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勇者の村で最弱でした  作者: イミゴ
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1 私、生まれましたわ!

初めて書きました!誤字脱字が多いと思います、教えてくれたら涙を流すほど喜びます。よろしくお願いしますっ。


正直…ここに居たくない。全力で帰りたい!いや、ここが今の私の家であるのだが、それでも帰りたいと思うほどには、居心地の悪すぎる状況であった。何言ってるかわからないと思う。だって自分でもどうしてこうなったのか分からないのだから、仕様がない。


そうだ私は先ほど光を見た。それは初めて見た様な白い光で、私を温かく迎えてくれる様だった。暗い何処かからようやっと出てきたという謎の達成感に包まれたのも事実だ。


その後は、それが使命であるかのように泣き尽くした。それにしても「おぎゃ〜〜!」という、まるで赤ん坊の声であった。その後は、疲れ果てたのか意識はいつの間にか底へと沈んでいた。


そして目覚めた今が、この状況なのだ。ベットであろうところに寝かされている私の視界一杯に人の顔があった。考えてもみて欲しい。起きた瞬間に人の顔ってどんなホラーだよ。それに体が動かん、ただ視界に入る人間の顔を見続けるしかない。


どうしてこうなった?いやそれは、さっきから騒いでる周囲の反応から何となくは分かっている。


私のほっぺたをその巨大な手で突いてはニコニコして、それが終わったかと思えば、別の人がそれをやるという始末である。私の手に指が当たれば、反射的に握ってしまうし、どんなに頑張っても、私の声帯から溢れるこえは、「あう〜」だとか、「ばっ」のみである。


ここまで言えばもうわかるだろう、私でも分かったぞ。


そう、私は赤ちゃんになっていたのだ。いや、それだと語弊があるな。生まれたばかりであるはずの『私』は、前世の記憶を保持したまま、転生してしまったということだろう。


正直私は、輪廻転生などこれっぽっちも信じていなかっただけに驚きであるが。


……って、それどころじゃない!手がうざい!仮にも生まれたばかりの赤ちゃんのほっぺたをそんなにさわんじゃねーよ。病気になったらどうしてくれんじゃ!私は嫌がっているのに、周囲はまるでそれを気にしない、というより伝わらない。


前世の私ならば、人間不信なので恐怖の顔を浮かべるところだが、今は赤ちゃんであるので、少なからずそっちに引っ張られてるのであろう。それに、恐怖よりも混乱が優っていたのだ。


こうなってみて初めて分かることだが、赤ちゃんというモノはつくづく不便である。


それというもの、感情表現が泣くか、笑うかしか出来ない。だから赤ん坊は、お腹が減った時、オムツが汚れた時、泣いて訴えるのだ。


しかも一人で寝返りが打てないのも、この上なく不便な要因の一つである。動かしてもらわない限り、天井しか見えないのだから。まあ今は、人の顔だけど。私の表情筋がもう少し発達していたら、絶対引きつっていると思う。


と、ここまでされるがままにして来て、気づいた事がある。


周りが話している言葉はどうやら日本語ではないらしい。意味不明な言葉を吐き出しては、皆で笑いあっている。英語でもないし、私はどこの国に生まれたのだろうか?


まあいい、そこはおいおい分かる事であろう。それにしても私の視界を動かないものが二つある。


化粧っ気はないが、クセのかかった金色の髪は、その美しい顔によく似合っていた。目は淡い紫で『地球』にこんな色彩を持つお方がいるのだろうかと疑問に思った。多分これが母親である事は間違いないと思う。隣にいる栗色の髪の爽やか系イケメンに肩を抱かれ、次々に来る来客全てから、何やら言葉をもらっていたようである事からもそれは理解した。この男性が父親だと思う…多分。


でもそれだとどうしても疑問が残る。それが母親であれば、産んだばかりだというのにどうして寝てないでこんな所にいるのかという事だ。前世の私は女と言っても確か最後の記憶は29歳独身であったので、出産はおろか結婚もしていないので判断がつきにくい事ではあるが、産後1日かからずに全回復するものなのか?しかし私を見下ろす顔は母そのものであるし、体調が悪いわけでも無理をしているわけでもなさそうだ。


とここでふと気になった事がある。私は男なのか女なのかという疑問だ。中身は女っ気がなかろうと独身を貫いてこようと、『女の子』なのだ。これで体が男だなんて言ったら、大変な事になりかねない。自分自身その性を受け入れられないし、周りにもおかしな目で見られる事は、まず間違いない。


