6話
【視点:エクメア】
(女の子を放って逃げるだなんて、信じられない!)
剣斗においていかれたエクメアは当然のごとく剣斗を非難していた。
(まぁ、気持ちもわかりはするけど……。きっと戻ってこないよね)
剣斗のことをもともとそこまで便りにしていなかったため、割り切るのは早かった。
(でも思ったよりは役に立ったわね、坂口。それにしてもとんでもない足の速さだったわ……火事場の馬鹿力かしら)
これ以上走っていても、追いつかれて後ろからやられるだけ。
そう考え、ある程度走ったところで対峙する。
キメラはさきほどの攻撃で獲物という認識を敵だと改めたのか、すぐには攻撃を仕掛けてこず警戒して様子を見ているようだ。
(どうしようかな、さっきの攻撃で多少動きは鈍くなってるけど…………。)
鈍くなったとはいっても、その素早さに対応できるようになったわけではないだろう。
エクメアが不利なことに変わりはない。
(それにしても通ってきた道に撒いてきたのに、全く効いた様子はないわね……。おかげで私のスタミナはまだ大丈夫だけど……)
エクメアが通ってきた道はきらきらと粉のようなものが舞っていてどこか幻想的な風景であった。
もちろん、怪物がいなければであるが。
「燃やせ。点火!!」
火の初級魔術、点火。
この魔法は近くにいるものに火をつけることができるが、基本的に生物に火をつけることはできないし他にも様々な制約があるため直接的な攻撃力はないが使い方によっては絶大な威力を誇る。
エクメアは宙に舞う粉を対象に点火を使った。
火が付いた場所――キメラの足元を中心とした大爆発が起きた。
ROOOOOOOOOAAAAAAAAR!!
キメラの悲痛な咆哮が大気を震わせた。
思わずエクメアは耳を抑えてうずくまってしまった。
「さあ、どうなったかしら……?」
燃焼によって生み出された光と爆発によって巻き上げられた砂ぼこりによってキメラがどうなったかを確認することはかなわない。
光が収まり、徐々に砂ぼこりも落ち着いてきた。
そして良好になったエクメアの視界には
──爆発を受け、やけどを負ってもなお、四本の足で立ち続ける怒り狂ったキメラの姿があった。
キメラも彼女の姿を認めると、間をおかず踏み潰さんと迫った。
さすがのキメラもこの爆発では……と思っていただけに傷がそう深くないと知ったときの絶望は大きいものであった。
呆然としていた彼女は反応が遅れ、横に飛び込むように避けるのがせいぜいであったが道幅は狭く、後ろは塀で、絶体絶命の窮地に立たされていた。
(何か利用できるものは……あった!!)
「燃やせ。点火!!」
点火の魔法をキメラに──ではなく、キメラの背面の粉塵爆発の連鎖に巻き込まれなかった漂う粉に向かって行使した。
ボッと音を立て炎を上げた。
(今だ!)
キメラが音に気を取られ振り向いた隙を見計らって、すぐさま近くの家と家のブロック塀の間に身をひそめる。できるだけキメラから離れようと奥へ奥へと進んでいく。
(よし、逃げ切れる!!)
道に出てしまえばもうこっちのものだ。その道も目の前。
逃げ切ったとエクメアは確信した。
だが────
(あっ!! 服が引っ掛かった!! こんな時に!!)
引っ掛かった服の状態を確認するために立ち止まり、体をひねったエクメアが見たものは枝にひっかかった服──などではなく、表面が濡れているかのような光沢をもつ鱗に覆われ、鋭い目をした大蛇が自らの服にかみついている景況であった。
「い、いやっ、離して!!」
もちろん言葉が通じるはずもなく、無慈悲にも先ほどの道まで戻される。
しかも蛇に咥えられ、足が地についていない状態で。
「誰か!! 誰でもいいから──」
叫んでも恐らく意味がないことをエクメアは半ば理解していたが、そう叫ばずにはいられなかった。
ライオンの顔の前へと持ち上げられると、今から自分がどうなるのかエクメアは察した。
鼻から出る生暖かく獣臭い息は否応なく、これが現実なのだと、質の悪い夢などではないことを彼女にわからせた。
「助けてっ!!」
目を閉じる。
体が落下を始めたことを感じる。
やがてくる痛みに備えて歯を食いしばる。
……。
……。
……?
