牙王 (前編)
うっそうと繁る暗い森の中。
常緑樹の木々が連なる先で、かさりと何かが下草を揺らす。
『照準器展開』
無機質な声とともに、森の中にぶわりと浮かび上がる円形の文様。
折れた剣を構えた青年が、その光り輝く目盛りのような赤光紋を見据えている。
『ガイドラインが見えますか?』
「うん。でもちょっとまぶしい」
『100ルクスほど光量を下げます。これでいかがです?』
「あ。はっきり見えるようになった」
光の紋様も無機質な声も、青年が持つ折れた剣の柄から出ているようだ。
『現在この照準器で獲物をロックオンしています。ですのでこの紋が出ている間に、紋の中央点に私を思いっきり振り下ろして下さい。さあ、どうぞ』
「う、うん……」
うなずいたものの、赤毛の青年は折れた剣を構えたまま、全身をかすかに震わせ躊躇している。武器を扱うことにあまり慣れていないらしい。
若者の身なりは、飾り気のない質素な綿のシャツとズボン。背にはズタ袋のごときリュック。その見た目の通り、先祖代々から由緒正しいド平民なのだろう。
折れた剣は励ました。
『大丈夫です。我が身は半身なれど、ちゃんと衝撃波が出ます。さあ、ふりかぶって。一、二の、』
「さ、さーろいんすてーきぃいい!!」
ギュッと目をつぶった青年が、光の紋を斬るように剣を振り下ろすと。
折れた刀身からひゅんと赤い矢のような光弾が飛び出し、目にも留まらぬ弾道で草むらを穿った。
とたんに響き渡る、哀れな獣の声。
『速度三百ノットで着弾確認。仕留めました!』
剣が喜びの色を声にのせる。
『獲物は猪です。大物ですよ! あら……?』
「うえええ」
尻もちをついたのか、青年は情けない格好で尻をさすっている。
剣はころころ笑って謝罪した。
『申し訳ありません。射出反動にご注意するよう勧告するべきでした』
「と、獲れたの?」
『はい! 初の獲物です』
なにやら感動的で壮大な音楽が、剣の柄に嵌った赤鋼玉から流れてくる。剣精霊が場の雰囲気を盛り上げようと、気遣ってくれているらしい。
青年は頭を搔いて苦笑した。
「そんな大げさに祝ってくれなくても」
『英国紳士は、セレモニーを重んじるのです』
「また英国紳士かー」
「契約以来初めて、あなたはまともに私を使用したのです。ゆえに今日は私とあなたの、大事な記念日。盛り上げなくてどーするのです?』
「は? 契約?」
首を傾げる青年に、剣はうっとり言祝いだ。
『今日のこの瞬間を、私は赤鋼玉の頭脳に刻んで永遠に忘れますまい。
まことにおめでとうございます。第二十四代目我が主!』
北の辺境の春から秋は、ひどく短い。
頬に当たる風が暖かいと感じる期間は、四ヶ月あるかないか。あとの八ヶ月は、あたり一面真っ白な雪に覆われる。しかも極地に近いため、日がまったく昇らぬ期間と、昇りっぱなしの期間がそれぞれひと月ぐらいある。
冬冬冬冬。春春秋秋。冬冬冬冬。こんな感じだ。
銀枝騎士団はそんな極寒の地である猫の額ほどの封地に、小さな営舎を建てて住まっている。北の境線の向こうは人の住まぬ極地なれど、それでも中央政府は国境を守れとうるさいからだ。
騎士たちは領内の村から穀物をもらうが、その税収量はかなり微妙。
ゆえに極地でも育つ氷麦を自ら耕作する他、冬季には凍った湖に穴を開けて小魚を釣る。そして雪がほどよく溶ける夏季には――
「うはぁ。今年は大猟だな!」
一斉に狩りに繰り出す。
「ツノ鹿、ずいぶん獲れたな! イノシシもウサギも鳥もてんこ盛りとはすごい。てか、このイノシシすごくでかいぞ」
「団長、そいつは食堂のおばちゃん代理が仕留めたんですよ」
「おお! やるなぁおばちゃん代理!」
騎士団長にばしりと肩を叩かれた青年は、それほどでも、と人差し指で頬を搔き、細身の銃を団長に渡した。
「狩りなんて初めてでしたけど、なんとかなりました。団長閣下、銃を貸して下さりありがとうございます」
