22.
5月14日(金)
22.
「柏木くん、ちょっとイイかな?」
翌朝、2―Bの自分の席に座り、私は後ろの「彼」に、満面の笑みを浮かべて話しかけた。
――ちなみに机と椅子、それと窓ガラスはすでに新しいものに替えられている。
「ぅえ? な……、なんだよ?」
今や、『雌舞希癌』末期症状患者の柏木は、私が話しかけただけでこの反応だった。
もちろん、それは私にとって、すごく喜ばしいというか、爽快極まりないことだ。
……居心地はすこぶる悪かったが……。
私は薄ら寒い満面の笑みを浮かべたまま、この無駄に他人に馴れ馴れしい奴には、もってこいの質問をした。
「ねぇ、浅瀬さんってどんな人なの?」
「は。へ? 何。な、何で?」
「いいから答えて。浅瀬さんって、貴方から見て、どんな人?」
「う……。あ! ふ、普通かな。普通!」
……どこまでも中身のない男だった。
「ふうん。そう、もういい。貴重なご意見ありがとう」
これ以上訊いても無駄だと思い、そう言って踵を返した。
……くっ! 何だ"普通"って!
人の評価がそれか!
私はどっかのファミレスの味の感想訊いたワケじゃないんだぞ!
あー! この馬鹿ホントなめてる!
他人に対してどこまでも馴れ馴れしく気安いクセして、他人のことなんかコレっぽっちも、ただのひと欠片も気に掛けることがない。
このバカシワギの馬鹿さ加減を改めて思い知らされた私は、すでに地の底までも堕ちていたこいつの評価が、またさらにワンランク、レベルダウンしたのであった。
くっそう!
こんな奴に訊くんじゃなかった!
さて、どうしたもんか。
昨日の志田の言葉を気にしてじゃないが、任されてしまった以上、私はなんとか浅瀬さんと接点を持とうと思っていた。
ただ、昨日も言っていた通り、私と彼女はまだほとんど話をしたことがない。
それで、少しでもどういった子なのか知っていた方が、話題も出来て話しかけやすいと思ったのだ。
……だから、誰にでも気安い柏木に、どういう子なのか訊こうとしたのだけど。
その成果はご覧の通りだったというわけで。
うーん。
美智に訊いてみようかな。
でも、私がいきなり、普段話すこともない浅瀬さんについて訊いたら、美智はなんだかしつこく詮索してきそうだ。
昨日志田も言ってたが、美智は一途だけど、一方で、悪く言えば猪突猛進な性格だ。
さすがに志田の家庭事情を、私が勝手に喋ってしまうわけにはいかないし。
私は1限目の授業中、ノートをとる手もそぞろにさんざん考えたあげく、結局休み時間に直接彼女に話しかけることにした。
私の席は、窓側一番端の後ろから二番目だ。
後ろは当然柏木で、ひとつ前は榎本、その前は江尻さんという女の子、その前が伊勢くんという男の子で、最前列が浅瀬さんだった。
まぁ名簿順で席が並んでるんだから、『あ』で始まる苗字の人なら、大抵席は一番初めの、あの位置になる。
休み時間になり、最前列に座っている、浅瀬さんの様子を見てみる。
彼女は何やら、漫画の単行本を読んでいるようだった。
う、うう……これから、どうしようか。
いったいなんて話しかければいいの?
