ソートアイガス――創砥式7305Ⅱ――
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キン キン キン キン
打つ。打つ。赤い光。
キン キン キン キン
打つ。打つ。金の床。
「エクステルぅ?」
この塔に夢の中の女の子が来ていることが分かって、朝起きた俺は真っ青。
さっそく工房で灰色技師のウサギに聞いてみたが、どうも反応が鈍い。
「金髪少年が買いとってここにつれてきた? あー……それって俺の一番始めの弟子のことだな」
なんだかものすごく微妙な顔。
「ってことは、赤猫ちゃんのことかね? 今から百年ぐらい前の話だわ」
赤猫……たしかにあの女の子の呼び名はそうだ。一世紀も前のことなのか。
「たしか、うちの妖精たちと同じ赤毛の娘だったな。そういえば、剣の中に……」
「え?」
「うんまあ、だからそうなるんだな」
ぼりぼり頭をかくウサギは、言葉を濁した。
夢の続きをみたら事情が分かるだろうと言われ、あとは説明なし。
なんだかとても言いにくい感じだった。
今日もまた眠ったら、あの子の夢を見るのだろうか。
どうか幸せになっていてくれ――。
その夜俺はそう願いながら、寝台にわが身を横たえた。
かわいい娘と、娘に寄り添ってすやすや眠る、金の狼を眺めながら。
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その少年は、偉大な鍛冶師。『大鍛冶師』と呼ばれて大陸中の人々に尊敬されている。
でも、住んでいる処は誰も知らない。
私も、この塔がどこにあるのかわからない。
マエストロはエティア王国を建てた英雄たちの、大いなる力を秘めた武器を作ったそうだ。
それからあの赤毛の女の子たちもそう。マエストロが培養液を入れたカプセルで作ったという。
たった一人の女の人の命のもとを使っているから、女の子たちはみんな姉妹。みんな同じ顔。
私よりとても美しい子たち……。
マエストロはどうして、私を買い取ってくれたのだろう?
メニスの子を買った方がよかったんじゃないかと思う。
あのお姫様のような子たちだったら、ここの赤毛の子たちよりも、きれいだもの。
どうして?
どうして?
わからない……
マエストロは寝台でずっと寄り添ってくれて、まるで恋人みたいに頭を撫でてくれたり、口づけしたりしてくれる。
でもまさか本当に、お嫁さんにしようとは思っていないはず。
お金で買ったぼろぼろの娘なんて。
「赤い髪、好きだ」
「はい?」
「いい色だよね。炉の炎みたいで」
寝台の上で片肘で頬を支えて、マエストロが私に笑いかける。
なんてまぶしい笑顔なんだろう。
「マエストロの髪の方が、きれいです。太陽の光のよう」
「……ありがと」
あ。口づけ……。
どうして?
どうして?
……もしかしたら。
マエストロは私のことを、本当に永遠の少女だと誤解しているのかもしれない。
私を研究したくて、買いとったんじゃないだろうか。
でも私はまがいもの。
薬を飲まされて、体は子供のまま。その内臓はもう……
なんだかとても申し訳なくて、なんでもいいから役に立ちたくなった。
マエストロに頼んだら、厨房で働くように言われた。
塔の食料庫には食材がなんでもそろっていた。
パンにお米に麦にトウモロコシ。牛や羊のお肉。十種類以上の魚。それ以上の種類の、チーズ。お野菜も、お酒もいっぱい。いっぱい。
母に最後に食べさせてもらった、チーズのシチューを作ってみたら。
「おいしい! おいしいよこれ。すごいね」
マエストロに、ものすごく喜ばれた。
「香りキノコをほんの少し入れてるの」
「へええ。隠し味か」
おかわりしてくれて、なんだかとても嬉しい。
――「おじいちゃん、今日もだめ」「ずっとご飯食べないなんて心配ね」
塔のてっぺんから降りてきた赤毛の子たちが、残念そうに食堂に入ってくる。
マエストロのお師匠様は、奥さんを亡くしてからずっと臥せったまま。
ご飯をろくに食べてくれないらしい。
「ピピ師のことは気にしないで」
マエストロはそう仰ったけれど。
私は心配になって、お鍋からほかほかのシチューをよそって持って行ってみた。
塔のてっぺんにいたのは、けだるく寝床の中に沈み込んでいるウサギさんだった。
「ごめん、食欲ないから……って君だれよ?」
ウサギさんは赤い目でまじまじと私を見てきた。こいつはだれだ? と首をかしげながら。
「赤猫です。マエストロに、買われました」
