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3/7

プロムの夜 ─後─

 ……馬鹿だなあ、椎葉。


 普段からなんにも考えていないから、自分で墓穴を掘ることになるんだよ。


 なんでそういう大事なことを言わなかった、という目で宰相子息が椎葉を見ている。大方、不審者に階段云々のシナリオは彼が考えたんだろう。


 あーあ、どこを見ても馬鹿ばっかり。普段のちゃらんぽらんな様子から、椎葉の言うことが信用に値しないって、どうして気づかないのかな。


 次代の重鎮候補たちがこんなんじゃ、この国もう駄目なんじゃない?


「アヤトくん、どうして……どうしてそんなひどいこと言うの? どうして、いつもみたいにあたしの味方してくれないの? どうしてそんな意地悪な女の味方するの?」


 言ってる間に興奮してきたのか、椎葉の涙腺がついに決壊した。まさに滂沱のごとく泣いている。


 泣いて、なにが解決するわけでもないのに。


 せぐり上げ、しゃくり上げしながら何かを喋ろうとしているが、言葉になっていない。


 それに何より美しくない。


 ……カナハ嬢の涙は、あんなにも綺麗だったのに。


「戯言をぬかす。同じ言葉を返すぞ。お前の言うことが信用できると、なぜ言える?」

「恐れ多いことですが、殿下。私の申し上げたいことは、私の言を信用していただきたい、ということではありません。これは、逮捕に相応する証言や証拠ではない、とお伝えしているのです。つまり、今、この場で公爵令嬢を罪人として扱うに値する情報ではない、ということです。然るべき捜査機関を通して、サクラ様や皆様の証言を精査し、正式にお調べになることです。それが王族たるあなたの責務です」


 第一王子の竜眼がぎらりと光った。


「この私に……王族の、責務を説く、か? 平民上がりの、貴様が?」


 第一王子は怒りをどのように押し殺すべきか、迷っているようだった。奇妙に震え、途切れがちの声だった。


「フォーカスライト! なんたる不敬! なんたる……!! そこへ直れ! 殿下の代わりに、この俺が成敗してくれるわ!!」


 騎士団長子息カイエンが顔を真っ赤にし、肩を怒らせ、ずんずんとこちらへやってくる。


 その手が、剣帯から下がった奴の得物に触れた。


「も、もういいわ、騎士フォーカスライト! 逃げて。でないとあなた、殺されてしまう」


 カナハ嬢が泣きそうな顔で言う。


 この人は、そんな表情でも美しい。本当に、気高くて綺麗な人だ。


「大丈夫です。ですが、少し、お下がりください」


 そう。俺は、大丈夫なんだ。


 だって、俺はこの瞬間を待っていたんだから。


 もう、ずっと、ずっと。


 ……ずっと待っていた。


 カイエンの右手が、抜いた。何をって、もちろん剣を、だ。


「抜いたな」

「……何?」


 訝しげに目を眇める男を見て、思わず嗤う。


 あれ。俺、今、無表情じゃなくなってるな……まあ、いっか。


 騎士団長子息が剣を構え、突っ込んでくる。正式の構えだ、決して悪くはない。騎士団長たる父親じきじきに仕込まれているから、当然か。たぶん、王国の人間の中では最強に近い腕前の持ち主だ。


 うん。でも、所詮()()()()()では、なんだよな。


 右手を愛刀に伸ばす。間合いまで、あと四……三、二……


「──抜刀術・雪月花」

「なっ、速ッ……!!」


 刀を鞘に納める音が、チンと響く。


 次いで、少しの間のあと、カイエンがどさりと崩れ落ちた。遅すぎて、打ち合うまでもない。抜刀術は抜いたら一瞬だ。斬られたと自覚する間もなかったと思う。


「う、そだろ……」

「み、見えなかった……」

「カイエン殿が負けただと」


 そこら中からそんな声が上がる。


 そんな場合じゃないんだけどな。多少手加減はしたつもりだけど、重傷なのに違いはない。早く止血しないと死んでしまう。


「……そいつ。早く処置しないと死にますよ」


 固まっていた周りの連中が、我に返ったようにばたばたと動き始める。少しすると担架と大量の包帯が持ち込まれ、止血をしながら担架で運んでいった。


 ばいばい、騎士団長子息。死にはしないだろうけど、右手……もう一度、剣が握れたらいいね。なんせこの世界、もとの世界に比べて医療技術も未発達だからさあ。


 無感動に騎士団長子息を見送っていると、


「アヤト・フォーカスライト……まさか、この私の前で人を殺すとはな。まあ、いい。元よりお前は目ざわりだった。最初からサクラの周りをチョロチョロして……もっと早くに、こうしていればよかったんだ」


