2話 狂暴ロジック
妖夢は自身の目を疑う。
限りなく咲夜で、限りなくこの世界の咲夜ではない。
まるで齢が十年以上も前になっているような容姿。
しかしそれは間違いなく咲夜だった。
体躯は幼女のソレであり、しかしながら咲夜の面影も何もかも、咲夜そのものだった。身体が幼くなって、しかしそれ以外は特になんら変化無しの咲夜だった。
「妖夢っ! ドアノブから手を離してっ!」
咲夜の声は怒号ではないが、しかし焦燥感は存在した。つまり、それは、この今の状況が至極危険だと言うことを表していた。
咲夜を妖夢は見ながら聞きながら、やはり自分の眼で捉えている存在を信じられなかった。
「ホントに……咲夜……なの?」
「咲夜よ。残念なことに……ね。
それよりもドアノブから手を離して。本当に……危ないから……」
幼い咲夜の声は高かったが、話し方、動作、何よりも咲夜らしさが残って――否、咲夜だという確信を妖夢はもった。
だからその忠告に、
「分かりました、咲夜さん」
一先ず納得。
そして、ドアノブから手を離……、
「…………?」
「……どうしたの、妖夢?」
「離れない……」
「えっ……?」
「ドアノブから手が離れない」
くっついていた。
完全に。完璧に。十全に。
妖夢はドアノブが吸盤であるのかと思ってしまうほどに手が離れなかった。
「……咲夜さん、ドアノブを破壊してくれますか……?
この扉の先……それを見てはいけないんですよね……?」
妖夢なりの解決案。
ドアノブを破壊すれば、扉は開かない。そして危ない目に遭わなくなる。
しかし、
「今の私は……ドアノブを破壊できないのよ。ドアノブを破壊する方法を持ち合わせていない……」
「えっ? どうして?
いつもの咲夜さんなら『咲夜の空間』からドアノブを破壊できるものを持ってくるじゃないですか……」
このような珍事の場合でも咲夜は臨機応変に対応できる。その対応力の高さの理由は、咲夜の回りの空間内を『咲夜の空間』に接続して、事件を解決できる物を取り出せるという部分にある。
『咲夜の空間』とは世界と隔離された自分だけの空間を、咲夜を通して擬似的に繋ぎ止め、咲夜があらかじめ保管していた物を取り出せる用途で使われる。
だがそれができなかったのだ。その理由は、
「今の私は……能力がほとんど使えない状況なのよ……」
「――!!」
「時止めも不可能、『咲夜の空間』にも接続できない。
唯一、時を遅める、速めるならぎりぎりできるけれど……」
咲夜のその告白は、妖夢に驚きを隠せない。
「それってかなりマズイですよね……」
「えぇ。だから妖夢のこの状況を私だけでは解決できない……」
深刻そうに答え、だから妖夢は提案する。
「じゃあ咲夜さん、すいません。私の刀……まぁ、どちらの刀でもいいんですが。それを取ってこのノブを斬れますか?」
「分かったわ」
そして妖夢の鞘から刀を取り出して、ドアノブを一太刀。
しかし火花は散っても、ドアノブは、
「……斬れないわね……」
「私は手が自由になれば斬れると思うんですけど……、やっぱり今の咲夜さんだと無理ですか?」
「貴方の場合、時を早くしないでも金属同士の衝突なはずなのにそれを斬れるほどの鍛練をしたことが意味不明なのよ。それは素人でも無理だし、時をある程度操れてもやっぱり無理よ……。
……ドアノブを斬るときに身体の時を操ってなるべく斬れるように努力はしたけれど、やっぱり今の私には無理みたい……」
「……では咲夜さんどうしますか?
やっぱり紅魔館の方々を呼びますか?」
それが最も良い選択肢だと考えている妖夢。しかし、
「……駄目。特に紅魔館にいるメンバーを呼んでは駄目よ」
「何故ですか?
……というか、今現在、何が起こっているのかイマイチ分からないんですが……」
妖夢は咲夜に忠告され――警告と言った方が正鵠を射る発言だが……。とにもかくにも妖夢は危機感をあまりもっていない。
それ故に思わずそんな言葉を口にした。
それを理解してかしていないのかは分からないが、咲夜は深刻そうに話す。
「端的に言えば、この扉を開くと別の空間に転移されてしまうの……。
そして、その空間ではヴァンパイアハンターヴァンパイアと対決されることを余儀なくされる。その相手は今の私じゃ絶対に勝てない。私と妖夢とで、もしかしたら勝てるかもしれない……それほどの相手よ」
妖夢は事態を反芻。咀嚼。
理解。理解。理解。そして、
「……マジですか……」
「……本当よ。さすがにここで嘘は吐かないわ」
確かに咲夜がここで嘘を吐くことは当然無い。
「……じゃあ……、もしもドアノブを引いたらもう……」
「当然、戦うことになるわ」
淡々と咲夜はそう答えた。
「そ……そもそもっ……!
