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開けるな危険  (シュールなストレミングスの戦い)

自作小説倶楽部に連載したものをそのまままとめたオリジナル版です。

エティアの武王伝の別視点バージョンとなります。

本伝である「騎士団営舎物語」は、近い将来に執筆・更新予定です。


 シュッ シュッ シュッ シュッ

 砥ぐ。砥ぐ。黒はがね。

 シュッ シュッ シュッ シュッ

 砥ぐ。砥ぐ。銀の床。


「なんか、刃がつかないなぁ」


 出刃包丁をしげしげ眺め、青年は首を傾げる。白いエプロン、白い帽子。赤いネッカチーフ姿で、途方にくれたように空を仰ぐ。

 夕闇迫る天はあかがね色。

 緑繁る平地に、白い天幕がずらりと並ぶ。王国陸軍歩兵隊は朝から夕刻までひたすら行軍して、今宵はここに停まるのだ。青年は料理番なので、これからが忙しくなる。とはいえ幸い、独りではない。

しかも一番の下っ端ではない。数人の部下たちがあくせく動いてくれる。


「食堂のおばちゃん代理、かまどできました」

「食堂のおばちゃん代理、鍋に水入れました」

「食堂のおばちゃん代理、肉どこですか?」


 塩漬け肉の樽を積んだ荷車はたしか――

 青年はふりむいて後ろを指さしてやり、再び砥石に向かった。


「しっかしなんか調子悪い。金棒を二本も出して買った逸品……のはずなのに」


 使っているのは天然砥石。カンブリア紀の微生物が石化したもので、東方の小国タタラクでしか

採れない一級品だ。得意先の出入り商人に「三点セットです」などとうそぶかれ、荒砥、中砥、

仕上げ砥の三種の石をなけなしの俸給をはたいて買った。だのに、使用感がなんだか微妙である。


「しっくりこない」

『研ぎ方悪いんじゃないですかぁ?』


 すぐそばの大樽から、のほほんとした声が聞こえてきた。青年はキッと樽の上を睨んだ。


『石の相性ってありますしねえ』


 あたかも鼻をほじりながら小馬鹿にするような言い様だが、そこに人の姿はない。


『豚に真珠とかってよく言いますし?』

「うるさい黙れよ」


 白エプロンの青年はむっとして樽の上を睨む。折れた広刃の剣がひとふり、大樽の上にくくりつけてある。鞘のつもりかぼろぼろの毛皮にくるまれているそれこそが、先ほどからの声の主であった。


『栄光ある銀枝騎士団営舎食堂衛生管理責任者の肩書きが、泣いちゃいますよ。包丁一本ろくに砥げないなんて』

「だからその肩書きは俺のじゃないってば。うちの食堂のおばちゃんのなんだってば。おばちゃんが軍に帯同ヤダって色ボケ爺さんと夜逃げしたから、仕方なくバイトの俺が代理でメシ作ってんだよ」

『そんな喋れもしない包丁より、私を砥ぎなさい。ほかの兵士はみなちゃんと、自分の剣を手入れしてますよ?』


 たしかに。天幕の前にたむろう歩兵たちが、そこここでシュッ、シュッ、と音をたてて剣を研いでいる。昨日敵と小競り合いをしたから、切れ味が悪くなっている剣が多いのだろう。

 鉄剣が標準装備のこの軍において、砥石は必須携帯品である。ちゃんと兵士手帳の「じゅんびするもの」という項目に明記されている。


 砥ぎ石三枚:剣は支給されます。毎日きれいに砥ぎましょう。

 兵籍板:各地域の役所で配布されます。忘れず首にかけておきましょう。

 懐紙:剣が血糊でよごれたらこれで拭きましょう。

 火口ほくち箱:近所の雑貨屋で買いもとめて下さい。

 おやつ:一週間三百スーまで……


「三百スーって安すぎ。もとい、そりゃあんたの言う通りだけど。でも違うだろ。おまえ、いつ俺の剣になったんだよ」

『えっ? 私はあなたが主人だと思ってますけど? ほらほら早く、私を砥いで下さいよ』


 樽の上の剣が催促する。青年は肩をすくめてさらりと受け流す。


「いや、無駄っしょ。おまえぼっきり折れてるじゃん」


 剣からぶうぶう文句が返ってきた。

 英雄になりたくないのかとか、臆病者とか、料理人でも騎士団に籍があるんだからおまえは騎士なんだとかさんざん言われたが、青年はどこ吹く風で包丁を研ぎ続けた。

 騎士団営舎の食堂に就職した時、この剣は漬物石として厨房の片隅の樽の上に鎖でくくりつけられていた。樽の中身は三十年以上は経っていると思われる漬け物らしく、


「開けるな危険」


と、書かれていた。

 今回の遠征において、営舎の料理人たちは、食糧倉庫からありったけの糧食を携えて来たのだが、だれかが間違って「開けるな危険」も持ってきてしまったのだ。蓋の上に鎮座する、うるさい漬物石と一緒に。

