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茶畑の乙女 (エティアにも茶道があるようです)

「やあおはよう、食堂のおばちゃん代理。さっそくだが、王都へ登るぞ」

「はい?」


 銀枝騎士団営舎の団長室で、敬礼する赤毛の青年はきょとんとした。

 部屋には夏の乾風が吹き込んでいて、窓際のデスクに鎮座する騎士団長の頭頂のうすい産毛を、そよそよ撫で揺らしている。


「だから。半年前、王都に招待されただろうが」


 そういえば。

 砦に行き着く前に野営して。団長命令で貴族士官に夕食を供したら、大変驚かれて。

 団長が王都に招待された――という話があったような、なかったような。


「ああ、あれ、冗談じゃなかったんですね!」


 ぽんと手を打った青年は首を傾げた。


「でもなぜに、料理人の俺がここに呼ばれたんですか?」


 いかつい騎士団長は青年をすっと指さし慇懃にのたまわった。


「先方は、おまえが淹れたお茶をぜひ飲みたいと仰っている。だから、同行しろ」

「はい?!」


 銀枝騎士団はエティア王国最北端の、猫の額ほどの土地に封じられている。住処は小さな営舎ひとつ、税収は、領内にある人口数百人規模の三つの村から収められる、雀の涙の穀物のみ。

 微々たる収入ゆえ、団長以下二十五名の「精鋭」からなる騎士たちは、日々耕作と狩りで足腰を鍛えつつ自給自足している。

 一年の大半が雪に埋もれる最果ての地に二十五年住んでいる団長の切なる願いは――


「王都へおのぼりさん」すること。今回それが、めでたく叶ったわけだが。

「俺が、招待主の家でお茶を淹れる??」 

「お前の茶で、きき茶ってのをしたいそうだ」


 きき茶とは。王国の上流階級の伝統作法である。

 茶の香りで産地を当て、茶の由来やうんちくを語る、という大変雅びな遊戯らしい。


「あのぉ騎士団長、でも俺、少なくともひいひいひい爺ちゃんのころから、由緒正しい一般庶民なんですけど」


 青年はぴくぴくと顔をひきつらせた。


「人口かっきり百人の俺の村じゃ、きき茶なんぞ見たことも聞いたこともねえって人が、99パーセントです」

「残りの1パーセントは?」

「俺です。が、ミハーイルさんからちらっと聞いただけで。内容は全然、まるっきり、皆目わかりません」


 ミハーイルとは没落貴族で、先月騎士団に入ってきたばかりの新米騎士である。

 及び腰の青年に騎士団長はくわりと片眉を上げ、厳しい口調で言い放った。


「いいから荷造りしろ。おまえは茶を淹れるだけでいいんだろうから、何も心配いらんだろうが!」





 と、いうわけで。青年は団長と共に王都へ登ることになったのだが。

 団長もどうやらきき茶のことはよく知らないようなので、こっそりミハーイルに聞いてみると。


「う、う、裏オク家ぇ?!」


 王都におわす招待主の家名を聞くや、もと男爵家の御曹司は、たちまち挙動不審に陥った。


「香茶道三大お家元のひとつじゃないですか!」

「イエモト? そんなにすごい家なの?」


 のんきに首をかしげる青年に、ミハーイルはあんぐり口を開けた。


「家元知らないとか、まじで? 勘弁して下さい、食堂のおばちゃん」

「俺、おばちゃんじゃないです。おばちゃん代理です。で、イエモトって?」

「王都にはですね、きき茶を代々世に広めている御三家が、おわしまして……」


 ミハイル曰く。

 開祖オク・エキューの直系であり、王室の茶事を取り仕切っているのが表オク家。

 開祖の次男の家系であり、貴族に指南しているのが裏オク家。

 そして開祖の隠し子の家系であり、豪商たちにもてはやされているのが、真オク家であるという。


「なるほど、格が違う?」

「作法も違います。椀の取っ手を右手で持つのが表で、左手で持つのが裏です。真はどっちでもよろしいです」

「へ?」

「椀皿に添える匙を手前に置くのが表、使ったら奥に置くのが裏。真はどっちでもよろしいです」

「そ、そう」

「プレーンな焼き茶菓子をお出しするのが表で、干果実などをいれた焼き茶菓子をお出しするのが裏。真はどっちでもよろしいです。他にも細かい作法がごまんと……」 


 つまり。表と裏の作法をごっちゃにすると、どっちでもよろしい庶民派の作法しか知らぬとみなされ、王侯貴族に鼻で笑われるそうだ。


「おばちゃん代理は、団長と王都へ行くそうですね?」

「はい。先方が、俺が淹れたお茶できき茶したいそうです」


 青年が答えるなり。ミハーイルはひどく困惑し、眉間にひとさし指を押し当てた。


「あの、そのお誘いの文言は……明らかに、社交儀礼の常套句ってやつですよ?」

「え? もしかして、やっぱり冗談?」

「茶のお家元の一族にお茶を淹れて差し上げるなんて、そんな大それたこと普通できないでしょう? そんな身の程知らずなことはできませぬ、こたびのご招待は何卒ご容赦ください、ははーって、普通の貴族なら、平伏して固辞する定型の作法をとるものなんですけど」

