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桜姫

挿絵(By みてみん)



 そのデッキは真っ白で、乗ってくるお客さんは誰もが一瞬目を焼かれました。

 大理石のやわらかな光沢じゃありません。硬化ワックスを薄く薄く流し込んでいるのです。

 だから異様につるつるで、ぴかぴかすぎました。

 緩やかな曲線を描いて、はるか頭上でまあるい天蓋を作っている壁は、あたかも高級な木板で組み上げられているかのよう。でも実は、うすっぺらい木目調の壁紙が貼ってあるだけ。ずらりと並んでいる円窓はひとつひとつが小さくて、枠が赤くて、しかも肝心の部分は透明じゃないのです。

 まるでタコの吸盤みたいね――残念そうにそう仰るお客さんが、とても多かったです。

 これじゃあ、景色が見えないじゃないの、って。


「すみませんねえ。飛空船の窓は、二重にしませんとなりませんのにゃ。上空では、気密性が何より大事なんですにゃ。でもそうしますとどうしても、お外は見えなくなってしまいますのにゃー」


 二足歩行する銀色猫――マオ族のアテンダントが蒼い帽子を取って、もみ手しながらへこへこあやまるのが、いつものお決まりの光景。

 強化ギヤマンの窓はとても高価。透明な一枚ものを発注するなんて、格安航空会社には無理。だからその飛空船には、小さな丸いアクリル板がびっしり嵌め込まれていました。

 そんな安普請の飛空船だったけれど。

 お客さんは、いつも満員でした。

 皇すめらの国からたった二刻で、一大観光地である南国の島へ行く定期便。

 他にも同じルートを飛ぶ別会社の船は、ごまんとありました。

 でもたぶんこの飛空船が、いつも一番人気で混んでいたと思います。

 なぜなら。


「わあ、これね? これがあの名匠、フェイディアスの彫刻?」

「すごいわね!」


 その船には、「私」がいたから。

 デッキ中央にあるロビー。合成ビニルのソファが円形に並べられているその真ん中に、私は鎮座していました。

 旅行ガイドを片手にもったお客さんが何人も、私を見にしげしげと近づいてきました。

 離陸直後はとくに、私の周りは黒山のひとだかり。


「なんて美しい……」

「これが四百年ものの桜の木を彫ったものですか。いやはや、素晴らしい!」 


 そう。私は。

 ずいぶん長い間、桜の木だったのだけど。

 畑の隙間にぽつねんと植わっていた、単なる木だったのだけど。

 永い永い年月、そこにいたのだけど。

 田舎だったそこは年がたつうちに田舎ではなくなって。

 大きな集合住宅を建てることになって。

 そのために私は切り倒されて。そうして……


――「なんと見目麗しい少女か」


 なぜか横座りになってちょっとだけ顎を上げて。

 恋人の接吻をうっとりと待つ、少女の彫像にされてしまったのでした。 


「見えそうで見えない裸体、というのがまた心憎いですなぁ」

「このなめらかさ。いとけなさの残る顔。ほどよいふくらみにドキドキしますよ」


 乗客たちはわざわざ、私を見るために船に乗ってきました。

 男性の方が多かったように思いますけれど。

 女性の方もたくさん。

 子どもたちもたくさん。


「ママ、これがあの、フェイディアスの代表作?」

「そうよ。素敵よねえ」


 なにしろ「私」を彫り上げた人は、大陸一有名な彫刻家だったのです。

 しかも――。 


「桜姫。僕の桜姫……」

「きゃあ。噂をすれば、あの方だわ」

「ま、ママ? 声が一オクターブ高くなったよ?!」


 フェイディアス様は、金髪碧眼のとても見目よいお方で。

 週末には必ず島の別荘に泊まるのだけど、必ず「私」がいる船に乗ってきました。 

 女のお客さんの多くは、彼に会うのが目的、という人もたぶんに多かったと思います。

 でも彼は。どんな美女よりも私のことが好きだったようでした。

 週末に船に乗ってくると、私の目の前に自前の木彫りの椅子を据えて、そこで始終うっとり。

 まるで本物の恋人のような目つきで私をみつめておりました。


「桜姫……」


 心の中で想い焦がれる理想の少女。彼はその姿を完璧に、私の体に具現化したようです。

 だけど私は。彼のことは、あんまり好きではありませんでした。

 どちらかというと、嫌いでした。

 人目をはばからず、作った人の特権でべたべた触ってきましたし。

 片時もそばを離れず、うわごとのように愛しているとつぶやいてきて、ちょっとうっとうしかったですし。

 なにより……彼の顔を見るたび、あの痛みを思い出しましたから。

 肌に突き立てられる鑿。深々と刺さる彫刻刀。

 私は彼に全身を切り刻まれ。穿たれ。削られました。   

 痛かったです。

 とても痛かったです……。

 やめてと泣き叫んだけれど、彼に私の声は聞こえませんでした。

 もし導師様かなにかだったら、桜の木の精霊たる私の声が聞こえたでしょうに。

 彼は私の体に恋していたけれど。私に魂があることは、全然気づいていませんでした。





 格安航空会社の飛空船に、そんな私がなぜいたかというと。

 一点豪華主義、というものだそうで。

 会社の命運をかけて、船を新しくするのではなく客寄せの目玉を船に置いたら、あらまあ大当たり。

 会社の思惑通り、その飛空船は「観光名所」となったのです。

 でもその栄華は、そんなに長くは続きませんでした。

 あまりに有名になった船はある日、怪しい団体にハイジャックされてしまったのです。

 犯人たちは当時国宝級となっていた私を盾に、フェイディアス様と親しい元老院議員への無茶な要求をしたけれど。その脅しは通りませんでした。


恐喝(テロ)には屈しない」。