 廃棄したいのはやまやまなれど、他の糧食樽と一緒に仕方なく運んでいるそのわけは。もし食糧難などの事態に陥ったら、こんなものでも役立つかも、という貧乏性な考えゆえだった。


 シュッ シュッ シュッ シュッ

 砥ぐ。砥ぐ。黒はがね。

 シュッ シュッ シュッ シュッ

 砥ぐ。砥ぐ。銀の床。


『雨降りそうですね~』

「はいはい」

『風向き南東、湿度七十パーセント気圧変動あり。明日あたりざんざん降りですね、これ』

「はいはい」


 青年は肩を竦めて包丁を砥ぎ続けた。この剣にはなぜか痛く気に入られているようで、事あるごとに喋りかけられる。剣の声を聞ける者はめったにいないらしい。波長が合うのだといわれて、非常になれなれしくされている。

 自分は一万一千九百歳だとか、地球という別の天体からやって来たとか、わけのわからないことをほざく。刀身だけでなく、柄の宝石に宿っている人工精霊も完全に壊れているのだろう。

 なんとか切れ味が戻った包丁で、青年は部下が樽から出してきた肉を切り始めた。

行軍中に弓兵がしとめてくれたホロホロ鳥の肉だ。沼地で大群にでくわしたのはとても幸運であった。鳥の皮がすうと切れたので、我ながら満足する。いつもなら適当に丸焼きにすればよいのだが、今宵は、「都から派遣された貴族士官と会食するから」と、騎士団長に特別注文を出されている。 


