見者アドウィナ
こんこんと白い雪が降る中、大広場に弔いの鐘が鳴り響く。
正面にそびえる王宮から聞こえるそれは、悲痛な悲鳴のようだ。
嗚咽のごとき、重く低い音色。聞けば聞くほど憂鬱になる――
西の大国エティア。
王都エルジにて王が急逝したのは、王都で雪まつりが開かれた直後のことであった。
民は喪に服せよと布告を受けた。
まさかあの英雄王が身罷るなんてと、エティアの人々は驚愕し、嘆き悲しんだ。
王は若かりし頃から大国スメルニアとよく闘い、よく勝利を得てきた。
白の盟主や魔王とも果敢に対峙して、輝かしい武勲は数知れない。
異国にとっては度しがたい難敵。ゆえに刺客に襲われたことはこれまでに幾度もあったが、王宮の守りは堅く、蛇の妃に認められた守護の騎士もいる。だからよもや戦場以外の場所で、しかもよりによって自身の王宮の敷地内で殺されるとは、だれもが予想だにしなかったことであった。
蛇のお妃は半狂乱となってひどく暴れ、守護の騎士によってなんとか鎮められた。
王宮の屋根はその時の騒動でこぼたれたままで、いまだ煙をあげている。
「とにかくも、この葬礼は略式です。正式なるものは、下手人の首を捧げまして、太陽神と合祀されます陛下の御霊を鎮める、という形で行わねばなりませぬ」
王室の祭礼を司る神祇官がそう主張したので、赤毛の守護の騎士は臣下団から犯人検挙を急げと催促された。
犯人の首をなんとしても手に入れろ、という要請を受けたものの、騎士は途方に暮れた。
昨今の情勢をかんがみれば、黒幕はおそらく、長年の宿敵スメルニア。かの国はこれまで、あの手この手で王の命を狙ってきた。下手人はきっと、スメルニアが雇った刺客であろう。
なれども王の遺体はきれいで、ほとんどどこも傷ついていなかった。ただ一カ所心臓にごくごく小さな刺し傷があり、そこから血が流れ出ていたのだが、王の体に穴を開けた武器と思われるものは、なぜか王の手に握られていた。
針のような剣。刀のような刃をもたぬ、ただただ先端のみが尖っている突剣である。
それは王が常に、衣の隠しに忍ばせていた愛剣であった。
状況的には王が自死したともとれる。なれども、今この時、王が命を絶つ理由など露ほどもない。
「ふむ。それで過去見の技を、この剣にかけてほしいと仰るのかえ」
鮮血が洗い流された床を眺め下ろしながら、黒い衣をまとった老婆がしわがれた声を発した。
緑のマントに広刃の剣を負う赤毛の青年は、そうなのですと首肯した。
「目撃者がいません。召使いも衛兵も、首を横に振るばかりなのです。陛下は護衛を連れず、ひとりでここをお通りになっていました」
雪まつりの会場へいたる、薄暗い通路。
床は石畳。石組みの壁。右手に庭園が見える窓がずらり。楽々そこから人が侵入できる大きさだ。
下手人は雪まつりの会場に紛れたか、それとも庭園に出て、こそりと逃げたか。
「分からないのです。足跡ひとつ、残っていませんので」
騎士の青年が困り顔で、王を殺めた剣を黒衣の老婆に差し出す。
「なのでどうか、あなたの御技でお願いします。その日この場で何があったのか。この針のごとき剣から、読み取ってください」
鐘が鳴る。
哀しみの悲鳴をあげている。
英雄王はもう戻ってこない。棺は封じられ、王家の墓地に運ばれた。
王の無念を語るのはただひとつ。その場に在ったものだけだ。
「灰色の技師ピピ様のご紹介にて、急遽あなたを呼んだのはそういうわけなのです。大いなる見者、アドウィナ様」
任せよと、老婆は騎士から先だけ尖っている剣を厳かに受け取った。
「血糊は拭いておるまいな」
「はい。なにも手をつけてません」
「よかろう。では、見てみよう」
鐘が鳴る。
怒りの叫びをあげている。
守護の騎士は老婆に深く頭を下げた。唇を噛み、哀しみをこらえながら。
「よろしくお願いいたします」
無機質なるものにも、魂が宿る。
大陸の北部では、そのような信仰を持つ国がいくつかある。