「団長、『ぜひお伺います!』って……お返事書いたそーです」


 青年の言葉に、ミハーイルはがっくりと地に膝折ってうなだれた。


「そういえば、うちの団長って平民出身でしたね……マジで貴族間で使うお決まりの常套句を知らないのかぁ」


 今頃貴族士官はあんぐり口開けて呆れかえっているだろうと、ミハーイルは震えながらつぶやいた。しかしその由緒正しい家名にかけて、客人の来訪を拒みはしないだろうとも。


「でもちょっとまずいですよ。団長のお返事は、『うちの調理師は家元以上のきき茶の腕を持ってるんだぜ!』と暗に挑発してる意味にとられたでしょうね」


 若い騎士の言葉に青年はみるみる蒼ざめた。


「御招待を辞退した方がよろしいかと。でないと、お家元並みの腕を披露しないと、団長の面目がたたないことになりますよ」





 えらいことになってしまった。

 思えば、青年が貴族士官に料理を出したあの時。貴族士官は、平民出の団長が提供する田舎料理を、鼻で笑ってやろうという腹づもりだったのであろう。 

 なのに予想外の料理を出されたものだから、負かされた気分になったのかもしれぬ。それで今回、権威たっぷりの常套句で意趣返しをしたというわけか。


「全然効いてないけど……」


 団長を迎えた先方は、そうそうたる貴人らの前で公然と赤っ恥をかかせるかもしれない。

 今すぐ団長に王都行きを取りやめてもらうのが吉だ。 

 しかしなんと言って説得したものか。長年の夢を叶えようとしている人に、その夢をあきらめろとはなんとも言いにくい。


「ファルナ、おまえ王様のお城をずっと見たがってたよなぁ」


 私室で荷造りしている団長が、亡き愛妻の絵姿をそっと旅行鞄の中にいれたのをかいま見ると。

 青年は言葉が出なくなってしまった。

 さて困った。どうしたものか。

 厨房でリュックにどかどかパンを詰め込んでは出し。入れては出し。荷造りを迷っていると。樽の上から、ふわぁと大きなあくびの声がした。


『騒がしいですねえ。何やってるんですか?』

「あ……」


 それは。半年前に『あけるな危険』の樽にくくりつけられていた、折れた剣であった。

 剣は新しい樽にくくりつけられ、流しのそばに鎮座している。樽の中身は発泡酒。仕込んだばかりなので蓋が飛ぶほどの炭酸はまだできていない。

 青年が事情を話すや、剣はころころ笑い出した。


『おやおや。王都行きを断念することなどございません。要するに、最高のお茶を振舞えばだれも文句はいいませんよ。ここは紅茶愛好歴一万一千年の私に任せなさい』

「コウチャ? 一万?」


 この剣精霊は古すぎてもうろくしているのか、時折おかしいことを言う。

 剣は自信満々にうそぶいた。


『英国紳士は、お茶にはちょっとうるさいのです』





 藁にもすがる気持ちとはこのことであろう。

 翌朝、青年はリュックに剣を突っ込んで、団長とお伴の騎士二人とともに王都へ出立した。騎士たちは馬に乗っていたので、青年にも特別に馬が貸し与えられた。

 大街道を南下し、街道沿いの旅籠に泊まること三夜。あと数刻で王都へ到達するという距離までやって来たころ、街道の両翼に果てしなく広がる、緑の低木の畝があらわれた。


「うわあ、これ畑?」

『茶畑ですよ』

 幾百もの緑の海のごとき畝は、地の果てまで伸びていた。背に籠を背負ってその葉を摘んでいる者が、ちらほらといる。


『エティア中央部は大陸一のお茶の産地ですからねえ。さてさて、ここにございますよ』

「なにが?」

『世界最高のお茶です。ほらそこ、前方二時の方向におりますでしょう。かわいい娘さんが』

「あ、ほんとだ。かわいい」


 青年は目をしばたいた。年の頃は十六、七ほどであろうか、少女が開けた平地で一所懸命、茶葉をむしろの上に広げて干している。頬がほんのり薔薇色で、眉目秀麗なことこの上ない。


