ep:5 変タイと変たい。
やはり午後からの授業は眠く、英語は爆睡してしまった…。
仕方ない。眠気というものは、生理的欲求なのだから。
うん。
寝ぼけ眼で時刻を確認すると、終礼の時間になっていた。
ぼーッとしている間に、どうやら6限目も終わっていたようだ。
外を見ると今にも降り出しそうな色をしていて、今の憂鬱な私の心境をまさに表していた。
「ティア!」
終礼が終わってすぐに、杏樹がやってくる。
「何?」
「高瀬くん、来てるわよ?」
廊下を見れば、目が合いにこっと微笑まれる。
所謂、王子様スマイルだ。
クラスの女子(私と杏樹を除く)全員がその笑顔の虜になっている。
しかし、誠に残念ながら私にそれは効かない。誰がそんな乙女のフィルターを持っているんだ。
みんな目がおかしすぎるだろう。
眼科へ行け、眼科へ。いや、この場合は精神科か?
などと考えながら、昼休みにOKを出してしまった以上、後には引けない。
「ティア、分かってると思うけど…」
「大丈夫だよ。十分注意する。ありがと、杏樹」
「んっ!じゃ、気を付けてね!また明日!!」
「バイバイっ!」
諦めて仕方なく高瀬君と合流し、帰路へとついた。
「帰りによるところってどこなの?」
「私の通っている…うーん塾みたいなところかな」
当たり障りのないごく普通の会話をする。
私に話しがあるって言ってた割りに、世間話が中心。
はっきり言って、警戒してたぶん拍子抜け。
「長谷川は、一人っ子なの?」
「兄と姉が一人ずつ」
「そうなんだ。いいなぁ…僕年下の兄弟ばっかりでさ、上が欲しかった」
ここまでは順調。
このまま何にもないと、すごく嬉しいんだけどな…。
と、思いながら歩いていると、津田さんのお店が見えた。
ここまで来たら、もう大丈夫だよね、うん。
「じゃ、ここで」
と、短い別れを高瀬君に告げる。
「うん、じゃあまた明日」
そういう彼に背を向けて、店の中へと私は入っていった。
結局高瀬君は何を話したかったのか、さっぱり分からなかった。
◇ ◆ ◇
「いらっしゃい」
津田さんが微笑みかける。
「こんにちは」
店に入るといつものクセで上を見上げると、少し影っている太陽が反射するステンドグラスが目に映った。
やっぱり綺麗…。影っていても少しは反射するんだ。
「ステンドグラス、好きだよね~」
「…綺麗じゃないですか」
「そう?僕は毎日見てるからかな、飽きてきちゃった」
「贅沢」
「ふふっ、そうかもね。でも、ティアちゃんが綺麗っていうからかな、最近は前よりもずっと綺麗に見えるよ」
この人は…今、とんでもなく恥ずかしいセリフをさらりと吐き出したな。
くそ。なんなんだ、この人は。強敵だ。
さて、津田さんとゲームをはじめてから1ヶ月たった。
この1ヶ月間毎日私はこの店に通っている。
元々あまり誰かと話すということが得意じゃない私は、来ても津田さんとあまり話すことはない。
ただ同じ空間に家庭教師と生徒として一緒にいるだけの日々が続いた。
「ねぇ、ティアちゃん」
津田さんが番頭から私を見る。
「何でしょうか?」
「今度の日曜日、ヒマ?」
日曜日…特に何もなかったはずだ。
「ヒマですけど…それが何か?」
「ヒマなら僕とデートし」
「しません」
「…ひどくない?」
「私はまだ学生です」
「近頃の学生は、デートするんでしょっ!?」
「残念ですね、私は『エンジョイ・ラブライフ』というものは人生の中でまだ体験していないので、知りません」
この言葉は墓穴を掘ることになる。
「え!?そうなの!?」
この驚き方…大変失礼だと思うのは、私だけだろうか?
「よし!じゃあ、初体験をしに、デートしよっ!」
…なんということだ。
そんな答えが来るとは…予想外デス。
「いや、だから」
「それとも、僕とデートするの…イヤ?」
なんなんだ、そのうるうるとした目は。
気持ち悪い、あなたは何歳児なんですか。
しかし、私に断るという選択肢は用意されてなかった。
その弱った子犬みたいな目に、普段なら絶対に引っかからないその手の手口に引っかかったのだから。
抵抗するすべなく、おとなしく首を縦に振った。
「よかった。日曜日の朝9時にここに来て。待ってるから」
柔らかい笑みを浮かべる津田さん。
こうしていたらカッコよく見えるのは、私が恋という不治の病に既に感染してしまったのだろうか?
いや、ない。こんな奴に恋に落ちる日なんて絶対に来ない。
負けるな自分。
「分かりました。―――――どこに行くんですか?」
「ヒ・ミ・ツ」
誤魔化された。なんなんだ、一体。
しかも、無性に腹が立つ。一発殴って沈めたい気分だ。
「で、今日は何の科目?」
「英語です」
「アイ キャント スピーク イングリッシュ」
私は英語を話すことができません…。
なんていうか…
「期待を裏切りませんね」
「ひどっ。英語なんてなくったって、世の中生きていけるんだよ!」
「それには同意します」
「同意しちゃうんだ…」
「近頃は小学生に英語を学ばせようとしていますが、母国語もできていない者に他国の言葉を学ばせようということ自体が間違っています。まずは、母国語からです」
英語は、私にとって魔界語だ。
日本語さえも怪しいのに、魔界語を学ばせるなんてひどすぎる。
「意外」
津田さんが心底意外そうな顔で言う。
「心外です」
「そんなに英語嫌いなの?」
「英語は魔界語です」
ぷっ、と聴こえた。
次の瞬間には、津田さんがおなかを抱えて笑っていた。
「何ですか」
「いやぁ、まじめっ子のティアちゃんの口から『魔界語』なんていう言葉が出てくるなんて…」
ぷぷぷっ、とまた笑い始める。
なんて失礼な奴なんだ。
私は「もう、いいです」と、短く告げて英語の学習へ
「津田さん…?」
「ん?」
先ほどから店の外へと通じる扉に背を預け、外の様子を窺っている。
「どうかしたんですか…?」
「う~ん…。ちょっと、ね」
歯切れが悪い。何か外であったのだろうか?
「ティアちゃんが来てからずぅ~っと、外で身を潜めている子がいるんだよねぇ」
津田さんが苦笑する。だが眼が笑っていない。
「子…?子供ですか?」
「うん、ティアちゃんと同じ年くらいの男の子」
私と同じくらい…?
私が来た時からずっと…?
男の子…?
…まさか。
「津田さん、私も少し覗いてもいいですか」
「え、でも…」
「…心当たりが、あるんです」
津田さんは少し考えるようなそぶりを見せ、「ちょっとだけだよ?」といい、見せてくれた。
そこには予想通りの人物がいた。