎧を装備している。
癖のある薄い茶色の短髪は振動に合わせてフワフワと柔らかく揺れ、茶色の瞳は車窓から城門から先の光景を見つめてキラキラと輝いている。
側に立て掛けられている少年の相棒たる剣とヒーターシールドも、振動に合わせてカタカタと小刻みに震えている。
兄弟というには年が離れており、親子というには離れていない年齢差の二人組を乗せた馬車はやがて城門を抜け、城門から街へと続く大きな橋を渡り、遂に王都へと入っていく。
人々が騒がしく歩き回る往来を抜け、馬車は1つの3階建ての大きな建物の前へとやって来た。
竜の頭を剣で貫くという意匠のエンブレムが描かれた旗が掲げられたその建物こそ、二人の目的地であった。
依頼を受ければ魔獣の駆除や研究、要人の護衛や一般人では立ち入れない危険地帯の調査など、幅広い分野で依頼者の代行として依頼をこなす者達、【冒険者】。
その組合組織である【冒険者ギルド】の建物だ。
二人はそれぞれの得物を担ぎ、荷台から荷物を下ろすと御者に手を振る。
御者が会釈して馬車を厩舎へ向けて走らせたのを見送り、二人は荷物を担ぎ直すと迷いなく建物の観音開きの扉を押し開く。
途端に扉から人々の会話する声や慌ただしい足音などの音の洪水が出迎える。
二人はそのまま中に入り、奥にある受付へと向かう。
扉の開閉音に気付き、入ってきた二人を確認した者の中にはすぐにそれが誰か認め、僅かに驚いた表情をした者や安堵した表情を浮かべる者が何人かいた。
受付カウンターから顔を出して二人を確認した耳がピンと立ったコーギー犬のような頭に緋色の瞳の背が低い火人族の受付嬢も笑みを浮かべて二人を出迎えた。
「お帰りなさいませ、ジークさん。それにアルフレッドくんも、お久し振りです」
「おう、久し振りだな」
「お久し振りです」
ジークと呼ばれた男は右手をあげて返礼し、アルフレッドと呼ばれた少年は頭を下げて挨拶した。
「報告書はもう届いてるよな?これが今回の遠征で手に入った『魔器』だ。後で鑑定科に回してくれ」
そう言うとジークは担いでいた荷物から布に覆われた長い棒状の物をカウンターに出した。
受付嬢はすぐに布の中身を確認し、カウンター内の資料と照らし合わせ、問題ないと確認した。
「承りました。ギルドマスターへの報告はどうしますか?」
「俺の方から直接行う。それと……こいつの冒険者登録を頼めるか?」
「……まあ!もしかしてアルフレッドくん、もう15歳になったんですか?」
「そういうことだ」
「まあまあ……。地人族も火人族も、やっぱりこのくらいの年頃が一番逞しく成長しますね」
「ありがとうございます。そう言ってくれると、やっぱり嬉しいです」
どこか嬉しそうな表情をし、制服の後ろから伸びるフサフサとした尻尾を振る受付嬢。その目はどこか遠くを見つめ、過去に初めてアルフレッドと会った時の事を思い出して懐かしんでいるようであった。
アルフレッドも、素直に成長を喜んでくれた受付嬢の反応に頬をかきながら微笑んでみせた。
「分かりました。では冒険者登録を行いますので、アルフレッドくんはスタッフの案内に従って別室へどうぞ。ジークさんはマスタールームへお願いします。ギルドマスターもお待ちしていると思いますよ」
「分かった。……それじゃあアル。登録が終わったらまたここで落ち合うぞ」
「はい、分かりました。では先生、いってきます」
ペコリとジークに会釈して、アルフレッドは待機していたギルドスタッフに促されて奥の部屋へと向かっていった。
何度もペコペコとスタッフに頭を下げながら付いていくアルフレッドの後ろ姿を見送ってから、ジークもマスタールームのある3階に向かおうとする。
「おっせーぞジーク!」
「この野郎!ちゃっかり魔器まで持って帰ってきやがって!」
