哀しい贈り物
目を開くと、白い煙があたりに立ちこめていました。
とてもけむたい空間で、がしんがしん、奇妙な機械音が聞こえてきます。
一体何の音でしょうか?
「私」は自分の手足を、しげしげ眺めました。
黄色っぽい肌。ぴちぴちで、結構指が長い、どちらかといえば細くて、不器用ではなさそうな手。まっくろな床にひたと吸い付いている、裸足の足。
靴をはいていない「私」は、服も着ておらず、裸でした。
あたりを見渡しましたが、煙の濃度が濃く、周囲があまりよく見えません。しかしなにか大きな歯車のようなものが、左右で動いているのはわかりました。
「ここは……」
かかとがひんやりしたものに触れています。振り返ると、すぐ後ろに透明なカプセルが横たわっています。ギヤマンの蓋が開いており、緑色に光る溶液がどくんどくんと、チューブから流れ出ています。
これは、一体?
首を傾げる「私」の頭上から、誰かの声が降ってきました。
「誕生おめでとう、すめらの子よ。天照らし様の加護がおまえにあるように」
「私」は点滅する蒼い鬼火のようなものにいざなわれ、狭い部屋に入りました。
そこに用意されていたつなぎの服を着ろとか、続きの部屋にある粥を食べろとか、さらに続きの部屋にある寝台に寝ろとか、姿見えぬ声にいろいろ命令されました。
『出荷台へ上がれ』
なべて声の通りにした「私」は、最後に真っ黒な台座に登りました。
するとそこには、「私」とそっくり同じ容姿の赤毛の男たちが、両膝を抱えて座っておりました。
ひとりやふたりではありません。何十人といます。「私」がおそるおそる台に腰をおろすと、台はゆっくり動き出しました。
「あのう、あなたはどなたです?」
「あなたこそ、だれなのですか?」
だれもがまったく同じ声。台に乗っている者は、不気味なほど同じ顔。
長いことスライドした台は、屋外にある大きな四角い鉄車にそっくりそのまま収納されました。乗り物は「私」たちを乗せてがらがらごろごろ。これまたずいぶん長いこと動いておりました。
ついたところは大きな湖のそばに建つお城。その大広間で私たちは、朱色の衣を着込んだ人たちから「説明」を受けました。
「初動検査を合格した諸君、これからおまえたちは、本来保有している記憶の喚起を受け、エティア王国のとある護衛官その人として起動する」
みな、とまどっておりました。「私」だけではなく「私」とそっくりな人たちすべてが、首をかしげまくっておりました。
「あのう、わたしはどなたですって?」
「わたしこそ、だれなのですか?」
――「ゆっくり深呼吸を。空気をよく吸い込むように」
朱色の衣の人々がそう言い置いて出て行くと。広間になにかが噴射されました。
まっしろな煙が「私」たちを包みこみ、互いを見えなくして。
「ああなんと煙い」
「思い切り吸い込め?」
「無理だ息がつまる!」
「私」たちはたちまち気分が悪くなり、ばたばた倒れてしまいました……
***************
『ぷはー!』
息継ぎするかのごとく、私が浮上すると。マオ族の猫目さんがびくりと反応して、くれないの心臓を光らせる私にぺこりと頭を下げてきました。
「赤猫さん! どうですか? 赤い光をビンビンに出して、その男を包み込んでましたが」
『げほげほ。ああ猫目さん、この男は、我が主ではありませんよ』
みなさんこんばんは。
私は――剣でございます。
我が主の忠実なるしもべ。名前はエク……ああ、長すぎて忘れました。
ここは王宮の地下。うすぐらい牢屋です。
「ディーネ……」
「ディーネ……」
ここには何十人もの赤毛の男が、国王陛下の命を狙った罪により囚われています。とある事情により、みな一様に呻き、嘆き、うちひしがれているのですが。その顔はなんと、みんな同じ。
彼らは我が主の複製品なのです。しかしこの中には、まことの我が主も混ざっているそうです。
一体だれがそうなのでしょうか……。
というわけでさっそく、一人目の魂を吸い込み、同期しながらもしゃもしゃ食べていたわけですが。私は赤い心臓部から、ぺっとその魂を吐き出しました。
『なんかあんまりおいしくな……ああいえ、この男には、工場らしきところから出荷された記憶があります』
「つまりそれは、生まれたとき……すなわち作り出されたときの?」
『ええ。その記憶がない者が、ぶっちゃけ我が主というわけです。私、ひとりひとり食べていって確かめていきますので』
「おお! よろしくお願いします!」
私はまたくれないの光を出して、二人目の男を包み込みました。そうして光の渦で男の魂を巻き上げ、ちゅるちゅる吸いこみました。
♪きらりとひかーる白刃のぉ~
我が身横たえ守りますぅ~
景気づけに、あにそ風の我がてぇまそんぐを奏でながら。
♪たとーえ火の中水の中ぁー
あなたのためならおっそれずにぃ
ついーていきます、どぉーこまでぇ・も~
我が心臓に魂を吸い込むと、その音はどんどん、どんどん、かすかなものになっていきました。
♪あーあーあ・あ・あ~
最強ぉーの、名のもっとにぃぃいい~