『業務命令だ、おばちゃん代理。焦げた丸焼きは出すな。絶対出すな。よいな?』 

『でも俺は、ただのバイトで』

『黙れ。いいな、ゆめゆめ我が銀枝騎士団の顔を潰すでないぞ』 


 こわい騎士団長に命令されては、無い腕をなんとか揮うしかない。


『ホロホロ鳥の香草焼き、いいですよねえ』


 『開けるな危険』の樽の上の剣が、明るい調子で口を出してくる。


『中にジャガイモと香草を混ぜたのを詰め物すると豪華になりますよ』

「もうこまぎれに切っちゃった」

『チッ』

「なんだよ舌打ちするなよ!」 

『よく切れるからって、調子に乗って切りまくってどうするんですか』  

「う」

『仕方ないですね、ではから揚げにしなさい』 

「油で揚げるのか?」

『衣に木の実を砕いた粉を使いなさい。香りよし、歯ざわりよし。つけ合わせは人参のワインソテーに……』

「ま、まって! 一度に覚えられない。から揚げ出来てから言って!」

『馬鹿ですかおまえは。肉の下味をつけてる間につけ合わせを作っておくのですよ』


 青年はなんとか、貴族士官のための食事を整えることができた。

 不本意だが、うるさい剣のおかげで。

 舌の肥えた貴族士官は、田舎料理だと文句をつける気満々だったらしいが、目を丸くして美味だ美味だと連呼した。


「おばちゃん代理、よくやった! おかげでわしは王都に招待されたぞ。本当にでかした!」

 青年は騎士団長にことのほか褒められ、抱きしめられ、ぐりぐり頭をげんこつで撫でられた。

 そういえば。万年辺境の騎士団営舎住まいの団長は、常日頃から王都に行きたがっていたっけ。

 喜びあふれる団長の顔を見て、青年もなんだか嬉しくなった。

 バイトで食堂のおばちゃんの代理だけれど。

 この仕事、まんざらじゃないかも――。





 翌日。天の機嫌は悪くなり、夕刻まで豪雨が降り続いた。

 街道をわざと避けて行軍していた軍は、たちまち速度を奪われた。草地は豪雨でぬかるみ、泥炭層の土は荷車の足を呑みこんだゆえに。

 軍隊は日没までには丈高く防壁を築いた砦に入れるはずだったが、道程の半分ほどしか進めなかった。

 司令官は仕方なく、騎士団を含む騎馬部隊を駐屯地に先行させ、歩兵たちを

森の中にある平地に泊めた。

 料理番たちは、雨水に当たらぬようにと苦労してかまどを作った。馬持ちの貴族士官も団長もいなくなって、料理番の青年は内心今日は楽だと思ったが。  


『騎馬隊を本隊から切り離すなんて、アホもいいところですね』


 樽の上の剣がたちまちぶうぶう言い出したので、閉口した。


「砦に一刻も早く援軍を届けたかったんだろ。最前線で一番狙われてて危ない拠点なんだから」

『しかしこれでは、我が軍は丸腰になったも同然。奇襲されたらお陀仏ですよ』

「縁起でもないこと言うなよ。敵はたぶん一直線に砦に向かってるさ。たった歩兵二千ぐらいの

軍になんか、目もくれないんじゃないの?」

『ええ、たった二千ぽっちですよね』

「雨はざんざん降りだし、きっと見過ごしてくれるよ」


 しかしその夜、雨は止み。草木も眠る丑三つ時に、湿った天幕の中で休む軍は敵の奇襲を受けた。

 敵の斥候に軍の動きを把握されていたのだろう。青年の予想に反して、敵の司令官はこれから攻める砦に集まる兵士の数を、少しでも削ごうと思ったらしい。

 敵の半数以上は騎馬兵。長い薙刀で天幕ごとなぎ払ってきたので、二千ぽっちの歩兵は慌てふためいた。

 馬持ちである士官級の兵は、ほんの数人しか残っていない。司令の伝達すらおぼつかない歩兵たちは、騎馬の攻撃に浮き足立ち、倒れちぎれる天幕の間を右往左往した。野営地の外れでひとかたまりになり、なんとか陣形を作るや。ひゅんひゅんとするどい弾道音が響き渡った。


