蒼鏡
今回は、猫目さん視点のお話です。
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その玻璃のごとき煌めきの表面は滑らかで、少しの瑕もなく。
一体どんな風にして磨き上げたものなのか、不思議に思われるのですが。
「この中に、いらっしゃるというのですか?」
私はじいと、我が猫目でその姿見を見つめました。
それは北五州を彩る湖のようで、透き通った輝きをきららと湛えておりました。
完璧な円の形が小振りなそれを、あたかも宝石のようにみせているのです。
けれども鏡にしてはあまりにも小さく、顔の一部分しか映りません。
「すでにもう、中に入ってるよ」
ウサギである我が師はその美しい珠玉を取り上げ、お天道様が燦々光をこぼす空に透かしました。
蒼のびいどろの涼やかさに、私はうっとりしたものです。
「天に浮かぶ島、知ってるだろ? かつて古代王国の兵器工廠があったとこさ。そこの三番島でしか採れない吸魂石は、ほんとにおっそろしいものなんだ。不用意に扱うと魂がすっこ抜かれて、石の中に閉じ込められちまう」
「それゆえに、死して天に引き寄せられる魂を、この世に引き留めることができるのですね。それにしても鮮やかで素晴らしい色です。鋼玉を貼り付けたのですか?」
「いや、まだなんにも重ねてない。吸魂石はもともとこんな、蒼の中の蒼って色をしてるんだよ」
我が師は白くて長い耳を小さな姿見に押し当てて、中に凝縮されているものの声を聞きました。
「……うん。そっか。そんなに居心地は悪くないか。いやさ、君らしく黄金色の鏡にしようと思ったんだけどさ。色をつける材料が切れちゃってて。橙炎石とか金水晶とか、そういうの軒並み在庫ゼロでさぁ」
宝石のような鏡から、狼の遠吠えのようなものがかすかに聞こえて来ました。
在庫切れはまあ、我々技師にとっては職業病のようなものだよねと、我が師はてへっと舌を出しました。
「お望みならすぐに取り寄せるよ。どっちがいい? 橙炎石は赤みがある黄金色、金水晶は青みがかってて白金に近い。……うん、そうだよね。やっぱり蒼味のある方が君らしいよな。了解したよ。
さて。とにかく、これで君は永遠に石の中。そこから出ることは、まず叶わない。すなわち、輪廻の輪から外れた存在となったわけさ。いやぁでもさぁ、ほんとびっくりしたわ。師匠の師匠が君のこと頼むって、白い雲間から突然降臨してくるんだもん」
師匠の師匠と言うのは、我が師ピピ様の師であるアスパシオン様を育てた方のこと。黒き衣のカラウカスさまとおっしゃる方です。
我が師曰く、『何というのか、とても偉大すぎて、ちまたで言う神様のような希有な存在』であられるのだとか。吸魂石などわざわざ使う必要などなく、ただ意志の力だけで、昇天しないで現世にとどまっておられるのだそうです。ゆえにまさしく「雲の上の人」であるのだと、我が師は言っておりました。
「カラウカス様に会ったのはさ、兄弟子様の器を作ったとき以来だったけど。あの人、会うたんびに白い髭が伸びてるような気がするんだよなぁ」
それは気のせいではないと思います。
兄弟子様というのは、アスパシオン様より先にカラウカスさまの弟子となった方。現在ははるか北の森にてご家族とともにお過ごしですが、その方の魂が宿る鏡を作る手伝いをしたのが、私の技師としての「初仕事」でありました。
兄弟子さまは、かつて白の盟主という大陸の脅威と戦った時、じわじわ死にゆく呪いを受けてしまわれました。そして私が弟子入りしたころ、皆様に看取られながら衰弱死なさったのですが、なんとその直後、天地の狭間におわすカラウカスさまが、キラキラとご降臨なさったのです。
誰の目にも見える「幽霊」はまだ若くて未熟者であった私にもニコニコと微笑んでくださり、光栄にも、お声をかけてくださったのでした。
『おお、猫族の技師とはすばらしい! あの種族は実に器用じゃからなぁ。このぴんとたった耳と尻尾! ぷにぷにの肉球! ええのう。最高じゃのう』
『へっへー、でしょでしょ? カラウカス様、俺の弟子ってすごいのよ? こいつほんとに器用でさぁ』
そのとき我が師は白いもふもふの胸を思い切り張って、私のことを紹介してくださいました。
『金剛石のカットとかどえらく早くてどえらく綺麗にできるんだぜ? って、カラウカス様ってば、何しに来たのさ?』
『いや、エリクがついさっきわしのところに来おってな。天河に昇るのは絶対嫌だと泣きついてきたんじゃ』
『え。雲の上の人のところに来たっていうころは、それって……いや、最近めっきり体力がーとか、体動かないーとか言ってたから、そろそろやばいかもってみんな覚悟はしてたのよ。でも師匠はそれでもビービー泣きながら送り出したんだけど……やっぱりそっちに行ったわけ?』
『うむ、そうなのじゃ。家族とも亀とも別れたくないとわめいて、わしの店にすがりついて昇天に抵抗しておる。いうわけでピピよ、肉球素晴らしい弟子と協力して、なんとかしてくれんかの?』
『なんとかっていっても……魂を石に閉じ込めるとか、そんなことぐらいしかできないよ?』
『うんうん。それでええぞい。あいつは、輪廻を捨てる覚悟はすでにできておるからの』
その時のカラウカス様のお髭はお腹のあたりまでありましたが、数ヶ月後、兄弟子様の魂の器を納品したときにお会いしたときのお髭は……ええ、前よりもっと伸びておりました。