 そう宣言した皇すめらの国の元老院の強硬派によって軍が動かされ。船は鉄の竜に爆撃され。

 海へ不時着――。

 犯人たちの半分は死に。お客さんたちもたくさん死に。そして私は、フェイディアス様と共に、海上をさまよいました。

 そう。その事件が起きたときは週末で。

 私の体に恋していたあの人も、船に乗っていました。

 彼はしばらく生きていたのだけれど。

 なんとか私を浮かせて、目前に見えていたあの観光島に泳ぎ着こうとしたけれど。

 あえなく、私と一緒に海の底へ沈んでいきました。


「桜姫。僕の桜姫……ずっと君と一緒にいる! ひとりにさせない!」


 そう叫びながら。

 でも彼は最後まで気づきませんでした。

 桜の木の精霊たる、私の存在に。 





 それからしばらく、私は海の底にいました。

 たぶん、数百年ほど。

 よくも崩れてしまわなかったものです。

 おそらくフェイディアス様が、私の肌に特殊な防水加工をほどこしていたからでしょう。

 でも頬の部分だけは、ぼろぼろになりました。

 泣いていたからです。

 フェイディアス様は私と一緒に沈んだのですが。

 腕をからみつかせて口付けしたまま、決して離れませんでした。

 ああこの方は。そんなにも、私のことを……。

 そう思うと。

 私の目からは不思議な事にあとからあとから涙が出てきてしかたがなかったのです。

 その不思議な液体は、さらさらと海の水に溶けていきました。

 私は毎日泣き通しでした。

 自分の方から、気づいてもらえるように呼びかければよかったと思いました。

 フェイディアス様の魂はしばらくがんばって私のもとにとどまっていたのですが。

 ある日とうとう、力尽きたように天へと吸い込まれていきました。


『僕はあきらめない。もし生まれ変わったら、君を迎えに……』


 そう、囁きながら。





 それから永い永い時間がたったあと。

 私はトレジャーハンターの船に引き上げられました。

 フジツボだらけの私の首には、フェイディアス様の白い骨の欠片がからみついていました。その腕の部分だけが。

 他の部分は波にさらわれたり、魚につつかれたりして、なくなってしまったのです。

 私はきれいにされて、いまだに観光地として名高かったかの島で、競売にかけられました。 

 骸骨に愛された彫像、というふれこみで。

 買って下さったのは、皇すめらの国のやんごとなきお方。

 黒猫ヘイマオという名で、海の藻屑と消えた彫刻家の伝説をご存知でした。


「かの伝説の彫像は、齢四百年の桜から作られたと言い伝えられていると聞いていたが」


 そのお方の額には、花のような形の印がついていて。


「まこと強力な御魂が宿っているようだ」


 とても凄まじい魔道の力を持っておられました。

 しかも。


「私はやはり、これに惹かれていたのか……。前の生では、魔力などなかったゆえにはっきり気づけなかったが……」


 そのお方は。まごうことなく……


「精霊よ。桜の姫よ。どうか私と契約してくれぬか? 未来永劫、私を守ってくれぬか?」



 まごうことなく……



『僕はあきらめない。もし生まれ変わったら、君を迎えに……』





 それ以来。私は見守ってきました。

 何年も。何年も。黒き猫の家を、その当主と共に。

 当主様が皇すめらの国を離れ、エティアという国に魔道師として招かれ。

 年老いて。その地に骨をうずめたあとも。


『生まれ変わったら、そなたを迎えに……』


 当主の魂は、一代あとには必ず、私のもとに戻ってきてくださいました。

 当主様はご自分が顕現されるために、子どもを作り、子孫を増やしました。

 けれどもそれは私のため。

 もし額に印のない、魔力のない子どもが生まれたら。

 当主様は私にその血を捧げて下さいます。

 何よりも。だれよりも。偉大で強く、美しい精霊に成長するようにと。


「決して許しはすまいぞ」


 今日も当主様は、涙の跡でぼこぼこになっている私の頬を撫でて、うっとり囁いて下さいます。

 暗闇の中で。

 静謐なる祭壇に鎮座する、私の前で。


「このシュヴァルツカッツェの家を乗っ取り、おまえとわしを殺そうとした者どもは、未来永劫呪ってやる。奴らの子どもが生きのびた痕跡を見つけたと、草から情報が入った。絶対に見つけだし、その首をここに並べてやろうぞ。わしの精霊よ。桜の姫よ。今しばらく、待っていておくれ」


 はい。

 はい、当主様。

 いとしいお方。


 私は喜びに満ち溢れて答えました。


 また、新鮮な血を吸えるのですね。


「そうだ、わしの姫。そなたに、必ずや命の息吹を」


 当主様が微笑んで下さいます。私の声がはっきり聞こえるからです。

 なんてうれしいことでしょうか。

 私は自分の足元を見下ろします。

 そこにはふたつ、ミイラと化した首が並んでいます。

 いけにえの首。男と女。この家を乗っ取ろうとした者どもです。

 ずいぶん前に、私はその血を足元から全部吸い上げてやりました。

 おかげでずいぶんと、霊位が上がりました。

 偉大なる位階に達する精霊となった暁には。

 私は、花を咲かせることでしょう。

 薄桃色ではなく真紅の花を、この身から咲かせることでしょう。

 そうなれば。

 我が全身には熱い血潮がうねり、この身は本物の血肉と化すのです。

 私は、本物の乙女になれるのです。

 当主様を抱きしめることができる、生きた存在に。

 楽しみだこと。

 ああその日がどうか、一日も早く。

 やってきますように。




 桜姫  ――了――

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