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技の塔

 目の前で文字がどんどこ踊る。見事なラインダンスで。


「英雄、創りし、光……是……となり……」


 カビ臭い匂い。書見台に広げた本に書かれているのは、四方八方にうねる奇っ怪な文字。

 ため息をもらす俺の右手にあるのは、麺棒でも包丁でもない。馬鹿みたいに分厚い辞書である。


「ラセン……が……を示す……を見る……。うああああ、わ、わかんねえ。ぜんぜんわかんねえ」


 古代文字って、なんて難しいのだろう。

 文字は判別しづらいし。ひとつの文字にいくつも意味があるし。てにをはとか全然ついてないし。おかげで辞書引いて意味調べしても、まったく文章にできない。

 背筋を伸ばし、途方に暮れてあたりを見渡せば、周りは本。本。本……本がぎっしり詰まった書棚が螺旋を形作ってはるか高みまで連なっている。

 ちょっとめまいがして卓上に視線を戻せば、そこにはどちゃっと十冊ぐらいの本の山……

 これらの本を読むがよい――

 偉い人にそう命じられたが、これは俺のスペックを遥かに超える作業だ。学校にろくに行ったことなくて、二十六文字しかない共通語の文字すら、読み書き微妙。そんな奴が挑めるもんじゃない……。


「うう、まだ二ページ目?」


 朝から取り掛かって、もう昼だというのに全然進まない。腹が減って死にそうだ。

 早く下宿屋に帰りたい。牙王とカーリン、俺の家族が笑顔で迎えてくれる所に。

 

「だめだ……もう、目が疲れて……」


 本につっぷす。真っ白に燃え尽きた俺、あえなく爆死――

 




 学都オムパロスの象徴、天にそびえる七つの塔の内部には、大陸中の書物がぎっちり詰まっている。唖然とするほど果てしない、本棚の螺旋。どの塔も隙間なく本だらけの大図書館だ。

 塔にはそれぞれに館長がいて、「七賢者」として敬われている。ジャルデ陛下の紹介状は、その一人のもとへと俺を導いた。


『わしはケミストス。この「技の塔」の長である。ここには、古今東西「技術」と呼ばれるものの書物がすべからく納められている』


 俺が紹介状を渡すと、ケミストス老は封を切る前にそうのたまわった。すでにジャルデ陛下から先触れを受け取っていて、俺のことを待ちかまえていたらしい。銅色のローブに刺繍びっしりの筒型の帽子という出で立ちは、この島共通の「賢者」の身分を体現するもの。白髪白髭という風貌が、その職にしごく妥当な貫禄を添えていた。


『鍛冶や陶工や紡織といった職人の技。錬金術や韻律といった魔法系の御技。それから、かつて大陸に栄えた超古代文明で使われていた伝説の技術などなど。ここにはありとあらゆる技術書がそろっている。しかし。戦技に関するものだけは、ないのだ』


 「技の賢者」は、ここに戦技関連の蔵書がないということにえらく不満げだった。


『それに関する書物は、一番北の「戦の塔」に収蔵されておる。しかしおぬしが求めるものは、この塔で十分に得られるであろう』


 いやその。俺自身は別に求めてないんだけど――

 至極真面目で厳しそうな面差しに気圧され、俺はたじたじ。陛下に調べてもらえと言われたから、ここにきただけなんだけど……。

「英雄殺し」。俺はそう呼ばれる能力をもっているらしい。それが今、俺の内部でなんだか変な状態になっているというのだが。しかし俺自身は、何の悩みも疑問もない。なにせ陛下に面と向かって言われるまで、気にするどころか自覚すらしていなかったのだ。

 そもそも「英雄殺し」というのがよくわからない。英雄に関係しそうな「戦の塔」や身体機能に関係しそうな「生命の塔」ではなく、なぜこの「技の塔」を紹介されたのか、という点も腑に落ちない。


『あのう。英雄殺しって、なんですか?』


 だからおそるおそる、賢者に聞いてみたらば。


『三日後にそなたの体の検分を始める。それまでにおのれのことをよく理解しておくがよい』


 ケミストス老は初対面の俺にいきなりどそどそ、十冊ぐらい本を渡してきたのだった。

 これを読めば分かるだろう、という言葉と共に。

 そんなわけで俺は朝から一所懸命辞書を引いて、解読を試みていたのだが……


――「これ。本の上に寝るでない!」

「ひっ! ね、寝てないです!」


 びしりと、背中に衝撃がきた。あわてて上半身を起こす俺の視界に、長い定規をもったケミストス老の姿が入ってくる。

 