『あー違います、その子じゃなくてその隣』

「え?」


 美しい娘の隣に、あまりパッとしない顔立ちの、やはり同じ年頃の娘が茶葉をむしろの上に並べている。

 茶葉は茶色で、蒸してほどよく発酵させたあとに最後の仕上げで天日に干している最中のものだ。


『その子が触ってる茶葉を、お買いなさい』


 その子はにこにこ顔で唄を歌いながら、干してある茶葉を撫でていた。

 しかしどうせ買うなら見目が麗しい子が並べてるものを……と、青年がふらふら美しい娘の方に近寄ると。

 剣は、ぴしゃりと言い放った。


『団長さんを助けたいのでしょう? おばちゃん代理』

「う」

「あら、旅のお方なの? 茶葉が欲しい? え? 裏オク家の方に飲ませてさしあげる? あ……それなら、


 お代なんていりません。どうか好きなだけ持って行って下さいな」

 渋々、顔がぱっとしない娘から茶葉をもらえば。その娘はにこっと笑みをうかべ、青年の額に生の茶葉を一枚ぴとりとつけて、旅の安全を祈ってくれた。


「気をつけてね。道祖神のご加護がありますように」

「ありがとう」 


 青年はじっとその娘の貌を見つめた。

 なんと心地よい笑顔であろうか。まるで太陽の光がぱぁっとはじけているように明るい。

 うん。この子も、まんざらじゃない――。





 ほどなく行き着いた王都は、一本の大河の両岸にまたがっており、高い塔が針山のように乱立する大都市であった。

 滞在中の宿となる招待主の家――裏オク家の邸宅にも、四方に天へと伸びる塔がついている。

 見上げるほど高い門をくぐれば。見渡す限り薄暗く苔むした庭園が、青年の眼の前に拓けてきた。

 物知りの剣が、川をはさんで北側のこちらは裏区と呼ばれているとうそぶく。


『対岸の南側は表区と申しまして、表オク家の邸宅があります。こちらは裏区にあるオク家、ゆえに裏家と呼ばれているのですよ』

「へええ」

『この苔庭はわびサビを表現するものでとても美しいと、昔から大変人気がありますねえ』

「このじめじめした一面の苔が?」 


 どう見ても営舎近くの湿地帯の沼の光景とあまり変わらないのだが。建物と石畳ばかりの都市では、大変に貴重で珍しいものらしい。


「しかし暑いなぁ。うちの村とは大違いだ」


 青年はシャツの胸元をはだけてぱたぱたした。

 日陰だというのに蒸し暑い。さもあらん、季節は夏。しかも本日は雲ひとつないかんかん照りで、じめっとした庭園は蒸し暑い。ミンミン啼く虫が、そのじっとりとした暑さに拍車をかけている。


『ほんと暑いですねえ。青年よ、そこの水場にちょっと私を漬けてくれませんか?』

「どこの水場?」

『その三本の木の裏にあるはずです』


 剣の言う通り。庭園の奥の木の陰に、岩をくり貫いて作られた大きな桶のような水場があった。

 地下から昇ってきているのか、金属の管のような注ぎ口からちろちろと清水が流れ落ちている。青年は邸宅へと先導する使用人にしばし待ってもらい、岩桶にたまった水に折れた剣を漬けた。

 その瞬間。ふおん、と半分しかない剣の刀身が一瞬赤味を帯びて輝いた。


『ふうう……ありがとう、涼しくなりました。そうそう、ここの水を水筒に詰めておいきなさい』


 首をかしげつつも青年は、剣に指示された通りにした。

 邸宅の中は、小さな営舎とは大違い。正面玄関にいきなり両翼へ拓ける大階段があり、ホールには使用人たちがずらり。なんともよい香りのする、絹の垂れ幕が下がった応接間に通されると。ほどなく、あの貴族士官が姿を現した。

 なんだか笑顔をとってつけて貼り付けたような貌である。 


「さてもよくぞいらしゃいましたな」


 半年前には軍服を着ていた貴族士官は、当主の息子でまだ若い。青年より少し年上というぐらいか。

 この屋敷では、「若」と呼ばれているようだ。本日のいでたちはきらびやかな銀糸を織り込んだ羽織りもの。頭には宝石をちりばめた頭巾。首には大粒のオパールが煌めき、ひと目で上流の大貴族とわかる。

