巡礼者
いらっしゃいませ巡礼者の方々。長旅、お疲れさまでございました。
どうかゆるりと、この第二巡礼地、〈水の大神殿〉でお休みください。
はい、宿坊は境内の両翼に並んでおります。お好きなところをご利用くださいませ。
お手洗いは共同で、奥の広場に井戸とかまどがございます。そこでお食事をご自分でまかなうことができますし、大食堂では、皆様からいただくご寄付で、パンと魚の煮込みスープをたっぷりご用意しております。何杯でもお代わり自由ですので、ぜひ召し上がってくださいませ。
ご寄付を上乗せしてくださる方には、当神殿の果樹園にて栽培しました果物をお配りしております。
お守りやお札、おみくじは、売店にて販売しております。神官たちが精霊の泉で清めたものゆえ、御利益たっぷりです。ぜひ、お求めくださいませ――
「ちょっとごめんよ、神官さま。聞きたいことがあるんだけど」
からりと秋風がさやかであったその日。
私はとてもかわいらしい巡礼者に出会いました。
いつものように石門のところで、みなさまにご挨拶をしておりますと、次々やってくる人々の中からトコトコぴょんぴょん。長い耳をもつ者が、飛び跳ねながら近づいてきたのです。
「おや、まっしろなウサギさん。どうなさいました?」
「あのね、俺、人を探してるんだ」
巡礼用の旅装に、ウサギ用のものなんてあったのですね。
ぴっちりちょうどよく仕立てられた、まっしろの巡礼服。白い手甲。白わらじ。しゃんしゃん鳴り響く鈴のついた、登山杖。傘帽子にはちゃんと、長い耳が出せる穴があいています。
「燃えるような赤い髪の男、最近来なかったかな? 二十歳過ぎぐらいの、若いやつ」
ウサギさんに聞かれた私は、うむむと腕組みをして困ってしまいました。
船に乗って黄海をゆくこと丸一日。オムパロス島のごくごく近く、双子山がそびえる島にあるこの大神殿には、毎日とても多くの巡礼者がいらっしゃいます。日に数千人、特別な祭日には万を越えることもあります。
大陸全土からあまたの人がここに訪れるのですから、赤毛の若者は、一日に何人も目にします。どの人も白い巡礼服をまとっていますので、ひと目で見分けるのは難しく、素性などまったく分かりません。
「ここ最近いらした赤毛の巡礼者の中で、印象に残った方といえば……たしか三日ほど前でしたか……」
その巡礼者は無精髭をぼうぼうと生やして、まったく身なりに気を遣っていない様子でした。巡礼服は汚れてまっくろ。幾日も湯浴みをしていなかったのでしょう、鼻が曲がるかと思うような匂いを放っていました。ですから、門のそばにある泉で体を清めなさいと、おすすめしたのです。
「ふうん。この泉が、ちまたで有名な『精霊の涙』? とっても澄んでてきれいだね」
「あ、いいえ、ウサギさん。そこは普通の手洗い場です。聖所の泉から引いている清水ですけれど、日の光を浴びてますから、透明度が少々劣化しております」
「えええ、すんごくきれいなのに、これで劣化してるの?」
私たちが祀っている水の精霊アムニス様は、神殿の中におられます。分厚い扉に閉ざされた奥殿に。
光の入らぬまっくらな広間の中で、神秘の泉の底に沈んで眠っておられます。
神秘の泉は、日の光を浴びている手洗い場の泉よりもっともっと澄み切っていて、こんこんとめどなく、豊かに清水を出しています。流れ出る水は神殿の両脇に作られた水路を通って、眼前の海に流れ落ちていくのです。
「えっと、手を洗って口をゆすいでと。わわ、しょっぱいな。ここって、島だからかな?」
ええ、聖所の泉の水は塩辛いのです。大洋の奥底を流れる水が、なんらかの形で海底へもぐり、聖所から湧き出しているのでしょう。
私ども神官は巡礼者たちに、神話でもってその仕組みを説明しております。
「精霊様は常に、この世の不条理を嘆いていらっしゃるのです」と。
でも、いつだったか……
甘い香りを醸す巡礼者に、鼻で笑われたことがありましたね。
『精霊の涙が、塩辛いはずがない』
きっぱりそう断じたその方は、菫色の瞳を持つ龍蝶でした。
そう、甘露の涙を流す種族です。
血も汗も涙も甘いその方によれば、この神殿に祀られている水の精霊さまはもともと、彼と同族の者であったというのです。