「いやいや、冬の食糧確保のために人手が欲しかったもんでな。おや? 筒から火薬の匂いがしないぞ? 銃を使わなかったのか? 」
「あ、いやその、使い方がよくわからなかったので、石投げたりとか、枝で叩いたりとか色々……」
獲物の山を囲む騎士たちから笑い声があがる。
「銃なしでとはすごいな。しかし今年の冬は楽に越せる。めでたい!」
野営地の一角に集められた獲物の山を、団長はほくほく顔で眺めた。
獲物はただ焼いて食べるだけではない。手足や頭部、目玉や内臓もすべて調理してハムや腸詰めといった保存食を作り、皮は煮込んでなめし、骨は磨き上げ、さまざまな道具を作る材料にする。捨てる部位は、微塵もない。
イノシシ一頭をばらすのには丸一日かかる。鹿も鳥もとなると重労働だ。
これからの仕事量を思ってため息をつく青年だったが、かたわらの団長はご満悦だ。
「大猟だから余裕でグリル・イノシカチョウを作れるな。万々歳だ」
「イノシカチョウ?」
「豊穣祭の定番メニューだ。猪、ツノ鹿、ホロホロ鳥を丸焼きにする。鹿の上に猪乗っけて、その上に鳥の姿焼きを乗っけるんだ」
どうもどこかの音楽隊のようなフォルムの料理らしい。
「食堂のおばちゃんはイノシカチョウを毎年必ず仕留めて、祭の日にふるまってくれたもんだ」
「え? 仕留めて? おばちゃんが自ら?」
「なかなかの銃の腕前だったぞ。腰を落として猟銃射つ格好が巨牛みたいで、ずいぶん貫禄あったなぁ。しかし、おばちゃんにはそろそろ復帰してもらわんとな」
「そ、そうですね」
食堂のおばちゃんは、孫に子が生まれたので面倒を見るため休職していることになっている。
だが実は……。
「おばちゃんの栗パイがなついって……ぉお!」
獲物の山にどそどそ追加の獲物が載せられたので、団長は目をむいた。
狐やイタチなど、モフモフ系の獣ばかりが何十匹とある。
喜びの声を上げた団長の視線の先には、銀色の狐を肩に担いだ騎士がいた。
「団長、運よく銀狐を獲れました」
「うおぉお! でかしたぁ!」
毛皮用の獲物は、南にある街道沿いの町で高値で売れる。その売却金でこまごまとした生活用品や嗜好品を買うことが、騎士たちの数少ない楽しみのひとつだ。
翌朝さっそく団長以下数名の騎士たちは、毛皮を売るべく町へ向かった。
赤毛の青年も同行した。豊穣祭のために調味料や嗜好品をたんと仕入れるよう命じられたからだ。
道中、団長は上機嫌でまっ白な狐を自ら抱えていた。銀狐は変異種ゆえにとても希少で、貴族の帽子やマフにされる。
団長の帽子にしたらどうです? と騎士の誰かが進言したが、団長は俺には派手すぎると笑って固辞した。
「仕留めたゲオルグが欲しいってんなら、やるけどな。売り物は他にもごっそりあるし」
「いえ、要りません」
銀狐を仕留めた騎士は、団の収入に回した方がいいと殊勝に答えた。
「でも牙王の毛皮だったら、欲しいですけどね」
「あ、そいつは俺も欲しいかも」
牙王とは、この近辺に出没する狼の群れのボスのことだ。
黄金の毛並みの大きな狼で、ここ数年群れを率いて街道を行く商人や狩人を襲撃している。
騎士団もこれまでに狩りの帰り際に襲われて、幾度か獲物を掠め取られたことがあるという。
「獲物の運搬隊が襲われないといいんだがなぁ」
町に行かない騎士たちは、副団長が率いて獲物と共に営舎への帰路についている。
赤毛の青年は彼らの無事を祈った。
どうか冬の食糧が、減らないようにと。
キノサの町は人口三千人ほどと小さい。しかし街道沿いにあるため、物流はそこそこ豊かだ。
近隣の村々から物が集められ、町の広場で売られている。
団長が市場の競りにかけた毛皮は飛ぶように売れた。じきにやってくる冬に向けて、防寒具を作って儲けたい商人たちがこぞって高値をつけてくれた。銀狐の毛皮はなんと銀棒十本の値段にまでつり上がったので、青年は目を丸くした。