 一歩足引き、胸に手を当て頭を軽くさげたその上品な所作に、ド辺境からきた招待客たちはたちまち気圧された。  


「団長どの、さっそくきき茶をして遊びましょうぞ。他の客人たちもすでにお揃いであらしゃります」


 一瞬、にやりと「若」の口元が引きあがる。公開処刑かと、青年はごくりと息を飲み込んだ。しかしリュックの中の剣は余裕でこっそり鼻歌を歌っていた。



『香りよし

くれないの茶の色、目にもよし

けぶる血洗う命の水かな』



「あれ? その唄……」


 それは茶葉を売ってくれた娘が歌っていた唄であった。とたんに青年はあの娘のはじけるような笑顔を思い出した。なんだか不思議と力が湧いてくる、あのかわいらしい笑顔を。





 「若」は食堂の広間は素通りし、中庭へと招待客を案内した。

 そこには瀟洒な形の蒼金色の天幕がしつらえられており、中に置かれた絹張りの寝椅子にはすでに、煌びやかないでたちの客人たちがしどけなく寝そべっていた。どの面々の胸にも、きらめく宝石の頚飾り。

 裏オク家門下の中でも一、二を争う家柄の貴族たちなのであろう。おそらく、公爵とか伯爵とか、そんな称号を持つ者たちに違いない。

 団長がカチンコチンに固まって寝椅子にちょこんと座ったその両脇を、さらにカチンコチンのお供の騎士たちが固めたが。すでに貴族たちのほとんどが、寝椅子に寝そべらない団長を小ばかにした目つきで眺めている。

 これで自分が失敗したら目も当てられぬ。

 青年はぶるりと全身を震わせた。


「銀枝騎士団の料理人どの。これにある茶葉、これにある水、好きなようにお使いくだされ」


 「若」がにやりとしながら、寝椅子の輪の真ん中に置かれたいくつもの円形の水鉢と、台の上にずらりと並べられた茶葉の小皿を指し示す。

 ご丁寧にそこには小さなかまどがあり、鉄瓶にはしゅかしゅかお湯まで沸いている。茶葉と水を選べとは、まさに腕試しだ。


『せっかくですが持参しました物を使いますと伝えなさい』


 リュックにさしている剣が命じた通り、青年はもらった茶葉と水筒の水を使うと申し上げた。


『水筒の冷水で、水出し茶をお作りなさい。唄を歌いながらやるのですよ』

「歌う?」

『はい、ご一緒に』



 香りよし

 くれないの茶の色、目にもよし

 けぶる血洗う命の水かな



 剣が唄う通りに青年が真似すると。寝椅子を押し倒さんばかりの勢いで、ひとりの翁が立ち上がった。


「おぬしは、なぜにその呪文を知っとうや?」

「呪文?」


 茶葉を放ったポットを持ったまま、青年はきょとんとした。翁は目をらんらん、まん丸くしている。


「今おぬしが唱えたは、我がオク家の御三家秘義中の秘儀。女神涅槃の呪文であろう」

「は……い?」

「その昔。我が開祖オク・エキューが王都近くの焼け野原に茶の苗を植えたとき、唱えなさった御言葉がまさしくそれじゃ。その呪文を知っているは御三家の当主のみ。当主が、秘儀の茶を淹れる時にのみ唱えるものゆえにな」

「とおっしゃるあなたは、もしや……」

「父上様、まあとにかく、茶をいただきましょう」


 不穏な顔をしている「若」が、なんとか貌を取り繕い、老人をなだめて寝椅子に座らせた。父と呼んだということは、この老人こそは裏オク家の当主らしい。

 水筒の水でゆるりと出した茶を椀に注ぎ、うろたえている翁や会した貴族たちに差し出すと。まずは招かれた大貴族たちが感嘆の声をあげた。


「なんとまぁ冷たい」

「暑さが消えまする」

「まろやかでおますなぁ」


 「若」が一瞬悔しげな顔をする。かたや父である当主は、ぬうと唸ってしばし言葉を失った。


「なんという冷たさ。なのにしっかと薫るこの香り。そしてこの血のごとき紅の色……やはり、あそこの茶葉に間違いない。水は、うちの井戸水を使われたか」

「はい。岩の桶から頂戴しました」


 すると「若」は鼻白み、水泥棒ではないかと咎めてきたが。当主はだまらっしゃいと鋭く怒鳴って息子を黙らせた。


「この王都には大河の他に二本、地下に伏流水が流れておる。東西に渡っており、南の水は表家が、北のは我が裏家が使うておる。北の水の方が、まろやかで甘い。蒸留水で淹れるが佳しとする昨今の風潮は、表家がそれを妬んで普及させたでっちあげ。跡継ぎもそれを鵜呑みにしていて、ほとほと残念な次第ではある」


