大海嘯
ちりん、ちりんと、塔の窓からぶら下がっている風鈴が鳴っている。
真っ赤な金魚の形をしていて、ギヤマン製のおっきい目玉と半分開いた口が、どこかユーモラス。
世間一般は、夏。
入道雲がもくもく空に浮かぶ夏。
ということで、
「海! 海に行くぞぉお!」
と、俺の雇い主であるウサギ技師は、今日も今日とて自走する塔をういんういん動かした。
「おじぃ、俺様も連れて行け!」
「なに言ってんだ! おまえはちゃんと奥さん孝行しろっ」
すがるエティアの国王陛下を、ウサギ技師が塔からげしりと蹴り落とし。緑蛇のお妃様のとぐろの中に預けての、王宮敷地内からの逃亡――いや、バカンス? である。
刀身が長くなってピカピカ絶好調の俺の剣が、陛下から遠ざかるときになんか変な曲を奏でていた。
また「あにそ」かなんかだろうと思って突っ込まないでいたら、えらく拗ねられた。
『んもう! せっかく臨場感を出してさしあげたのにぃ。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトのK.384番、後宮からの誘拐のフィナーレの歌をかけたんですよ? ご恩は決して忘れませーん!を。ぴぃったりフィットでしょうそうでしょう?』
北の辺境、人口100人の村出身の俺。音楽家の名前なんて、てんで知らないんだが。
「モーツァルトなんて俺も知らないぞぉ。誰だそれ」
黒い衣を着た黒髪の変なおじさんも、鼻をほじりながらきょとんとしていた。
『青の三の星の大音楽家ですよ』
「青の三の星ぃ? ってこたあ、それって一万年以上前に取得された記録じゃないか。だれにもわかるはずないわー」
くははと、ウサギが声を上げて苦笑したものだ。
「ほんと赤猫のオリジナルは長生きしてるなぁ」
ということで、現在。
自走する塔は、エティアの西のとある港街に――来ているはずなのだが。
「どうして街の海岸ではなくて、河口に?」
ウサギの塔は港町の横を流れる川の河口付近、デルタの中洲に鎮座している。
「ん? いいのいいの。ここでOK」
風鈴の音を聞きながら、ウサギは塔にはりだしたテラスで日光浴。
寝椅子に寝そべり、もふもふな足を組み、頭にはかっこいい黒サングラス。
そのそばには――銀髪の美女が侍っているときたもんだ。
俺は厨房で作ってきたパイナップルジュースを二人に渡した。
消化促進のこのジュース、イチジクも少しミックスしていて効果はてきめんだ。
ウサギ技師は毎日黒髪の変なおじさんが作るニンジン粥ばかり食べているが、しごく健康。
目方がぷっくり増えているのは、そこはそれ、幸せ太りというものだろう。
「おいしいですね、ピピさん」
「うんうん。さわやかーな味のジュースだろ?」
しかしこの銀髪の美女が、黒髪の変なおじさんと同一人物らしい? のは本当に解せない。
多重人格者だそうだが、人格が変わったら、外見もこんなにがらっと容姿が変わるものなのか?
しかも絶世の美女たるこの人、なんとウサギ技師の奥さんだという。
「しっかしなんだな、奥さんここはあれだよ、水着を着ないとだよ」
塔のテラスから目の前の中洲を見下ろし、ウサギがのたまわる。
そこで俺の暫定奥さんとかわいい娘が、狼たちと遊んでいるのだ。
「みんなー! これ取ってみてー!」
何か円盤のようなオモチャをいくつも、俺の娘がほいほい投げる。そいつを狼たちが先を争って口でキャッチ。岸辺をさっそうと駆けて、娘に返してる。
俺の暫定奥さんの牙王によると、最近みんな体がなまり気味なんで、訓練するとかしないとか言っていた。きっとあれでみんな鍛えているんだろう。
で、俺の暫定奥さん。今は、人型。
かなり出るところ出てて、ひっこむべきところはすばらしくスレンダーで、カーリンとおそろい系の、でも素敵にアブナイ水着姿でもんのすごく……セクシィ。
「あれだよあれ。あんなの、奥さんも着てよー」
ウサギ技師がうらやましげに、俺の暫定奥さんを指差す。
「だめですよピピさん」
袖長裾長のもたっとした黒衣を着た銀髪の美しい人は、ころころと笑った。