 王子は目をぎらぎらさせてこちらを見ていた。


 ぎらぎら、というか……竜人の力を使うつもりみたいだ。黄色い竜眼が不気味に光っている。ちょっと寒気がするほどだった。


「や、やめて、王子様! アヤトくんはそんな、殺すつもりなんてなかったのよ! きっと、何かの間違いで……」

「離れていろ、サクラ。俺は、あいつを殺す。仇をとってやらなくては」


 いや、カイエンのことは殺していないしまだ死んでないんだけど、というツッコミを入れたかったけど、さすがにそんな場合じゃなかった。


 第一王子は馬鹿だけど、間違いなく竜人なのだ。力を使う直前の威圧感がすごい。空気がびりびり振動しているみたいで、俺の近くにいる衛兵たちはほとんどが腰を抜かしてしまっていた。


「お、恐れながら申し上げます! 殿下、騎士フォーカスライトの今の行為は、正当防衛と存じます! 先に武器を抜いたのは騎士団長子息のほうです。例えサザーランド殿が亡くなったとしても、情状酌量の余地があります!」


 そんな中、カナハ嬢がなんとか立ち上がり、足元がおぼつかないながらも声を張り上げる。


 職人が丹精込めて作った鈴のように、凛とした美しい声。残念ながら、今はちょっと震えている。だけど、全然聞き苦しくないのがこの人のすごいところだ。


「この期に及んで、まだ言うか! ええい、お前も同罪だ。私の手によって死ねること、ありがたく思え!」

「で、殿下……」


 直接竜眼のプレッシャーを向けられて、カナハ嬢もまた限界を迎えたようだった。その細い体がふらりとよろめいたところを、そっと抱き支える。


「ねえ、カナハ様。諦めるって、言ってくれませんか?」

「な、なにを……?」


 カナハ嬢の夜空のような目が、少しだけ丸くなった。涙の膜の表面が、シャンデリアの光を吸い込んできらきら光っている。まるで、瞳の中に流れ星が落ちたみたいだ。


「この国を。だって、こんな馬鹿ばっかりの国、ある意味ないでしょう?」

「あ、あなた、何を言って……」


 プロムだから、ときっちり結い上げられていた髪が乱れて、一筋頬にかかってしまっている。そっとそれに触れて、耳にかけてあげると、カナハ嬢の肩がぴくりと揺れた。


「ね。はいって、言って。俺に、許可して?」

「……言ったら、どうなるの?」


 おそるおそる、といった表情で尋ねてくるカナハ嬢が、とんでもなくかわいい件について。写真撮りたい、と思ったけど残念ながらスマホはもうずっと電池切れだ。


「そうしたら、幸せになれるよ」

「なぁに、それ。諦めたら、幸せになれるの?」


 カナハ嬢がくすくす笑う。気丈な微笑みじゃない。社交用の作った微笑みでもない。彼女の内心の深いところから表出した、あるがままの笑顔だった。


 俺はまじめに「うん」と答えた。


「ふふ。あなた、本当は面白い人なのね。わかったわ。……わたくしもちょっと、疲れちゃったの。もう、頑張るのは、諦めます」

「はい、おつかれさまでした。この先は俺()()に任せて」

「はい。……()()?」


 そう、俺たち。


 何のことだかわかっていないふうのカナハ嬢からちょっと体を離して、相対する第一王子と椎葉を見る。


「別れの挨拶は済んだようだな」


 嘲笑がひどくお似合いの第一王子に、


「うそ。アヤトくん、なんで。どうして、その女と。いつからなの。いつからそいつと……」


 嫉妬にとち狂った椎葉。


 その後ろに第一王子と椎葉の取巻きである皆さん。


 みんなみんな、俺たちのこと親の仇を見るような目で見ているね。


 そんな彼らをぐるりと見渡し、俺はいっとう声を張り上げた。


