25.
25.
その日の放課後。
志田はああ言ったが、私はまっすぐ家に帰るわけにはいかなかった。
今帰ったらおじさんたちと鉢合わせる。
それじゃあ、わざわざ無理をしてまで学校に来た意味がない。
多少目眩を覚えつつ、私は花壇へ向かった。
案の定、志田は私を見て呆然とした。
だって、どう考えたって今の私は部活動なんて出来るような状態じゃない。
志田だって、当然私は直帰するものだと思っていたに違いない。
――実際私は、こいつから忠告を受けていたわけだし。
「おい! なんで来たんだよ!」
「……あ、歩いて?」
「アホ! ボケてないで、さっさと家帰れって! 全然回復したって感じには見えんぞ!?」
「ううん。ちょっと横にならせてもらったら、大分ましになった」
「どこら辺が? オレにはわからんけど。ほれ! 早く帰らんと、マジでぶっ倒れるぞ?」
あはは。出来れば私もそうしたいよ。
私がしばらくの間、何も答えられずに黙っていると、志田は「ふー」と溜息をついた。
「なんだ? 帰りたくない理由でもあんのか?」
志田は、抜けているけど馬鹿じゃない。
私の反応を見ていて、すぐに何かあると察しがついたみたいだ。
「……まぁ、ちょっと」
「ならソレを言え。それでオレが納得するようならな、今日は特別、見学だけなら許してやらんでもない」
……言って納得するわけない。
そう思ったが、こいつに隠したところで得することが何にもない。
無理に帰されるくらいなら、事情ぐらい話してもいいかな。
「……えーっと。すっごいわがままで、わたくし的なコトだから、あんまり言いたくないんだけど……。今日、あんまり好きじゃない親戚が、家に集まるんだ。それで、その人たち、夕方までいるみたいだから、それまで家に帰りたくない……の。……だから、部活終わってから帰るようにしようって思った。……あ、あはははは。実際こうやって口にしてみるとほんとわがままだな私。……ごめん。自己中な理由で。ここで倒れたりしたら、アンタにまで迷惑掛かるって言うのに……」
口にしてみて気が付いた。
そうじゃん。
倒れたりしちゃったら、こいつは私を放っておくはずない。
……馬鹿。本当に、なんて自己中心的な考えでいたんだろう……。
――いいや。もう帰ろう。
あの人たちに会って、哀れみのこもった『おこづかい』をもらって、それで、中身のない親愛を浴びるのを、耐えよう。
「ふぅん。わかった。じゃ、見学してな」
…………。
はい?
「へ? い、いいの?」
諦めて……、というかもう半分帰る気でいた私は、志田のその返答に、完全に不意を突かれてしまった。
「うん、納得した。雌舞希が嫌いになるような奴は、よっぽどヤな奴に違いない。だったら、わざわざ会いに行かせるようなマネは、オレには出来んさ。いい。花壇のフチに座って見てな。ただし、見てるだけな。もし倒れたら保健室まで背負ってってやるから、安心していいぞ? ――あ。そういやキミ、男が恐いんだったな。うーん。……よし! 倒れたときはテニス部のツジを呼んできてやる。あいつなら筋力ありそうだもんな。これで万全だ。安心してぶっ倒れろ」
ビシッと右手の親指を立ててみせる志田。
私はポカンとその突きつけられた指を眺める。
――あぁもう、すっかり慣れたと思ってたけど、やっぱり私の頭に、この言葉が過ぎる……。
"何言ってんだろう。こいつは"
「ふいー、よーし。終わり! ん? なーんだ、結局倒れなかったじゃん」
なんだか嬉しそうに皮肉をたれる志田。
今日の彼はひとりで作業していたので、いつもよりいくらか時間が掛かっていた。
「あはは。うん。保健室で先生にもらった薬が効いてきたみたい。ホント、もう大丈夫だから」
