二人のその後 ─後─
あのときとぜんぜん変わらない。小柄でほっそりとした体つきの、知らなければ従騎士とは信じられないくらい、たおやかな雰囲気の少年だ。
亡くなったとき、彼はまだ十五にもなっていなかった。
「ひさ、しぶり……」
「あはは、顔色わるっ! お化けでも見たような顔色してるよ。あ、今の僕はお化けと大して変わんないか! あはっ」
ラナンは自分で言ったことに受けて爆笑している。俺は、ブラックジョークすぎてまったく笑えなかった。まあ、もとから笑えないんだけどさ……
ラナンの隣にはカナハがいて、苦笑を浮かべながら俺たちのやりとりを聞いている。
「今ね、姉上から聞いたんだ。僕を家に連れて帰ってくれたの、アヤトだったんだってね。ありがとね」
「……うん」
ラナンのほんのり紅潮した頬が笑みの形を作っている。対する俺は、相変わらず能面のような顔で相槌を打つ。
「荷物も、渡してくれたんだって? 嫌な役目を任せて悪かったね。本来なら騎士団長とかの仕事なのに、どうせあいつらアヤトに押しつけたんでしょ」
「……うん」
あのときの騎士団長たちの言いようを思い出すと、今でも腹が立つ。だけど、それは別に伝えなくていいことだ。あんな気持ちをするのは俺だけでいい。少なくとも、ラナンやカナハに言って聞かせるようなものじゃない。
「誕生日プレゼントをどうもありがとう、とラナンに伝えていたのよ」
「姉上はね、僕にタイタックを用意してくれていたんだって」
二人が代わるがわる教えてくれる。その表情はとても穏やかだ。だけど、俺はどんな気持ちでその話を聞けばいいのか、まったくわからなかった。
彼ら腹違いの姉弟は、偶然にも誕生日が一日違いだった。だから、毎年お互いの誕生日のまんなかでプレゼントの交換をして、二人でお祝いをしていたそうだ。
生前の彼らが一緒にいるところを、俺は見たことがなかった。でも、こうやって見ていればすぐにわかる。腹違いとはいえ、彼ら二人はとても仲のいい姉弟だったのだろう。
きっと直接祝い合いたかったはずだ。
「……ごめん」
本当に、ごめん。
歯を食いしばって言う。
わかってる、謝って済むようなことじゃない。それに、ここで謝ったところでなにも変わらない。
すべて過去に終わってしまったことだ。今謝るのは、俺の自己満足にすぎない。言われたほうはぜったい困る。なんだったら、なにを今さらって怒られるかもしれない。謝って済むなら警察いらないもん。この世界には警察なんていないけどさ。
「なんで、アヤトが謝るの」
ラナンが言った。
顔を上げられない。ラナンとそしてカナハがどんな表情で俺を見ているのか、確認する勇気がなかった。
「俺が……俺だけが、あいつらを止められた」
なのに、止められなかった。
「あのときお前を助けられるのは、俺しかいなかった」
なのに、できなかった。
「……馬鹿だなあ、アヤト」
そう、俺は馬鹿で無力で、本当は、あいつらのことをあげつらえるような立派な人間ではなくて……
頭の中がぐちゃぐちゃで、なぜか胸まで痛い。後悔ばかりがぐるぐるしている。
「僕、君に言わなくちゃいけないってずっと思ってたんだ。……あのね、助けようとしてくれて、ありがとう。あのとき手を伸ばしてくれて、ありがとう。それからね、今日もう一つ言わなくちゃいけないことが増えたよ」
だから、ラナンがなにを言っているのか、にわかには理解できなかった。
「アヤト。僕の大切な姉上を助けてくれて、ありがとう」
信じられないような言葉が降ってきて、思わず顔を上げた。
そうしたら、天使みたいに綺麗な姉弟が、まるきり本物の天使みたいに微笑んで俺を見ていた。
「騎士アヤト。わたくしからも、改めて言わせてください。弟を救おうと尽力してくださって、ありがとうございました。そして、先だってはあの国からわたくしを連れ出してくださいましたね。本当に、感謝しております。ありがとうございました」
嘘みたいに優しい言葉が、次から次へと降ってくる。
これ、夢? 俺、ちゃんと起きてる? あのプロムの夜からずっと夢を見ているとか、そんなのぜったいに嫌なんだけど、これ夢オチの話じゃないよね?
