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宿り子 (後編)


 シュヴァルツカッツェ家の屋敷内にある円形の礼拝堂に、異国の音楽が鳴り響く。

 フィー、という笙しょうの楽の音。合間に入る、しゃん、しゃん、という鈴の音。

 いにしえの楽器を奏でる楽団員は、みなゆったり袂のある裾長の服をまとっている。


「きれいだ……」 


 背の高い貴族男は、舞台の上で楽団と同じような形の衣をまとっていく少年をうっとり眺めた。

 下着である襯衣しんい一枚だけであった少年は、ずらり居並ぶ親族たちに額の印を見せつけながら、介添えの手で幾枚もの衣を重ねられていった。結い上げた黄金色の髪に金の葉を模した額飾りがきらめく。腰につけられた長い裳布が大理石の床に美しくたなびく。

 始祖アテルフェレスの生国、(すめら)の国の伝統衣装だ。

 着付け終わると、神楽の音色が響く中で儀式が執り行われた。

 (すめら)の国の神官衣装をまとった当主ヘイマオが、舞台にしつらえられた象牙の椅子に座す少年の髪に櫛を入れる。本来ならば本家の子女は三歳までは剃髪でなければならず、この儀式の後に髪を伸ばし始める。

 次の儀式は本来なら五歳の時に行う袴着の儀で、少年は参列する者たちの前で子供用の下衣から大人用の袴に履き替えさせられた。

 最後は七歳の時に行われる帯び締めの儀で、少年は袴を穿いたその上に絹織りの錦帯を締められた。当主の手で結ばれ、長い裳布の上に垂らされたそれは、あたかも天の星河を打ち流したようであった。

 長い袂を垂らす両手を広げ、当主はずらり居並ぶ一族の者どもにむかって厳かに告げた。


「これより続けて、宿り子の元服の儀を行う。我シュヴァルツカッツェ家第二十八代当主ヘイマオは、我が息子幼名アデル・シュヴァルツカッツェを次期当主とし、精霊の導きにより新たな名を名づけるものである。すなわちこの者は本日より――」





「バオマオ。変な名前だ」

「……」


 世話役の男は寝床の中で片肘をたて、金の髪の少年を抱き寄せた。少年はまぶたを閉じ、深く寝入っている。

 儀式の日から三日、長々と祝宴が開かれた。百人をはるかに超える一族と交流して疲れたのだろう。すべての客を送り出して寝床に入るなり、すとんと眠りに落ちてしまった。 


「スメルニアの言葉とはいえ、全くセンスがない。アデルの方がまだましだ」


 隣に寝そべる男は目を細め、少年の黄金色の頭に口づけた。眠る少年の夜着をするりと剥がし、細く白い背中に唇を這わせる。

 その鋭い目の隅に、壁に飾られた墨文字が映った。当主が少年に命名した時、かぐわしい香りのする板に墨筆で一気にその名を書いたものだ。それはいにしえの(すめら)の国の文字で、大きく「宝猫」と書かれていた。


「まあ、たしかに宝ではあるが」


 男は仄かに口元をほころばせ、ひくりと動いた白い体に腕を回した。


「美しい子……この家を手に入れたら……本当の名前で呼んでやる」 


 ふっと手から飛ばした魔力で灯り球を消す。白い体のぬくもりを感じながら、男はまぶたを下ろした。

 ほのかな幸せを感じながら。





 さんさんと降り注ぐ木漏れ日の下。

 うわあ! と娘が大きな目を見開いて、切り株の上を眺める。

 赤毛の青年は狂喜する娘を膝に乗せ、ぐりぐりとその金髪の頭を撫でた。


「どーだ? すごいだろ? 池で魚を釣ったんだ」

『釣ったのは私です。波動で発破をかけました』


 切り株のそばに置かれた青年のリュックの中から、折れた剣が卒なく訂正する。


「今日は、カーリンがママと出会った記念日だからさ。ごちそうを用意したんだ」 


 切り株の上には、巨大な蒸し魚。香りよいキノコとともに大きな葉にくるんで調理されたもので、ほわほわとおいしそうな匂いの湯気がたっている。魚の隣にあるのは、銀花の根っこの蒸し焼きとほろほろ鳥の丸焼きだ。ねっとりとして甘い球根は、狼たちが匂いをかいで場所をつきとめて掘ってきたもの。ほろほろ鳥は、牙王が見事に仕留めてきたものだ。