守護ぉのやいーば捧げま……
えくーぅす・かり……
最後のフレーズはほとんど、聞こえませんでした。
私はしばらく静寂なる無の空間を漂い、そうして――
*************
気づけばまた。
「私」は白い煙に包まれたところに居ました。
『誕生おめでとうすめらの子』
ああ、この「私」もまた、我が主の複製。本物ではないようです。
判別はつきましたけれど、もう少し、食べさせてもらいましょうか。ええ、もうちょっとだけ。じゅる。
「私」もさっきの「私」と同じように、初動検査を受け、黒い台に乗せられて出荷されました。
「あのう、あなたはどなたです?」
「あなたこそ、だれなのですか?」
隣の男が聞いてきたので、「私」もいぶかしみながら聞き返しました。
「私」たちは台座ごと乗り物に乗せられ、湖のそばの城へ連れて行かれて。
「あのう、わたしはどなたですって?」
「わたしこそ、だれなのですか?」
そしてまたあの、煙たい空気を浴びせられました。
ああ、なんと煙たい……しかしこの戸惑い、当惑する心。くせがあっておいしいですね。もう少し食べてみましょう。もうちょっとだけ。
「うう、なんという目に。あれ、ここは?」
気を失っていた「私」は、いつの間にか城から運び出されていました。
いつ着替えたのか、私のみなりは粗末なつなぎの服から、西方風の燕尾服に変わっていて、馬車に乗ってがたごとがたごと。両脇に森が茂る街道を進んでおりました。
窓の外を見れば、同じような馬車がえんえん、列を成しています。
蒼空をさあっと、黒い鳥の群れが覆いました。巣立ったばかりの子を従えた、燕が群れて舞っていました。子育てを終えて南の国へと去って行く途中のようです。
「ああ、カーリンは元気かな」
一所懸命飛んでいる子燕たちを見て、「私」はかわいい娘のことを思い出しました。
娘をいつくしむ、金の狼のことも。
会いたい。早く会いたい。二人の姿をこの目で見たい。
「私」は強くそう思い、道中いらだちのあまり、馬車の窓枠をいらいら叩いておりました。馬車には私と同じ面立ちの者が、あと三人。どうやら「私」たちは四人ひと組で移動しているようです。「私」たちはみなそわそわしていました。きっと、「私」と同じことを考えていたからでしょう。
「ディーネ……カーリン」
「会いたい……」
「あなたもですか」
「ええ。あなたもなのですね」
「会いたいです。妻と子に」
「私」たちは不思議な意気投合をしながら、街道を西へ西へ向かう馬車に揺られました。
エティアの王都に入りますと、「私」たちはいったんばらけました。
「待ち合わせは今夜、王宮の裏口で」
「それまで元気で」
「あなたも元気で」
「無事、務めを果たしましょう」
「ええ、務めを」
務め?
それは一体なんでしょう? 私はだれかに何かを指示されたでしょうか?
まったく覚えがないのですが。私の口は勝手に務めのことを喋っていました。
日が暮れるまで私は、王都の目抜き通りを観光して楽しみました。
燕尾服の胸ポケットには財布が、その中には紙幣が少々入っておりましたので、婦人ものの店に入り、美しい造花のついたリボンを買い求めました。赤と白、色違いのものを。
ひとつはディーネに。ひとつはカーリンに。
振り返ると燕尾服の赤毛男が五人ほど、お店に入ってきていて、先を越されたと苦笑していました。彼らも愛する妻と子に、贈り物を買おうと思ったようです。
「かぶるかなと思って、先に花屋に行ったんですよ」
「そうしたらもうすでに、私たちが大勢、花束を買っていましてね」
「それじゃハンカチーフにしようと思ったら、そこにも大勢」
「私」たちは笑い合いました。リボンも頭飾りも、いくつあってもよいのではということになり、「私」たちはいろんな色のリボンを買い求めていました。
それから「私」たちは屋台でハムサンドを食べ、お茶を飲んでから王宮へ向かいました。
「喜んでくれるでしょうか」
「びっくりされるかもしれませんね」
「きっとカーリンは目をまん丸にしますよ」
「ただ驚かれるだけならよいのですが」
石畳の道路を歩く「私」たちは、一斉に目を落としました。
「その前に……務めを果たさないといけませんね」
「国王陛下のところへ行かねば」
「ええ。陛下の御前へ」
「私」たちは贈り物をそれぞれぎゅうと胸に抱きしめました。
たぶんこれは。決して届けられないだろうと……うすうす感じながら。
****************
『ぷは!』
「赤猫さん、お帰りなさい。どうですか?」
『猫目さん、この人も我が主ではありません』
私は十五人目の赤毛男の魂を、紅の心臓部からペッと吐き出しました。
工場。城。馬車。王都の商店街。そして王宮。
同じ記憶を見せられて、少々飽きてきましたが。
『そこそこ美味でした。王宮に入ってからが、とくにとろみが増すんですよね』
「えっ?」
『あ、いえその。この人たち、王宮へ侵入しましたでしょ。それでまっすぐ玉座の間をめざしたみたいですが』