「でも、俺……なんにもうまくできなくて。ずっと、ちゃんと笑えないし……あなたは、不安なんじゃないかと……」
もう自分でもなにを言ってるのかよくわからなかった。かつてないくらい、言いたいことがまとまらない。俺、めちゃくちゃ情けないこと言ってない? こんなこと口走っちゃって大丈夫?
「なにも不安なことなんてないわ。わたくし、あなたと一緒にやってみたいことがとてもたくさんあるもの。不安になんてなっている場合じゃないわ」
「俺と……?」
カナハは「そう。例えば……」と笑いながら話を続ける。
「お散歩がしたいと言ったでしょう? でも、わたくしが一人でうろうろすると、きっと心配なさるでしょう。あなたったら、思っていたよりずっとずっと心配性で……だから、わたくし決めましたの。わたくしのお散歩に、あなたが毎回お付き合いくださればいいんだわ」
あなた、きっと忙しくなってよ、と彼女はいたずらっぽく微笑む。
「だってわたくし、一日に三回、お散歩をするつもりですもの。朝昼夕と、一日三回。そのたびに、この世界は新しい景色を見せてくれるでしょう。それが、とっても楽しみなの。そうね、たまにスケッチをしてもいいかもしれないわ」
それからね、と指折り数えるようにやりたいことを挙げていく。
一緒にお料理がしたい。お菓子作りもしたい。落ち着いたら動物を飼うのもいいかもしれない。それから編み物もしたい──色違いで二つ作るので、片方は俺にくれると言う。
「わたくしが編み物をしている間、あなたはお暇になるかもしれないから……そうしたら、大工さんになってくださいな」
「大工?」
「わたくしね、ブランコのあるお庭に憧れていますの。そう、ちょうどあのような」
カナハの示す先には木製のブランコがあって、いつの間に移動したのか、再びそこに腰かけたラナンがにこにこ笑って俺たちを見ていた。
……あー、なるほど。ああいうブランコね。
幹のしっかりした木からぶら下がったブランコ。ああいうの、絵になるよね。うーん、うまく作れるかなあ。技術家庭の授業、あんまり得意じゃなかったんだけど。
「わたくし、こう見えてけっこう強いので、やりたいことをやっているうちに勝手に幸せになりますわ」
「えっ、勝手に幸せになっちゃうんですか?」
それは困る。俺が幸せにすると決めたのに、この人は勝手に幸せになるのだと言う。それは、大変困る。
むむむ、と思っていると、
「……ずっと、ちゃんと笑えないとおっしゃったわね。わたくしは、あなたが笑い方をお忘れになるのも、無理はないと思うのです。あなたは、本当はとても傷ついていらっしゃるから」
今もここから……と彼女の人差し指が伸びてきて、俺の胸のあたりを指差した。
「血が流れている。きっとその傷が治るには、たくさんの時間が必要なのでしょう。もしかしたら、どれだけ時間が経っても完全には治らないのかもしれません。でも……」
カナハは、そこでいったん言葉を区切った。
それから、とびきり綺麗で、それでいてなんだか偉そうに見える笑顔を浮かべ、きっぱりと言い切る。
「……それがなんだと言うの? だってわたくし、あなたの表情がこれっぽっちも変わらなくとも、お考えのことがなんとなくわかりますもの」
な、なんだってー!
いやいや、わかるわけないよ。だって俺、今も仮面かなにかくっついてるのかなってくらい表情筋が動いていなくて、それで……
「わたくしがさっき『勝手に幸せになる』と申し上げたら、お困りだったでしょう。今は、ちょっと驚いていらっしゃるのかしら?」
う、嘘でしょう。当たってるんだけど!
