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法の番人

 ビロードのような黒い毛皮が艶めかしく光る。すべらかな毛皮をまとったそれが、鞭のような尻尾をぱしりとひと打ち。口をくわりと開けてあくびをした。かいま見えるのは、鋭い牙。

 ふふ。噛みつかれたら痛そうね。

 分厚いギヤマンが嵌まった窓辺に寝そべって、なんて気持ちよさそうなのかしら。書庫の本を害獣にかじられないよう飼っている子だけれど、あそこが定位置で日がな一日眠ってばかり。仕事をしているところなんて、一度も見たことがない。

 

「ふふ、鼠も虫も結構いるっていうのに」


 えんえん螺旋階段が続く円型の塔。ここの壁はみな、書物で埋まっている。

 大陸中の国々から集められた法典。裁判記録。法制史や軍制史の研究書に、処刑や拷問の覚書。

 硬いものからゆるいもの。なにやら怪しげなものまで、法に関するものならなんでも揃っている。

 人間がいかにして同族を裁いてきたのか。いかにして支配し、虐げてきたのか。すべての記録がここにある。今は滅んだ国々の言葉で書かれたものも多くて、貴重な文物ばかり。だから、鼠にかじられるのは困るのだけど。

 

「ロン先生、お客人が参りました」


 藍色のローブをひるがえして、書生のクリストくんが私の書斎にやって来た。筒型の塔のなかに屋根を支える柱として建つ、もう一本の塔の中。そのてっぺんに。

 手に持つ皿には猫のための魚。まったく、また甘やかすつもりね。働かざるもの食うべからずでしょうに。

 

「誰がいらしたの? スメルニア皇国の大使かしら? それともトバテ公国? もしや先程帰ったファラディア合衆国の方が、お忘れ物をしたのかしら?」

「金色の婦人です」 

「あら、またいらしたのね」

 

 顔をあげる必要はないわね。わざわざ一千年前の統一王国の公判記録を閉じて、席から立ち上がる価値などまったくないことだわ。


「ここへお通し……してはいけませんか?」

「来ていただいても、昨日と同じ答えしかできなくてよ?」

「……ですよね。わかりました、お引き取り願うよう伝えます」

 

 窓辺から塔の番人が降りて伸びをする。そのまん前にクリストくんが皿を置いて、踵を返す。

 そんな光景をちらと見ながら、私は記録の巻物をずっと下の方まで広げた。

 これは文書だけれど文書ではない。一見するとまっさらな羊皮紙。特殊なインクで文字が印刷されており、専用の眼鏡をかけなければ読めないという代物。

 技師に復刻させた特注眼鏡は、ずいぶん値が張ったわ。「都合の悪い」裁判記録をスメルニアに売りつけた代金で賄ったけれど。どこかのリゾート島をまるごと買えそうな値段だったわね。

 ふふ、それで文字が見えても、すんなり解読はできない。随分と楽しませてくれる逸品で心が躍る。

 

「オルファーレン体系の暗号(エニグマ)だわ」


 王国に反乱を起こした領主を裁いたもの。表向きはそうなっているけれど、この機密度。

 その領主を中央府が裁いた内容をこれだけ秘密にしなければならないなんて、この罪人は王の御落胤か何かかしら。

 でもオルファーレン体系の解読表はもう完璧に作ってあるから――


「ちょっと、困ります!」


 あら。クリストくんたら、部屋の戸口で何を慌てているの?

 

「ロビーでお待ち下さいとお願いしたはずです」

「あなたではお話にならないわ!」

 

 あらあら。いきなりの大声に、うちの番人がしっぽを爆発させているわ。止められているのにずかずか入ってくるなんて、不躾な女だこと。金髪頭にレースをあしらったつば広の帽子。一見すると人間の女のようね。腰を絞った黄金色のパニエのドレスのシルエットのなんて細いこと。カメオを止めたブラウスはいちおう絹かしら? 着ているものはそこそこ良さそうだけれど。


「犬臭いわね」

「はぁ?! いきなり何を失礼な」


 突然失礼かましたのはそちらでしょうに? 私はあなたに入室を許していなくてよ、犬女。

 肩を怒らせてずかずか近づいてくるなんて、育ちが知れるというものね。

 野性味あふれる緑の瞳の荒々しいことといったら。つい最近まで野っぱらを走り回ってたとしか思えない野蛮さだわ。黒檀のデスクに両手をついて睨みあげてくるとか。礼儀も何もあったものじゃない。

 

「主人を、返してください」


 単刀直入、いきなり本題に入るところからして、野育ち確定ね。


「まずは入り口まで下がって挨拶してくださるかしら。帽子を取って、一歩足を引いて、腰を少し落として――」

「主人は一週間前、ここに入っていったきり。泊まってくるなどひとことも言ってなかったのです」

「人語を理解できないのかしら。帽子をお取りになってくださる?」

「そ、それはできません」


 女はたちまち困り顔。そうでしょうね。黄金色の頭に生えている犬耳を、公衆に見せるわけにはいかないもの。悔しげにぐるると唸って、今にも噛み付きそうな顔をするのがせいぜいといったところよね。