「俺は境界を越える者──『超越者』。古き者、真なる者、翼ある者よ。この俺の声が、聞こえるか!」


 瞬時に応える者があった。


 轟くような咆哮が天から降り注ぐ。


 あまりの衝撃を受け、地震でも起きたかのように建物がびりびり揺れる。女性たちのつんざくような悲鳴がそこかしこで上がり、周囲はにわかにパニックになった。


「りゅ、竜神の……咆哮だと……⁉」


 プロムの参加者が何事かと恐慌に陥る中、第一王子だけはその声の主がわかったらしい。腐っても竜人だし、わかって当然でもある。なんせ、竜は彼らの祖先。竜人が王族として偉ぶっていられるのは、彼らが竜の血を引く人間だからだ。いわば、竜は彼らにとっての完全なる上位存在だった。


「う、嘘だろう。なんで、竜神が……。この世界を去ったはずじゃ」


 第一王子のうろたえぶりがすごい。これを見てるだけでポテチ一袋、きれいに開けられる自信がある。


「りゅ、竜って……アヤトくん、なんで? なんでアヤトくんが竜と……」


 椎葉が呆然と呟く。


 なんで、って言われてもね。


 皆さん、すっかりお忘れのようだけど……


「俺も、異世界から来た『超越者』だから、かな」


 直後、本当にすぐ近くに大質量のなにかが降ってきた衝撃と音があった。まるで、ガス爆発が起こったみたいだ。ガス爆発、見たことないけどね。


 とっさにカナハ嬢を抱きしめて、衝撃から庇う。


 がらがらがら、と外壁が崩れ落ちる音。砂埃。プロムナードどころじゃない、もう地獄絵図のようだった。


「ようやく我を呼んだな、アヤトよ!」


 外壁に開いた巨大な穴から、どこからどう見ても立派な竜が、ひょっこりと顔を出した。


 月と星のささやかな光を浴びて、つやつやと輝く黒い鱗。黄色い竜眼。カラーリングは第一王子とまるっきり同じなのに、一緒なのは色だけだ。神々しさが違う。いや、ほんとぜんぜん違う。


「いつまで待たせるのかとやきもきしておったが。こちらでの用事はもう済んだのだな?」

「終わったよ、全部」


 頷いて見せると、でっかいトカゲのような恐竜のような、大きくて立派な牙がずらりと並ぶ口が、器用に「かかか」と笑った。ぱっと見はまんま恐竜でビビるけど、本当に気のいい竜なんだ。


「あ、あの、騎士フォーカスライト……」


 カナハ嬢がもぞもぞしている。そういえばさっきのどさくさで抱きしめたままだった。甘酸っぱくておいしい果物みたいな、いい匂いがしたことをご報告します。


「おお、それがお前の嫁か?」

「うーん、それには『まだ』と答えざるを得ないね」

「なんだ、いったい一年以上も何をしておった。いいか、おなごというものはな……」


 出た。出たよ、竜のおなご理論。始まったらめちゃくちゃ長いんだよ。なんせこの人たち、まず死ぬっていう概念がない。一つの恋が始まって終わるまで一千年かかるのもザラだから、まじめに取りあうと夜が明けるどころか、何年もかかってしまう。


「あの、あの……この、えっと……いったい……」

「ん。ああ、この竜はスヴァローグ。俺の友達です。さ、乗って乗って」

「え。乗ってって、どう、やって……」


 大丈夫。このときのためにせっせと二人乗り用の鞍を作っていたから。スヴァローグ──俺がスヴァラと呼ぶ彼は、今回この鞍をつけて現世に顕現してくれている。だから不安に思わなくても大丈夫。


 そう伝えると、カナハ嬢は目を白黒させながらも、俺の差し出した手をとってくれた。


 小さな手だった。指先にちょこんと乗った、桜貝みたいな爪まで小さくてかわいい。どこもかしこも華奢で、俺がちょっとでも力を入れたら、それだけでぽきりと折れてしまいそう。もちろんそんなことはしない。全神経を集中して、彼女の手を握る。