「あんなきわどい水着を着た状態でハヤトに戻ってごらんなさい? 目も当てられませんよ?」
「ぐげえ」
脳内で「その姿」を想像したとたん、ウサギは白目と前歯をむき出して倒れた。
たしかにあのむさい黒髪おじさんに、俺の暫定奥さんが着てるような素敵でアブナイ水着は……
うおえっ……だめだめ。だめだわ。想像しちゃいけない領域のものだよ、これ。
「しかしそろそろじゃないか?」
美しい奥さんに撫でられ気を取り直したウサギが、円い懐中時計をさっと寝椅子のクッションの下から出し、ちらちら河口の先の海と見比べる。
「そろそろ、とは?」
「おまえ、波乗りは出来るか?」
「む?」
「ちょいと手伝ってほしいのよ」
ウサギはチクタクとほんのり音を立てる時計を首から下げ、しごく真面目な顔で特製パイナップルジュースをじゅるじゅるストローで吸った。
「今日は、海嘯が起こるんだぜ」
「うひいいいいいい!」
俺の隣で、黒髪のおじさんがサーフボードにしがみついている。
川幅いっぱい、怒涛のようにおしよせてくる波は、結構な高さ。
俺の背と同じぐらいある。しかしてこの波、川の上流から来ているものではない。
なんと、河口からおそろしい勢いでさかのぼってきた、逆流の波だ。
うひーうがーと黒髪おじさんは変なポーズをとりながらも、なんとかサーフボードの上でふんばっている。
しかしおじさんのことを、俺も笑えない。
すぐ隣で同じくサーフボードに乗っていて、あまりのこわさに言葉を失っていたりする。
「結界が張られてますが、落ちないよう気をつけてください!」
左隣には、猫の姿をしたマオ族のネコメさんが、やはりサーフボードに乗っている。
塔が訪れた港町のまん前の海は、湾になっているんだが。
その幅が陸に近くなるにつれて、急激に狭まっていくような地形なのだそうだ。
それで年に一度ほど、潮の満ち干きがとても激しくなる時に、恐ろしい勢いで河口に海水が押し寄せ、川に突入して行く、という海嘯なるものが起きるらしい。
すなわち俺たちは今、サーフボードで川を遡上中。上流へと流されているのである。
右隣は黒髪おじさん。左隣にはネコメさん。そしてその隣には――
「お師匠さまうるさい! 黙って乗ってよ!」
サングラスをかけたウサギ技師。はっしと足を広げて華麗にボードに乗っている。
銀髪のきれいな人は、サーフボードに乗る直前、本当に黒髪のおじさんに姿が変わった。
みるみる形がぼやけて気がついたら、という感じで。
そしてこのおじさんになったとたん、ウサギ技師は、ちょっと不機嫌。
奥さんが、ずっとあの銀髪美女の姿でいることができないのが嫌であるらしい。
「ぺぺえええ! そんなこといっても、これは怖いってえええ!」
「いいから口閉じて、波乗りに集中して!」
俺とネコメさんごしに言葉を交わす、どこをどう見ても夫婦にみえない夫婦。
「いやさあ、普通に波乗りするならいいのよ? でもさあー」
黒髪おじさんがちろりと後ろを見るなり、びくびくっと身を震わせる。
俺はサーフボードの上で足を開き、ちょっと腰を落としてバランスをとりながら、しかし極力後ろは見ないようにした。
だって……波と一緒に……来ているのだ。
ざわざわうぞうぞと、波に混じって駆けてきているのだ。
黒くて小さいものが。おそろしい勢いで。大量に。
「パパー!」
両方の川岸を、黄金の狼とその群れが俺たちと同じ速さで走って応援してくれている。
狼の姿になってる牙王の背に乗ってる娘が、しきりに声をかけてくる。
「パパー! がんばってー!」
だ、大丈夫なのだろうか。ほんとうに。
「ひいいい! こえええ! 今年は一段と多くないかー?」
サーフボードに思わずしゃがみこむ黒髪おじさんを見て、不安にかられる俺。
「ああ……奥さんの華麗な水上の舞いを見たかったのに……」
ウサギがぶつぶついいながら後ろを確認する。
「うわ! なんだかすげえ。まあ今年は、囮がひとり増えたからかなー」
囮……。
つまりやっぱり、後ろから迫ってくるものは危ないってことかああ。
