占いの館
おや、こんばんは。こんな夜更けにお客さんとは。店仕舞いの看板が見えなかったかい? やっぱり入り口にランプを下げるべきかねえ。
まあまあ、せっかく入って来たんだ、そこに座るがいいさ、赤毛のお兄さん。
ずいぶんおどろおどろしい形の椅子だって? 怖がることはない、ただの木彫りだよ。骸骨も悪魔も、あんたに噛みつきゃしないさ。ただの彫り物だからね。サーカスの隣に建ってる場末の占い小屋で使うには、少々豪華すぎるかもしれないが。でも実のところ、そんなに高価なものじゃないのさ。ほら、ぜんぜん香りがしないだろう? 宮廷勤めの魔道師だったら、霊を引き寄せる香木を彫った椅子を、大理石の御堂に置くんだろうけどねえ。
「でも……この店、魔法の力が籠もってそうなものがたくさん……」
ふふ、いかにもそれっぽいけどね。入り口の垂れ幕に下がっている小さな骸骨の環も、水晶玉を捧げ持つ骨の手も、鹿の角を削った作り物さ。単なる飾りにすぎないよ。
けれどこの水晶玉には、本物の魔力が宿っている。霊峰ビングロンムシューの鍾乳洞から切り出された、純度の高い石英だよ。その透き通った霊指で強大な霊を閉じ込めているっていう、相当なものさ。
さあ、お兄さん。いったい何を占ってほしいんだね?
「……いえ、その……未来は、分かっているというか……あの……」
分かっている? なるほどねえ。その血の気のない蒼い顔。よれよれになった絹のシャツ。
お兄さん、あんたには大方、縛り首にされる未来でも待っていそうだねえ。ということは、あんたは道をお探しなのかね。右へいくか左へいくか。前へいくか後ろへいくか。どの道をたどれば完全に逃げられて、生き延びられるか、探しているのかね。
「いえ……! 決して、逃げたわけでは……俺が見つけたいのは、逃げ道じゃなくて……そうじゃなくて……この小屋の看板に、書いてあったから……」
看板に? 灯りは下げてないはずだけれど。あんた、夜の宵闇の中で見えたのかね。
「ええ、見えました。『過去へ未来へ自由自在。いつの時間にも、ひとっ飛び。偉大なる占い師ティルエル・ファラーデが、あなたをお望みの時間へいざないます』……」
看板の上に、閉店の札が架かってたはずだがね。それは都合良く、目に入らなかったというわけかい?
「その字もちゃんと視認しましたが、無視しました。すみません……」
そんなに切羽詰まっているとはね。相当お困りのようだが、あんたが求めてるのはいったいなんだい?
「望みの時間へ連れて行ってくれる……それは、本当ですか?」
ああ、本当さ。このティルエルに任せるがいい。この水晶玉に宿りしものが、あんたにあらゆるものを見せてくれる。過去も現在も未来も、すべて。見たいものがここに映る。
「み、見せてくださるだけでなく……実際にそこに……」
そこに?
「そこに、行けませんか……? つまりその、過去に……」
はあ? あんた、何をお言いだね?
実際に過去へ行く? 眺めるだけじゃなく?
「はい……行きたいんです。たぶんそんなにばかげた昔にはなってないと……塔はなかったですが王宮はまだありましたから……とにかく、過去へ行きたいんです。どうしても……どうしても……!」
お兄さん。あんた、いったい何をやらかしたのかね。過去へどうしても戻りたいだなんて。ガクガク震えて目は腫れて真っ赤。椅子の肘掛けに載せた手がずいぶん震えているね?
ふむ……あんた……ずいぶんと恐ろしいことをしちまったわけかい? しかも今、それをひどく後悔しているどころか、哀しみの底にいる。起こしたことを、無かったことにしたいぐらい。
ああ、水晶玉を見なくとも分かるよ。
つまりあんたは……だれかを傷つけたんじゃないかね? おそらく、とても大事な人を。
たとえば母親。もしくは父親。それとも、あんたの子どもか……奥さんを。
ふむ。肩がびくりとしたね。なるほど、奥さんかい。
まさか犬も食わない夫婦げんかで、ついうっかり?
……いやいや、そんな単純なものではなさそうだね。
「ディーネは……俺をかばったんです……だから俺は、俺を殺せなかった……」
あんた、自殺でもしようとしたのかい?