「薦めた本は読んだかの?」

「い、いえその全然……あのこれ、俺には無理です」

「そなた、エティアの次代の王の後見人になったのであろう? 古代語ぐらい読めねば、まともな(まつりごと)などできぬぞ?」

「勉強しなければならないのは分かってますが、いきなりこれを三日で読破はさすがに……あの、もしご存知なら、口で説明していただけるとありがたいんですが」


 あああ、睨まれた。思いっきり呆れられてる。いやでも、本を読んで把握する方法は、俺にはあと何年かかるかって感じだから仕方ない。恥を偲んで、百読は一聞にしかずっていうショートカットをぜひやらせてほしい。

 どうかお願いしますと頼み込むと、賢者はうぬうと唸った。


「人から話を聞けば、おまえは嘘だとかまさかそんなとか言って否定するであろう。そんな証拠はどこにあるのか、ともな。そんな鬱陶しい反応を見るのは、わしは嫌なのだ。ゆえにおのれ自身で把握してほしいのだが」

「賢者さまの言葉を疑うなんてそんな。何を言われようが、信じます」

「そうか。しかし人というものは、固く誓っていても約束を違えるもの……まあどうしても読めぬとあらば、致し方あるまい」


 そんなやりとりを経てようやく。俺はおのれのうちにある能力が一体何であるかをついに教えられたのだった。いにしえより伝わる「英雄殺し」とは、何かということを。





 この大陸に初めて人間が降り立ったのは、今から一万二千年ほど前と言われている。

 遠い宇宙の果てにある青の三の星から、星船に乗ってどんぶらこっことやってきたのだそうだ。

 以来この地には国が興り戦が起こり。そしてたびたび、偉大な英雄が出現してきた。

 数多の勲詩に歌われる彼らの偉業は実に輝かしい。

 友を救い。うるわしの姫を救い。世の国々を次々と平定し。神獣まで倒す勢いである。

 だがしかし――

 竜王メルドルークとともに世界を統一しかけた戦士、ジーク・フォンジュは、黒衣の戦士に塔から落とされて死んだ。

 古代竜の友、竜使いルアス・フィーべは、黒い竜使いに絞め殺された。

 炎熱の鎧まといし大将軍ゴッツウォルは、黒い炎をまとう将軍とトーナメントをして落馬し、命を落とした。

 黒竜ヴァーテインを倒した銀足のグレイル・ダナンは、黒鉄の足の戦士によって凍結の湖に引きずり込まれた。

 

「……そしてエティアの剣聖スイール・フィラガーは、スメルニアに単身入り、神獣ミカヅチノタケリを瀕死に追い込むも。黒き影まとう皇帝に捕らえられ、国の守護神を害した咎で、処刑された」

「な、なんだかみなさん、悲惨な最期ですね」

「清き神官レイヴァーン。白鳥の詩人アレイナス。メキドの武帝トルナート……古今東西、この大陸でおだやかな死に方をした英雄はほとんどおらぬ。そしてこれは、偶然の所産ではないのだ」


 偶然の反対は必然である。


「英雄たちはみな殺されたのだ。〈金槌〉という、おそるべきものに」

「金槌?」

「これを見るが良い」 


 ケミストス老は、俺に読めと渡した本の一冊を開いてみせた。本の題名は「遠心分離の技による塩基解析法」。見開きで螺旋模様が描かれている図を指し示し、これは人の体の設計図であるとのたまう。俺達の体内にはこの設計図が組み込まれていて、これの通りに血肉が作られる……らしいのだが。


「〈金槌〉は、この黒く塗られた領域の遺伝子を指すのだ」 

「いでんし……?」

「事の起こりは数千年もの昔。竜王メルドルークと英雄ジーク・フォンジュが、大陸を統一しかけたときにさかのぼる」


 数多いる神獣の中で随一の力を誇る竜王と、戦神の剣をもつ戦士。

 最強の二人は、天突く塔を根城にして次々と大陸諸国を平定し、巨大な帝国を作らんとした。二人に対抗できるものはなく、いくつもの国が滅ぼされ、彼らに降ったといわれている。


「〈金槌〉はそのとき発明された。二人の支配を受けるまいと望んだ者たち。古き帝国スメルニアとその同盟国によってな。すめらの帝が灰色の導師たちにそれを作れと命じたのだ。その機密文書が、これだ」


 俺に薦められた本は巻物の形のものもあった。賢者は今度はそれを卓上に押し広げる。なんとそれは紙ではなく、真っ黄色の絹だった。巻き閉じるところにごろっとぶら下がっている大きな臘の塊は、すめらの帝の玉璽を判したもの。これは間違いなく、帝自身がしたためた命令書だと証明するものだという。