『あらまあ、なんですかこの群れは。ずいぶんと頑丈そうな生き物が迫ってきてますねえ』
念のために背負っている剣が、ずいぶんと嬉しそうに言ってくれる。
『これ、そこの湾や、ちょいと沖にいるトルップでしょう? 養殖魚の』
「うん。でもなぜか肉食。ちっちゃいが獰猛になってる」
『ああ、人肉に異様に反応する突然変異を起こしたとか?』
「う、うん」
『最近どこかの港でそれが爆発的に増えちゃって、大変なことになってるって噂をどこかで……』
「そう、まさしくそれ!」
波に押されて遡上してくるこの黒い肉食魚の群れは、養殖に失敗した魚のなれの果て。
近くの有機体工場が垂れ流した老廃毒物を食って、恐ろしい人食いの習性を持つ魚と化した。
その危険度はすさまじく、人影を一瞬でも水面に見せようものなら、おそろしい勢いで水中から飛び上がってきて、食いついてくるほど。しかも体は鋼鉄のような硬さ。
そんな恐ろしい化け物魚が、爆発的に増えてしまっているそうだ。
港町の人は湾内では漁ができなくなってしまい、かなり遠くの海で漁をしているんだとか。
『網なんざ簡単に食い破るし、がちがち食いついてきて、駆除もろくにままならんのよ。ここまですごい変異をしたらば、機械魚と変わらないぐらいだよな。それでここ数年、俺たちが陛下から駆除を頼まれてる。しっかし生殖力がとにかくすごくてねえ、なかなか減らないんだわ』
毎年海嘯の時に一網打尽にしているのに、と、ウサギは作戦会議の時にため息をついたものだ。
『それでな、この変異トルップ、唯一の弱点みたいなものがきれいな淡水、なのさ』
毒物で急進化した魚には、清い水こそ猛毒であるらしい。
それで海嘯の勢いにまきこまれたトルップを、囮を使ってできるだけ遡らせて退治しよう、というのが今回の作戦の概容である。
よって俺たちはまず、河口付近でわざとうろうろ。人間を食おうと襲ってくる魚たちをできるだけ集め、波に乗って遡上開始。
したんだけど……
「ひい! 飛んできた!」
おじさんのうなじに食いつこうと、黒い影玉のごときお化け魚が飛びかかってきた。
とたんに俺たちにかけられている防御結界が、魚を阻んでばりばりと火花を散らす。
それでも魚は死なない。いったん水中に落ちて行くが、また同じ奴が果敢に飛んでくる。
「パパー! がんばってえ! みんなー! がんばってえ! フレーフレー!」
が、がんばりたいが、こわい! いくら結界で守られてるからって、ガチガチガチガチ、聞こえるんだよ。すぐうしろで、お化け魚が歯を鳴らしてるのが……
より近い所にある獲物に突進する習性を持ってるおかげで、狼たちやうちの娘は標的にされないってのだけが救いだ。
「おばちゃん代理! だいぶさかのぼって淡水濃度が濃くなってきてるぞ」
ウサギ技師に続けて、隣のネコメさんが俺を励ましてくれる。
「もう少しすれば魚の動きが鈍り、次々死に始めます。それまでがんばりましょうっ」
「り、了――」
俺がうなずこうとした時だ。
ぼぶばあ、というおよそ逆流波の音とは思えない水音が、背後から轟く。
黒髪おじさんが、悲鳴を上げた。
「なんじゃこりゃああ!」
また大げさな反応を、と呆れ気味のウサギも、背後を見てウッとたじろぐ。
「おっ。おばちゃん代理! ネコメさん! よ、よけろ!」
「はい?!」
「あ、あぶな――」
「ぐは?!」
こわくて後ろを向けない俺は。次の瞬間、結界ごとサーフボードから吹っ飛ばされた。
宙を舞い、さかたんぼりに川に転落する俺の目が捉えたのは。
ウサギ技師に引っ張られて難を逃れたネコメさんの姿と。
すさまじい勢いで遡上してきた、でかいトルップ――の、進化体。
もともとは片手に乗るぐらいの魚のはずが、そいつはなんと、二階建ての家ぐらいある。
まるで鯨だ!
しかしこれも凶暴な変異トルップのようで、ガチガチ歯を鳴らして俺たちを食おうとしている。
『わが主!』
剣を。持ってきてよかった――けど!
「うあああああ!」
俺、見事に水中にどぼん。結界があるとは言え。あるとは言え――!