「七日前に申し上げた通りです、マダム」


 クリストくんが慌てて頭を下げて、女の注意を引く。

 

「たしかにエティアの方はここにおいでになられましたが、ロン先生の講義を受けられたあと、ちゃんとお帰りになりました」

「嘘です! 私は塔の前の広場で待っていたのです。夕刻にそこで待ち合わせようと出掛けに主人が言ったので、時間になる少し前からずっとそこで――」

「おそらくその時間になる前に、ご主人は塔を出たのでしょう。その日の講義は初日でしたので、ごくごく早く、終わりました」


 主人が待ち合わせを忘れるはずがない。自分をおいて一体どこへ行くというのか。塔に入っていくのを見たわけではないけれど、出てきたのは見ていないのだから、絶対ここに主人はいる。まだ、この中に――

 食い下がる犬女の訴えを聞くのをクリストくんに任せて、私はエニグマの解読書を後ろの書棚から出した。まったくキャンキャンうるさいこと。忠犬よろしく主人の身を案じるのは見上げたことだけれど、この女は名字すら持っていない。サブで使っている透視眼鏡をかければ、その正体は一目瞭然。

 半分機械のつくりもの。

 ずいぶん精巧な動物だこと。かつて灰色の技師たちが造ったものの生き残り。しかも最近改造された跡がある。

 体から放たれるかすかな光。これはレアメタルとバイオメタルのコーティングのせいね。中の回路もバイオメタルの永久回路が入っているみたい。すなわち、いにしえの神獣に使われた核を持っているということ。こんな極小サイズで存在するなんて、面白いことこの上ないわ。技の塔のケミストス老だったら、エティアの人よりむしろ、こちらの方を解剖したがること請け合いだけれど。

 話の内容はこの一週間まったく同じ。うんざりだわね。

 

「とにかく、エティアの方はここにはおりません。どうかお引き取りください」

「いやです! 主人は絶対ここにいます! だって匂いますものっ」


 嗅覚が鋭いのはさすがなのよね。でもその匂いはもうずいぶん古いのよ?


「検分の結果が出たというのに、主人がいないものですから、賢者さまたちも結果を伝えられずに困っているのです!」

「そんなことをいわれましても、当方ではあずかり知らぬことで……」


 クリストくんが女の肩をつかんで、遠慮がちに押して外へ出そうとしている。そんな生ぬるいやり方では引き下がらなさそうなので、私は仕方なしに手を上げた。


『消えよまぼろしの皮』

「きゃ?!」


 ふん。いかな神獣とはいえ、この大きさ。そこらへんの犬と変わらない。

 だから韻律ひとつでこの通り、化けの皮が剥がれる。あっけないことね。

 クリストくんがあたふたうろたえる。なぜなら、黄金色のドレスから一瞬中身が無くなったように見えたから。私が勢い良くドレスを掴んで取り去ると、そこにはしっぽを巻いた金色の狼が一匹。

 ふうん?

 これが、エティアが大陸同盟に使用申請した神獣、「黄金の牙王」?

 公式記録では「神狼リュカオンの娘」。金槌遺伝子の人の護衛につけられるなんて、ずいぶん大げさだと思ったら。あの男は夫だとか主張してきて笑っちゃうわ。

 

「犬のくせに」


 きゃいん


 悔しげに黄金の狼が鳴く。

 人身を取れなくなるなんて、そりゃあ驚くわよね。でもこの部屋では私は無敵。神獣とて、無力になるの。

 なにげに描かれた床の魔法陣。そして壁にはめ込まれた結界発生装置。それらはみな、私の声紋に反応する。私のもとには大陸中から「法の賢者のお墨付きが欲しい」という輩がひっきりなしにやってきて、毎日脅したりなんだり。物騒な連中ばかり来るんですもの。おのずと、自衛手段は鉄壁にせざるを得ないのよね。


『おのれ人間風情が』


「あら、知らないの? 神獣なんて、人間に作られた機械にすぎないのよ」

   

 この世に神など存在しない。神なる獣も、みな人工物。

 

「あなたたちの力なんて、しょせん作りもの。どうとでも防げるものなのよ。さあ、お帰りになってくださいな、機械の犬さん」 

「先生! 危ないっ」


 黄金の狼が口をカッと開ける。牙が並ぶその口から、ごうとひと吹き炎が出てくる。

 けれど私は微動だにせず、微笑んだ。

 バカな犬。

 さあこれで、正当防衛成立ね――

 



 しゅっしゅと爪を整え、私は指の爪を真紅に染めた。

 今宵は大切な客人と食事をすることになっているから、準備は念入りに。あかがね色のローブを脱いで、爪の色と同じ真紅のドレスをまとう。肩は大胆に出し、うなじを見せるために髪は結い上げ、ましろな大粒の真珠を耳につける……

 

「先生、応接室に客人が」


 クリストくんが喉をつまらせて私の胸元を見つめる。

 ふふふ、ちょっと切り込みが深すぎるかしら。谷間がくっきり見えるわよねえ。

 

