二人のその後 ─中─
明日は星の日だ。カナハの大切な人が今いる界と俺たちのいる場所が一番近づく曜日。別に、ちょっと無理をしたら明日じゃなくたって向こうには行ける。明後日でもいいし、なんだったら来週に回してもいい。
カナハの体調のことを思えば、来週の星の日まで待ったほうが、ぜったいにいい。
……でも、カナハはきっとすぐにだって会いたいだろう。
「そう。それが、明日なのね」
「でも、あなたの体調のこともあるから……」
心配だった。この数日、しんどそうにしている彼女をずっと見ていたから、よけいに。
「ふふ。存外、過保護でいらっしゃる。本当にもう大丈夫ですのに。でもあなたのお気持ちもよくわかりますわ。今日だってお家のことをぜんぶ任せたきりで、なにもできていないもの……」
夕飯のスープを匙で混ぜながら、憂うような口調でカナハが言う。
そんなの、ぜんぜん俺に任せてくれたらいい。そもそも引け目に思うようなことじゃない。
「そうねぇ……」
カナハは言葉を選びあぐねているようだった。
俺が心配している手前、行きたいって言いづらくなっちゃったかな。口酸っぱく言いすぎたかも。
「アヤト。おなごの選択肢を奪うのは、いい男のやることとは思えんな。いい男というのは、おなごにすべての選択肢を与え、その上でおなごの願いを万難排し叶えてやるものだぞ」
……スヴァローグがイケメンすぎる件。
いや、本当言うとおりなんだよな。
それは危ない、これは心配だからってやりたいことをぜんぶ取り上げるんじゃ、籠の中の鳥とおんなじだ。そういう男は、俺もちょっとださいと思う。
でもほら、カナハがいるところでこういう話をするの、ちょっとやめない? とんでもなく恥ずかしくて、彼女のほうを見られなくなっちゃうからさ。
「……あなたは、すぐにでも会いに行きたい、よね?」
「それは、できるならば。でも……」
難しいなら別に、と言いかけたところをごめんだけど遮らせてもらう。
「うん。また界を越えることになるから、少し体調に影響があるかもですけど。前回は下から上へ上がってきた。上下の移動はちょっと大変で、俺もスヴァラの助けがないとできないんです。でも、今回は横への移動だから、前回ほどの負担はない。はず」
だよね、スヴァラ。と思ってスヴァローグのほうを見ると、鶏肉の塊が犬歯に刺さったらしくて、ふがふがやっていた。
何やってるんだよ、もう。ついさっきのイケメン発言が台無しだ。
「そのとおりだ。ついでに精霊に導になってもらえ。道があればその分早くつく」
ドヤ顔してるけど、歯の隙間に鶏肉のかけら詰まってるぞ。
翌朝。雲海に突き出す桟橋のその先端に、俺たちは立っていた。
ちょっと冷え込むので、カナハには十分に暖かい格好をしてもらった。
コートの上からさらに毛糸のショールを羽織って、プラチナブロンドを風にたなびかせる姿は、控えめに言っても可憐すぎる。かわいい。
一方の俺はといえば、頭の上にちっちゃいスヴァローグを乗せた、ぜんぜん格好のつかない状態で精霊に餌をやっている。餌というより貢物というほうが正しい。捧げるのは、昨日カナハに食べてもらった鳳桃とか、他にも星葡萄とか、まあこのへんの浮島に年がら年中成っているような果物だ。
しだいに集まる精霊が増えてきた。
虹色の人魂みたい光の玉みたいなものが、ふわふわーわらわらーと続々やってくる。
たったこれだけの貢物でこの量の精霊が集められるなんて、やっぱり下の界とはぜんぜん違うね。下で精霊を見かけることなんてほとんどなかったからなあ。
「すごい。綺麗……!」
カナハがうっとりとした声音で呟く。
うんうん、綺麗だよね。でもあなたのほうが百倍……あ、これ以上は控えます。
ところで、カナハには聞こえていないと思うけど、これだけ精霊が集まると非常にやかましいことになっている。それぞれ好き勝手に喋るから。
「わーい、くだもの!」
「ぼくぶどうだいすき!」
「わたしもそれほしい~~」
「ごはん! ごはん!」
「このひとたちだぁれ?」
「なんか、このまえからここにすんでるみたい」
「かみさまのともだちなんだって」
「そういえばかみさまなんかちっちゃくない?」
「なんで? どうして?」
「あーっ、それぼくのなの!」
「いーや、おれのだ!」
「にいちゃんがぶったー!!」
「☆△〇※~~!」
……頼むからみんな仲良くしてくれ。この辺の果物はすぐに実るから、ほんといつでもあげられるから。
「どうかされまして?」
精霊の大騒ぎにげんなりしていると、カナハがひょいっと顔をのぞきこんできた。
「あ、いや……。彼ら喜んでくれてるんだけど、興奮しすぎて喧嘩始めちゃって」
「まあ! アヤトには精霊の声が聞こえるの?」
うん。俺、一応超越者だから言語の壁も越えられちゃうんだよ。下にいたときも精霊の声は聞こえていた。絶対数がこっちとは違うので、そう頻繁ではないけど。精霊だけじゃなく、動物の言ってることも実はなんとなくならわかったりする。
そういうことを説明すると、カナハは目をまんまるくして驚いた。
あれ、でも俺がちょっとげんなりしてるって、どうしてカナハはわかったんだろう。げんなりしてるとまではわからなくても、なんとなく様子が変わったのに気がついたから声をかけてくれたんだよね?