このように気にしたところで体が動かないし話す事だできないのだからどうする事もできない。話ができたところで、何語であるのか私にはわからないので、結果は変わらない。


だが、前世から 苦手としていた「返事を要求される事」はない事だけは、有り難いと言わざるをえない。ほっぺたをこねくり回されながらではあるが、こうして思考の奥に耽る事も出来ている。


だが帰りたいと思ってから既に1時間は経過しているように思う。この際触られるのはもういいから、そろそろ何か情報が欲しいものである。


と私が考えていると、突然脇の下に手を入れられ、抱き抱えられた。やはりそれをしたのは母親(仮)だった。


何のため抱っこされているかはわからないが、これ幸いと眼球をフル活用させ、情報をくまなく探した。


並んでいる人が少なくなっていたから、ようやくひと段落ついた事は理解した。他にも何か手掛かりを探していると…


突然、私の唇にふにゅっとした柔らかい感触が当たった。すぐに理解できてしまった私は、すごく複雑な心境にさせられた。


そう、『授乳』であります。生きるために必要であります。やるしかないのであります。赤ん坊は、食事の時間を選べないのであります。そう、これは仕方のない事と分かっているのですが、チョー恥ずかしいです!


ですので感想とか野暮なことは聞かないでくれ、頼むからっ、ね?


もし私が男だったらどうするんですかね?私の母親(仮)は美人ですよ?って言ってもさっきからほっぺたツンツンしている人達も全員もれなく美男美女なんですけどね。どうなってるの?この村。顔面偏差値な!


ん?待てよ。私の両親(仮)は美しい、ならば私も美しいのではないか!?男だろうが、女だろうが美しいのであれば念願の夢が叶ったというものだ。何この村素晴らしい!


前世が何においても平々凡々だっただけに、美しさが保障されただけでも心持ちが全然違う。これで努力次第ではいじめられる事もないだろう。


いや待てよ?村人全員がもれなく美しいのだ。出血大サービス、イエーイ。


じゃなくて、ならばいじめられる可能性も出てきてしまうのではないか。それでは困るが、今はまだ赤ん坊だ。気にすることはないと信じたい。


気にしだすとそれは面倒なことになる性格の持ち主である私ですのでこう考える事にいたしました。


「見渡す限りイケメン、ショタからダンディーなおじ様までより取り見取り!天国でございます!」とね。


この様にわざと思考に巡らせている間にお食事は終わりました。しかし、男性などもいるのに授乳始めるなんて正気じゃないぜ。周りも気にしてないし、自分が可笑しいのかと不安になってくる。マジでやめてくれ。


とまあ、食事が終わったからか、船を漕ぎ始めた私はあえて抵抗する事もせずそのまま眠りました。明日になったら、これが夢でしたなんてオチにならないかなー。


切実に。



***



はいっ。夢オチじゃなったですねえ〜。

とりあえず言っておきたいことは「暇だぜ!」赤ちゃんってとりあえずやる事がなければ、できる事もない。


その代わりなのか、本当に3時間周期で腹が減るのだ、自分の意思ではなく泣きじゃくる。でないと腹が満たされないからだ。体は正直だって事だね。これも仕方のない事だ。この国にもオムツの様なものはあるみたいだ。それを変えて欲しい時もそれは泣きじゃくる!あれは気持ち悪いなんてものじゃないぞ、って止め止め。仮にも私は女でありましてよ、オホホホホ。


本当母親って大変だなぁとつくずく思ったね。自分のせいなんだけど、どこか他人事の様に感じるからふしぎだね!まあそれらを行うか泣きじゃくるか、笑うか寝るか、天井を見るかしか本当にやる事がないのだ。いと徒然なりですよ。私は昨日の今日で既に暇を持て余していた。


前世の記憶がまだ鮮明な今のうちに振り返っておこうと思う。そこからこの国の事も分かるかもしれないと、淡い希望を密かに持ちつつ。


そうだな。何から思い出すべきか。

私の名前は戸田真白。女子に生まれた一人っ子だ。日本人らしい黒の髪をハーフアップにし、常に前髪が視界を覆っていた。もちろん家で本を読む時はピン留めで止めていたけれど。


顔は平凡ならばまだよかった。しかし病的なまでに白い肌に、やせ細った体。目は一重で細長く、昔から言われ続けていた「妖怪砂かけババァ」というのも自分で納得してしまうような容姿であった。