「今行くわ」


 頬をほんのり染めるクリストくんの脇をすり抜けて、私は自分の砦から出た。

 本がぎっしりつまった螺旋階段を降りて、地上近くにある応接室に入る。

 そこに通されている客人は、私を見るなり両手を広げ、満面の笑みで迎えてくれた。ふわりと袖豊かな着物が空気をはらみ、一瞬ふくらむ。なんて上等な絹織りの白き衣かしら。とても懐かしいわ。


「おお、(ロン)家のファチュン姫。お久しぶりにございます。ご健勝そうでなにより」 


 客人は両手を合わせて私に深々と頭を垂れた。


「すめらの月の大神官、(トウ)家のアン様に代わりまして、こたびのことのお礼を申し上げたく」

「あら。では……」

「はい。あのような贈り物はまたとなく。月神殿はあなた様に多大なる感謝の念を表したくございます。若く家柄のよい神官を三名、この塔に弟子入りさせますので、よしなにと」

「若き神官。ほほ、謹んでお引き受けいたしますわ」


 さすがはわが従兄弟の君。私の好みをよく分かってらっしゃること。クリストくんの嫉妬顔が見られるとは、楽しみだわ。

 

「金槌遺伝子入りの血液。よもやそのようなものをいただけるとは」

「ええ、実に運の良いことに、偶然手に入りましたのよ」


 だから売れるのは一度きり。法の賢者は、売買相手にスメルニアを選んだ。自身の、愛する故郷を。

 そういうことにしなくてはね。

 あと十セットほど、血の入った試験管を入れたギフトボックスを用意しているけれど。さてあとは、どの国がこっそり買いに来てくれるかしら?

 

「先生、生命の塔から手紙が届いています」


 客人と酒杯を交わし、食事を終えて塔のてっぺんに戻ると、クリストくんが仏頂面で黒い封筒を差し出してきた。

 あそこの賢者はそこそこ若くて美しい男。

 だからクリストくんはあからさまに不機嫌。もしかして恋文だとでも思っているのかしら。

 ふふ、かわいいこと。 

 わざとそっけない態度でクリストくんを私の砦から退出させて、黒い封書を切ると。大きな宝石の粒がころり。


「試験管二十本分ってところかしら」


 分析に半分、販売用に半分。あそこの賢者ならそんなところかしら。

 手紙はたった数行の、記号エニグマ。私達、塔の賢者たちにだけ通じるもの。


『本体は三日前、武の賢者へ渡した』


 ふふ。本当に、赤毛のあの人はここにいないのよ。

 たしかにあの人は、塔の正門からは出ていかなかったわ。貧血がひどくて立てないから棺に入れてあげて、裏門から送り出してあげたわよ? 医療に詳しそうな賢者のところへね。


『貴重な検体を送ってくれて感謝する。武の塔でもあの者の血は役立つことだろう』


 武の賢者は試験管に何十本、血を採るかしら。

 あそこの賢者は短気だから、一日たたぬうちに他の塔へたらい回しするかも? 採るものを採ったらすぐに、他の塔の賢者へ引き渡すでしょうね。

 だからせいぜい、鋭い鼻でお探しなさいな、犬女。この島のどこかには、まだいるでしょうから。まあ、待っていてもじきに帰ってくると思うわよ? 血はほとんど抜かれているでしょうけどね―― 

 

「みぎゃ!」


 あら。すごい音がしたと思ったら。我が家の番人が鼠を捕まえたわ、珍しいこと。

 クリストくんが窓から、光の帯でがんじがらめになった狼を放り落としたからかしら。

 お仕事しないと自分もそうされると危機感を抱いたのかもね。

 えらいわ。首を噛んで動けなくして、見事だこと。

 本当にここには鼠が多いのよ。これからもその調子で頼むわね、黒猫ちゃん。 

 ご褒美は弾むわよ。魚だけでなく、もっとすごいものもあげましょうね。

 能力を複製できる力をもつ血とか。

 きっとおいしいわよ? さあ、舐めてごらんなさい。


 おまえが神獣のような猫になったら面白いわね。そうなったらエティアの王様にさしあげようかしら。あの目立ちたがりの王様に。

 ああでも、生命の塔の賢者も武の塔の賢者も、きっと同じことを試すでしょうね。だからしばらくは静観していようかしら。

 あの王の懐にかくまわれた金槌が、オムパロスに来るなんて。なんという幸運かしら。

 やっとあの目障りな王をこの大陸から消せるというものよ。

 楽しみだわ。これで大陸は平和になって、めでたしめでたしね。

 


 この世に神など存在しない。あるのは人工のものだけ。

 力なき数多の人々が造ったものだけが残っている。

 そう。この地は、何億という名無き者たちのために在る。

 我らが大陸は、名ある者たちの血を吸ってこそ栄えるのよ。

 それゆえに、私は望むの。

 心より切に。



 英雄に、死を――



 ――法の番人・了――

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