「ここ、しっかり持っていてくださいね」


 カナハ嬢には鞍の前部分に座ってもらって、さらに前のほうにある取っ手を掴んでもらう。俺はその後ろに座って、同じ取っ手の空いてる部分を掴む。


「いいよ、スヴァラ。迎えに来てくれてありがとう」

「なんの、これしき。しっかり掴まっていろ。界を越える故、少々揺れる」

「界を、越える……」


 オウム返しに呟くカナハ嬢の声が、呆然としている。その声音を聞いて、今更ながら一気に不安になった。


 カナハ嬢への意思確認はしていたつもりだったけど、彼女からしたら国を捨てるどころか界を越えることになるとは思ってもみなかっただろう。というか、界を越えるという概念自体を知らないかもしれない。あれ、俺もしかしなくても不味ったんじゃ……?


 揺れるぞ、という忠告のわりにスヴァラの背はそんなに揺れない。これは竜の飛行が物理的な動力によらないから、つまり翼をはためかせることで飛んでいるわけではないからだ。竜神の真なる力によって浮いたり進んだりしているということだ。翼は飾り……というわけでもないが、ちょっと方向を変えたいときだとかに使うらしい。


 瞬き一つしている間にスヴァラはずいぶん高度を上げていた。見下ろせば、さっきまで俺たちのいた学園が豆粒のように小さい。途中、下の方から「待って、行かないで! アヤトくーん!!」とかなんとか言ってる声が聞こえたような気がしたが、まあ気のせいだと思う。


 そんなことより、だ。


「あの、カナハ様。俺、もしかしてとんでもなく説明が足りていなかったような気が……」


 恐る恐る彼女の顔を覗き込むと、なんと音も立てずにくすくすと笑ってらっしゃった。この人も器用な人だ。


「そんな不安そうになさらないで。大丈夫、少し驚いただけだから。それにね、もういいの。この国を出るなら、どこへ行ったって同じだわ。わたくしの大切な人は、もうこの世にはいないもの。むしろ、あなたと、そしてスヴァローグ様が一緒なら心強いわ。一人で国外へ追放されるより、ずいぶんましだとすら思う」


 そう語る横顔がずいぶん寂しげだった。


 この一年、俺もかなりのハプニング続きで何度も死を覚悟したけど、この人も実は大概な目に遭ってきたのだった。この国には、彼女の大切な人はもういない。この人が、王子の婚約者に相応しくあるべく積み上げてきた、血の滲まんばかりの努力も、王子本人を始めいろんな人間に踏みにじられてきた。だからこそ、彼女は折れてしまった。そして、諦めた。


「わたくしは、この国で得たものすべて、今この瞬間に捨てます。わたくしは、今からただのカナハです。ですから、どうぞ呼び捨てになさってください。ね、騎士様」


 にっこり笑った彼女にそうした悲壮感は一切見受けられない。それでも、思うところはたくさんおありだろう。


「俺の剣を、……カナハ、あなただけに捧げます。どうか、俺のこともアヤトと」

「あなたの剣を受け取ります、アヤト。これからよろしくお願いしますね。スヴァローグ様も、どうぞよしなに」


 スヴァラが一つ咆哮を上げる。


「何、小さき者を受け入れるのには慣れておる。そう気張らずともよい。……それにな、そなたの大切な者には向こうで会えるぞ」

「えっ!? それって……」


 今日一番驚いたような声を上げるカナハが、ただただかわいい。どうしよう、このかわいい生き物。どうやって愛でたらいいの。


 うーん。ま、でも俺の愛でたい欲求を満たすより先に、彼女の疑問に答えてあげなくちゃいけないね。


「あのね、カナハ。つまり……」


 つまり、美しいあなたに、悲劇は似合わない。


 あなたを初めて見たあの瞬間、俺は恋に落ちた。あなたの強くしなやかな夜色の瞳に恋をした。


 「運命」なんかじゃない。俺は俺の自由意志であなたに恋をした。この先、一生、あなたの瞳が悲しみに濡れないよう、あなたを幸せにすると自分で決めた。決めたからには絶対にやり遂げるよ。俺のこの名にかけて、必ず──。


 カナハ、幸せになって。あと、……ついででいいから、俺のことを好きになってくれるととても嬉しいな。




おわり

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