と、そんなジークの肩を乱暴に後ろから叩く者達がいた。
見れば知り合いの冒険者二人がいたずらに成功したような顔で立っていた。
「ってーなてめえら!こちとら長旅で疲れてんだ!少しは労れ!」
「なーにいってんだ。俺らだってさっき依頼終わって帰ってきたとこだよ。それにこのくらい挨拶だろ挨拶」
「全然便りを寄越さねぇから竜に喰われたのかと思ってたんだぜ?」
「はっ!俺がクソ竜どもに喰われるとでも?」
「いやー、ないなぁ。お前なら竜の腹をぶち破ってでも生き残りそうだし」
「……それもう人間じゃねぇだろ……」
二人の冒険者は冗談めかしく笑っていた。
この二人はジークとアルフレッドが王都を離れる前からの知り合いだ。がさつなところもあるが、仲間想いな連中だ。ジーク達が王都を離れた時も随分と心配されていたのをジークは思い出した。
「……土産話でもしたいが先にギルドマスターに報告してくる。悪いが後でな」
「おう、行ってこいよ。……あ、おい!アルの登録と寮に荷物置き終わったら蜂蜜亭に来いよ!」
「ん?」
「アル坊以外にも新人が何人か最近入ってたからよ、合わせて今日歓迎会するんだ!今回は大奮発して貸し切り予約だぜ!」
「相変わらず根回しが良いな。分かった、アルと行くから俺らのまで飲むんじゃないぞ?」
だったら早く来いよー!という二人の声を背に、ジークは今度こそマスタールームへと向かっていった。
2
「……これが【火の国】と【風の国】のギルドでの現在の状況です。やはり現状は魔器による戦力強化と竜の調査を中心に行われています」
「ご苦労、ジーク。あの少年を連れての旅だ。苦労したのではないか?」
「いえ、必要な調査でしたから。それにアルにも色々教え込めたので良かったと思ってます」
壁一面にズラリと大小種類も様々な剣が飾られた部屋にやってきたジークは部屋の中央に位置するデスクの前で、椅子に座り、固い表情をしたこの部屋の主に一年間の調査報告をしていた。
部屋の主は壮年の男性だった。
短く刈り込んだ白髪、黒く日焼けした肌には幾本もの深い皺が刻まれているが、弱々しさはなく、寧ろ高い鷲鼻と鋭い目付きも合わさり凄みを感じさせる顔立ちだ。見たものに猛禽類をイメージさせるのは間違いない。
がっちりとした肩幅、椅子に座りながらも立っているジークとほとんど変わりない背丈と体格を黒色のサーコートに包む姿は、かなりの威圧感を与えるだろう。
この男性こそ、ジーク達が所属する【地の国冒険者ギルド】、そのギルドマスターである。
「あの少年か……。もう5年になるのだな……」
ギルドマスターは物思いに耽るように腕を組んでいる。
同じようにジークもこの5年を思い返す。
この5年で、世界は大きく変わった。
竜達はまるで我が物顔で空を飛び回りながら人々や家畜を襲い、自然環境にも無理矢理に潜り込んだために生態系は大きく崩され、竜から逃げてきた動物や餌となるそれらを追って森の奥に潜んでいた魔獣達が人間の生活圏に入り込み、被害を及ぼしていた。
難民となった者達は行く当てもなく王都や近隣の村に集まるか、向かっている途中で竜に見つかり喰い殺されるかという者ばかりだった。
なんとか物流や生産体制を整え、各村落に防衛設備としての結界装置の設置や強化、防衛戦力の分布まで漕ぎ着けたが、それまでにどれだけの犠牲を支払われたかは、考えるまでもない。
冒険者達も実力に関わらず次々と舞い込んでくる依頼を受け、疲弊しながらも戦力をジワジワと底上げしているところだ。
そのために、現在の冒険者達の優先順位は竜の撲滅のため、竜の生態調査と遥か古代に滅んだ魔法文明が残した遺構から出土した強力な力を秘めた武具、【魔器】の発掘を急務とし、各国のギルドや騎士団と連携しながら竜との戦争を続けていた。