『ここだけではない。四大精霊を祀った大神殿のご神体はみな、もとはメニスだったのだ。我が一族の間では、そう伝わっている。ゆえに泉の水が本当に精霊の涙であるなら、泉の水は甘いはず。そうではないのだから、涙ではなかろう。すばらしく清い水であることは、間違いないだろうけれどね』
龍蝶というのはずいぶん魔力の高い者たちで、純血の者ともなれば、まったく年を取りません。数千年生きることなど、珍しくないと言われております。
『かように精神の力が発達し、不死といえるほどの寿命をもっている我々は、ずいぶんと進化の進んだ種族であるといえるだろう。人類の祖先は青の三の星から来たそうだが、我らメニスの祖先は、一万年前に起きたその「降臨」よりもっともっと古くに、紫の四の星からやって来たのだ――』
「その龍蝶の巡礼者は私に教えてくれました。はるか銀河の彼方にある彼らの〈故郷〉の海は、彼らの涙と同じ。とても甘いというのですよ」
「なるほどねえ。たしかにそうかも。青の三の星からきた人類はさ、塩辛い海で生まれた生き物から進化してきたんだよね。だから、体内にしょっぱい海を抱えてるんだよな」
ウサギさんはこっくりこっくり私の話にうなずいて、しみじみと仰いました。
「そんでメニスの体が甘いのはさ、あいつらって、そのメニスの言うとおり、甘い海で生まれた生き物から進化したせいなんだよ、きっと」
「ええ、きっとそうなのでしょうね。それに水の精霊さまが龍蝶であるということも、真実であるような気がいたします。神殿の壁画に描かれている精霊様のお姿は、白い髪に紫の瞳。龍蝶の純血種の容姿と同じなのです。それに、魅了の力を持っているとも伝わっていますから」
「魅了かぁ。メニスの甘露の効能とおんなじか。それは強力な論拠になるね」
「ええ。ですのでその龍蝶の巡礼者は、単にご先祖さまを拝むため、おへんろをしていたようです。ご自分は、〈火の大神殿〉の精霊さまの直系子孫であると、誇らしげに仰っておりましたよ」
「へええ。罪滅ぼしとか、そんな目的じゃなかったんだ」
ここは〈水の大神殿〉。四大精霊を祀る大神殿の一画で、「人の罪を浄化する」巡礼地となっております。大多数の人々は自身が犯した罪を反省し、けがれた身を清めるためにやってきます。
ささいな心の咎をとりのぞくため、自主的にいらっしゃる方とか。刑務所に入る代わりに、巡礼を命じられた罪人とか。みなさま、とても真面目で悲壮なお顔をしていらっしゃいます。犯してしまった罪を思い返し、後悔し、悔い改めたいと、切に祈っているからでしょう。
けれども……
「髭ぼうぼうの赤毛の人も龍蝶の方と同じく、罪の浄化が目的ではないようでした。それで私の記憶に残ったのだと思います。とても暗いお顔をされていましたから、何か赦しを得たいことがあったかもしれませんが、告解はなさっていかれませんでした。なにか覚悟めいた……固く決心したような表情をなさっていました。彼は体と服を洗って身なりをきれいにしたあと、神殿の中に入って精霊さまに短い祈りを捧げ、宝物殿を見学しました。それから、大神官様に願いでたのです」
「願った? 何を?」
「この神殿にある宝物を、貸して欲しいと。精霊の鏡を使いたいと」
「鏡? えっとそれって……巡礼者の案内帳に紹介されてるやつ?」
ウサギさんは、背中に背負った木箱から分厚い冊子を取り出して、パラパラめくりました。
おへんろをする巡礼者のみなさんが必ず携帯する、道程案内書です。巡礼服の旅装と一緒に、出発点となる第一巡礼地、〈大地の大神殿〉の売店で買いそろえるものです。
「案内書によると、ここの宝物の鏡って、生き霊とか幽霊とかを映し出す力があるんだって書いてあるよね。しかもはっきり、音声付きでってさ。つまり、しゃべる霊が映るの?」
「はい、その通りです。わが神殿の宝鏡は、誰かにとりついたものを除霊するときに、その憑依物と交渉するために使う交信機であるのです」
ウサギさんはそうかそうかと声を明るくして、にっこり微笑みました。
「やっぱりあいつ、罪ほろぼしのためだけに、巡礼始めたわけじゃなかったんだな。カーリンに、牙王の声を聞かせたいって思ってるんだ。母親の声を……」
