プロムの夜 ─前─
いやいやいやいや、ちょっと待て。それはないだろう。
とツッコミたくて仕方なかったが、自分の立場が許さなかった。
目の前で突如始まった……なんだろう、この茶番劇。茶番劇と称すると不敬にあたるかもしれないが、実際口に出したわけではない。心の中でどう思うかは俺の自由だ。実際、茶番劇としか言いようがないし。
場所は王立学園のホール。プロムに相応しくきらびやかに飾りつけられ、ドレスに盛装した令嬢がたは、見ているだけで眼福ものだ。さすが、皆さん貴族なだけあり、本当にお美しい。肌も髪も内側から光ってるようだ。元の世界の同級生とは、ぜんぜん違う。もはや別の生き物なんじゃないかとすら思う。
その中でひときわ美しくいらっしゃったのが、公爵令嬢であり第一王子の婚約者でもあるカナハ・ローレン様だった。夕焼けのようなグラデーションのドレスは、生地の美しさもさることながら、そこに縫いつけられた宝石がまるで星のように、彼女の動きにあわせてきらきら光っていた。
仕事もかねてここにいるというのに、思わず見とれてしまった。あまりにも綺麗だったから、仕方ない。ま、表面上はいつもの無表情をキープしていたと思う。ここ一年ほどでずいぶんポーカーフェイスが上手くなったからさ。いろいろあったしね。思ってることがそのまま顔に出ていたら、たぶんもう殺されていたと思う。
それはさておき。
俺の目の前では、その美しいカナハ嬢が、ダンスホールに引き倒されていた。
顔色は真っ青を通り越して土気色だ。王子の手のものにこうして引き倒されていなくても、遅かれ早かれ貧血で倒れていたんじゃなかろうか。
場は、完全に静まり返っていた。というか、凍りついてるっていうのが正しいな。空気が固まってる。誰も、身じろぎ一つしない。楽団の奏でる音楽も、令嬢がたの華やかなくすくす笑いも、ぜんぶ、突然始まった茶番劇のせいでかなたへ吹っ飛んでしまった。
カナハ嬢は、そんな状態だというのに、気丈にも顔を上げて王子やその取巻きたちをまっすぐに見返した。怖いだろう、と思うのに。この辺りの所作が、この人は本当に気高くて気丈なのだ。現に、彼女の指先はひそかに震えている。
「どうして、このような……」
けれども、その声までは震えていなかった。いつもの、彼女の声だ。凛とした鈴のように美しい声。
「どうして、だと。この段になって、まだ白を切るというか。忌々しい女だ」
相対する男は、吐いて捨てるように返す。
この国の第一王子だった。
第一王子は、つややかな黒髪に、竜眼といわれる金色の目をもつ美青年だ。
竜眼はこの国の王族が生まれもつ、ちょっと特殊な目だ。瞳孔が縦長で、まるでトカゲみたいなものを指す。遥か昔、この世界にいたという竜の血を引く人間だけに現れる特徴らしい。この国では、王族の男子は竜眼を持って生まれる。王様になれるのもその竜眼を持つ人間だけ。竜の亡骸が国土になったとか、そういう神話じみた話が本気で信じられている国だ。竜眼を持つ人間は、竜人と呼ばれて、それこそ神様みたいに敬われる。
どこを見ているんだかよくわからないし、人間らしい温もりも感じられないので、俺はこの竜眼の持ち主が苦手だった。竜眼でなくとも、この第一王子のことは苦手だったと思うけど。
それにしても、だ。
婚約者である公爵令嬢に対して、その口ぶりといい、表情といい……もともと不仲ではあったけれど、そこまで嫌うかって感じだ。
そもそも不仲だったとしてもやり方というものがあるよね?