「……あの少年のように、竜に村を滅ぼされた者や、家族を喰われ、復讐のために冒険者を志す者がここ最近では随分と増えた。それは良い。育成する時間はあまりないが、戦力がないのも事実だからな。……だが、相変わらず【王竜】達の情報は得られん……。他の国も、血眼になって探しているのだろう?」
「ええ……。現在、目撃情報を元に水の国が海底神殿地帯を調査しています。……それでも、まだ発見には至ってませんが」
「『あの光』についてはどうだ?何か分かったのか?」
「それもまだ調査中です。ですが、ウィリアム博士は『竜王暦書』の中に同じような事象を記した物を発見したらしく、現在解読が急がれています」
「ほう、それは良い!ウィリアム博士への支援は引き続き継続しよう。後で私の方から一筆したためよう」
ここで初めて表情を少し緩めるギルドマスター。相変わらず事態そのものは好転してはいないが、何も希望がないよりは遥かにマシだ。今は蜘蛛の糸のような情報でも欲しいのはジークも同じだった。
「分かりました。では、報告は以上になります」
「ああ、改めてご苦労だった。今日は新人冒険者達の歓迎の宴だ。あの少年と一緒にお前も楽しむと良い」
「はい、では失礼します」
ジークはギルドマスターに一礼すると、マスタールームを後にした。
ジークを見送ったギルドマスターは、息をつきながら報告書に再度目を通した。
「竜は全て滅ぼさねばならん。それが今の、我々の使命だ」
3
無事に冒険者登録を終え、合流したアルフレッドとジークは、受付嬢から鍵を貰うとスタッフの案内の元、ギルドの敷地内に建てられている下宿屋に移動する。
ギルドに所属する冒険者には、この下宿屋を拠点とすることを勧められており、事実多くの冒険者がこの下宿屋に部屋を借りていた。
ジークは元々借りていた部屋があるのですぐにそちらに向かい、アルフレッドは新人用の共有部屋へと案内される。
新人用の部屋の中は、少し大きめな部屋で二段ベッドが設置され、中央には小さなテーブルがポツンと置かれている。
スタッフが言うには新人冒険者は大体数ヶ月はこの部屋でほかの新人と共に暮らし、その後、稼ぎによって個人用の部屋を借りるなり、別の拠点となる下宿屋を探すなりするようだ。
流石に何年もこの部屋に居させられないため、最大でも2年までしか借りられないそうだ。
家賃等はしばらくの間、依頼の報酬金から天引きされるそうだ。
二人はそれぞれ荷物を置いて片付けると、すぐに大通りへと足を運んだ。
黄昏時となり、人の通りがまばらになってきた通りを歩き、フライパンと蜜壺の随分と特徴的な看板が目を引く大衆食堂に到着する。
冒険者ギルドと提携している冒険者御用達の食堂だ。
看板前で待ちかねたように先ほどジークに声をかけた冒険者の一人が二人を食堂の中に案内する。
すでに冒険者達は思い思いのテーブルを独占し、新人であるアルフレッドは新人達が集められたテーブルへと案内されることとなった。
「それでは~!新たな仲間とその門出を祝って乾杯だぁ!!野郎ども!今日はなんとマスターの奢りだぞ!」
『おおおおおっ!!』
「んじゃ!五精と聖神よ!我らに勝利の加護と祝福を!」
『乾杯!』
音頭を取る冒険者がなみなみとエールが注がれたジョッキを掲げて、それに応えて酒場内の冒険者が掲げながら乾杯し、互いにジョッキをぶつけ合わせてから喉に流し込んだ。
乾杯が終わるとすぐに給仕たちが料理の乗った皿を次々とテーブルに並べていく。
熊の顔の火人族の店主が腕によりをかけた料理の数々は湯気を立ち込めながら、腹を空かせた冒険者達の前に次々と並ぶ様は圧巻だった。
冒険者たちも上機嫌に次々とジョッキにエールを注ぎ直しては飲み干し、運ばれてきた食事を取り分ける者もいれば競争するように皿に手を伸ばす者もいる。