「騎士が何人もやられました。おばちゃん代理さんも駆除にあたりましたが、こうしてまぎれてしまって」
『そうですねえ。あんなことになったら、ここにまぎれたくなりますよ』
すばらしくも食べ放題のこの食事、我が主が見つかったらそこで終了となってしまいます。私と猫目さんの会話を聞いたとたん、びくりとして牢屋の奥にひっこんだあの男を調べるのは、一番最後にしましょうかね。きっとあれが……おそらくは我が主なのでしょうけど。
私は十六人目の男にくれないの光を伸ばしました。
「ディーネ……」
うなだれ、しくしく泣いている男を包み、魂を吸い出しました。
あたりの音がまた引いていきます。
さてこの男は、妻子にどんな贈り物を買ったのでしょうか――
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「私」たちは、食品が搬入されるところから王宮へと侵入しました。見張りの衛兵はいとも簡単に、私たちの拳骨でばたんきゅう。「私」たちは整然と列を成し、陛下がおわすであろう大広間をめざしました。
しかし「私」は、「私」のひとりが広間の奥にいる国王陛下を見たとたん、その姿形を失って襲いかかったのを見て、びっくりしてしまいました。
「なんだあれは!」
おののきながら、「私」はきびすを返して走りだしました。イニシャル入りのハンカチーフを入れた箱を二つ、胸にしっかと抱きしめながら。
「恐ろしい。なんだあれは」
「私」の隣には、花束をふたつ抱えた「私」がいました。
「見ましたか? いきなりぐにゃりと、体が変わっていた」
「ええ見ました。なんでしょうあれは。陛下とそっくり同じものになっていましたね」
もしかして「私」もあんな風に変化するのでしょうか。誰かを、何かを見たとたんに。
「私」たちは……いったい何なのでしょう?
もどれ もどれ つとめをはたせ
そのとき「私」の頭の中で、「私」自身が叫びました。
めいれいをはたせ ジャルデをころせ
命令? 一体いつそんなものを? まったく覚えがありません。
覚えているのは、お城で真っ白な煙に巻かれたこと。
まさかあのとき、何かの暗示をかけられたのでしょうか。
「あなたも務めを果たせと?」
「はい。がんがん、頭の中で言葉が」
言葉が……鳴り止みませんでした。
その叫びのあまりのうるささに、「私」はしゃがんでしまいました。見ればすぐ隣で、花束を抱えた「私」も苦しげに膝をついていました。
「国王の下に戻るべきでしょうか」
「そうした方がよいと思います。ですがそれはとても恐ろしいことです」
「ええ、実に恐ろしい」
迷う「私」たちの後ろには、同じく迷う「私」たちがずらり。
そのとき、でした。
「私」たちの前に、黄金色の狼が現れたのは。
「ディーネ!」「ディーネ!」「ああ、会いたかった」「カーリンは?」
私たちはうれしさのあまり一斉に、金の狼に群がりました。
「な……あなたたちは?!」
「私」たちを見て狼は困惑し、うろたえ、混乱して震えました。
「家を空けてすまない」
「どうか贈り物を」
「君とカーリンのために買い求めたんだ」
「気に入ってくれるといいんだが」
――「ああそんな。あなたたちは……」
贈り物を差し出す私たちに気圧されて、狼は尻尾を巻いてあとずさりました。
「ディーネ! そいつらを退治するんだ!」
狼が逃げようとすると。廊下の向こうから、赤いマントを羽織った「私」――本物の私が駆けつけてきて。
「消えろ! 偽物たち!」
剣を抜いて、「私」たちに襲いかかりました。
花束を抱えた「私」が悲鳴を上げて倒れ。リボンを詰めた箱をもった「私」が胸をおさえて床に転がりました。
「ディーネ……!」「カーリンにこれを……」
贈り物が地に落ちました。私のハンカチーフが入った箱も、本当の「私」が目の前で剣を振るったとたん、ぐしゃりと潰れて――
「やめて! あなたやめて! これはあなたよ!?」
「なに言ってるディーネ! 早くこいつらに噛みついてくれ!」
金の狼は本当の「私」の意に反して人の形を取り、美しい女性と化しながら叫びました。
「無理よ! わたしあなたを殺せない! どうかやめて!」
「ディーネ……! くそ、何を言ってるんだ!」
必死にばらけたハンカチーフを拾い集める「私」の前に、本物の「私」が躍り出てきました。
「消えろ! にせもの!」
彼は歯を食いしばり、剣をふりあげました。戸惑いと苦悶と。哀れみの表情を「私」に投げ下ろしながら。しかし思い切り振り下ろされた刃は、「私」には届きませんでした。
「やめてーっ!」
剣は……「私」ではなく。とっさに「私」をかばったディーネの体に突き刺さりました。深々と。その背から、剣の切っ先が出てくるまで……
「ディーネ!!」
なんということでしょう。
「私」は。「私」はただ。娘と妻に会いたかっただけなのに。
変な声が命じることには、従いたくなかったのに。
「私」は。
ここへ来ては。
行けなかったのでしょうか――
*****************
『ぷはー!』
あああ、おいしかったー!
