牙王 (後編)
実は食堂のおばちゃんは。
七十七才という高齢ながら、孫ほどの若い男と駆け落ちしたのである。
半年前、青年がおばちゃんの縁故で給仕バイトとして営舎食堂に配属されたその日。
おばちゃんは、「それじゃ後はよろしくね」と言って、それきり姿を消した。
そのときおばちゃんは若い男と一緒に営舎を出て行った。相手は騎士ではなく出入りの商人だった。
表向きは育児休暇をとっていることになっているが、その届けを出したのは他でもない、赤毛の青年だった。親戚ゆえに無断退職のとばっちりを受けるのが怖くて、しばらくおばちゃんのふりをしたあと、なんとか体裁を取り繕ったのである。
しかし半年経ってもおばちゃんの行方はようとして知れないまま。おばちゃんを連れて行った若い商人の出入りは、あれからぷっつり途絶えている。
二人はどこへ姿を消したのであろうか……
「おばちゃん代理! 危ないっ!」
「はい?!」
もんもんと考えていた青年は、団長に腕を引っ張られてハッと我に帰った。
今は街道を北上中で。営舎に戻る途中で。そして――?
ぐるるるるる、と周囲に響くこの唸り声は……
「え!? もしかして」
「狼だ!」
青年は荷車の影に身を潜めて震えた。
かなりの規模の群れが周りにいて、今にも襲ってくる気配である。
買い物のあとの食事に結構時間がかかってしまったせいで、空は夕暮れの色。しかし夕刻ではない。夏季まっさかりなので、これ以上太陽が沈むことはない。大小二つの月は中天にあり、しかも第二の太陽のように真ん丸く輝いている。今は、ばりばりの「夜中」だ。
街道沿いの大きな岩に、きらきら光る大きな狼が一頭いる。
団長がそいつに銃の狙いをつけている。
巨大な体。黄金の毛並み……。
「まさか、うわさの牙王?」
大小二つの満月の下で、狼のボスが高らかに遠吠えするや。狼たちが一斉に荷車に飛びかかってきた。
応戦する騎士たちの銃がパンパンと火の粉をあげる。
が。
「うそだろ? 当ってるのに!」
青年は慄いた。狼たちは被弾しているのに、びくともしない。それどころかキンキンと変な金属音を立てて、弾を弾いている。
『あら、野生化した機械獣じゃないですか』
リュックの中から声がした。
『狼型ということは、神獣リュカオンの眷属だったやつですかねえ』
「神獣?」
かつて大陸の諸国はそれぞれに、国を守る守護神のごとき巨大な獣を保有していたというが……。
「神獣が、この近くに居るの?!」
『いえ、リュカオンは統一王国時代に入ってすぐに破壊されてます。その残党が壊れずに残っていたってことでしょう。あの金色のでかいのは、かつての中継司令塔でしょうね。リュカオンの指令を受けて拡散してたんですよ。今はあいつが自分の意志で、この機械の狼達を動かしているようです』
「機械なのに、自分の意志がある?」
『半有機体ですので、毛皮は本物。おそらく脳味噌も本物ですよ』
狼たちは食べ物だけでなく、毛布やタオルをくわえている。
荷物を奪うことだけに集中しており、応戦する人間を完全に無視しているようにみえる。
『司令塔を倒しますか? 我が主』
「もちろん!」
聞かれた青年はうなずいて、リュックから折れた剣を出した。
まるで鞘から抜くように、とても厳かに。
大事な冬支度を奪われては困る。青年は黄金色の牙王めがけて走った。
『照準器展開、目標捕捉します』
巨大な岩のふもとに到達すると、輝く円い赤紋が目前に広がる。
『光弾射出します。反動注意。中央点に私を振り下ろ……ろ……』
しかし突然、剣の声がざわっと揺らいだ。
『あ。すみませ……力が……』
「え? どうしたの?! ちょっと!」
大きな黄金の狼が、こちらに気づく。
『お腹……へりすぎて……力が……出ませ……』
「はああああ?!」
岩のてっぺんから、牙王が走り降りてくる。黄金の毛を黄昏の光に煌めかせて。
『ちょっと……そこらへんの動物を……喰わせてくださ……』
「そ、そそそそんなヒマないいいい!」
牙王が飛びかかってきた。青年はひいと悲鳴をあげてしゃがみこんだ。
鈍い衝撃と共に剣がはじかれ、地面をくるくる回転してすっ飛んでいく。
青年を蹴った勢いを利用して地にすとんと飛び降りた黄金の狼は、カッと口を広げた。真っ赤な口の奥から、光弾が一直線に飛び出して――
『あ……我が主!』
青年の胸に突き刺さった。
「うわああああああ!?」
だが幸いなことに、その場は血に濡れなかった。青年が胸ポケットに入れていたものに当って、光弾がはね返り。
「ぎゃいん!!」
牙王の前足を急襲したのである。黄金の狼はきゃんきゃん言いながら逃げ出し、機械の狼たちも盗んだ物をくわえて撤退し始めた。
胸の辺りをまさぐった青年は、目を丸くして小さな手鏡を呆然とみつめた。ポケットは穴が開いているが、鏡にはキズ一つない。光弾を跳ね返したというのに、ほんのり熱くなっているだけだ。
なんと不思議な物かと青年は首を傾げつつも、沈黙した剣を拾い上げた。
「おばちゃん代理! 大丈夫か?!」
「団長! 馬! 馬、借ります!」
「おばちゃん代理? おい! 無理するな!」
青年は一所懸命馬を駆って狼の群れを追った。途中何度も見失いそうになったが、狼の一匹がくわえている真っ白い毛布が良い目印になった。
狼たちが逃げ込んだのは、森の奥の奥の、草の茂みに隠された洞窟だった。