「ほー。そんなんあるんだ? 用意周到だな保健医。ん、どうだ? 歩けるか?」
「うん、平気。ご心配おかけしました。――さ、それじゃ部室、行こっか」
私は立ち上がって、旧校舎に向かって歩き始める。
「うぃ! お、おいおい雌舞希よ。わざわざ片付けにまで付き合わんでもいいぞ? もう無理すんな。親戚連中も、もう帰ってる頃だろ?」
慌てて私に駆け寄る志田に私はふり返り、その左手を指さして言う。
「それ。左手。多分無意識だったと思うけど、今日結構使ってたよ? 救急箱、部室にしかない。それとも、アンタが代わりに保健室行く?」
「う、それはいやだ。……わかった。……ホントに、大丈夫なんだな?」
「あのね。これ以上アンタに心配掛けるようなこと、出来るわけないでしょ? ホントに大丈夫だってば。それにこれ、私が暗に今日の恩返しがしたいって言ってんの。察しなさい」
志田はポカンと間抜けな顔で私を見た。
「恩返しって?なんの?」
私は呆れ、
「いいから、とっとと行くぞ! 志田部長!」
と、志田の首根っこをふん捕まえた。
志田は何故か、医者と名の付く者に掛かるのを異様に嫌った。
理由を訊いても、
「嫌いなもんは嫌いなんだ。キミは、ゴキブリが嫌いな理由を具体的に説明できるか? "汚い"、"不潔"とかはナシだ。彼らのせいで我々が如何なる損害を被っているか、明確な説明が出来んのか?」
なんて屁理屈を言うだけだった。
驚いたことに、私にガラスを刺された後も、志田は医者には掛かっていなかった。
それどころか、こいつが保健室に行って自分で行った処置は、消毒もしないでただ止血し、ガーゼを当てて包帯を巻いただけ、というお粗末なものだったというのだ。
バイ菌が入ったらどうするんだ!
……自分でやっといてなんだが……。
だから私は、例の『部室』に救急箱を持ち込んで、志田の左手の手当てをするのに使うようになっていた。
自分で付けたという自責もあり、部活が終わって園芸道具を片付けに屋上へ上がった際に、私がこいつの傷の手当てをして包帯を巻き直すのは、今では日課となっていた。
――幸い、私はこの手の傷の手当てには慣れていたし。
そんなわけで屋上へやって来た。
「あ~。こりゃ今日は包帯ごと交換しないと駄目だね」
『部室』から救急箱を持ってきて、手際よく手当てしていく私。
「ホント、こ慣れたもんだよなー」
志田の傷はこのひと月弱のあいだで、大分塞がってきていた。
「この分なら今週いっぱいで包帯とって平気そうだよ。良かったね。中間テストは利き腕で受けられるね」
「んー。そうだなー。今日も使ってんの気付かないくらい、痛み感じなくなってたし」
「あ、そうだ。中間テストっていえばさ」
「ん?」
「明日からテスト前週間で部活停止だけど、花壇の世話ってどうするの?」
「んぁ?何言ってんの?」
志田はまるで初めて納豆を見たアメリカ人みたいな顔で私を見た。そして、まくし立てるように、
「キミは一週間分のやりもしないテスト勉強と、木や花や野菜の命とどっちが大事なんだ? テストは一夜漬けで乗り切れるかもしれんけど、木や花や野菜は一度枯れたら、もう戻らんのだぞ!」
と、どっかで聞いたような演説を述べた。
つっこみどころは満載だったが。
「ぷ。何それ? 美智のマネ?」
「おうよ。雌舞希よ、これでもキミは反論できるか? 部活停止に賛成出来るってーのか?」
「あはははは! はい、出来ません。わかりました部長。我ら園芸部員は、木と花と野菜の命を救うため、学業をポイしてみせましょう」
私はそう言って右手で敬礼してみせる。
そうして、ふたりして笑い合った。
もうこの頃には、下らない定期イベントの苦しみなど、とっくにどこかへ吹き飛んでしまっていた。