そう、私はブスだったのだ。ギャルゲーで良くある、『大人しめな本の虫の図書委員長』なんて可愛いものじゃない。恋をして、化粧をし、オシャレなんかしても絶対に可愛くならないと自信を持って言える。


そう、たとえ私が『元気いっぱいで明るい女の子』だったとしても、顔がブスなのだ。いつかは絶対にいじめられるだろうし、からかわれ馬鹿にされるなんて目に見えてる。


美しくないだけでなく、昔から引っ込み思案で人見知りで、友達と接することや学校で、発表するものとにかく苦手であった。それはもう、日直で話すのも大変でよく、「早く始めろよ!何がそんなに言えねーんだよ!?」とクラスのイキってる男子に言われたものである。


そんな私はもちろんいじめを受けるわけで、小学校に入学した辺りからすでにいじめられていた。でも今思い返してみると幼稚園でも1人遊びばかりをしていた気もする。


いじめと言っても幸いなのか、過激派はいなかった。席を移動する時に「あいつの席かよ、汚いっ!」「俺の席座るなキモイ」と言われたり、わざと友達に押され私にぶつかり「真白菌だ!きったなー!」とか言うやつだ。


それでも言い返せない私は毎日訪れる小さな嫌がらせをただひたすら耐えるしかなかった。家の中でも私の居場所はなかった。虐待を受けたわけじゃない、親が共働きで忙しかったわけじゃない。それでも物心ついた時には既に、話しかけても無視されていたのだ。


親からの愛情なんて何一つ感じたことはなかった。


私に兄弟はいない。父は働き、母は専業主婦だった。それでもやはり親との思い出は何一つ無かった。


その寂しさを埋めるかのように私は小説を読みあさっていた。特にファンタジー小説が大好きだった。私とは違うキラキラした主人公や、可愛いヒロイン、何よりも魔法に心惹かれた。小説の中はいつだって夢であふれていたし、ドロドロな展開であっても最後はどこか納得のいく内容で終わるものが多かった。辛い現実から逃げるのには最高のアイテムだった。


中学に上がるとそれは過激派が増えてきた。靴に画鋲が入ってたり、ものが盗まれたり、トイレをしてたら上から水が降ってきたりとテレビでよくみる奴は一通りやられた。


小学校の時に薄っすらと庇ってくれた人も、巻き込まれたくないと無視するようになった。こうして私は完全に孤独で人を信じる事ができなくなった。


未来が何も思いつかない。キラキラした笑顔で自分の将来の夢を語る周りが信じられなかった。未来なんて考えても、タラレバを考えても絶望という感情しか湧いてこなかった。


担任の先生もいじめを見て見ぬ振りをするようになり、家での孤独も続いた。私は完全に居場所をなくし、自分の存在の意義を疑うようになった。


それでも学校に通ったのは、小説を読むためだった。親はお小遣いをくれる。月に千円だ。しかしお正月とお盆には祖父母からお金を貰えたから、多少は蓄えがあった。


というのも父方の祖父母は唯一私に優しくしてくれた。そこが私の居場所の全てであり小説の次に心の拠り所だった。そんな私は家の近くの古本屋さんで有り金全てを本に費やした。それでも1日に一冊は読んでいたので足りるわけがない。


それに近くに図書館がなかった。公民館はこじんまりしていて本はあまりなく、読みつくしてしまったのだ。その代わりなのか中学の図書館はそれなりに大きかった。それを借りて読むためだけに学校に通っていたのだ。


高校を受験する前に、三者面談があった。そこで初めて親子らしい会話をしたものだったが、遠くの学校を受験することにした。いじめられていた事もあるが、その学校の図書館が県内で指折りで大きく綺麗で有名だったからだ。


家から14キロ離れていて、引きこもりだったので体力はなく、私は電車で通った。もちろん合格した。知り合いはほぼいない状態でスタートしたものの、小学校に戻ったような気分だった。


私は居ないものと扱われた。私だけ提出物で抜かさせる事も、1人だけ名前を呼ばれない事もしばしばあった。そんな事だから私の「あがり症」「コミュ障」「人間不信」は続いた。


自分に自信など持てなかった。自分を好きになどなれなかった。それでも私がここまで自殺をしなかったのはメンタルが強いからではなく「チキン」だったからだ。


死ねなかったのだ、怖かったのだ。死ぬのも勿論怖いが、私がいなくても誰の記憶にも残らないという事実がとてつもなく怖かった。理解していたようで、してなかった、『死ぬこと』というものの本当の意味を13歳で悟ったのだ。