 当主がちくりと刺すようにいうや、「若」はくっと悔しげに視線を地に落とした。


「当家自慢は、これぐらいにしておいて」 


 と、当主は青年が使った茶の葉の由来を、以下のようにとうとうと解き明かしたのであった。


「百年の昔。すなわちこの国が建ったころ。王都の周囲は建国王の悪しき敵におそろしき爆弾を落とされて、焼け野原とあいなった。我が開祖オク・エキューはそのとき最愛の恋人を失くし、涙ながらに焼け野原に娘の骸をお埋めなされた。そしてその盛り土の上に、一本の苗を植えられた。それが現在の、王都郊外に広がる茶畑の始まりとされておる。さて、この紅色の茶は。まさしく女神涅槃の地の、今やご神木となっている茶の木の葉をお使いであるな? すなわち、」


 当主の言葉に、青年の顔色はたちまち色を失くした。


「茶畑の、一番始めの一本。まごうことなく、我が開祖の恋人の骸の上にて育ったもの。このまろやかさ。この色。まちがいない。十年に一度御三家にて、女神となりしかの乙女の恵みと加護を言祝ぐ、恩礼の秘儀の折に服するものなれば。これぞ、我がオク家にとってはこの上なき茶である。かようにありがたき気遣いの茶、真にいたみいる」


 信じられぬことに。震え上がる青年の前に、当主は深々と頭を下げ。

 そして紅色の茶を飲み干した。

 この上ない、至福の貌を浮かべて。





「いっやあ、王都観光最高だったな、おばちゃん代理」

 それから一週間後。青年は上機嫌な騎士団長と伴の騎士たちと一緒に、王都をあとにした。


『当家開祖エキューが抱いた哀しみと、平和への祈り。しかと我が胸にいただき申した』


 裏オク家で団長の面目を大いに立てた青年は、当主にことのほか気に入られ、こっそり引き抜きの話もいただいたのであるが。


「でかい劇場、川下り。上手いごちそう。いやぁ、いいなぁ、都ってのは。しかしちょっと人が多すぎるな。

空気もちょっと……」

「団長、空気は断然、うちの営舎の方が美味しいですよ」 


 丁重に固辞して、平民出の団長のもとを離れずに、北の辺境に帰ることにしたのであった。

 さんさんと照る夏の陽のもと。あの茶畑を再び通りかかった青年は、茶葉を売ってくれた少女に礼を言おうとその姿を探した。行きと同じ処と思われるところに、あの見目麗しい少女がいたので訊ねてみれば。


「え? もう一人の女の子?」


 そんな子は知らぬと、返された。一週間前のことを話しても、青年のことは覚えているが、そばには誰もいなかったというのである。


「でも確かにそこに……」

 茶葉を天日干ししているむしろを指し示した青年は、ハッとその後ろにある物を見上げた。

「これって……!」

「女神様の像よ」


 およそ美女とはいえぬ人懐っこい顔つきの少女の石像が、そこには在り。 

 その隣にとても美しい紅の葉の茶の木が一本、寄りかかるようにして植わっていた。



 香りよし

 くれないの茶の色、目にもよし

 けぶる血洗う命の水かな



 青年のリュックの中で、剣が上機嫌に歌った。


「ここの言い伝え、知ってたんだ」

『面倒見よくて、みなに好かれてる子でしたよ。若くして亡くならなかったら、エキューのいい奥さんになっていたでしょうねえ、リーシャちゃんは。ほんとお似合いでした』

「え、知り合い?!」

『じゃなかったら、ご神木の葉っぱをタダでなんて、くれませんでしょうが』

「いやそれは。恋人のエキューさんの子孫に飲ませるって、教えたからじゃ?」

『え』

「え」

『……』

「あ……ごめ。うん。おまえもその、リーシャって子と友達だったんだな? そうなんだな?」

『あーこほん。いやしかしとにかく、このお茶の木の茶葉が世界で一番です』

「あのさ。剣、あんたって一体……何者?」

『英国紳士ですけど、なにか?』


 女神像の両手から、あたかも緑の畝が広がっているかに見える。

 どこまでもどこまでも、果てしなく。

 女神たる少女の石像は、可愛らしい微笑で青年を見下ろしていた。

 その貌は、きらきらと輝き渡っていた。

 まるで。太陽の光がはじけているように。 




 茶畑の乙女   ――了――

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