「機械の狼が、人間の物をうばう理由って……」
それは。
それは――。
「ああ……やっぱり……!」
息を潜め、洞窟の中にこっそり忍んで、奥に進んでみれば。奥に在る大きな穴ぐらで、機械の狼たちが彼らが守っているものを取り囲んでいた。
「まー。あー。ぶぅー」
足を怪我した金の狼がとてもいとおしそうに、小さな生き物を舐めていた。
幼い人間の子供のほっぺたを。
『あー。すみません。ゴキブリ三匹ありがとうございます。なんとか喋られるまで回復しましたよ』
「生き物の生気吸わないと動けないってなんだよそれ。怖い機能だな」
騎士団営舎の厨房で、青年はため息をつきながら折れた剣を樽にくくりつけた。
『私は生きておりますので、食事をしなければならないのです。あなただってそうでしょう?』
「それはそうだけど」
あの人間の子供もそうだった。食べさせる必要があったから。服を着せる必要があったから。人間らしく育てねばならぬと思ったから。
人間に作られた賢い狼は、人間から物を奪っていたのだった。
子供は、半機械の狼たちにつつがなく育てられていた。たぶん、赤子の時から。
騎士団挙げての調査により、狼の洞窟の近くの街道そばに、数年ほど経過した人間の遺体が幾体も発見された。かなり良い身なりでどれにも矢傷があり、盗賊に襲われたにしては殺され方が異様だった。みな首から上がないのに、持ち物はほとんど残されていた。
女性とおぼしき遺体の腰袋に、本人と赤子、夫とおぼしき者の絵姿が入っていた。
描かれた赤子の顔つきなどから、おそらく狼に育てられた子供の両親と召使であろうと団長は結論づけた。
「実は額に家紋をつける由緒ある一族ってのが近くにいる。首なし死体とくれば、そこらへんのお家騒動の可能性大だな。追われて始末されるも……赤子だけは奇跡的になんとか生きのびたんだろう。絵姿の顔にゃ家紋が描かれてないから、証拠隠滅されなかったんだろう」
狼のガードが硬いので、騎士団はゆっくり時間をかけて子供を保護することにした。
『おいしそうなサンドイッチですねー。作り立ての腸詰めもたくさんあるじゃないですか♪』
「狼さんたちにさし入れ。半機械だから、普通のものが食べられるんだってね」
ため息をつきながら、青年は作り立ての猪肉の腸詰めをリュックに押しこんだ。
「狼と仲良くなって子供を保護しろとか、なんで団長は俺に無理難題押しつけるんだろ。俺はただの料理人なのに」
『私のおかげで、牙王に一目置かれたからじゃないですか』
「おまえのおかげじゃないだろ! なんか変な鏡のおかげだろうが」
『あれは鏡じゃなくて、統一王国時代のクローム鋼の盾ですよ』
「え」
『兵士の腕に装着するものです。本体は小さいですが、スイッチを押せば付属の電磁バリアが展開するはずです』
「うぉ! ほんとだ」
青年が鏡の縁をいじると、ふおんと光の円盤が鏡の周囲に広がった。
「なんでこんなすごいものが、食堂のおばちゃんちに?」
『いえこれは、当時の一般兵士の標準装備です。ご先祖様が兵隊さんだったのかもしれませんねえ』
剣はころころ笑った。
『でもまあ、あの孫娘にはもっと支払うべきですよ。銀五本ぐらいね』
「えええっ」
『出世払いでよろしいかと』
銀五本なんてムリだとあわあわする青年に、剣は自信たっぷりに告げた。
『私と一緒にいれば、すぐ払えるようになりますよ。我が主』
それから青年は、足繁く狼の洞窟へ通いつめた。
牙王は始めひどく警戒したが、青年は根気強く肉や腸詰や、子供のための服、怪我を治すための薬などを連日洞窟の前に置いていった。
ひと月たってようやく、青年は洞窟に出入りできるようになった。
そして短い夏季が終わって雪が積もりだしたころ。ついに子供を連れ出すことを牙王から許してもらえた。
騎士団の封地が一面雪に覆われた日。青年は子供を馬に乗せ、一緒に歌を歌いながら営舎に連れて行った。
「ゆき、ゆき! いっぱーい♪」
「ね、団長。この子かわいいでしょ? 言葉だいぶ覚えてきたんですよ」
「それはいいんだけどな……」
団長はひくひくこめかみをひくつかせ、青年と子供の後ろをみやった。
「なんかいないか? 後ろにいっぱい」
「あー。みんなついてきちゃってますね。すみません、俺が責任持って飼います」
「飼うっておい!」
「俺が作った腸詰め、なんだか気に入られちゃったみたいで。持って行くたんびに大人気で。それで狼たち、心開いてくれたっていうか。あの、いいですよね? 戦力になりますから」
「気に入られたのは……腸詰めだけじゃないんじゃないのか? お前一体何やった?」
青年にぴたりと寄り添っている黄金の狼を眺め、騎士団長はごくりと息を呑んだ。
「いえ別に何も……あ、怪我の治療はしてあげましたけど」
「わーいおうちだー♪ パパ! ママ! はいっていい?」
「パ!? あ、こらちょ! ちょっと待……!」
呆然とする団長を尻目に、子供を先頭に青年と黄金の狼、そして鋼の狼たちの群れはどやどやと営舎に入っていった。
とても、幸せそうに――。
これが、銀枝騎士団が歴史に名高い別動部隊、「金狼隊」を抱えることになった顛末である。
未来において銀枝騎士団史上最年少にして最強騎士となるこの「狼の子供」を守るために、騎士団はこの後、恐ろしい陰謀の渦中に身を投じることになるのであるが。
それはまた別の、長い長い物語である。
――牙王・了――