「雲の上の人」が私の手をほめてくださるなんて、嬉しいことこのうえなく。私はずいぶんとはりきって、兄弟子さまがお入りになる吸魂石を削り、磨き上げたものです。
その石は我が師ピピが丹精こめて精錬し、幾層も宝石や有機物の膜を重ねたものでした。我が師が作ったものを私が仕上げる、という大変名誉な役目を任されたので、私は嬉しくてたまりませんでした。
現在、その石は美しい機械鳥の額に「第三の目」として嵌められ、ご家族と共にあられます。藍色の翼もつ鳥に映える翠の輝きを放つその石は、ごくたまに、黒き衣をまとったニンゲン――兄弟子様の姿を映し出すことがあるそうです。
「兄弟子さまはさ、前世は神獣だし、相当な韻律使いだからねえ。でもさ、君も俺が神獣に改造したわけだから、生前みたいに人の姿をとることができるんじゃないかなぁ」
蒼い小さな鏡玉に、我が師はそう話しかけたのですが。
剣で貫かれたのは、その神獣が神獣たるに必要不可欠な神核の部分。ゆえに黄金の狼の体は死んだとたんに塩の固まりとなり果て、さららと崩れてあとかたも残りませんでした。
「一から君の体を元通りに作るのは、とても時間がかかる。だからしばらくは・・・・・・」
我が師はかわいらしくもかっこいい狼のぬいぐるみを指し示しました。
「この狼くんの額の目になってくれるかな?」
蒼い鏡から、狼の遠吠えのようなものが聞こえて来ました。
「猫目さん、牙王の体の作成を頼むよ。関節しなやかで美しい、金の狼を作ってくれ」
「はい。了解しました」
「俺は、おばちゃん代理に活を入れてくるわ」
鏡から聞こえる声が悲しげな響きを放ちます。我が師はそうだよなそうだよなとこくこく、白くて長い耳を振りながらうなずいておりました。
「あいつ、君や陛下に合わせる顔がないって号泣してさぁ……君の前に立つ資格はないんだって、聖地巡礼にでちゃうとか……何だよソレふざけんな~! だよな。君に会うのが怖くて逃げてるんだぜ、あいつ」
おばちゃん代理さんはカーリンに、「ひと月かふた月かで帰ってくる」と言ったそうです。
果たして本当にそれで戻ってくるのかと、私たちは疑いました。我が師はこのまま一生、おばちゃん代理さんは牙王さんから逃げ続けるかもしれないと言っておりました。それが証拠に、彼とはすぐに、まったく連絡がとれなくなったからです。
どうか二人が、元通りになれますように――
私はそう祈りつつ、仕事を始めたのですが。すぐに壁にぶち当たることになろうとは、まさかこのときは思いもしなかったのでした。
狼の体を作るために、この星から出ていかねばならなくなるなんて。
しかもその旅路が、数年という単位のものではなくなるなんて……
「それであなたは、こんなところまでわざわざいらしたのですね。赤の五の星に、ようこそ巨きな猫さん。ようこそ」
「ありがとうございます。そうなのです。私の星には、ここで山々となって連なる赤き金属がもはやなかったのです。神獣の心臓を作るために必要なものが……」
私は、足もとにたむろうかわいらしいこびとたちに微笑みました。
資源の枯渇。
はじめはそう思ったのですが。あらゆるところに赴いて調べたおした結果、私が探し求めていたものは、私の星からわざと無くされてしまったようでした。
もう二度と、神獣を――星の命を脅かすような兵器を作ることができぬよう、紅色の鉱脈に、鉱物の組成を変えてしまう爆弾が投下されました。別の星から星船によって輸入することも全面禁止されました。
兄弟子さんの時は、神獣によく似た構造の鳥の体が遺っておりましたので、それを改造するだけで済みました。けれども体をすっかりなくしてしまった牙王さんを元通りにするには、一から心臓の核を作らねばなりません。すなわち、大陸法を侵さねばならないのです。
それでも……
『ママは、いつ喋れるようになるの? いつ、走れるようになるの?』
狼のぬいぐるみを抱きしめて泣くカーリンを見ると、私は彼女の心臓の材料を探さずにいられませんでした。時折、蒼い鏡からこぼれる光が映し出す牙王さんのまぼろしが、幼い娘さんを抱きしめながら何か言おうとして伝えられず、もどかしい表情をされているのも見るにたえないことでした……
「だから私は意を決して、星船に乗ったのです。そうしてやっと、見つけたのです。お山を真っ赤に燃やす、あの金属を」
「それはおめでとうございます。しかし、法に触れるものを作って、本当に大丈夫なのですか?」
「神核から戦闘能力を削げば、見逃してもらえるのではないかと思っています。守護獣としての力を無くせば……つまり、あの金属の炎の力を半減することができれば……。たとえまったくの無力となっても、あの方の存在価値は我々にとって計りしれません。だから必ず、蘇らせます」
こびとたちの後ろに広がる小高い真紅の丘。
燃えさかる炎を凝縮したようなその金属の巨大な塊を、私はうっとり眺めました。
それから私はまなざしを上へ上へとあげていきました。真紅に焼かれた目を冷やすかのように、この銀河の果ての異星にて、きららと輝く空を仰いだのでした。
狼のぬいぐるみの額に輝く、あの鏡が放つ色。まさにあれと同じ色合いの天が、悠然と私を見下ろしていました。
ふるさとの星の空とそっくりの、びいどろの蒼が。
この色の空を見るのはいったい何年ぶりでしょうか……
なつかしくてたまらず、私の猫目はじわりと潤んだのでした。
「ああやっと。帰りましょう……我が家に」
――蒼鏡 了――