「ここに、塩基増殖の技をもってして〈金槌〉を作れと命じる勅令が記されておる。命令どおりに、灰色の技術導師たちは人間の遺伝子に人造のものを付け加えた。すなわち。〈金槌〉とは、いにしえの超技術によって造られた人工の遺伝子なのだ」

「人の手で造られた……」


 なるほど。それで俺は、この技の塔に行けと誘導されたのか。

 賢者はまた別の本を開き、得心した俺に向かってとあるページをとうとうと読み上げた。

 背表紙に輝く金字の題名は、「先天的に発現する潜在能力の、人工付与技術について」である。

 

『人工による能力の付与は、遺伝子を付け加えることによって可能となる。

 その最たるものは、〈金槌〉の遺伝子であろう。

 この遺伝子をもつ者は、普通の人間となんら変わらぬものとして生まれてくる。しかし英雄に出くわすとまるでスイッチが入ったかのように潜在能力が活性化し、表裏一体の影に変化する。英雄の力を複製し、対消滅させようとするのである。

 この遺伝子にはまた、英雄を抹殺せよという本能も、一緒に組み込まれている』


 技の賢者は列挙されている具体例をえんえん読んだ。

 ごくごく平凡な農夫が、英雄と会話したとたん、読めなかった字が読めるようになったり。覚えたことのない戦技を使って敵を倒したり。できないはずのことが突然できるようになったという話を。


「この能力が発現したことがあるようだと、ジャルデ陛下からの伝書に書かれていたが」

 

 読めなかった字が読めるように。それは今つとに実現してほしいが、そんな経験はない。

 覚えたことのない戦技……これはウサギ技師に指摘されたことがある。何故か俺は、習ったことのない剣術を駆使したらしい。


「なるほど剣技か。それを使用する前に、英雄に出会ったのだな」

「そうなんでしょうか?」

「ピピという技師の証言が陛下の伝書についていた。そなたはジャルデ陛下とそっくりの剣の技を使ったと」

「え……あの陛下って……英雄?!」


 たしかに王様だし。神獣の蛇を奥さんにしてるし。何十年か前には、王国内に突如出てきた魔物を倒したっていうし。前世は竜王メルドルークだって噂だし。

 いや、ちょっと待て。つまり〈金槌〉って遺伝子を持ってる俺は、ジャルデ陛下が英雄だって認識した? そしてその能力を複製したっていうのか?


「う、嘘だろ!? 俺が陛下の影になっ……た?! そんなまさか!」

「ほーら、言いよった。うそだ。そんなまさか。そなたは必ずそう言うと言ったであろう」

「う」


 慌てふためく俺にまあ落ち着けと、賢者は呆れ顔で手をひらひら振った。


「〈金槌〉はめざましい効果を発揮した。ジーク・フォンジュはおのが影に倒され、その影もまた、対消滅して消えた。以来〈金槌〉の遺伝子は今まで幾度も、この世が強き者ひとりによって統一されることを阻止してきている。このおそるべき遺伝子には、大陸をたった一色にしてはならぬという悲願が込められているのだ」


 文化も宗教も多種多様であれ。多様性こそ進化の原動力。〈金槌〉は、そう信じる一派が作り出したもの。


「どんな英雄も〈金槌〉から逃れられぬ。一千年前、神獣六翼の女王とその夫は大陸を統一した。しかし〈英雄殺し〉をまぬがれたように見えた彼らもまた、統一王国を建てた直後に行方知れずとなっている。王国自体は凡庸な王の治世のもとで永らく続いたが、それはゆるゆるとした連合王国のようなものであった」


 俺の心臓はもうバクバク。標的と同じものに変身して殺す? やばいなんてものじゃない。

 技の賢者は、今度は数値がびっしり描かれた本を開いた。その題名は、「いにしえの技、人工遺伝子の付与と伝播について――〈金槌〉遺伝子の猛威」というものだった。


『英雄を殺すこの遺伝子は、大陸中にばらまかれた。文明絢爛なりし当時、スメルニアでは人工授精によって生まれ来る子たちが多く、政府は受精卵にこの遺伝子を植え付けることを推奨した。他の多くの国々もこれにならった。こうして〈金槌〉は超技術によって、大陸中にばらまかれた。ごくごく普通の人間たちの間に、広く、くまなく。我が試算によれば、この大陸の実に三割の人間が、〈金槌〉遺伝子を植え付けられた者の子孫。すなわち人工授精で生まれた人間の末裔である』