人や生き物と同じように物にも霊が宿り、何もかもを記憶するのだという。
特に逸品の技物、質の良いものは、記録箱のように膨大な情報を保持するのだと信じられている。
『つまり私のように、情報を蓄積するわけですよ』
と言ったのは、騎士がかつて持っていた聖なる剣だ。
かの剣は現在北の果ての寺院に封印されているのだが、ウサギの技師が先日そこへ赴いて、封印所にもろもろの遺物を置いてくるついでに、彼と会見してきた。
そのとき二人――正確には一匹とひとふりは、しばし、物に宿る御霊についてしごく高尚な談義をしたという。
聖なる剣は鼻高々と、自信満々にこうのたまわったそうだ。
『良い品々には記憶を保持する力があります。まあ、私のように尊い魂が在り、こうして意志が在り、海溝一万パッスースへも届く精神波を発して人と交信するという超高性能なものは、希少でほとんどいませんがね。でもなんのへんてつもないコップだって、何年分という情報をためこむことができますよ。形在るその組織の中に、とくに音が、刻み込まれるのです。それを外に引き出すことはとても難しいことですが、不可能ではありません』
黒き衣の導師とか。北の国々の占い師とか。
『見者と呼ばれる術師たちならば、ものにこめられた記憶を読むことができます。ピピ様にもできると思うんですけどねえ』
ウサギの技師が、自分にはおそらくできないことだと苦笑すると、剣はひとりの老婆の名を口にしたそうだ。
『黒き衣のアドウィナ。史上唯一の、女性の黒の導師』
かつて赤毛の騎士が持っていた聖なる剣は、それからうっとりえんえんと、アドウィナの勲詩なるものを歌いあげた。
アドウィナこそは、女であることを隠して北の果ての寺院に入り、性別がばれて追放されるまで、黒の導師の長老を務めていたほどであったという。
あわれなるアドウィナ
争いに敗れしその衣は引き裂かれ
白き肌があらわとなりて
万人は知る
そはまごうことなき、才ある乙女であったと
あわれなるアドウィナ
争いに敗れしその後は院を追われ
北の国の王に雇われて
万人は知る
そはまどうことなき、力ある竜殺しであったと
『私の記録によりますと、倒した竜は十五匹。しかしなにより、神獣パルグーンを御したという武勲の持ち主であられますよ。いやあ、パルグーンって、竜よりも怖い生き物ですよねえ。尻尾はサソリで体は獅子で、毒の棘を放つ翼を持ってて、貌はグリフィン。ええ、人工の合成獣、キメラです。いやあ、そんなものを倒すなんて、黒の導師のなかでもなかなかいないんじゃないかと』
『そうだねえ、それが本当のお話だったらね』
『本当ですよ。私そのとき、そばで目撃しておりましたから』
『おっと、そうだったのか』
『アドウィナは当時、私の主人の旅仲間でしたからねえ』
そのようなことがあったので、守護の騎士が王を殺めた犯人を捜さねばならないということになったとき、聴取を受けたウサギの技師はすぐさま、見者アドウィナのことを思い出したのであった。
「剣曰く、彼女と共に旅をしたのは、第二十二代目の主人の時だってさ。かれこれ三百四十五年前になるとかなんとか言ってたなあ」
「さんびゃく?」
赤毛の守護の騎士はびっくりしたが、不死のウサギはぴんと長い耳をたてて、こともなげに答えたものだ。
「黒の導師のなかでも、黒き衣のアドウィナは不死の技を極めたすごい人さ。俺の弟子だった黒き衣のルデルフェリオなんかと双璧の、ご長寿番付最上列組だよ。今は天に浮かぶ小島のひとつに隠居してるけど、連絡したら来てくれると思う」
「お知り合いなんですか?」
「まあね。そんなに親しくはないけど、ルデルフェリオ経由で一、二度、会ったことあるよ」
「助かります。どうぞよろしくお願いします」
かくて赤毛の騎士はエティア王室の名のもとに、見者アドウィナを招聘したのであった。
「不死を極めたのなら、蘇生の技などもご存じなのでは」