──考えてること、表には出てないはずなんだけどな。
内心で首を傾げていると、カナハがふわっと微笑んだ。
かわっ! どうしよう、胸! 胸がときめく! なにこのかわいい生き物!
「……ええい、いいからさっさと行かんか」
「あ、はい」
スヴァローグの尻尾がぺちぺち顔を叩いてくるので、我に返った。危うく戻ってこられないところだった。危険だ。カナハは最重要危険人物だ。かわいすぎるって、もうそれだけで罪だ。
気を取りなおして、果物に群がっている精霊へ向けて声を張り上げる。
「みんなー! ちょっと頼みたいことがあるんだけど、聞いてくれるかなー!」
お願いごとをするには貢物が足りてないかな? 大丈夫かな。断られたらどうしよう。
どきどきしながら返答を待っていると、「いいとも~」というなんとも気の抜ける答えが返ってきた。
あ、いいんだ。君ら、けっこうちょろいね……。
ほしのひだからぜんぜんおっけー、ということらしい。案外すんなりと道はつながった。
半透明の虹色をした橋がのびて、雲海の向こうに続いていく。
桟橋からその橋へ渡ろうとする瞬間、カナハの肩に力が入るのがわかった。わかるわかる、緊張するよね。だって下、なんにもないもん。半透明でちょっと見えるぶん、よけいに怖いよね。
「御手をどうぞ、お姫様」
先に虹色の橋に降りて、彼女に手を差し伸べる。
ほら、大丈夫。俺、ちゃんと橋の上に立っているでしょう。足元が透けてるけど、橋としての機能には問題ないから大丈夫。
「お姫様って……もう!」
カナハは、顔をりんごみたいに赤くしながら俺の手をとってくれた。
俺の手より温かくて、相変わらず華奢な手。それをそっと包み込んで、手を引くようにしてゆっくり歩きはじめる。
「あー! いちゃいちゃしてる!」
「いいの? かみさま」
「あんないちゃいちゃ、ゆるしていいのか~?」
「初々しすぎて見ておられんわ」
……君ら、本当にうるさいな。しばらくほっといてくれないかな。
先導するならするで、静かに導いてくれたらそれでいいんだよ!
それから、十分くらい歩いたと思う。とはいえ、界を越えるときは時間の感覚が鈍くなるので、あんまりはっきりしない。
カナハは疲れていないかな?
視線だけで様子をうかがうと、俺の心配が伝わったのか、つないだ手を強めに握り返された。その視線は、凛として前を向いたまま。
あなたは、強いね。
俺は緊張しちゃって駄目だなあ……。
きっともうすぐ橋が終わる。さっきまでと空気が違うのが、なんとなくわかる。目的地が近いのだ。
会ったら、なにを言われるだろう。
目的地が近くなるにつれて、今まで蓋をして気づかないようにしていた不安が、どんどん大きくなってくる。なんでもないふりをしているのが、難しくなってくる。
あのとき、俺が間に合っていて、ちゃんと対応できていたら……きっと、彼は死ななかった。今も生きて、俺と違って立派な騎士になっていただろう。
「……着いたようだな」
先導していたスヴァローグがこちらを振り返る。よく光る黄色い目が、俺のことを心配してくれているようだった。無言で「大丈夫か?」と尋ねてくる。それへ首肯で返し、「こっちかな」とカナハの手を引いて歩く。
ここは、待合所だ。
下の界、つまり現世で死んだ人が次の転生を待つところ。準備が整ったら、彼らは舟なり汽車なり馬車なりに乗って、次の場所へ旅立っていく。その行先は人によって違う。別の世界ということもあるし、ここと同じ世界の別の界ということもある。
カナハの大切な人は、その界の片隅の小さな公園で、俺たちの来訪を待っていた。木のブランコに腰かけていたその人影が、こちらに気がついてゆっくりと立ち上がる。
「……お久しぶりです、姉上」
カナハと同じ色をした髪の少年が、うやうやしくお辞儀をした。
「ラナン!」
つないでいた手をほどいて、カナハが少年のほうへ駆け寄っていく。
俺はその後ろ姿をぼんやりと見送った。さっきまで右手にあった温もりが、徐々に失われていく。冷たくなる。
……彼の名前は、ラナン・ローレン。カナハの異母弟で去年の冬に亡くなった。生前は俺と同期の従騎士で、とある正騎士のもとで一緒に見習いをしていた。
彼は、かつて俺の目の前で亡くなった人だ。
間に合わなかった。俺だけが彼を助けることができたのに、できなかった。
遺体の損傷が激しすぎて、なんとか連れて帰ったのはいいけれど、家族は……カナハは、ラナンの顔を見せてもらえなかった。
彼と彼の遺品は俺が公爵家に送り届けた。ラナンとは同室だったから。
整理した彼の荷物の中には、姉への手紙と誕生日の贈り物が含まれていて、それを手渡したとき、カナハは必死に泣くのを堪えていた。公爵令嬢だったから。だから、家族でもない異性の前では泣けなかったんだ。
その日は雨が降っていた。
冬らしい冷たい雨が降っていて、そのとき俺は……
「アヤトも、久しぶり」
ぼーっと突っ立っていたので、間近で声がしてものすごくびっくりした。
慌てて意識を現実に引き戻すと、目の前に当のラナンが立っていた。