「えええ?!」

「これはとある統計学者が書いた論文だ」


『しかし一般に広められた〈金槌〉遺伝子は、英雄を対消滅させる影に変容するほど強力なものではない。一般人には、一万ある塩基配列のすべてではなく、一部しかついていないものが植え付けられたからである。この因子を受け継ぐ人間は、せいぜい英雄を迫害し、嫌悪し、排斥する反応を起こすぐらいである』


 それでも英雄にとっては、深刻な脅威じゃないだろうか。ちょっとでも有名になったら叩かれる。嫉妬されるってことだ。突出したものを排除する、そんな本能を持つ人が、この世に何千万といるなんて……


『英雄の能力を複製する力を持つのは、完全なる〈金槌〉遺伝子を付与された者の子孫のみである』

 


 初代〈金槌〉はジーク・フォンジュの力を複製し、彼を殺して対消滅した。

 彼には子がいなかったが、兄弟が十一人いた。スメルニアはこの兄弟たちにも、同じ人工遺伝子を付与したという。


「つまり俺は……その十一人の兄弟たちの、だれかの子孫?」

「なのであろうな。初代〈金槌〉の十二兄弟はスメルニア人。かの帝国ではその者らこそ、名も無き真の英雄として神殿に祀られていると聞くぞ。十二神将と呼ばれる、太陽神のしもべとしてな」


 自分の先祖のことを考えるのは二度目だ。食堂のおばちゃんが食聖じゃないかって疑いが持ち上がった時、血縁の俺はもしかしてメンジェール王国と繋がってるのかと危惧したけれど、それは違っていてホッとした。

 しかし今回は……。ガチでうちの家系は、空恐ろしいものらしい。俺の遠い先祖ってスメルニア人だったのか。ずっとエティアの北の辺境で血を繋いできた一般農民だと思ってたのに。


「そなた、料理が得意だそうだが。その腕も、複製の所産かもしれぬな」

「えっ……」

「食聖級の腕をもつ料理人に接したことがあるかね?」

「あ……おばちゃん……」


 そんな。俺は自分でそれなりに修行してきたつもりだ。でも言われてみれば、料理の師匠にひっついてまともに修行したのって、エティアの王宮に入ってほんの数ヶ月の間だけ。営舎にバイトに入ったときはゆで卵も作れなかったぐらいなのに、気づけばピエスモンテとか再現ケーキとか、なんかすごいのをやすやすと作っていた。

 いくら剣がアドバイスしてくれてたといっても、たしかにこれは……


「あの。でもそのこわい遺伝子。なぜに……」


 呆然自失。頭の中が真っ白になった俺は、ぽつりと聞いた。なにがなんだか、わけが分からなくなって。


「なぜに、〈金槌〉っていうんです?」


 技の賢者はふんと鼻を鳴らした。馬鹿な俺を憐れむように。


「出る釘は打たれる。そんなことわざがあるであろうが」

 





 一聞を終えた俺は本日はもう帰るがよいと、技の塔から出された。三日後の検分まで心の準備をしておけという。検分は一日あれば済むそうだ。あとは摂政としての勉学を会得するのに注力するがよい、法の塔への紹介状を書き送っておくと言われた。

 ふららと足取りもおぼつかなげに下宿屋へ向かう道すがら。俺をこの島まで送ってきてくれたウサギ技師がひょこひょこ寄ってきた。黒衣の師匠も一緒だ。ふたりとも、俺がケミストス老からどんな情報を得てくるか大体予想がついていたらしい。


「まあそう落ち込むなって」


 開口一番、ウサギ技師はそんな言葉を放ってきた。


「いやほんと、ショックだと思うけどさ。おまえ、ジャルデ陛下に殺意なんて全然ないだろ? スメルニアの反乱軍の将軍になって大活躍したときはさ、陛下も俺らも超やばいって青ざめたけど、おまえは目の前に迫る兵士にしか攻撃しなかった。専守防衛だったし、ジャルデ陛下が戦場に姿を見せてもなぜか無反応だったんだよ」


 それで陛下は、俺が本当に自分を殺す奴なのか確かめようと手元に置いてみたのだそうだ。

 もし不穏なそぶりがあれば、俺はただちにウサギや近衛兵たちに取り押さえられ、処分されていたらしい。でも暗殺をかます雰囲気なんて露ほどもなく、超うまいメシを作るは、お妃様を肥え太らせて卵を産ませるは……。

 

