38-03 【絶望の中に響く唄】 Ⅰ
目の前でゆっくりと倒れていく黒き騎士をミキは呆然とした表情で見つめていた。
効果が途切れる事無くそのまま倒れ動かなくなったヤスオを震える両手で力なく揺さぶる。しかし、身体はピクリとも動かない。
自分の顔や身体に降りかかった赤い液体を指でなぞり見つめる。
赤く、ドロッとした血液が指の隙間から滴り落ちている。
「や………すお……? ねぇ……なんで寝てるのよ…ねぇ……何で血だらけで・・・寝てんのよ……起きろよ…起きて……よ…」
今度は強くヤスオを揺らす。信じたくないとばかりに、両の瞳から血ではなくボロボロと涙を流しながら、物言わぬ躯と化した黒い騎士に縋り付く。
そしてその様子を見ている事しか出来なかった男が吠えた。
「あああああああああああああああああああ!!」
気絶から目を覚ましたフィルが絶叫する。
「ヤスオォォォォォォォォォォ!! 畜生!! 畜生!! 動けよ!! 俺の体ぁ!! 動きやがれぇええええっ!!!」
ボロボロになった全身を怒りで動かそうとするが、ダメージは酷く身動きすら取れていない。それでも尚ヤスオの仇を取るのだと、懸命に叫び起き上がろうとする。
「ちくしょ…う。指一本動かん……ここで、死ぬのか…皆を助けられずに…」
ノーヴァの方も半分をフィルが受け持ったとは言えケルベロスの技が直撃した衝撃で戦闘不能になっている。弓を握る手の感覚すら感じられず動く事も出来ずにいた。もし動けるならば持ってきている帰還の羽を用いて撤退する事も視野に入れていたが、それも行う事が出来ていない。
「嘘よ……嘘……嘘………嘘…」
ぶつぶつと幽鬼の様に呟き立ち上がるカノン。
全身はフィル達と同じくボロボロだったが、それでも防具のお陰でまだ多少なりとも動く事が出来ていた。
「……してやる……殺してやる……殺してやるぅぅぅぅ!!」
怒り狂った形相で攻撃魔法を乱打し始めるカノン。
彼女にとってヤスオは大切な仲間だった、初めてちゃんとしたパーティを組んでくれた人であり、初めて自分にプレゼントをくれた相手。
お互いに尊敬し尊重しあうヤスオの事を、大事な友人になれたらと思っていた存在だったのだ。冒険者である以上死ぬ事は当たり前だが、それでもそれを我慢出来るほどカノンはまだ大人ではない。
降り注ぐ魔法を掻い潜るケルベロス。
ただ我武者羅に放つ魔法など、先ほどの弓より避けるのは簡単だった。
「死ねえええええっ!」
【貴様ガナ】
次の魔法を放つ前にケルベロスの突撃がカノンを吹き飛ばす。
ぶつかった衝撃で思い切り吹き飛び、近くの木に激突する。あまりの衝撃に木が折れそれに巻き込まれるようにカノンがその場に落ちた。
「ぁぁぁぁぁぁ………!! !!!!!!!!!」
声にならない絶叫を上げ泣き叫ぶカノンをケルベロスは敢えて殺さずぐるりと周りを見回す。
既に戦える者は誰一人としていない。
ヤスオは死にフィルとノーヴァは戦闘不能。カノンもたった今戦える状態ではなくなり、ミキはヤスオの死体に縋り付いて泣いている。
それを見たケルベロスが大きな声で笑い始めた。
【アハハハハハハハハハ!! 小気味良イ声ダ!! ソウ…! ソノ怨嗟ヲ聞キタカッタ! 我等ガ受ケタ苦シミハソレ以上ダッタ!! 泣キ叫ベ!! 絶望セヨ!! 無力ヲ嘆キ叫ベ!!】
ケルベロスがミキに向かって歩き出す。
動いている人間は目の前に居る弱者しか居なかったからだ。
【辛イカ? 安心セヨ、我ヲ楽シマセタ褒美ニ同ジ場所ニ送ッテヤロウゾ。甚振リ嬲ッテカラナ…!!】
そんなケルベロスの言葉を全く気にもとめずミキは泣きながら叫ぶ。
「嘘だ!! 寝た振りなんだろっ! 私を怒らせるなよっ!! ほらっ! ほらぁっ!!」
強くヤスオを揺さぶり続けるミキ。
死んでいる事を認めたくなくて、溢れだした涙が視界を歪ませるが気にせずにポカポカとヤスオの鎧を叩いていく。
「何で動かないんだよぉ。やだよ、やだよぉ…ヤスオまでママと一緒に置いていくの…私を置いてくの……?」
思い出したくない辛い思い出がミキの中で映像になって映しだされる。
彼女が一人になった時の事を、自分の居場所が、大切な人が目の前のヤスオの様にいなくなった時の事を。
「何でよ…!! 何で…!!」
ヤスオと出会ってからの日々は結構楽しかった。
犯罪者と加害者という間柄から、恩人に変わり、他の人間に比べれば面白い相手になり、今では勝手に友人だとも思っていた。
楽しい時間だったのだ、敵と自分しか居なかった世界で初めて出来た友達だったのだ。それこそ、もう二度と歌わないと思っていた歌を今度、お金をとってだが聞かせてやろうと思うほどには。
「何で勝手に…死んじゃうんだよぉ……!! 聞かせてないよ…歌…!! ミキ様はね、歌が得意なんだよ……聞かせてやるから……!!」
【錯乱シテイルカ、ツマランナ。モウ少シ恐怖デ怯エ命乞イデモスレバ、楽シカッタノダガ……】
目の前で泣いているミキとヤスオの死体を見下ろすケルベロス。
その様子が、ケルベロスはとても気に食わなかった。
【人間ガ……欲シカ持タヌ人間ガ、偽善ナ真似ヲ……!】
苛立ち前足を地面に叩きつけるケルベロス。
ミキがヤスオにしがみついて泣いているのが余程気に食わない様子だった。
【貴様等人間ハ、自ラノ欲望ノママ! 殺シ、壊シ! 奪ッテイクモノダロウ! 人一人死ンダ程度、気ニセズニモンスターヲ殺シ尽クスモノダロウ!! 何今更、恐怖ヨリナニヨリ他人ノ死ヲ嘆クカアアアアアアア!!】
咆哮が衝撃となって周囲を薙ぎ払った。
ヤスオの身体もその衝撃で吹き飛ばされ、しがみついていたミキも同じく飛ばされた。
「あぅ…!?」
地面に投げ出されるミキだったが、直ぐにヤスオの元まで歩いていく。うつ伏せから仰向けになって倒れているヤスオの兜をその手でなぞった。
「……認めない」
【……?】
「認めない…そんなの認めないから…!! あんたが死んだなんて認めてたまるかぁっ! 起きないなら!! 叩き起こしてやる!! さっさと起きろヤスオっ!!」
立ち上がり両手を胸に当て大きく息を吸いこむ。
そして―
「私の…歌を……聴けぇえええええ!!」
ミキの母親がミキの為に歌っていた、彼女の為の歌を歌い始めた。
―ミキのシークレットスキル【奇跡の歌姫】発動!!