「弓兵か!?」


 反撃する間もなく、兵の後列がバタバタと倒れる。森の中に潜んでいた弩兵が狙撃してきたのだ。

 料理番の青年は途方に暮れた。自分の周りにひしめいているのは糧食樽を積んだ荷車。今は上手いこと、矢盾になってくれている。だが味方がやられてしまえば、この荷車は――


「この糧食、奪いにくるよな?」


 樽の上の剣が呆れ声で答えた。


『奪わないでどうするんですか。ていうか、なんであなた戦ってないんですか。戦いなさいよ』

「いやだって俺、おばちゃん代理でバイトで非戦闘員だし。でもこれ、やばいよね?」

『荷車接収される時に、あっけなく殺されちゃいますね』

「それはいやだ。じゃあ、逃げる」

『ちょっと!』


 おまえは英雄になりたくないのか、

 負け戦なれど華々しく戦って散る男気はないのか、

 臆病者すぎる、

 撃たれてなお四時間がんばったネルソン提督を見習え、

 最低でもデーン人と戦って王に返り咲いたアルフレッド大王を見習え……

 などとわけのわからぬことをたらたら言われたが、青年は包丁と砥ぎ石三点セットと当座の糧食の包みを入れたリュックを背負った。

 しかし逃げ道はすでに断たれていた。野営地はすでに、四面楚歌。

 応戦しようとした味方の兵たちは、じわじわ殲滅されて阿鼻叫喚。


「もしかしてこれ、万事休す?」

『だから私を砥いでおけといったでしょう』

「はあ? 土台折れてるだろ。使えないだろ」

『使えますよ。英国紳士は刃がなくとも戦えるのです』


 どこが? もといエーコク紳士って? と青年が返そうとした瞬間、ぶんとうなりを上げて戦斧が飛んできた。


「ひ!」


 身をかがめる青年。間一髪のところでかわせたが、荷車の向こうから、あれよあれよと

斧がぶんぶんひっきりなしに飛んできた。騎馬兵が投げ込んでいるらしい。


「死ぬこれ! 死ぬ!」


 一瞬も頭を上げていられない状況に蒼ざめる青年の眼の前で。

 鈍い音をたてて、斧が荷車の樽に突き刺さる。幾本も。幾本も。空気を裂いて突き刺さる。


「あ」『あ』


 「開けるな危険」の樽に斧が深々と突き刺さった時。

  青年と剣は同時に声をあげた。びき、と音を立てて樽に亀裂が走る――。


『あああああああああああああああ!!』


 とたんに、樽からぶしゅううううううと煙が噴き出し。


「あああああああああああああああ?!」


 周囲におそろしい臭気が立ちのぼった。


「なんだこれは!」「くさい!」


 荷車に押し寄せてきた敵兵たちがおののくほどに、その臭気は凄まじく臭かった。

 なんと表現したらよいのだろうかと、料理人の青年は鼻と口を覆いながら考えた。

 これは……酸味がありそうで。目にしみるような気もする。生ゴミを干して堆肥にするときの匂いもなんだか混じっているようであるし、腐った卵のような悪臭も……


「なんだよこれ! 催涙ガス? なんでこんなひどい兵器がうちの営舎の食料倉庫にあるんだよ!」

『あー、いいえ。ただの魚の塩漬けですけどー?』

「うそだろ! 毒ガスだろこれ!」

『いやほんとに、魚の塩漬けなんですけどねえ。三十年ぐらい放置されてましたかね。あ。破裂しまーす』

「え?」


 バン! とおそろしい爆発音を立て。剣が乗っている樽が木っ端微塵に砕けた。剣は一瞬空高く舞い上がり、うまいこと中身の飛沫を避けて荷車の向こうに落ちていった。

 とたん、この世の物とは思えぬ臭気とドロドロの汁気が、眼の前に這いつくばる青年にふりかかった。

 青年だけでなく、周囲にも一斉に悲鳴が起こる。敵兵たちが催涙爆弾だと騒ぎ立て、すさまじい勢いで荷車から退避を始めた。


『ああんもう。吹き飛ばされちゃいました。でも私怒りません。英国紳士は、とても寛大なのです』

「くさ! くさすぎ! 毒だろこれ! 毒!」

『あら、全身まみれちゃいました? でもそれ、ほんとにただの魚の塩漬けですってば。前の前の前の料理長が北方生まれでしてね。嬉々として仕込んだんですよね。故郷の味だとか何とか言って。臭みはクサヤやキビヤックの八倍、ホンオフェの一、五倍ありますね』

「なにそれ!」

『料理人のくせに知らないんですか? どれも有名な、くっさーい発酵食品ですよ。地球産の』

「チキュウなんて知らねえよ! そ、それ全部よりすごいのかよ?! とにかく鼻曲がる!吐きそう!」

『近くに川があったと思いますが。ちっとやそっとじゃとれませんよ、その匂い』

「どうすりゃいいの!」

『その匂いを消す方法を知ってますけど、ただで教えるわけにはいきませんねえ』

 

 剣はしごく明るい声でうそぶいた。もしこれが人間であったなら、口元をにっこりと引き上げ、目も山型に細くするとてもわざとらしい表情を見せているに違いないと思われる声音であった。