早速飲み比べに発展して火花を散らしながらエールを飲み干す者、それを囲って野次を飛ばす者達。
互いが得た情報を交換し合う者もいれば、自身の武勇を誇る者もいた。
十人十色。様々な人間模様が狭い酒場内で繰り広げられていた。
全員、それぞれの事情でギルドの門戸を叩いた者ばかり。
常に死と隣り合わせの戦いの中で生きている者達だが、今この場にいる者たちは、この一時の安らぎの時間を全力で楽しんでいた。
「よし、それじゃあ改めて自己紹介でもすっか」
先ほど音頭を取っていた冒険者に連れられ、先輩冒険者達に挨拶を済ませた新人達は、ようやく酒場内を一周し終え、元いた自分たちのテーブルに着いて一息入れたところで、一人の新人が声を上げた。
年の頃はアルフレッドと同じか一つ上くらいの少年で、赤茶の明るく癖の強い短髪、大きく意志の強そうな茶色の瞳をしている。動きやすそうなシャツとズボンをしており、シャツから覗く腕は程よく筋肉が付いていて健康的な印象を見たものに与える。
「俺はロイド!ロイド・バーンスタインだ。剣の腕にはそこそこ自信があるぜ。皆これからよろしくな!」
ロイドは快活に笑いながら手を振ってみせる。飾ることのない笑みはこの少年が裏表のない人物だと思わせるのには十分だ。
「次は俺で良いですか?アルフレッド・エヴァンです。冒険者のジーク・エヴァンさんの弟子として旅をしてました。よろしくお願いします」
ロイドの隣に座っていたアルフレッドはペコリと頭を下げる。
「じゃ、今度はあたしかしら?アリサ・アーヴェインよ。得意なのは氷魔法の操作で見ての通り、水人族よ。ま、よろしくね」
今度はアルフレッドの向かいに座る少女が挨拶する。
春先の澄んだ川を思わせる爽やかな緑色の長い髪をきっちりと三つ編みにし、髪の隙間からは透き通った魚のヒレのような耳が覗いている。目は水人族の特徴である深い瑠璃色の瞳。魔法を得意と自称するだけあり魔術師なのだろう。黒いローブと胸元に光る青い石が特徴的な首飾りをしている。
「次は私ですね。私は聖神教会所属、フィオル・アルモニカです。聖神教会の修行の一環としてこの度冒険者になりました。よろしくお願いいたします、皆様」
最後に、アリサの隣、ロイドの向かいに座った少女が手を組み、柔らかい声色で名乗る。
シスターベールで覆った短い金髪に茶色の瞳で緩い垂れ目は優しい光をたたえている。聖神教会の象徴たる鐘のシンボルが刺繍された白くゆったりとした修道服を着ており、胸元にも小さな鈴を付けた首飾りをしている。
アルフレッド達以外にも新人はまだいるが、これから新人冒険者はある程度実力を付けるまでは4人1チームとなって依頼を受けることとなり、今回はそのチームごとに分かれてテーブルを囲っている。
他のテーブルでも新人達が自己紹介を終えたのかすでに食事を再開しているようだ。
「アルフレッドにアリサ、フィオルか。まだまだお互い分かんないことも多いけど、ま、これから色々知ることが出来るよな!」
「そうね。それより早くご飯食べましょうよ。あたしお腹すいちゃったわ」
「では私が分けますね。アルフレッドさん、何から食べますか?」
「あ、だったら俺はこの煮込みを貰います」
アルフレッド達も、皿に乗せられた料理に手を伸ばしながら何が好きか、自分の故郷ではどんなものがあったかなど、取り留めのない会話をしながら親睦を深めた。
気付けば月が天頂を目指して昇る頃になっていた。
それでもまだまだ食べ足りない若い冒険者達は食事に舌鼓を打ちながら話し込み、そんな彼らを見ながら自分たちの若い頃を思い出し、思い出話を肴に酒を飲み干す冒険者達。
食堂は冒険者達の笑い声で満たされ続けていた。