そういうわけで幸いなことに、私はウサギさんがお探しの方のことをお教えすることができました。
かわいらしい巡礼者さん曰く。その赤毛の方は、〈大地の大神殿〉でも神殿の宝物に興味を示したのだそうです。
「あいつ、大地の大神官さまに、〈聖なる樹の苗〉を貸してくれって願ったらしいんだよな。死者の声を代弁してくれる神器って、案内帳に書いてあるやつ」
「でもおいそれと、神殿の秘宝を貸すわけにはいきませんでしょう? 断られたのでは?」
「うん。きっぱり、拒否されたっぽい」
「赤毛の方はここでしばらく料理人として働くからと仰って、宝鏡の貸与を願いました。でも、うちの大神官さまは丁重にお断りしたのです」
「あいつの料理の腕は天下一品だぜ。食聖仕込みだから、たしかに国宝くれてやってもいいレベル。でもいきなり願われた側は、とまどうだけだよなぁ。あいつ、次の炎の神殿でも同じことやりそうだわ」
「ええ、仰る通りです。炎の神殿や風の神殿にも、神秘の力をもつ宝物があります。ですからそこをあたってみると、赤毛の方は仰っていました。それから鏡をじっくり詳しく観察して、紙に書き留めていました。もし軒並み断られたら、同じような物を大陸一の技師に作ってもらうしかないと、つぶやいておられましたよ」
「え? なに? どこのどんな技師?」
「あ。えっと、〈大陸一の〉技師です」
「えへ。あは。そうなの? そうかぁ、そう言ってたかぁ。大陸一ねえ。へへへ」
ウサギさんはなんだか、どこかこそばゆいような顔をして、上機嫌に笑いました。
「あいつのこと、記憶に留めてくれててありがと。助かったよ」
いいえ、どういたしましてと、私はかわいらしくお辞儀する彼に会釈を返しました。そして精霊さまにお参りしようと彼がピョコピョコ跳ねていくのを、にっこり見送りました。お役に立てたので、とても嬉しく思ったものです。
でも……
「ごめんなさい、ウサギさん」
彼の姿が巡礼者たちの中にまぎれると、私はそっと頭を下げてあやまりました。
実を言うと。赤毛の方といえば他にもうひとり、髭ぼうぼうの方よりもはるかに強烈な印象を残していった方がいたのです。
その方は私どもに固く口止めしてきましたので、私はウサギさんに、その方のことは一言も喋りませんでした……
『お願い! 絶対誰にも言わないで。どうか、泉を使わせて!』
その方はまだ成人して間もない感じの少年で、髭ぼうぼうの青年以上にとほうもないことを、うちの大神官さまに願いました。
『ここにはひそかに、未来へ行ける時渡りの泉があるって、俺知ってるよ。誰も知らない、案内帳にはまったく書いてない極秘のことだけどね。〈大地の神殿〉の神官さまたちから聞き出したんだ。あそこには過去へさかのぼる泉があるでしょ? 実は俺、そこから来たの。ある人を連れてきて、〈大地の神殿〉に庇護してもらったんだ。ほら、大地の大神官さまの紹介状もあるよ。その文面にあるとおり、俺は未来に戻らなきゃいけないの。ジェニがすごく心配してるから……
だから、お願い。代償は、これで支払うから』
くれないの髪がまるで燃えるようなその少年は、夜空に輝く赤星のような真紅の義眼を、若々しく美しい顔からひとつとって、うちの大神官さまの手に握らせました。
『それ、すっごく価値あるものだから……嵌めてみて』
老いて盲目になっていた大神官様は、たちまち視力を取り戻して、輝かんばかりの笑顔を赤毛の少年に向けました。
『これは、神代の時代のものでは?』
『そんなに旧くはないけど、大陸一の技師が作ったんだ。よかったらもう片方もあげる。両目で使わないと不具合を起こすからね』
『しかしそれでは、君がめしいになる』
『大丈夫。家に帰ったら、いっぱい替えがあるの。ジェニがたくさん、大陸一の技師に注文してくれたから……それに最悪、俺にはこれさえあればいいし』
赤毛の少年は胸にさげているものをそっと握りしめました。
それは銀でかたどられたウサギの首飾りで、とても繊細な細工ものでした。目のところにはなんとも美しい宝石が嵌まっておりました。
大きな赤鋼玉が、ひとつきらりと。