『青年よ。私も一緒に連れて行きなさい。そうしたら、消臭法を教えてあげましょう。

 英国紳士は、とても博識なのです』   





 かくしてどろどろの塩漬け魚にまみれた青年は、折れた剣を抱いて野営地から逃げ出した。

 とにかく臭いので、敵兵たちはみな臭素爆弾だと思い込んで怯み、すっかり逃げ腰。

 その隙をついて味方の兵士たちは森の中へ。いや、味方もあまりの臭さにほうほうの体で逃げ出したのだった。

 青年自身もひいひい言いながら、暗い森の中へ身を隠した。

 しかし匂いの強烈過ぎることといったらなかった。敵兵はもとより、運悪く出くわした狼の群れすら、

きゃいんきゃいんと尻尾をまいて逃げていくのだ。

 体がきれいになるまで、すべてのものから避けられるのか。

 青年はひどく憂鬱になったが、なぜか蝿だけはものすごくたかってきた。魚の塩漬けの腐臭は、ハエにとっては異常なぐらい魅力的なようであった。

 朝が来ても河には行き着かず、青年はひとり森をさまよった。この状態で砦に行っても、「くさすぎる!」のひと言で門前払いどころか衛兵に切り殺されそうだ。

 なんとか小川を見つけた青年はじゃぶじゃぶ我が身を洗ったが、しかし強烈な匂いは落ちなかった。


『水で洗ったって匂いはとれませんよ』

「じゃあどうやったらとれる?」

『焼きなさい』

「は?」

『体を、焼きなさい』

「はあ? どうやって?」

『服は焼却処分。髪の毛は丸坊主にしなさい。体は焚き火で焙るのです』


 下着も焼けといわれて非常に困ったが、青年は渋々言う通りにした。

 焚き火にさっと我が身を当てると、なるほどあの恐ろしい臭みがウソのように消えていった。

 しかし丸坊主とは少々恥ずかしい。

 洋服を焼いて丸裸とはかなり恥ずかしい。 


『生まれた時の姿になっただけですよ。葉っぱで大事な所を隠せば、神聖なるアダムになりますね』

「アダム?」

『地球の一番最初の人間ですよ。聖書に書かれておりました。英国紳士は、敬虔なクリスチャンなのです』 

「くり……?」

『それよりいいかげんに私の名前を覚えなさい。失礼ですよ』

「お、おう。なんていうんだ。教えてくれ」

『おや? 前に私名乗りませんでしたか? 私の名前はエク……』


 そこで剣の声はフッと途切れた。


「エク?」

『……』

「おい?」

『……』

「どうした?」

『……長たらしすぎて忘れました』

「おいおいおいおい!」

『どうも最近、物忘れがひどくていけません』


 やはり頭のおかしい人工精霊だと、青年は苦笑するばかりであった。





 翌日。「葉っぱのふんどしをつけた丸坊主の不審者」として、青年は砦の衛兵にひったてられ。


「おばちゃん代理! 生きていたか」


 騎士団長になんとか気づいてもらえて牢屋行きは免れた。どころか。


「臭素爆弾を密かに携帯して行軍していたとはな。さすが栄光ある銀枝騎士団のつわものだ。あの状況で九死に一生を得るとは素晴らしい」

 

 なんと砦の司令官に褒められた。

 はるか三百リーグかなたの騎士団営舎に急使が飛ばされ、「開けるな危険」はまだあるのかと捜索の手が入った。

 結果。

 あと三十樽もの「開けるな危険」が地下の隠し部屋から回収された。

 数週間後、敵軍に包囲された砦の城壁から、味方の軍は「開けるな危険」をつぎつぎと投下。

 破裂した樽はあたりに臭素をまき散らし、敵兵をことのほか怯ませた。

 腐った漬け汁にまみれた兵士たちは骸を喰らう蝿にたかられ、なんと病にかかった。

 病は敵軍の間で蔓延。かくして万単位の敵軍は、兵糧攻めをするつもりが攻めきる前に、自滅したのであった。

 これが世に名高い、シュールストレミングの戦いと呼ばれる戦であり。

 この戦を機に、ひとりの英雄が生まれることになったのである。

 背に折れた剣を負う英雄が――。





「いかがでございましょうか、国王陛下。これまでの叙述で、事実と違う箇所はございますか?」


 玉座の王は、上目遣いでおそるおそる尋ねてくる書記官を見下ろした。書記官の手にはたった今、王に向かって読み上げた巻物がある。その題字には、「エティア王国武王伝記:巻の一」と書いてある。

「当時の騎士団長たる現宰相閣下と、司令官であられた公爵閣下、それから『さる筋』から詳細に、シュールストレミングの戦いのことを聴取いたしましたら、かような具合になりまして」

「ふーん? さる筋、ね」


 王は玉座のかたわらにたてかけてある毛皮の包みを睨みながら、御言葉を下した。


「『葉っぱのふんどしを付けた丸坊主の不審者』ってところは削除しろ」

「は、はい」

「代わりに『金の髪をなびかせた色白の見目麗しい青年』って書いとけ」

「ぎ、御意」

「そんで、青年は騎士団名物ふる・ちん踊りで、騎士団長に認識してもらえたってのも削除で」

「あの、それは初耳です。ここには書いてございませんが」

「え」

『ブッ』


 玉座のそばの毛皮のくるみから、噴き出し笑いする声が聞こえてきた。


『ああ、そういえば踊ってましたね』  

「ちょ、黙れ」 

『必死な顔して、前を隠してた葉っぱを取って。いやぁ今まですっかり忘れておりました。英国紳士は、下品な物は見て見ぬふりをするのです』

「黙れってー!」

「ももも申し訳ございま――」

「あ! いや、君に言ったんじゃない。そんなに縮こまるな。とにかく、かっこよく書けばそれでいいから!」


 王はあわてて涙目の書記官を宥め、それからそそくさと大広間の舞踏会へ出て行った。


『さて。今回こそ、お妃を見つけられるとよいですねえ』 


 玉座のそばの毛皮の中で、折れた剣はひとり楽しげに囁いた。

 だれにも聞こえぬ声で。





 かのシュールストレミングの戦いより五年。

 料理番の青年はあれからあれよあれよと昇進して、ついには一国の主となったのであるが。

 包丁一本と折れた剣とでいかようにして玉座に昇ったのかは、また別の、長い長い物語である。




『開けるな危険』――了――



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