「いいえ……俺がいっぱいやって来て……襲って来て……だから俺は、俺を排除しようと……でもディーネはこれは俺だからって……だから殺せないって……」
あんたがいっぱい? どういうことだい、それは。
「たくさんの俺は、別の国で作られた刺客……俺であって俺ではない……でもディーネは、あいつらも俺だと認識したんです……たぶん、匂いが……流れている血が同じだから、区別がつけられなかったんじゃないかと……」
つまり奥さんは、そのえたいのしれないあんたの分身のようなものを、かばったと?
「はい……俺は俺を殺そうと、思い切り剣を……振り下ろし……ました……俺をかばったディーネは……ディーネは……」
暖かい茶をどうかね、お兄さん。薬草をほんのり入れてやろう。それでまずは、気を落ち着けるといい。
「まさかとっさに彼女がそんなことをするなんて、思わなかった……俺以外の俺も、俺と同じように思うなんて……『俺』はこの世でひとりなのに……他の奴らは、あいつらはにせもの……違う、はずなのに……」
お兄さん、ほら。これをお飲み。あんたこの数日、ろくに寝てすらいないんじゃないかね?
「いえ、ね、寝ました……いや、正確には、眠らされました……。あの恐ろしいことを起こしてしまったあと、気づいたら俺……宮殿の隣に建ってる塔を登っていて……ウサギの部屋に駆け込んで、ガラクタを漁っていたんです。あそこには、ウサギが作った機械が……時間を越える泉をつくる機械があるって……聞いていたから……それとおぼしきものを見つけて、塔の麓の庭にそれを埋めて、俺はこんこん湧き出してきた泉に身を投げました……俺は、その機械で過去へいこうと思ったんです……恐ろしいことを俺がしないように……俺がディーネに剣を振り下ろさないように……止めたかった……」
は……ウサギの機械? 時間を越える泉?
そんなものが本当にあるのかね?
「はい……あります。ウサギは灰色の導師なんです。だからそういうものを作れるんです。でも俺が飛び込んだ泉は……時間を行き来するものじゃなくて……止めてしまうもの……だったようで……」
なんだって?
「飛び込んだ泉の水は、肌に触れたとたん、がちがちに固まってしまって、しかもずぶずぶ地の底へ沈んでいってしまいました……俺は慌ててもがいて、そこから出ようとしました。でも……泉についてる装置が……これから四百四十四年……し、シェルター機能を……発動すると、言ってきて……」
四百四十四年? シェルター?
「どうやら俺が使った泉みたいなものは……緊急避難用の、冬眠舟……とかいうものだった、ようです……固まった水は俺をかちかちにしました。俺はその中で眠らされました……おそらくその、たぶん、四百四十四年……」
……なんてこったい。あたしはあんたに、こんな占い小屋に来るんじゃなくて、神殿に行って懺悔しろと言うつもりだったんだがねえ。
まさかこんな、突拍子もないことを聞くことになろうとは。
百年近く生きてきて、こんなにびっくりしたことは初めてだよ。
「俺はどうしても過去へ……戻らないと……絶対に戻らないと……あなたにそれができないのなら……う、ウサギを……ウサギを、探してください。どこにいるのか、その水晶玉で見つけてください。お願いします……お願いします……!」
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「それであんたが、俺がどこにいるか占ったって? ティルエル・ファラーデさん」
おうともさ。あたしゃ失せ物探しは得意なんだよ、ウサギさん。しかしまさかおまえさんがじきじきに、あたしのもとにやって来なさるとはねえ。まあ、虫の知らせはあったけど、こうして現実になるとびっくりだよ。
「お。予見してた?」
もちろんだとも。この水晶玉でちらりと見えたよ。あんたの姿がね。白いふわふわのウサギさん。
「すっげえ! あんた、本物の占い師なのか。あ、ごめん、いやその、こういうとこのって、ニセモノ多いじゃん?」
いいよいいよ。よく言われることさ。
「なんていうか、えっと、世話かけたね」
赤毛のお兄さんは首尾良くあんたを見つけたんだね。
「うん。もうなんていうの? 生ける屍みたいな感じでふらふらーと、俺の塔にやって来たよ。今はメキドの森深くにある俺の家にさ。いやさ、ざっと四百年ぐらい前にさ……あいつが行方不明になったときね、俺んちの倉庫に置いてたシェルターがなくなったのよ。発動すると地中深く潜って、四百四十四年と四十四日と四十四時間四十四分四十四秒がちがちに固まるって最強のやつ。あ、時間設定はあれね、技術者のシャレっていうかさ、腕を確かめるために設定したもんだから、あんま気にしないで。
で、まさかそれ使用しちゃったのかって大騒ぎして超音波装置で探しまくってたら、三日後にさ、ひょっこりあいつ、戻ってきたのよ。四百四十四年後から帰ってきましたとか、ぼそぼそ言ってさ……あの騒動からうん……四百四十四年たったからさ。あいつが来るのは知ってた、うん」
ウサギさん。あんたは……いったい?