もしかして頭の中でちっちゃい俺が第九を合唱していることとか、同じくちっちゃい俺が小躍りしていることとか、バレてたりする? しないよね? お願いだからバレてないって言ってくれ。
懇願するような気持ちでいると、カナハはくすくす笑いながらラナンのいるほうへ歩いていった。
ねえ、待って。なんで否定してくれないの……?
ブランコでゆらゆら遊ぶラナンに、彼と楽しそうに話すカナハ。姉弟仲がよろしくて微笑ましい光景なのに、思わず恨めしい気持ちでそっちを見てしまう。
考えていることがなんとなくわかるって、本当なのかなあ。当てずっぽう……いや、それにしては精度がよすぎる。
もしかして、俺が知らないだけでカナハってなにかの能力者だったりするの? いや、そんなわけないよな。
一人でうんうん唸っていると、
「それで?」
声と一緒にスヴァローグが頭の上に降ってきた。
「それでって、なんだよ。頭の上に着地するのやめろってば」
「アヤトはいつプロポーズをするのだ」
ぶっ!!
思わず吹いてしまった。は、鼻水が……。
「ととと唐突すぎない?」
だって告白すらまだなんだぞ。
「なにを悠長なこと言っておる。いいか、アヤト。おなごというのはな……」
「あ、待って。駄目。その話は長くなるやつだからストップ!」
竜のコイバナはめちゃくちゃ長いので駄目だ。聞いているうちに明日になってしまう。
……そもそも、告白ってどういうタイミングでしたらいいんだろう。
うーん。俺の人生において、告白されたことってぜったい参考にしちゃいけない例の一件しかないから、勝手がまったくわからないんだよな。
いっそ、ぜんぶすっ飛ばしてほんとにプロポーズしちゃうか?
「そういうわけで、そやつが我のアドバイス通りに求婚をするとだな……」
考えごとをしている間も、スヴァローグの恋のお話は続く。一応ストップはかけたので、もうすぐ終わるだろうと思っていたのに、いつの間にか別の竜の話になっていた。
「その話は前に聞いたってば」
「む、そうか。ならば別の……」
なおも止まらないスヴァローグにあーだこーだ言っていると、カナハの笑い声がした。釣られてそちらを見やると、ラナンがブランコの席を譲っているところだった。今度は、カナハがブランコに乗るらしい。
ラナンに押され、彼女の乗ったブランコがどんどん高く舞い上がっていく。
そのたびに彼女の長いプラチナブロンドが青空に軌跡を描いて……本当に背中に羽根が生えているみたいだ。
なんだかひどく眩しい光景だった。
目を細めて二人のことを眺めていると、
「あのような娘は、なかなかおらんぞ」
スヴァローグがしみじみとした口調で言った。
「……うん」
それは、言われるまでもなく俺もよく知っている。
タイミングがどうとか、やり方がどうとか、小賢しい理由をつけている場合じゃない。
だって彼女はあんなにも綺麗で、ちょっと目を離したすきにどこまででも飛んで行ってしまいそうなくらい軽やかな心根の人なのだ。傍にいてほしいなら、ちゃんと言葉を尽くしてお願いしておかないといけない。
……よし、決めた。俺は、決めたぞ。
芝生の上に座りこんでいた俺は、よっこらしょと腰を上げた。それから、ブランコ遊びをしているカナハのところへゆっくり近づいていく。
あのね、カナハ。俺、あなたに聞いて欲しいことがあるんだ。
気がついた彼女が、ふっと視線を上げてこちらを見上げた。
「か、勝手に幸せになるだなんて、言わないで。俺に、あなたを幸せにする権利をください。えっと、つまり……その、俺と結婚してください」
しどろもどろになりながらも意を決してそう言うと、彼女は、花が綻ぶように華やかに笑った。
「もちろん、喜んで。でも、忘れないでくださいな。私の幸せの中には、あなたが幸せになることも含まれていますからね」
どうやら、彼女を幸せにするには、俺自身も幸せにならなくちゃいけないらしい。
それは、とてつもない難題のようにも感じられたけど……二人で幸せになる、そんな未来を想像すると、ほんのちょっぴりだけど胸がじんわり温かくなるのだった。
おわり
お付き合いいただき、ありがとうございました!