「ふうん?」
それから何度か、私は作ったご飯をウサギさんに持っていった。
でもウサギさんは、一度も食べてくれなかった。置いて行ったお皿はいつも手付かずのまま。
ウサギさんは正直なんだろうか? 匂いからして私の料理はだめなのかも。
マエストロは優しいから、おいしくなくても食べてくれるのかも……。
そう思っていたある日。
「おいしいの作れなくて……すみません」
ウサギさんの部屋から手付かずのシチューを下げたら、くらっとめまいがして転んでしまった。
お皿が割れる。床にシチューが飛び散る……
「だっ、大丈夫?!」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさいっ!」
ウサギさんが心配して飛び出てきてくれて。皿の破片をかき集める私の手を見て、びくりとした。
「あの、こんな手で、ごはんを毎回……作ってくれてたの?」
「あ……」
私の指は両手とも、何本か欠けている。足の指もない。
「お店」にいたとき、手足の肉といっしょに、切られてしまったから。
わかってる。人に見せられる体じゃない。
本当はここにいる資格も……
「だ、だれかほかの人……ごはん作ってくれる人雇ってくださるように、マエストロにお願いします。わた、私のは、きたないから」
「え……」
「マエストロのも、ほんとはちゃんとした人が作った方が……その方が……」
「あの、ご、誤解だよ。俺、君が作ったもんが嫌なんじゃなくってほんとに食欲が――」
ウサギさんがおろおろ困っている。
どうしよう。ごめんなさい。ごめんなさ……
――「エクステル! なにしてる!」
涙であたりが見えなくなったとき。階下からマエストロが駆けあがってきた。
「ピピ様にはやらなくていいって言っただろ」
肩を上下させてはあはあ言って。首にナプキンを垂らして右手にぎっちりスプーンを握っている。食堂から、全速力で昇ってきたみたい。
「ご、ごめんなさいマエストロ、で、でも……いたっ」
あわてて片付けようとしたら、お皿の破片で指を切ってしまった。
「僕のエクス!」
とたんにマエストロは血相を変えて、私の手首をものすごい勢いで握ったと思いきや。
ちゅくっとケガした指を口に含んだ。その本数が足りないことなんて、まったくお構いなしに。
「ばかな子……」
「マエストロあの……ふあ!」
え? なにこれ。抱っこされた。お姫様のように。
うそ。うそ……
「おいで。すぐに治療しようね」
「あ、あの。あの……」
「ピピ様は無視していいから。君のご飯を食べないなんて、愚かすぎる。にんじんでも投げ込んでおけばいい」
あ。口づけ……。私が作った、チーズのシチューの味がする。
ああ。胸が熱い。
なんだか胸がいっぱいだから? ち……違う。
これは。これは――
「……エクステル!」
私の喉の奥から、熱いものがこみあげてあふれてきた。
真っ赤な、血が。
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キン キン キン キン
打つ。打つ。赤い光。
キン キン キン キン
打つ。打つ。金の床――。
「いけず」
朝起きて開口一番ウサギに会うなり、俺はそう言ってしまった。
「えっ、ちょっ、なんなの料理長」
「いくら奥さんが亡くなって悲しいからって、かわいい女の子が作ったご飯をひと口も食べないとか、何ですかその鬼畜っぷりは。というか、今の奥さんは後妻さん? あの銀の髪の人、一体どこにいるんですか? ここに就職してからまだ一度も姿を……」
「あーえーそれはー、いろいろあってだなー、今はちょっと仕事で、ここにいないっていうかー」
いまさらお説教とか勘弁してといわれたが、本当はウサギをさかとんぼりにつるして皮をひんむいてさばいてやりたいぐらい、なんかムカついちゃったので仕方ない。
赤猫はあの不自由な手で一体何度、このウサギにご飯を作ってやったと思ってるんだ。
金髪のマエストロの言葉じゃないが、愚かすぎる。
あのチーズのシチュー、絶対おいしいぞ。
見た目は素朴だけど匂いからしてもう、食欲をそそられた。
匂い……そんなところまでリアルな夢だ。
それにしても、大丈夫なんだろうか。赤猫は血を吐いていたような気がする。
まさかあのまま短い命を散らしたんじゃないだろうか……
「ひい! なんなのこのニンジンキャセロール。ま、マジからい! でもうまい! ひいい!」
料理人の恨みを思い知れ、くそウサギ!