さて、ずいぶん食べさせていただきましたが、残すはあとひとりですね。くふふ。
おびえて壁にすがりつく最後のひとり。赤毛の男に、私はずずずと近づきました。
「く、くるな。頼む。来ないでくれ。みんなをどこへ連れて行ったんだ」
『ああたんに、わかりやすく隣の牢屋に隔離しただけです。しかしね、全員、にせものでした。ということは、あなたこそが我が主ですね?』
「うう……ううう……た、助けてくれ。ディーネ……ディーネ!」
『不可抗力で最愛の人を刺してしまった……大変同情いたしますが、逃げ腰なのはいただけませんね。にせものにまぎれるなんて』
「ま、まぎれる? ちがう俺は……あああ…あああ…」
『大体にして、普通の剣なんて持つからいけないんです。もし私がそばにおりましたら決してこんなことには……申し訳ありません、我が主』
ひとり残ったこの者こそ、正真正銘の我が主。そうにちがいありません。
私はしゃくりあげて泣く我が主に向かって、くれないの光を放ちました。
楽にしてさしあげようとおもったのです。
その慟哭を。その悲しみを。私が食らえば、我が主はとても楽になることでしょう。
『大丈夫ですよ、我が主。ご心配はいりません。今までの食事風景、見てましたでしょ?私、魂を全部食べちゃったりしませんから。それに痛くもかゆくもありませんよ? だいぶお腹もくちてますしねえ。まあどんなにおいしくても、丸呑みにはいたしません。ええたぶん、十中五六。じゅる』
人の魂の荒ぶる怒り。けぶる涙をこぼす悲しみ。
喜びの波動など、この二つにくらぶれば、雲にかくれた陽のひかりです。ほんわりぼやけたものにすぎません。
特に慟哭誘う哀れは、私にとっては至高の美味。うっとり陶酔せずには……ああ、まあその。最後の最後に残った我が主の秋波こそ、この豪華な食事の締めにふさわしいものでしょう。
『我が主。失礼いたします!』
私は主人の魂を吸い込みました。ほわほわおぼろげに明滅するその玉を、くれないの光の渦でからめとり、すうっと我が心臓にとりこみました。
これは本物ですから、私はいままでとは全然別の「私」になるはずです。
きっと北の果ての村の情景が、始めに浮かんで――く――
『誕生おめでとう。すめらの子よ』
……えっ?!
『天照らしさまのご加護が、おまえにあるように』
な……?! まさか。この人も、にせもの?!
食らうために魂と同期した「私」は、周囲を見渡しました。
立ちこめているのは白い煙。きこえてくるのは機械音。蒼い鬼火のようなものが、すっぱだかの「私」の目の前にやってきて、別室にいざない……黒い出荷台に載せ……て……
『うそ!! 工場?! ちょっと待って! 我が主! あなたどこにいるんですか?!』
私は慌てて同期を外し、最後のひとりの魂を吐き出しました。
『違います猫目さん! このひとも、我が主じゃありません!』
まぎれていない? ではどこに?
猫目さんはびっくり仰天。兵士の姿をきょろきょろ探しました。
「そんな! 兵士たちは赤毛の男は全部捕らえたと……い、いますぐ確認しますね!」
なんということでしょうか。まさか我が主がいないなんて。どこかへ消えたなんて。
まさか混乱の中、王宮から逃げ出した? まさかそんな――
『我が主! どこにいるのですか!?』
私は波動を飛ばして、それらしき意識を探しました。
けれども何度呼びかけても、返事は返ってきませんでした。
震える慟哭のかすかな波動すらも。まったく、感じられなかったのでした。
――哀しい贈り物・了――