私は普段、美智のように気軽な性格でもなければ、柏木のように気安い性格でもない。
社交性がないとまでは思わないが、人見知りはする。
まして、きっかけも何もなく、他人に気軽に話しかけられるような人間じゃなかった。
このクラスになって、ひと月とちょっと。
まともに話せるほどの相手は、美智を除けばまだ、隣の席と、その後ろの子ぐらいのものだった。
(余談だが、最近この二人も、柏木の馴れ馴れしさを少し煙たがっていた。良いことである。)
私はついに意を決して立ち上がると、少しぎくしゃくした足取りで彼女の席へ近づいていき、
「な、なに、読んでるの?」
と、後ろから声をかけた。
彼女は最初、突然(しかもほとんど話したこともないような相手に)声を掛けられて、驚いたような顔で私を見たが、すぐに表情を崩すと、
「あぁ、これ? 近江さん、『ハトクロ』って知ってる?」
と、笑顔で返してくれた。
『ハトクロ』とは、『ハートとクローバー』という少女漫画の略称だ。
「あー、うん。美智が持ってるのを読んだことある」
「あ~。近江さん、辻ちゃんと仲良いもんねえ。――あ、それでね、これは今日発売の最新巻。朝、学校来るときコンビニで買ってきたんだ。今まだ途中なんだけど……、読み終わったら貸そうか?」
浅瀬さんは、なかなか明るい、いい人っぽい印象の子だった。
「ううん。私、一巻しか読んでないから。その前の展開がわかんないよ。あの、私ね、美智の家行ったら、大抵あの子のオモチャにされちゃうからさ、本なんてまともに読ませてもらえないんだよ」
「へ? あっはははは! あぁ~。学校でもそんな感じだよねえ、ふたりとも。あ、そうそう。辻ちゃんと言えばさ、……あー。えーっと、こんな事訊いちゃって良いのかな?」
「え、何? いいよ。なんでも訊いて?」
浅瀬さんは読んでいた単行本を閉じると、少し声を潜めがちにして続けた。
「んー。ゴメンね。単なる好奇心だから、答えにくかったら無理しないでね。こないださ、あの例の連休明け。柏木のこと締め上げてたじゃん? 近江さんに迫ったって言って。あれって、マジなの?」
あぁ、そのことですか。
そう言えば、隣の席の佐藤さんにも同じ事訊かれたなぁ。
「あ、あれ? あれは違うの。美智の勘違い。連休前の昼休みに私、柏木くんと一緒にお昼食べてたの、知ってる?」
「あ~! うん、知ってる。辻ちゃんが私らといっしょに食べてた日だよね? なんか、占いがどうのって騒いでた!」
う~ん。今思えば、ある意味あの占いは当たったと言えるのか?
『生涯忘れられない思い出』を刻んでくれた相手なわけだし。
……ちょっと違った意味で、だけど。
「それで、あの日教室荒れてたでしょ?」
「あ、うんうん! あれはびっくりした。そう言えば、近江さんの椅子だっけ? 花壇に落とされてたのって。……あ。もしかして、それで?」
「うん。そうみたい」
「あ~、なるほどねぇ。へぇ、さすが辻ちゃん。すごいね発想が。そのふたつ結びつけちゃったんだ。でもそういうトコ、辻ちゃんらしいっちゃあらしいかも。くくく。いや~、近江さん、愛されちゃってるんだねぇ? いろんな意味で」
「あはははは! それ、美智が聞いたら、今度は浅瀬さんが締め上げられちゃうよ?」
「うぁ。それは怖いなぁ。だって、あの時の辻ちゃん、端から見てるだけでも震えきたもん!」
と、その時。
「あっれ~? しぶちんとハルミ? 何このレアな組み合わせ。これはどこの竜宮城?」
噂をすれば影が差すとはよく言ったものだ。
トイレかなにかにでも行っていたのか、さっきまでクラスにいなかった美智が、どう考えても狙ったとしか思えないタイミングで戻ってきて、私たちを見るなりわけのわからないことを言いながら寄ってきた。
それを見た私と浅瀬さんは顔を見合わせ、次の瞬間ふたりして同時に笑ってしまった。
美智はひとり状況が飲み込めず、僅かに困惑した後、
「お! アンタらさては! あたしを馬鹿にして盛り上がってやがったなーっ!」
とすぐさま勘ぐってしまい――、
「もおー! こんな悪いしぶちんは、全身こちょこちょの刑に処す! さぁ、ほらハルミ! アンタはこやつを取り押さえなさい!」
――何故か私ひとりが罪を償うハメになってしまった。
うわ!
そのうねうねした手はやめろ!
「お、横暴! えん罪だよ! えん罪! 助けて浅瀬さん!」
「ぷっくくく……。ごめんね、近江さん。今の私にゃ決定権がないのよ」
「わ! わ! この裏切り者! ぎゃーー!」
ああ哀れ、私は狂おしいほど残酷に、ふたりの悪魔の手によって処刑されてしまったのだった。