目を開けると、キメラの頭ではなく人間の、それもテレビでも早々お目にかかることがないレベルの男の顔があった。
「悪い。待たせたな」
エクメアは状況を把握することを一瞬放棄し、考えることを止めた。
彼女の処理能力が追い付かなくなったのだ。
(あぁ、私死んだのね)
死後の世界だと思い込んだ彼女は普段なら言葉にはしないようなことを口にした。
「かっこいい、どうなってるんだろ今」
優し気な声で返ってきた言葉はエクメアにとっては予想外の言葉であった。
「……ん? あ、あぁ。喰われそうになってたからキメラの尻尾になっている大蛇を急いで切り落として回収したらこうなりました」
どこかよそよそしいようでなれなれしい微妙な距離感であるが、エクメアはそれどころではなかった。
エクメアの脳が処理を再開し、自分がこのイケメンに助けられ生きていることをようやく飲み込んだからだ。
急に恥ずかしさがこみあげてきたエクメアであったが、足元に転がる大蛇を見て状況を思い出し冷静さを取り戻した。
(危険度Aのモンスターの尻尾を切り落としたことを誇るでもなく淡々と語るこの男……只者じゃない)
「と、ところで普通に話してますけど、キメラは大丈夫なんですか?」
「大丈夫、すぐ終わる」
男は気負った様子もなくそう言った。
威嚇するキメラを男がじっと見つめたかと思うと、突拍子がないことが起こった
「……は?」
キメラが上半分と下半分にわかれ、横にずれた。
ずれた上半身はそのまま地面に落下し、下半身も横に倒れ、静かに大きな音が響いた。
(え? 切った? でも武器は見当たらないし、詠唱もなかった。無詠唱の魔法で危険度Aのモンスターをやれる人外……それなら説明はつく。するとこの人は……)
「た、助けていただきありがとうございました!」
「いや、大したことはしてないよ」
「グレードSS以上の戦士様とお見受けします、ぜひお名前を教えてください!!」
すると男は困ったような顔で頬をかいた。
それを不思議に思ったエクメアは尋ねた。
「どうされたんですか?」
「ああ、いや、まだ学生の身ですので……」
そう言われてようやくエクメアは気が付いた。
抱えられているため、顔と上半身の少ししか見えていなかったが改めて確認してみるとその男は自分と同じ制服を身にまとっていた。
(こんなイケメンで強いやつが同じ学校にいて知らないはずがない。この男は一体……?)
「あっ、すみません!! 今下ろしますね!!」
抱きかかえたままだったことを思い出した男は急いでエクメアを下した。
怪訝な顔をしていたため、その原因を考えたところ、ずっとお姫様抱っこをしていたことに思い至ったのである。
そうこうしていると、遠くに人の姿が見えた。
こちらに向かって走ってきている。
「おーい!! 助けに来たぞー!!!」
「先輩! 何か様子がおかしくないですか? キメラ、倒されちゃってません……?」
「あそこに学生さんが二人いますね、事情を聴いてみましょう」
どうやら戦士協会が派遣してきた救助隊が到着したようだ。
「あ!! 急用を思い出した!! 急いでカエラナイト!! というわけでエクメアさん。またね!!」
「えっ、ちょっと。待ってくださいよー!」
エクメアの声もむなしく、学生服を着た男は走り去っていった。
それはとても追いつけそうな速度ではなくあきらめざるを得なかった。
どこか既視感を覚えるような光景である。
(戦士協会から追われてるのかしら……? そういえば名前聞いてなかったわ……)
救助隊がエクメアの下にたどり着くころには男の姿も見えなくなっていた。