騎士は始めに望みをかけて、黒衣の老婆にそう聞いたのだが。それはできぬと、アドウィナは顔の皺をさらに深めて、同情のまなざしを返してきた。
「我が不死であるのも、呪いのようなものですのでな。天命を覆すことは、おそろしうて、とてもできることではありませんからの」
「まあたしかに、世の理を覆すというのは、並々ならぬことと思いますが」
「もっと容易であれば、我はこのような姿で生き恥をさらしてなどいませんぞ。うら若き乙女の姿で何千年も生きるが理想であろうに、それは我にはかなわなんだ。竜蝶の血なぞ、少しも入っておらぬしの」
しわくちゃの貌。丸まった背中。
老婆の姿を見て、赤毛の騎士はただそうですねと、うなずくしかなかった。
鐘が鳴る。
嘆きの音を聞きながら、アドウィナは仕事を始めた。
『歌え、音の神』
石畳の回廊にたちまち魔法の気配が降りてきた。きんと張り詰めた空気が満ちていく。
アドウィナが骨張った両手に乗せた突剣に命じたとたん、守護の騎士は息を呑んだ。
りんりんと、剣が歌い出したのだ。
澄んだ音が流れ出し、ふるふると細い刀身が震える。
目を閉じた老婆がその音に合わせて歌い出す。
ひび割れた老婆の歌声は、喋り声とはまったく違っていた。
「な……これは……まるで、小鳥のような」
びっくりするほど滑らかで、まるでうら若いが歌っているかのよう。
剣が醸し出す音と絡み合い、なんという音色を放つのか。
ああ、鐘が鳴る。まるで伴奏のように。
三色の音が混ざり合い、あたりの空気を震わせる。
老婆が両手で掲げる剣が、仄かに光っている。うっすらと紅の色に、あたかもあの、黄金竜の柄を持つ、あの聖なる剣のごときに。
剣がりんりん歌う。
なんと美しい歌だろう――
愛されしものよ 我に示せ
時の中に埋もれたものを
汝が最後に見たものを
涙か笑いか
怒りが喜びか
汝が最後に感じたものを ここに示せ
気づけば赤毛の騎士は、激しく拍手していた。
老婆が歌うのを終え、剣の音が鳴り止むなり、すばらしいと叫んでいた。
もう一度聞きたいとさえ思い、そう願おうと口を開きかけたとき。
見えましたぞと、老婆がにっこり微笑んできた。
ああそうだった、王を殺めた人が誰か見て貰っていたのだったと、赤毛の騎士はハッと我に返った。
「それで、剣から読み取れたんですか?」
「はい、しっかりと。とても良い打ち物ですのでな、鮮明にこの剣の記憶が見えましたぞ」
老婆はうなずき、骨張った両手を突き出して、騎士に剣を返した。
「雪まつりの日。王はこの通路をお通りになられ、それからおもむろにこの剣を懐から出された。そして、これで思い残すことはないと仰った。その直後、ご自分で剣を胸に突き立てられたのじゃ」
「えっ? ま、待って下さい。ということは……」
「そうじゃ。エティアの武王陛下は、自殺をなさったということじゃ」
「そんな……嘘でしょう?!」
老婆は信じられないのならそれでよろしいと、穏やかに返した。
「実際にそなたも見られたらよろしいのじゃが。とにかくも私が見たのは、そういう光景であった。納得できねば、報酬は払わずともよいぞ」
鐘が鳴る。
嘆きの音が騎士の背をみしみしと打った。
「まさかそんな。陛下が自らなんて、一体どんな理由で? ありえない。それは絶対ありえない……!」
それではのと、黒衣の老婆が軽く会釈して踵を返す。
赤毛の騎士は慌てて、報酬は払うと彼女を呼び止めた。騎士の顔をじっと見た老婆は、それはありがたいと慇懃に頭を下げた。
「金槌の勇者よ。運命は我らが――」
なぜか、すぐ耳元で鐘の音が聞こえた。
瞬間、耳が吹き飛ばされた気がしたと同時に、老婆の言葉がかき消された。
見者は今一体、なんと言ったのか?
訊ねようとした赤毛の騎士は驚いて我が目をこすった。
まばたきするほどの間に、老婆が忽然と消え失せたからだった。
暗い通路にはもはや誰の姿も無く、何も残っていなかった。
洗われた血の、かすかな跡以外、何も。
――見者アドウィナ・了――