相手は公爵令嬢だぞ。過去に王族の血も入ってる、王族に次ぐ尊い血の一族でしょう。王子の婚約者になるだけあって、彼女の家は強い。ローレン家の令嬢にこの扱いは、下手すると内乱が勃発してもおかしくない。ここ一年少々で得た付け焼刃の知識しかない俺にだって、それくらいちょっと想像しただけでわかる。なのに、この王子様は……馬鹿なのかな。
いや、元々は王子も優秀な人だったらしいんだよね。ほら、よく言うでしょ。恋は盲目ってやつ。でも盲目にも程があると思うんだよなぁ。
原因はわかりきってる。
王子の隣で、怯えたような顔をした、俺と同い年の女。
椎葉さくら──「超越者」で、故に「竜の巫女」でもある。椎葉は、茶色がかった黒髪に同じく茶色がかった黒目の、元の世界では何の変哲もない女子高生だった。
彼女は、俺がこの世界に来ることになった元凶でもある。
去年の初夏。体育祭で応援団に参加していた俺は、練習帰りに待ち伏せしていた彼女に捕まった。告白された。いや、けっこうびっくりした。一年のときは同じクラスだったけど、別に特別親しかったわけじゃない。二年になってクラスも分かれて、以来廊下ですれ違うときに挨拶する程度の仲だった。
『佐倉くんのこと、一年のときからずっと好きだったの!』
話があるから、とちょっと歩いた先の神社に連れて行かれ、唐突にそう言われた。人生初の告白だった。
『そ、そうだったんだ』
青天の霹靂とまではいかないけど、びっくりした。ほんとびっくりした。告白ってこんなロマンもムードもないところでするの。この神社、けっこう寂れてるし鳥居とかボロボロですけど……なんだったらお化けとか出てもおかしくない。
『佐倉くんかっこいいし、優しいし。それにほら、名前があたしと一緒。だから、運命の人だと思ったんだ!』
いや、運命の人ってなんだよ……。と思ったけど、口に出すのはやめておいた。こんなんいきなり言い出す女って、絶対めんどくさい人だもん。言ったらよけいめんどくさいことになるよ。
だけど、まあこの時点で俺はドン引きだったのである。
名前が一緒って言うけど、俺は苗字だし向こうはひらがな。俺から言わせてもらえば、まったく違う名前だ。運命の人判定が緩すぎる。ガバガバだ。これ以上のガバガバ判定なんてそうそうない。
運命の人発言がなければ考えたかもしれないけど、これを聞いた時点でない。見えてる地雷を踏むほど、俺は勇者じゃない。
『悪いけど、他の学校に好きな人いるから……』
だから君とは付き合えない、と答えると、椎葉はぴしゃーんと固まった。フリーズしたパソコンのごとく、完全に固まった。その固まり具合にちょっとだけ笑えたけど、次の瞬間にはぼろぼろ泣き始めたので、それどころではなくなった。
普通、泣くか? こんなんで??
うわ~~、どうするのこれ。泣き止むまで慰めるべきなの? 疲れたし早く帰りたいんだけど……。
いや、でもさすがに泣いてる女子高生を、薄暗い神社にほったらかして帰るわけにもいかない。その辺の最低限の紳士性は、俺とて身につけている。だけど勘違いされても嫌だし、さらにごめんと駄目押しした上で、しぶしぶ送るよと口にしかけたところで、椎葉がめちゃくちゃ食い下がった。
『なんで、なんで駄目なの。好きな人って誰なの? 本当に好きな人いるの? 嘘なんじゃないの? いつ知り合ったの? どういう知り合いなの?』
『え。い、いや、塾とかでほら……』
『嘘! だって佐倉くん、塾行ってないじゃん!』
なんで俺が塾に行ってないことを知ってるんだよ……。失敗したなあ。中学校が同じだったけど進学先が分かれた女の子とかなんとか言っておけばよかった。後悔したけど、時すでに遅し。一度言ってしまったものは、なかったことにできない。
ぐしゃぐしゃに泣きながら、取りすがるように抱きついてくる椎葉を、どうしたものかと困り果てていたことは事実だ。対応には心底困っていたし、誰かどうにかしてくれと思ったのは本当。
だけど、まさか本当に「誰か」に「どうにか」してもらった結果、椎葉と一緒に異世界へやってくることになるとは、思ってもみなかった。そんなもんラノベ発の深夜アニメだけにしろ!