咲夜さんは何故そんな身体に……」
妖夢は矢継ぎ早に聞かされた数々の
非常事態で、その質問が今の今まで頭に残っていなかった。それほど混乱極まる中にいた。
幼き咲夜は答える。
「一言で言えば……能力を『応用』し過ぎたからね。
特に最近は『身体の一部分の時間を過去に戻した』こともあったから、もしかしたらそれが一番駄目だったかもしれないわ。
私はとある用事でこの部屋に入ろうと思ったけれど、そこにいたのは吸血鬼狩り吸血鬼。
そして今さっき、この扉の向こうで吸血鬼狩り吸血鬼が私の能力を真似た……。相手は、私の時を操る程度の能力だけでなくその『応用』――空間を操ることも、時を過去に戻すことも真似てしまった。私は最後の力を振り絞ってその『空間』から脱出したけれど……今度は能力を『応用』し過ぎて能力に齟齬が起きてしまった……。その結果、私はこの身体になって、能力にはまったく齟齬がないものとなった。
もっとも、辻褄を合わせただけ。でもこれが一番あり得そうな話。憶測で言えばこの話が一番妥当に思えてしまうのよ……。あり得そうではないけれど、狂暴な発想かもしれないけれど、もっともあり得そうに解釈しようとすると……どうしてもこうなるのよ……」
妖夢は……暫く何も言えなかった。
考えられるだろうか?
咲夜の能力が暴走して、自身の体躯が幼くなっただけなら、まだ分かろうとすることができる。
ただこの場合。
明らかに異常なのは『相手』――吸血鬼狩りだ。
相手の能力を真似る。もしもそれが、一度でも見たものが条件ならば、いずれはすべての能力が使えるなどという馬鹿げたものをもつ存在になってしまうのかもしれない。
「それならやっぱり紅魔館の方々を呼んだ方がいいんじゃ……」
妖夢は恐る恐る聞いた。
「駄目よ。今度は相手に逃げられる」
「――? 逃げられる?
逃げられるならいいんじゃないんですか?」
「逃げられたら、今度は紅魔館のメンバーを暗殺する算段を立てて殺すわよ、きっと。相手は吸血鬼を狩るのが目的だから……。
そして紅魔館の誰一妖怪として連れてこられないのは私が能力を応用してお嬢様たちがどこにいるかのシステムを使ってしまっているから……。愚かよね。お嬢様たちに何かあったために追跡できるようにしといた方法が仇になるなんてね……。
もしもお嬢様たちがこの扉に来てしまえば絶対に逃げられる……。相手が待ってくれているのは、私だけがここにいて、復讐するのを返り討ちするためだけにいると考えた方がいいわ……。私だけなら、アイツは勝てると踏んで逃げないはずだから……」
「なら、幽々子様を呼ぶのが得策では……?」
紅魔館メンバーがこの扉に近づくだけでも駄目。それならば、そのメンバーでなければいい。
今日紅魔館メンバー以外だと、妖夢と幽々子がいる。しかし、
「それも……いいとは言えないわね。いえ、冷徹な感情で言ってしまえば、私は全くもって問題ではないけれど。
貴方は死ぬかもしれない場所に主を呼び出すというの?」
その言葉は、妖夢の心を抉った。
「……そう……ですよね」
主を自ら死地に晒すのは愚の骨頂。
それを妖夢は有無を言わさず提案した。その軽率な考えに、猛省する妖夢。
「それでどうするのかしら?
私は絶対にこいつを仕留めないといけない。でも仕留めるためには扉を開ける必要がある。つまり、申し訳ないけれど拒否権は無いと言ってもいい。それでも、敢えて聞くわ。
貴方は……吸血鬼狩り吸血鬼と覚悟があるかしら?」
妖夢は考えていた。
もしも自身が行かないのであれば、今の咲夜は簡単に死んでしまうのではないかと。
そして、妖夢は自分に扉の向こうにいる相手と戦う覚悟があるかどうかと、自問自答。
「……。……ある。
ある……!」
「そう。よかったわ。……ありがとう。
では行きましょう、妖夢。
扉の向こうにいる敵を見たらすぐ攻撃に移って」
「はいっ!」
ドアノブをひねり、扉は開く。
その瞬間、扉は消え――否、扉ごと『空間』に飲み込まれ、咲夜たちは紅魔館から消滅した。