 わきあいあいと賑やかな宴が始まった。

 娘はたらふくご馳走を食べ、狼たちとぐるぐる舞い踊った。

 青年は、かわいい娘に贈り物を贈った。それは木の実の汁でかかれた木の皮に描かれた絵で、娘と、青年と、金色の狼の似顔絵だった。

 娘は大喜びで、その絵をきつく抱きしめた。


「パパありがとう! すてき! とってもすてき!」 


 木漏れ日の下に、明るい笑い声があふれた。いつまでも。いつまでも……。





 体がだるい……。

 黒服の男は、うつろな目で周囲を見回した。

 湿って寒い、暗い地下牢。数ヶ月、ここに閉じ込められたままだ。

 少年アデルの儀式を終えてから、三年待った。

 当主が病に倒れて、ついに「好機」が訪れた。

 当主の杯に薬と偽り毒を仕込んだ。

 しかし――すぐにばれた。黒服の男がアデルに埋め込んだ精霊は、激昂した当主の精霊に勝てなかった。

 男と少年は当主の魔力に打ちのめされ。引き離され。囚われた。

 当主は餓死させたかったようだが、精霊の加護が主人である男を護ってきた。

 しかし先ほどから、体の調子がおかしい。息が苦しい。どっと何かの反動が来たかのように体が重い。幻が見える。

 金の髪の少年が、鉄格子のむこうに見える。いや、これは……


「幻じゃない……?」

「いっしょにきて」


 アデルが、そこにいた。その美しい黄金の髪は初めて会った時のように長く伸びていて、白い夜着には血がついていた。

 その身なりと、彼が両腕に抱いているものを見たとたん。男は呆然と少年の本当の名前をつぶやいた。


「アデリア……!」

「おねがい。いっしょに逃げて」

「みごもっていたのか?!」

「う、生まれたの……ついさっき……」  


 少年――いや、少女はわっと泣き出した。当主は、待っていたのだという。少女が孕んだ子が生まれるのを。


「あなたの血を引いてるから、もしかしたらシュヴァルツカッツェの印が出るかもしれないって……そうしたらこの子だけは許して次期当主にしてやるって……。で、でも、印が、出なかったの……!」