「俺? ただの技師だよ。あ、えっと、年取らなくって死なないタイプのね。なんていうか、ごめんね、ティルエルさん。びっくりしたでしょ。ってことでにんじんクッキーの詰め合わせ……赤毛のあいつに頼まれてさ。お礼言うの忘れてたって。あいつが焼いたもんだよ。味はエティア王宮のお墨付きだぜ」
いやいや、あんたにも相当びっくりだよ。不死身のウサギねえ。あんた、すでに千年くらい生きてそうな雰囲気だね。世の中にはすごいものがいるもんだ。
「まあなんだ、あいつは無事に過去に戻ったから。俺がかつて設置した、某所の時の泉に突っ込んでやったんだ。でもさ……あいつディーネのことが起こる前に戻りたがってたけど……泉の不具合でそれは叶わなかったんだよね……ああ、このお茶おいしそうだね、もらっていい?」
あ? ああ、いいよ。どうぞ。
「俺、なんとか泉を直そうとしたんだけどさ。あの時代って、なんだか設置場所の磁場かなんかが狂っちまってて、あいつが生きてた間は、ついぞ修正できなかったんだよな……あいつには気の毒だったけど……でもまあ……俺は灰色の技師だから。なんとかなったよ」
ということは、赤毛のお兄さんは、望みの過去へ行けたのかね。
「いや。時間遡行はあきらめて、別の方法でディーネを……うお! このお茶うまいね。ほんのり甘くって」
なるほど。お兄さんは、幸せになれたんだね。
「なれたのかな……あれが蘇りといえるのかどうか。俺もそういうの経験したけど、あいつのは……どうなんだろう……」
――「ぺぺ! 話終わったか? サーカス始まるぞ! 早く来いって! 早く! 曲芸見ようぜ! 曲芸ー!」
「あ、ししょー」
おや、お連れさんかい?
「うん。髭ぼうぼうでむさくて、鼻ほじっててごめんねえ」
いやいや、とても気さくそうな人じゃないか。隣のサーカスは大陸一だよ。楽しんでおいで。
サーカスの周りの見世物もおすすめだよ。狼男に大男。かわいい龍蝶もいる。
「龍蝶を見世物に? それ、大陸法違反じゃない? 希少種の保護条例あるっしょ」
条例が適用されるのは純血のやつだけさ。ここの龍蝶は混血だよ。鳶色の髪だもの。えらくイイ子でりんごが好きで、くれてやると喜ぶよ。あんたの鼻に、いくらでも口づけを落としてくれるだろうね。ひっひ。
「あー……えっとまあ……おすすめありがと」
「ぺぺー! 早くうう! はーじーまーるぅー!」
「へいへい、ししょー了解っす。そんじゃね、ティルエルさん」
ああ、わざわざすまないね。ありがとうよ。
にんじんクッキーか。どれどれ……
ほうこれは……
ほろっとしてなんとも良い歯触りだねえ。
む? しかし少々……隠し味の塩がききすぎているような……ふふ、泣きながら作りでもしたのかね。でもまあ、おいしいよ。
――「ごめん、ください」
おやいらっしゃい、お客さん。ふふ、今日は盛況だねえ。
さあ、そこに座るがいいさ、金髪のお嬢さん。
ずいぶんおどろおどろしい形の椅子だって? 怖がることはない、ただの木彫りだよ。骸骨も悪魔も、あんたに噛みつきゃしないさ。ただの彫り物だからね。サーカスの隣に建ってる場末の占い小屋で使うには、少々豪華すぎるかもしれないが。でも実のところ……
―― 占いの館・了 ――
サーカスは……
白の癒やし手に出てくるあのサーカスということで…
りんごが好きなメニスはクナの前世のあの子です。