その時私は、明日の分の声も奪われてしまったかのように喉が熱くなり、枯れた。誰にも気づかれず、私はよく泣いた。声にならない声を、誰にも言えない思いを、涙で流し出した。


高校3年の秋、いよいよセンターが近くなってきた頃だった。父方の祖母が死んだと聞いた。その年の冬に祖母を追うように祖父も亡くなった。


私は最低な事に、祖父母が死んだと言う悲しさよりも居場所がなくなったという絶望感の方が私の心を占めて居た。私はそれなりに勉強して居たものを全てやめ、母に許してもらった大学を受けず、遂に引きこもりのニートになった。


お金はイラストレーターとして稼いだ。中学に上がった頃から漫画にはまり、オタク道を極めて居た私は、多くの人と同じくイラストを描いて居た。漫画にハマる人は一度は絵を自分でも書いてみたくなるものでしょう?


最初は悲惨だったが、友達のいない私だ。時間は有り余るほどある。自分で言うのもなんだが、割とうまく描けるようになっていた。高校に入って祖母に買ってもらった形見であるパソコンと自腹で買った液タブで、その時間を惜しみなく使い、描き続けた。


引きこもっても両親は私に何も言わなかった。私に関心がない両親は、最後まで何も言わずに高校と同じ毎月5000円をお小遣いとしてくれ、朝昼晩とご飯は運んできてくれた。


私は「関心がないと思っていたのは単なる私の思い込みなのではないか。こうして欠かさずご飯をくれるのだから、私に関心があるからなのではないか。」と思わなかったわけではない。


でもその雰囲気を見ると、自分とご飯を食べるくらいなら、持って行ってやるから話しかけるな。と言う感じであった。


その食事と、お小遣いは愛情ではなく、線引きだったのだ。


24歳の頃だったと思う。またまたオタクの例に埋もれず私が投稿した小説が入賞した。賞金とともに某小説アプリで、週連載される事となった。


私の心の拠り所が、多くの人に受け入れられたのだ。嬉しくて嬉しくて、涙が溢れでた。嬉しくて出る涙を知らない私は、初めこれが涙だと気づかないくらいであった。苦しい涙と違い、嬉しさ故の涙は、私の心を満たしてくれた。私はあの涙を一生忘れないと誓った。


そんな日常を送っていたある日、その小説の書籍版が出る事になった。


私はイラストも嗜んでいたので、そのイラストのデータと、私の手作りの菓子折りを持参して出版会社へと出向いた。


その時はコミュ症よりも、私の小説を読んでくれた読者の要望に出来るだけ応えたいと言う気持ちが優っていた。その気持ちだけで、私はそこに自分の足で立っていたのだ。編集者と話すのは怖いけれど、私の小説なんかの為に頑張ってくれているのだ。お礼をしたい、私も頑張りたいと初めてそう思えた。


上ずる声を馬鹿にされる事なく、緊張しながらもその会議を終えた私は、本を片手に家の近くの河原にあるベンチに腰掛けた。


ちなみに菓子折りはパウンドケーキとクッキーで、割と好評であった。


穏やかな夕方であった。暑さはまだ少し残るものの川のざわめきや、桜の木陰が気持ちよかった。私はやはり読書を嗜んだ。視界の端に揺れる木漏れ日が心地よく、その中で読む本は同じ本でもなんだか特別な気がした。この幸福感のためだけに今までの辛い人生があったのだと思っても納得できるほどに、私の心は満たされていた。


多くの人が望む幸せの形ではないかもしれない。理解されないかもしれない。それでも私は人生で最高に幸せで、これ以上望むものは何もなかった。


そんな心の余裕が私をそうさせたのだろう。帰り道に、交通量の多い道路のど真ん中で少年が転んでいた。迫り来るトラックの運転手は居眠り運転しかけていて、とても気づいている様子はなかった。それを一瞬で確認したと同時に、私は少年を歩道に投げ捨てていた。咄嗟のことだった。少年は投げた勢いで怪我したかもしれない、ごめんね。もちろん私も逃げようとしたけど、間に合わなかった事はその後訪れたこれ以上ないほどの痛みが物語っていた。


私はブスニートの29歳独身女性のまま日本での生を終えたのだ。


もちろんそれに悔いはない。それなりに良い人生だったと思える。うん、こんな人生だったわ。思い出したからと言って、状況が何一つ理解できないというのも悲しいものであるなぁ。でも今の事で、一つ心に決めたことがある。



…それは、友達を作るというとこだ。


赤ちゃんって絶対暇ですよね。


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