 当主に産み落としたばかりの赤子をとりあげられそうになったとき。あたりがまばゆく輝き、牢の扉がはじけるように破れた。それで少女は逃げ出してきたという。

 男はまじまじと少女を見つめた。

 額にあるべき印が、ない。


「……お館様は?」

「扉といっしょに吹きとばされたけど、きっと気絶してるだけ……」

「おいで」


 男は、少女と赤子とともに屋敷から逃げ出した。

 なぜか顔がほころんだ。心が嬉しさと幸せに満ちた。

 この由緒ある家を乗っ取りたかったのに。莫大な富と権力が欲しかったのに。赤子を抱いた少女を見ると、そんなことはもうどうでもよくなった。

 いや。もっと以前から変化は起こっていたのかもしれない。牢の中で毎夜ひそかに、いとしい子の無事を祈っていたから。


 そう。いとしい。この少女は、何よりもいとしいもの。


 きっとこれが、本当にほしかったもの。そうにちがいない。

 しかし少女は子を生んだばかりだ。それに、額の印が消えている。体がもつだろうか……。

 男は母子を連れ、近くの村に逃げ込んだ。いくばくか金子を持ち出せたので、その日だけは旅籠に泊まれた。


「なんとかわいい赤子だ。ちょっと描かせてくれるかね?」 


 そこで画家だという泊り客に、絵を描いてもらった。「家族三人」の絵だ。

 父親と、母親と、赤ん坊の娘。 


「すてき……!」


 母親は目に涙を浮かべ、大喜びでその絵をきつく抱きしめた。

 だがその夜。

 「家族」は当主の追っ手に見つかり、森の中へ追い込まれた。敵は漆黒の影のような、この世ならざる恐ろしいものどもだった。

 子を生んだばかりの少女は、衰弱激しくいくらも逃げられぬうちに倒れた。

 やはり精霊の護りは、少女から消え去っていた。

 そして、男自身からも……。

 男は、確信した。

 おのれが少女の中に閉じこめた精霊が仕返しをしたのだと。

 精霊は二人の赤子として生まれて、二人からすべての恩寵を取り去ったのだと。

 そう。これは――



 天罰。



「おねがい。この子をつれて……にげて」

「すまないアデリア……私も……もうだめだ」  


 男は赤子と少女の上に覆いかぶさり、護るようにして倒れた。

 直後。

 この世ならざるものどもが不気味な咆哮をあげ、襲いかかった。

 親子の命を奪うために。 





「いやあああああっ!」 


 突如起ったすさまじい泣き声に、赤毛の青年は干草のベッドから飛び起きた。

 火がついたごとく娘が泣き出している。目を見開き、ぼろぼろ涙をこぼしている。

 ごちそうを食べて、狼たちと踊って、青年が贈った似顔絵を抱き締めて、とても幸せな気持ちで眠りについたはずなのに。怖い夢でも見たのだろうか。

 牙王がおろおろと娘を抱き締める。



「あたし、たすけなかった!」 



 娘は、贈り物の絵をぎりぎり握りしめて、金切り声をあげた。


「パパとママ、たすけなかった!!」


「カーリン?」 


「あたし、ぜんぶみてた……でも、なにもしなかった! あたし、ひどい! わるいこ! わるいこ! すごくわるいこ!!」


 娘が恐ろしい悲鳴をあげるなり。ぶわりと、その体から風が巻き起こった。

 その風がどす黒かったので、青年は息を呑んで固まった。何かが娘に取り憑いたのだろうか? とっさに折れた剣をリュックから取り出す。


「ぎゃいん!」


 牙王が黒い風に吹き飛ばされて、キャンキャンと狼たちが尻尾を巻いておびえる中に転げ落ちる。


「パパ! ママ! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! うあああああん!」


 びき、と大きな切り株に亀裂が走る。干草のベッドがぼうぼうと舞い上がる。


『あの子の内から波動が出てます』 


 折れた剣が冷静な声を発した。


『これはあの子の力です。抑えるのは不可――』

「うわああっ!」


 青年は空に舞い上げられた。彼だけではなく。周囲のものがみな、吹き飛ばされた。

 牙王も。狼たちも。切り株も。周りの木々も根こそぎ吹き飛ばされた。

 娘から流れ出る暗闇の風が渦巻き、大きな円形の膜を作った。


「カーリン!!」 


 あたかも結界のごときその膜の中に、みるみる漆黒の闇が満ちる。

 どろどろと、汚泥のように。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 闇の中で娘は泣き続けた。泣いて許しを乞い続けた。

 泣きながら、どんどん作り上げていった。

 だれにも壊せぬ、巨大な闇の珠を――。



「カーリン……カーリン……!」


 森を削り呑み込んだその珠に這い寄り、青年は叫んだ。


「ちくしょうなんて硬さだ! カーリン! 出てくるんだ! カーリン!!」


 狼とともに何度も珠を打ち叩きながら、叫んだ。

 いつまでも。いつまでも。あきらめることなく……。



 かくして青年と狼たちは、闇の珠から娘を救い出そうとあらゆる手を尽くすことになるのであるが。

 それはまた別の、長い長い物語である。 




 宿り子 ――了――



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