2話 一人は二人、アリスは二人
眼前のアリスの家を見て、霊夢は思う。
――これって、アリスの家にお邪魔して、適当に寛げばいいってことよね?
紫から、特に指示は無かったが、この場所に移動したということは、つまり監視対象がいるとしたら――アリス・マーガトロイド。彼女以外にはあり得ない。
行き先はアリスの家だったので、ならば目的はアリスの監視なのだと、霊夢は考えた。
「幸い、いつ帰ってもいいのよねー」
紫からは、特に何も指示されていない。ただこの場所に来ることだけが、目的ということはない――無意識的に、霊夢はそう思っている。
だからこそ、アリスの家に入り、アリスを監視することが、紫の目的なのではないかと憶測した。
最悪、それが間違っていたとしても、紫は霊夢を責めない。否、紫が霊夢を責めないために、この目的をはぐらかしていた可能性がある。
霊夢は歩みを進め、ドアをノックする。
ドアは開き、
「あら、霊夢じゃない。珍しい」
アリス・マーガトロイドは姿を見せた。
セミロングの金髪に、ロングスカート。人形のような、綺麗な顔立ち。人里にいたら、告白されまくるほど美人である。
「連絡もなしに悪いわね。急なんだけど、少し…………ガールズトークでもしない?」
霊夢は、どんなことを話すか迷った挙げ句、ガールズトークをしようと言った。
「……っ? えぇ、いいわよ。
でも、なんていうか、霊夢が私の家に訪問してガールズトークって、珍しいわね」
「ええ、珍しいわよ。でも、今はそれほど珍しいことをやりたいのよ」
「そう……。まぁ、一先ず上がってよ、霊夢。適当にクッキーでも作っておくから、そのときにガールズトークでもしましょう」
「分かったわ」
霊夢はアリスの家に入った。
アリスの家の中は相変わらず、清潔感あるなと、霊夢は思った。
ゴミは当然一つも落ちていない。洋風なテーブル、洋風な椅子、洋風な鏡……、
「……アリ……ス……?」
鏡の向こうにアリスがいて、反射している方向――つまり鏡とは反対の方向にアリスがいる。
普通であれば、そうだ。
しかし、その先に――鏡に反射しているアリスはいない。
吸血鬼が鏡に映らない――その反対――鏡にしか映らないアリスがいた。
現実の世界とは別のアリス。
そう、思わせてしまうほど、霊夢の脳内は混乱。惑う。
存在するはずがない。
アリスは、アリス・マーガトロイドは『魔法の国のアリス』だ。『鏡の国のアリス』ではない。
鏡の中だけにいるアリス・マーガトロイドは、いるわけがない。
霊夢は、立ったまま、頭を抱える。目を手で押さえる。
当惑し、理解が、できない。
理解が追い付かない。
理解を遮断しようとする。
できない。
薄れる。何かが。
崩壊する。何かが。
崩れ落ちてくる。何かが。
何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが――
「霊夢? できたわよ、クッキー。食べないの?」
「……えっ?」
霊夢は、座っていた。洋風なテーブルに。
霊夢はさきほどまで、立っていた感覚はあったのに、いつの間にな座っていた。
まるで時が飛ばされ、飛ばされた結果だけが残されたように、座っていた。
「霊夢? 大丈夫?」
「……えぇ、大丈夫よ。それより……私、なんかおかしかったわよね?」
「ええ、何故か頭を押さえて、椅子に座っていたわ。
何かあったの?」
「…………いや、特にはないけど」
霊夢は迷っていた。
さっきの情報を、素直にアリスに話すか、迷っていた。
しかし、今は言いたい気分ではなかった。何も言いたくなかった。鏡の中にアリスがいるなどという、馬鹿げたことを言いたくなかった。
「それなら、いいけど。
……私の作ったクッキー、食べる?」
「ええ、そうするわ」
皿に、綺麗に彩られるように飾られているクッキーは、あまりにも綺麗だった。
霊夢はクッキーを口に運ぶ。
「……美味しいわね」
「良かったわ。
実は今回の、自信作なのよ」
「アリスが自信作っていうと、説得力あるわね」
「私が自信作と言えば、説得力があるの?」
「ええ、そうよ。魔理沙なんて、自信作って言ったのに、焦げたマカロンを持ってきたのよ?
考えられる?」
「……あー、魔理沙はそう言うこと、よくやるよね」
「私がなんなのぜ?」
「――!?」
と、言いながら、窓から魔理沙が入っていた。
「まったく魔理沙は……。せめて玄関から入ってよね……」
「悪いぜ!」
「アリス……?
もしかして魔理沙はいつも窓から入って来るのかしら?」
「ええ、そうよ」
「…………」
「えっ? 窓から入るって、普通だよな?」
「泥棒なら、普通でしょうね」
霊夢は揶揄した。
当然、魔理沙はそんなこと、気にしなかった。
「というかなんでアリスがクッキー作ってるのぜ?
クッキー作ってんなら私にも食べさせろって話だぜ!?」
「はいはい、今から追加で作るから待っててね」
アリスは台所へと向かう。
「霊夢、今日で会うのは二度目だぜな。
……目的ってのは、アリスと会うことだったのぜ?」
「そうよ」
霊夢は、紫のことを話さない。
話してはいけないと、思ったから。
魔理沙は「なんだよー」と言いながら、
「それならそうと言ってほしかったぜ!」
「魔理沙には関係ないと思ったから、言わなくていいと思ったわ」
「それは酷いぜ!?」
「穀潰しには、言われたくないわね」
「それも酷いぜ!?
私が穀潰しに見えるのぜ?」
「人に料理作ってもらったり、奢ってもらっていたり、本を盗んでいたり、……穀潰しに見えない方がおかしいわよ」
霊夢は魔理沙を弄りながらも、クッキーを口に運ぶ。
そのときに、アリスも戻ってきた。
「そう言えば、クッキーが焼き上がる前に、紅魔館のお菓子渡すわね」
アリスは袋を持ちながらそう言った。
魔理沙はその中身を覗くと、
「紅魔館をモチーフにした食べ物なのぜ?」
「そうらしいわ。味見して感想を聞かせてほしいそうよ」
アリスの発言前に、既に魔理沙は紅魔館型のお菓子を食べた。
「美味しいぜ!」
「それは良かったわ」
「「「――!?」」」
魔理沙でも霊夢でもアリスでもない声が、その部屋に聞こえる。
声のする方向を見ると、
「なんだ咲夜かー、びっくりさせやがって」
「びっくりさせて悪かったわね。霊夢、突然だけど、ちょっと紅魔館に来てくれない?」
「? まぁ、いいわ」
――よ。
その言葉を発する前に、咲夜は時間操作によって、まるで消えたかのように去った。
「なんだった、のかしら?」
アリスは呆然としたあと、そう言った。
「さぁ? それより私は早くアリスのクッキーを食べたいぜ!」
「そう? 分かったわ。そろそろ焼けた頃合いだろうしね。取ってくるわ」
アリスはクッキーを取る。
その後。
そのあと。
暫くアリスと魔理沙はガールズトークを続け、そして魔理沙も帰った。
アリスの家に残されたのは、アリスのみ。
アリスのみ。
二人のアリスのみ。
鏡の国のアリス・マーガトロイドと、魔法の国のアリス・マーガトロイドのみ。二人がアリスの家にいる。
鏡の中のアリスは泣いていて、鏡の外のアリスは笑っていた。