全然知らなかったんだけど、その神社が竜の神様を祀った由緒ある神社だったらしい。俺が誰かどうにかしてくれ、と思ったのが久々の祈願だったらしくて、その神様、めっちゃ張り切ってくれたんだよね。で、張り切ったのはいいけど、信仰が途絶えかけて神様も弱っていたらしく、別の世界の竜の神様に泣きついて、そういうことなら我の世界で引き取ってやろう、ということになったらしい。
ああ、神様。ごめんだけど、めちゃくちゃ有難迷惑だったよ……。
そういうわけで、俺は世界を越えた。その瞬間、体が触れ合っていたという理由で、めんどくさい椎葉さくらと一緒に、だ。
全然、なんの解決にもなってなくてびっくりした。異世界転移したわりに、本当になんにも解決してない。むしろめんどくさいことしか増えてない。
ありがちな異世界ファンタジーの世界に転移した俺たちは、世界を越えた「超越者」と呼ばれた。こっちの世界にはたまにあるらしいね、異世界転移。
「超越者」が現れたのは百年ぶりだったらしく、それが同時に二人も現れたということで、国はお祭り騒ぎ。椎葉は「竜の巫女」ともてはやされ、それはもうどこのお姫様ですかってくらいちやほやされて、大喜び。俺は椎葉の附属品って扱いだった。一応俺も「超越者」なので、粗末な扱いは受けなかったけど……誰がどう見ても、椎葉に比べておざなりな対応だった。
しかも王子をはじめ地位ある男たちがこぞって椎葉にゾッコンになっちゃって、俺が椎葉をフッたって話があの女から漏れたときには、王子たちに殺されるかと思った。
剣の訓練をつけてやる、とかなんとか言って、騎士たちに袋にされて半殺しの目に遭ったり。サクラをたぶらかすのはやめろ、とか言って手袋を叩きつけられたり。決闘って初めてしたけど、あれ刃を潰してない実剣を使うんだよな……。
椎葉は、「あたしのために争うのはやめて!」とかなんとか言ってたけど……。俺はお前のために争っているんじゃなくて、お前のせいで争ってるんだよ、と声を大にして言いたかった。というか、我慢ができなくて似たようなことを実際に口走った。結果として火に油を注ぐ発言だった。優しいサクラにつけこんで、とかなんとか言われたな。おかげで、異世界人に殺されるかと思った。
俺は、自分が異世界に来ることになったのは椎葉のせいだと思ってる。あいつがいなきゃ、神社に連れて行かれることもなかった。あいつがいなきゃ、いるかどうか信じてもなかった神様に神頼みすることにもなってなかった。
椎葉のせいで、異世界にきて、椎葉のせいで、死ぬ。
死ぬかも、と思いながらもちょっと冷静になって考えたとき、ゾッとしちゃったんだよな。
そんな糞みたいな人生、あってたまるかって思った。糞くらえって思った。だから、死ぬほど努力した。
「超越者」としてのスペックを生かしまくって、剣の訓練も体力づくりも頑張って、俺は騎士に叙勲された。騎士は一代限りの貴族という扱いなので、苗字の名乗りを許される。佐倉の姓をそのまま使ってもよかったんだけど、そうすると椎葉さくら曰くの「運命」を受け入れたようで、嫌だった。だから、俺は佐倉という苗字をきれいすっぱり捨てることにした。で、自分で自分の苗字を考えた。
──アヤト・フォーカスライト。それが、俺の新しい名前だった。正義の騎士っぽいしかっこいい。我ながら単純な命名だが、それがいい。