「おまえ〈金槌〉持ちの〈英雄殺し〉のはずなのに、やることなすことみんな英雄っぽいんだよ。それで何かがおまえを変にしてるんだって話になったんだ」

――「まあまあぺぺ、一気にまくしたてたって、おばちゃん代理は混乱するだけさ。な。心配すんな。大丈夫だって」


 黒髪黒衣のおじさんが、俺の肩をぽんと叩いてにっこりした。

 

「きっとおまえ、〈英雄殺し〉としては出来損ないなんだ。ほぼ完璧に近いけど、〈金槌〉遺伝子のどこかが欠落でもしてるんだろ。だからさ、料理の腕だって、きっと完全な複製じゃないよ。おまえのメシがうまいのは、おまえ自身の料理の腕も混ざってるからに決まってる。だからさぁ、」


 ひげぼうぼうのおじさんは、いつもとどこも変わらず。ありがたいことに俺を励ましてくれた。


「おまえのうまいメシ食わせて? ぺぺが宿代けちって、まぁた自炊宿に泊まりやがったんだよぉ!」

 

 

 


 その夜、俺が泊まる下宿屋の一室はとても賑やかだった。ウサギとその師匠がずいぶん遅くまでどんちゃん騒ぎをしてくれた。そこは自炊宿じゃないのに、俺は厨房を借りてがむしゃらに料理を作り、それを食べる家族と客人の幸せそうな顔を見て過ごした。

 大きな肉入りパイも、肉のソテーも、魚の塩包み焼きも。みんな最高の出来栄え。

 カスタードプリンで娘のカーリンはノックアウトされ、輝かんばかりの笑顔を俺にふりまき、腕に抱きついてきたし。肉食の牙王は黒胡椒をきかせた肉巻きにうっとりだった。

 俺は王宮でおばちゃんや同僚たちに教わった技を、じっくり頭の中で思い出しつつ包丁をふるった。

 そうだよ。俺はちゃんと学んだんだ。

 これは複製なんかじゃない。だれかの技を、映したものじゃない……

 翌日したたかに二日酔いで、俺は一日ベッドの中。でも下宿屋の料理人の料理はもの足りなくて、昼からはまた厨房を借りた。


「今夜もごちそうになるぜ!」


 ウサギ技師その晩も次の日の夜にもやってきて、俺の料理を褒めそやしながらわいのわいの。

 二日酔い度をさらに深めたところで、俺は検分の日を迎えた。

 

「私もアスパシオン様の言うとおりだと思っているわよ」

 

 牙王は実にホッとした顔で俺に言ったものだ。


「あなたは〈英雄殺し〉としては出来損ない。だから今、私とあなたは一緒にいられるの。そうでなかったら……」


 牙王はスメルニア派が起こした反乱のとき、俺がジャルデ陛下を殺すために影になったら、刺し違えるつもりでいたそうだ。

 

「私達、大陸一幸せな夫婦よ」


 美しい狼女に見送られて臨んだ検分は、数時間かかった。

 技の塔の地下にある奇妙な台に寝せられ、ぶん回されたり傾けられたり、血を抜かれたり。とてもきつくて、塔から出されたとき、俺の足はフラフラ。血を取られた量がとにかくはんぱじゃなかった。

 塩基を調べるからだっていうんだが、もう二度とあの機械にかけられたくないってぐらい辛かった。

 

「うう、めまいする……」

 

 分析結果は一週間ほどで出るだろうと、ケミストス老は言っていた。

 さあ、これから法の塔へ行かないと。

 エティアの中枢で仕事をこなすために。俺は法学だの政治学だの経済学だの学ばないといけないのだ……


「ちょ、ちょっと休憩」


 体のふらつきが止まらないので、小休止。ゆっくり足を運んでなんとか法の塔に入るなり。

 俺はよろけて床に手をついた。

 

――「エティアの方ね。大丈夫?」


 頭に女性の声が降りかかる。ふらふらと頭をあげれば、銅色のローブを着た人が俺を覗き込んできていた。分厚い本を脇に抱えるその人はここの館長。七賢者の一人らしいけれど。


「あ……えっと、なんとか。大丈夫、です」


 真紅の唇が俺の目を射抜いた。艷やかでしっとりしていて、見入ってしまうぐらい形よい。

 白い顔にすうっと通った鼻。蒼い瞳……

 あれ? 耳がない牙王って感じだな。うん、ようするに俺好みの……


「う…‥」


 頭がぐらりと床に落ちる。

 大丈夫じゃなかった。血を大量に取られた俺は、法の塔の入り口で倒れた。なんとも無防備に。


「あら。手間が省けたわ」


 ……なんだって?

 聞き返すことは叶わず。夢のない眠りが俺を包んだ。どろんと、深いぬかるみのような闇が。



――技の塔 了―― 

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