俺はその晩高速で皿洗いを済ませ、早めに寝床に入った。
かわいい娘に絵本を読んでやる、美しい半狼人を眺めながら――。
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「お店」の人たちは、あの薬を飲んだら三十までは生きられないとまことしやかに噂していた。
体は十代のままになるけれど、内臓はぼろぼろになると。
たしかにもう、私はそんなにもたないのだろう。
マエストロは旦那様に何も確かめないで私を買った。
きっと今は、だまされたと思っているはず。割に合わない買い物をしたと。
その証拠に。
血を吐いて倒れてしまってから、マエストロは私とろくに喋ってくれなくなった。ほとんど寝ないで、工房にこもりきりだ。
どうしよう。ひどい損を、させてしまった……。
なんとか起き上がれるようになったので、厨房でご飯を作った。
でも工房に行って呼んでも、マエストロは振り向いてくれない。
背を向けて、一心不乱に金槌をふるっている。
「くそ。こんなにぼろぼろになって……」
泣きながら、打っている……。
それはひとふりの古い剣で、無残にへし折れてしまっていた。
あれはマエストロが建国の英雄に与えた、古い古い伝説の剣。
つい最近、建国の英雄スイール様が、異国の地であの剣とともに亡くなった。エティアの王様が異国の王様に懇願して、その遺体を返してもらい、国葬にしたという。
マエストロはその弔いの儀式に参列して、あの折れた剣を抱えて帰ってきた。ぼろぼろ涙をこぼしながら。
『剣をこんなにするなんて……』
マエストロは今、その剣の修理に没頭している。
ご主人様に打ち込めるものができて、私はホッとした。
たぶん私への怒りは忘れてもらえる。
でも。どうやって償ったらいいんだろう……。
「ばかな子が、まだこっちを見てる。仕事にならない」
突然。マエストロが振り向いて、刺すような口調で責めてきた。
私は両手で口を抑えて泣き声を殺した。喉の奥から、熱くて赤いものがこみあげてくる……。
「世話が焼ける」
マエストロがこちらにやってきて、私を支えてくれた。
しがみつく私の手には、力が入らない。私の手から漏れ落ちた血が、戸口にこぼれている。
工房の中には落ちていないみたいでホッとする。神聖な仕事場を汚すわけにはいかないもの。
「時間がない……」
顔をゆがめてぼやくマエストロに、私は願った。
「おねがいですマエストロ……ごはん、食べてください」
もう三日、マエストロはひと口も食べていない。とても心配でたまらない。
「どうか、すこしでいいですから。戸口まで、もってきますから」
「仕事場では食べない。そういつも言ってるだろ。僕は大丈夫だから」
「でも……」
「黙れ」
マエストロは私を廊下の壁に押しつけて、乱暴に口づけてきた。
錆びた鉄の味がするのに。自分の口も真っ赤になるのに。全然気にせずに。
頬から目じりまで、マエストロは私の涙のしずくを唇で拾ってなぞっていく。
「美味しい……」
私の涙は塩辛いのに。メニスみたいに甘くないのに。
「あ……マエストロ……や……だ……」
衣の肩口を引っ張られてあらわになった首筋を優しく噛まれて、私はびくりとした。
「黙れ。こうされたかったんだろ。だから工房の戸口にはりついてたんだろ」
「ちが……ちがっ……ごはん……ごはん、食べてくださ……」
「ああ、食べるよ。君を」
「あうっ」
だめ。だめ。とけちゃう。とけちゃう……。
「死なせない」
マエストロがぎゅう、と抱きしめてきて、囁いてくる。
「絶対、死なせない」
ああ。ほんとうに。そんな奇跡が起こったらいいのに。
私は。
いつまでも永遠に、この人のために涙を流したい。
いつまでも永遠に、この人のためにごはんを作りたい。
でも私は、もう働けない。お嫁さんには、なれない。
夏至の日に、父に売られてしまったから。
ぐるぐる回る踊りの輪には、入れなかったから。
「死なせない」
ごめんなさい……ごめんなさい……
あなたは、損をしたと思っているはず。
もとがとれなかったと、感じているはず。
あなたが「お店」で旦那様に私を買い取ると仰ったとき。私が本当のことをお話しすればよかった。
でも私は、そうすることができなかった。
あのお店から出たいと、願ったから。
だまして、本当にごめんなさい。ごめんなさい……
マエストロ……
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キン キン キン キン
打つ。打つ。赤い光。
キン キン キン キン
打つ。打つ。金の床――。
「お? おい、料理長大丈夫か? 鼻に何つめてんの?」
「綿」
「え? もしかして鼻血?」
「きかないで……」
口の周りをタラコのように腫らしたウサギが、心配げに厨房にいる俺を覗き込んでくる。
いや、大丈夫だ。たとえ鼻血がとまらなくても、ここの食事は俺が責任もってちゃんと作る。
体調は、悪くない。ああでも、涙はだらだら出てきて止まらないし、体はうずうずするし。鼻血は噴き出すし。
いやなんていうか、「受身」の感覚を感じるのは初めてで、正直どうしたらいいかわからない。
うう、手が震える。フライパンで焼いてる卵クーヘン焦がしそう。
いや。いや。気をしっかり保て、俺。
食べさせることが仕事である料理人たるもの、自分が食われたぐらいで動揺してたらいけない。
金髪少年ががつがつ食欲旺盛すぎるとか、おかわり五杯もしたとか、露ほども思いだしちゃいけない。
す、スルーだ。スルー。大体アレは夢だ。ゆ……
「パパ、大丈夫? 焦げてる!」
うあああああああ! 一瞬気が遠くなってたっ。カーリン感謝!
ほんと最近、厨房を手伝ってくれる娘はしっかりしてきた。朝のクーヘンの半分は、この子が焼いてくれる。
……今夜寝るのはとても恐ろしい。
またあんな事態になるのは恥ずかしい。
どうしよう。目覚ましジュースでも飲んで、眠らないようにしようか……