水中に入ったとたんに襲いくるお化け魚の群れ。
がちがち体当たりしてくるわ、噛み付いてくるわ……
「……!!!!」
俺は結界の中で悲鳴をあげていた。声をあげながら剣を構えていた。
柄の部分が真っ赤に光りだした剣に、望みを託しながら。
ただただ、声をあげていた――。
じゅうーと、なんともいい焼き音がする。香ばしい匂いも。
「うっめえ!」
ウサギ技師の喜びの声は元気いっぱいだ。
一仕事終えてすかっと気持ちよさそうである。
結局のところ、剣を持って行ったのは大正解で。水中に没した俺は、ちょっと記憶があやふやなんだが、赤い剣の波動が見事に魚どもの魂を総取りして吸収してくれたらしい。
剣は力を蓄えた直後に、鯨のごとき巨大トルップを一刀両断。さらには、その巨大魚の魂もしっかり吸収。
それで、しとめた鯨サイズのトルップを解体したわけなんだが。
「お化け魚の肉がこんなにうまいとはな」
「まあ、もとは養殖魚ですからねえ」
川岸でじゅうじゅう、巨大魚の肉をバーベキューしてみれば。
ウサギ技師もおじさんも、狼たちも大喜び。
肉のうまさもさることながら、特筆すべきは、歯や鱗やひれ。鋼鉄のごときで、ネコメさんの見立てでは、良い加工材料になりそうだという。
「でもこんなどでかいのまで出てくるのはやばいな。湾で数が増えたり巨大化してるってことは、水質がこいつらにとって最高ってことだ。工場からの毒がまだ流れ込んでいるってことなのか?」
国王陛下に工場を突っつかせてみよう、とウサギはうんうんうなずきながら焙り肉を食いちぎった。
ウサギなのに肉を食らうなんて、ちょっとこわいような気がそこはかとなくする光景に、かすかに引きつる俺。
そこへ焙り肉を抱えた娘と暫定奥さんが、俺を褒めちぎりにきた。
「パパ、すごい! 強い!」
娘、瞳をキラキラ。牙王は、またアブナイ水着姿のお姉さんになっていて、うっとり顔。
今にも俺を押し倒しそう。
「うんうん、おまえほんとすごかったなー」
「はい?」
まだまだありあまっている肉。じわじわ染み出してくる皮脂。余す所なく利用しようと、肉をすぱーと切り分ける俺を、肉をほおばるウサギはしきりにうなずいて誉めそやしてきた。
「水中から、まるで竜のようにずざあって飛び上がってきてさ。マジで水柱が立ってたよ」
「水柱?」
そんな覚えは、ないのだが。
恐怖のせいだろうか。水中に沈んでからはもう無我夢中。頭は真っ白でほとんど何も思い出せないというか、状況を記憶する余裕がなかった。
「そんで化け物巨大魚の頭上高くから、剣で一閃! って、すごくね?」
「それは剣の性能がいいからで……」
「いやいや、構えの型までは、剣に指示されてないだろ?」
「構え?」
剣なんてほとんど握ったことすらない。よもや剣術なんて。
ああ、でも。
「料理の基礎は、祖父に習いましたが……」
「いやあ、料理の技じゃなくて」
ウサギはがしがし頭をかきながら首をかしげた。
「たぶんあれは絶対、剣術だと思うぜ?」
しかし身に覚えがない。
今までの生い立ちをざっと思い返してみても。人口たった100人の小さな村で。ごくごく平凡に農民少年してたというのに。
「実は剣術の天才だから、剣に見込まれたとか?」
「いいえちがいますよ」
そこで俺はようやくのこと。とある疑問を感じた。
喋る剣。どうして、背中のこの剣が、俺をおのれの主としたのか。
剣は厨房にあって、気づけば話しかけられていた。
のっけから、わが主、と呼ばれた気がする。
でも。なぜ――?
「おい、剣。お前はどうして俺を?」
『……』
しかし剣から返事はなかった。結構大技を使ったからなんだろうか。
それから長らく、剣はだんまりだった。何度話しかけても聞こえてくるのは、まるで暑い昼下がりに昼寝でもしているかのような低いいびきのような音。
数日後、ようやく起きてくれた剣から、なぜ自分を主人に選んでくれたのか、聞きだそうとしたのだが。
それはもどかしくも、後回しとなってしまった。
王宮から、急報を告げる使者がやってきたからだ。
『疾く帰還せよ』
使者が持ってきた勅令状を見て、ウサギはみるみる不機嫌になり。俺たちに戦闘準備を命じたのだった。
「ちっ。なんだよ反乱って」
反乱?! どこで? どの勢力が?
かくしてウサギの塔は急ぎ王都に戻り、俺たちは今度は「反乱」を処理するべく王命を受けることになるのだが。
それはまた、長い長い、別の話である――。
――大海嘯・了――
ぺぺウサギで波乗りぴ○ちゅう…の巻
海嘯サーフィンは、中国の銭塘江やイギリスのセヴァーン川で楽しまれています。
年に一回、ほぼ決まった日に逆流現象が起こるそうです。
アマゾン川のポロロッカもまさにそれです。