『これも義眼で……ジェニとの記憶がいっぱい入ってる……でも俺、ジェニのところに帰りたい……新しい思い出を、もっとたくさん作りたいから』
ジェニという人がどんな人なのか、大神官さまは詳しくお聞きにはなりませんでした。
赤毛の少年の素性も、しかりです。
しかしかように高性能な一流品の義眼をお持ちとなれば、その身分は王家やそれに類する家門の方であるのは、間違いないでしょう。
その義眼はとても高価な、きらめく赤鋼玉でできているのですから。
『よいだろう。私は感謝して君の供物を受け取ろう。時の彼方からきた、やんごとなき方よ。
時の泉を使って、あなたの家へ帰るがよい。大切な人が待つところへ』
くれないの髪燃ゆる少年が、聖所の泉を使って未来へ帰ったあと。水の大神官さまは、わからないことをひとつだけ確かめました。「貴神殿が庇護した未来人はどんな方か」と、〈大地の神殿〉の大神官さまにこっそり問い合わせたのでした。
向こうからの返事はとても簡素で、いつもと同じ、密書に使うごくごく小さな羊皮紙にこうしたためられていたそうです。
『じきに会えるであろう。罪深き〈彼〉は、赦しを得るため巡礼を始めた――』
件の人は未来では救われぬゆえに、過去へ逃れてきたのであろう。
水の大神官さまはそう仰っておりました。
もしかすると。赤毛の少年と罪深き人がきた時代には、聖なる四大精霊を祀った巡礼地は――人々の罪を清め、庇護してくれるところは、もう存在しないのかもしれぬとも……
『悔い改める者には、赦しを。
慈愛深き精霊さまたちの教えを護り、日々あまたの人々の罪を清める各巡礼地には、罪びとが逃げ込んでくることがしばしばある。濡れ衣を着せられたゆえに、庇護を求めてくる者も多い。件の人は未来の巡礼地にて、かような救いが得られなかったのかもしれぬ。となれば、巡礼地自体がなくなった可能性が高いと推測するのが妥当であろう』
『でも大神官さま、四つの巡礼地はお互いかなり離れております。大陸の東西南北に散らばっておりますのに。彼らが来たのがはるかな未来であるにしても、それらがすべて失われるということが、あるのでしょうか。単にその……体制が変わって、逃げ込んでくる者を庇護しなくなっただけでは?』
私の問いに、大神官さまは眉間に深い皺を作りながら、重々しく仰いました。
『精霊さま方の慈悲を無視する神殿など、もはや救いの地ではあるまい。ゆえに、存在せぬといえるであろうよ。それに……大陸全土が焼き尽くされるとか。海に没するとか。我らの大陸が、惨憺たる災厄に見舞われることもまあ、ありえぬことではない。竜王メルドルークや黒竜ヴァーテインのような、封印されし神獣の力をもってすれば、この星をかち割ることなど容易に可能なのだから』
できれば、そのような哀しいことは起こらないでほしいものです。
巡礼地が、まことの意味で赦しの地ではなくなってしまうことも。
大陸が滅んでしまうことも。
せめてその哀しい未来が、気が遠くなるほど遠い、何万年もの未来でありますようにと、祈らずにはいられません。
それにしても、なんとも不思議な方がいらしたものだと思います。
大地の慰め。
水の清め。
炎の浄化。
風の赦し。
四つの神殿をめぐれば、巡礼者は輪廻せずとも生まれ変わるといわれております。
時の彼方から来た方はいったい、どんな罪を洗い流したいのでしょうか――
おへんろさんたちは、霊峰ビングロングムシューに次ぐ、大陸第二の高さを誇る山、ソモランナの山頂にある〈大地の神殿〉より杖をついて歩いて、ひたすら歩いて、黄海を望む港町へいたり、巡礼者専用の船に乗ってこの〈水の神殿〉へ参ります。大体、半月ほどかかる旅程です。
未来から来た方はそろそろ、こちらに来ているはずです。
巡礼者のみなさまは同じ巡礼服を着こんでいますので、私には見分けることはできません。けれどもその方は、大神官さまにだけは、ご挨拶していくことでしょう。
どんなわけで過去にいらしたのか、そのときぽろりと語っていってくれるかもしれません。
とても気になりますので、近々こっそり、大神官さまにお聞きしようと思います。
――巡礼者・了――