金銀銅の棒金は、それぞれの硬貨の百倍の価値がある。つまり銀貨一千枚分という破格の値段だ。
「帽子になったらさらにその十倍の値段で売られるだろうよ。金一本はするだろうな」
「金一本?!」
団長の言葉に、青年はさらに唖然となった。ド辺境の村出身ゆえ、金の棒金はまだ見たことがない。
潤った騎士団はさっそく冬支度の品を買い込んだ。
高価な胡椒や岩塩。砂糖漬けの果物。果実酒に麦酒。石鹸に香油。髭剃りにタオル。真新しい毛布に敷布……。荷車いっぱいに、たくさんの生活用品を積み上げたあと。
「おお、蚤の市やってるぞ。見ていくか」
一行は、市場の片隅に並べられている骨董品を眺めて楽しんだ。
かわいらしい小皿、櫛や首飾り、化粧道具にリボンなど、心なしか女性用の物が多い。彼女いないし……とうなだれる独身騎士たちのかたわらで、余裕顔の団長がビーズの腕輪をつまみあげる。
「娘に買ってやるかなぁ」
すでに細君を亡くしている団長には、三人の娘がいるそうだ。
「上の二人はもう嫁いでるんだ。末のは十五で、寄宿学校に入っとる」
十五の娘さんには子供っぽいんじゃ、と独身騎士たちに突っ込まれ、団長はもっと良い石が嵌まっている飾り物を物色し始めた。
「うーむ。なかなかこれというのが……」
――「あの、これ、買いとってください」
そのとき。店主のもとに少女がひとりやってきて、直談判を始めた。
つぎはぎだらけのスカートで、みるからに生活に困っている風体である。手鏡を売りたいらしい。質屋では二束三文にしかならぬので、高く買ってくれる人を探しているという。
騎士たちは興味津々で少女の鏡をのぞきこんだが、何の飾り気もないので肩をすくめあった。
「ガラス玉だの石だのが、少しでもついてればねえ」
店主は苦い顔を横に振った。
赤毛の青年は少女の貌をまじまじとながめ、それからハッと何か思い出し、意気消沈して店から離れた彼女を追いかけた。
「待って!」
人ごみに紛れた少女を探してキョロキョロしだすと。背中のリュックから声がした。
『二区画先を左へ』
「お、剣か。ありがと!」
『次は一区画先を左へ曲がりました』
「了解! すごいね」
『ソナー探知とサーモ感知をしております』
青年は手鏡の少女に追いつくや、すがるような貌で訊いた。
「リサちゃん! リサちゃんだよね? 食堂のおばちゃんいつ帰ってくんの? 家に連絡来てない?」
「え?……あ! お、おじさん?!」
「おじさんじゃないって! にいちゃん。従兄弟のにいちゃんだよ」
「ご、ごめんなさいっ。おじさんも従兄弟も似てる顔のがいっぱい居すぎて……」
「食堂のおばちゃん――君のおばあちゃんから、何か連絡ない? 今どこにいるかわかる?」
「知らないわ!」
少女は歯をむき出して哀しげに唸った。
「連絡も手紙も、何にも来てない」
「……そっか……」
少女は青年の遠い親戚で、年に一度会うかという間柄である。少女の家には男手がなく、騎士団営舎勤めの食堂のおばちゃんが娘と孫を養っていた。大黒柱がいなくなって半年、相当に生活が困窮しているのだろう。
「その鏡、俺が買うよ」
青年は今にも泣き出しそうな少女の手から鏡をとり、代わりに財布からありったけの硬貨を小さな手の中にじゃらじゃら落とした。騎士団からもらった給料である。
「あ! 銀貨が入ってる。こんなにはもらえな……」
「いいから受け取って。おばあちゃんから何か連絡あったら、俺に教えてほしいんだ。これは、鏡代プラス情報料ってことだよ」
何度もありがとうを連呼しながら、少女は路地の奥へ消えた。
「はあああ。いまだにわかんない。どうしてもわかんないよ」
青年はふうと息をついて空を振り仰いだ。
「なんでおばちゃん、駆け落ちなんかしたのかなあ……」
(後編へ続く)