20.
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放課後になって、本当にあの地獄のシゴキから解放されたことを実感し、私はあらためて感動に打ち震えていた。
だがそれと同時に、なんだか寂しいような気持ちも少しあった。
なんだか急に手持ちぶさたになってしまったような、なんとなく物足りないような、そんな気もしたのだった。
なのでせっかくもう部活に行かなくて良くなったというのに、すぐに家へ帰る気になれなかった。
この一週間の間で私の体は、まっすぐ帰宅することを物足りなく感じるように矯正(?)されてしまっていたらしい。
……といっても、テニスはもうホント勘弁だけれど。
さて、どうしようかと少し考えてから、
「そう言えば私は一応園芸部に戻ったことになったんだ」
と言うことを思い出し、少し花壇の様子を見に行くことにしてみた。
そこに当然いるはずのあいつのことなど、深く考えもしないで。
「あれ? どうした? こんなとこで」
私が校舎裏の花壇に着いたとき、そこにはまだ誰もいなかった。
それで私は特に何するでもなく、自分があの日、落っこちた辺りをボーッと眺めていた。
すると、しばらくしてから、背後から声を掛けられたのだ。
「あ、志田……か」
「あー、そういやその辺だったな。キミが落ちてきたの。何? 事件現場に戻ってくる犯人みたいなヤツ?」
振り返ってみると、志田は園芸用の道具なんかをバケツに入れて、使える方の右手で持って立っていた。
「椅子が落ちてきたのは、……だいたいこの辺だったな。オレさ、その時、丁度この辺りでしゃがんで花いじってたんだよ。だから、ガッシャーンって聞こえて、いきなり目の前に椅子落ちてきたときはマジでビビった。そんで、なんだコレ? と思って持ち上げて、背もたれの名札見てみたんだ。そしたら今度は、そっちにキミが降ってきた。や、ホントよく生きてたよな~、お互い」
私は、ただボーッと志田が話すのを黙って見ていた。
「ん? どうした? なんだよボケッとして。んー? 生理か?」
それを聞いて、途端に私はプッと吹き出してしまった。
「下品。最低。小学生か。……や、ごめん。ちょっと、なんか、志田がいるのが不思議で。なんでいるんだろう、って思ったら、ボーッとしちゃった。考えたら当たり前なのにね。園芸部なんだし」
「は? 何ソレ? オレにしてみりゃ雌舞希がここにいる方のが変なんだぞ? オレは毎日ここに来てる」
「ん。そうだよね。はは、何でだろ……」
「まー、いいや。……そんで? どうしたんよ?」
「あ~。や、別に。特に意味はなくて。昨日まで放課後は部活漬けだったからさ。だからなんか、すぐ帰るのが物足りなかったってゆうか。一応、私、園芸部に戻ったわけだし。……なんとなく、来てみた」
「ふーん。じゃ、手伝ってくれるの?」
「あはは。うん。まぁそうだね。来ちゃった以上、何もしないで帰るのも馬鹿みたいだし」
本当はさっきボーッとしていた理由に、何となく気付いていた。
最初ここに来て、誰もいなくて、自分が落ちた場所を眺めていたとき、私はあの日のことを思い出してしまっていたのだ。
そしてあの日、もっとも恐怖した、あの左手の主の声を聞いた瞬間、私は何故だかすごく安堵させられて、それで呆然としてしまったのだった。
「これ、そっちの花んトコに蒔いて」
利き腕を使えない志田は、私にこまごました仕事の指示をとんとんと繰り返す。
その指示は、すごく的確というか、芯を突いていて、とてもわかりやすかった。
そうして彼自身は、私では区別がつかないような雑草の駆除やら、力を使うだけの大雑把な仕事を淡々とこなしていた。
その後小一時間ほどして、手入れを一通り終えた私たちは、花壇のフチに座ってようやく一息ついていた。
「ふー。や、助かった。おつかれさん。今日は大分早く終われた。いつもの半分以下、かな?」
多分世辞だろう。
素人丸出しの私なんて足を引っ張っただけで、そんなに役に立てていたはずがなかった。
いつもこれだけのことを、こいつはひとりでやっているのだ。
花壇っていったって、結構な面積がある。
私は志田がしていた仕事に比べると、ほとんど大したことも出来ずにいたっていうのに、それでもすっかり汗びっしょりになっていた。
「……ん。これ飲む?」
志田はさっきのバケツの中から、昼に彼が飲んでいたのと同じ種類のスポーツ飲料を取りだして、私によこして見せた。
――一応断っておくと、もちろん飲み差しというわけではない。
新しいやつだ。
「え? いや、いいよ。志田が買ってきたんでしょ? 自分で飲みなよ。私、そんなに動いてないし。アンタの方が疲れてるでしょ」
「ん、いや。オレは全然。雌舞希の方が汗だくじゃん。ん、まー、慣れないことやるのって疲れるもんな。ほれ、遠慮すんな。それで帰りに倒れたりなんかしたら、また襲われんぞ?」
そう言って志田は、ペットボトルを私の方へ放ってきた。
「わ! うわっ!」
私は四苦八苦しながら、なんとかそれを受け止める。
「あほ! いきなり投げるな! 落としたら勿体ないでしょうが!」
「あはは!大丈夫だって。それペットボトルだし」
私は「ふぅ……」と溜息をつき、
「そうだね。もう襲われるのはゴメンだし。もらう。ありがとう」
と言って、ペットボトルの栓を回した。
しばらくそのまま座って休憩した後、志田は突然立ち上がり、
「さて、部室に行きますか」
と言って、バケツを持ち上げた。
「部室?」
私が志田に訪ねると、
「ん? 雌舞希も来るか?」
と返してきた。
私はその「部室」という、部屋を表す単語を聞いて、例の「親睦会」が頭をよぎった。
そして今更、こんな人気のない場所に、男と二人だけでいるという危機に気付く。
それに気付いてしまった私は、急に怖くなってしまい、手が震えて持っていたペットボトルを地面に落としてしまった。
「え? お、おい! どした!?」
志田が叫ぶ。
その声を聞いた途端、私は我に返った。
「……あ。……ごめん。ジュース、落としちゃった」
半分ほど残っていたスポーツ飲料は、とくとくとこぼれ落ち、地面に染みこんでいった。
「どうでもいいって、んなもん! なんだ!? 気分悪いか? 保健室行くか?」
「ううん……。大丈夫。ちょっと、あはは、情けないね。"部室"って聞いて、なんか、こないだの事、思い出しちゃって。動揺した」
それを聞くと、志田はなんだか、打ちのめされたような顔をした。
「――悪い。これから個室みたいな言葉も禁句にする。……えーっと、どうする? オレと一緒にいると、つらいか? もう帰るか?」
そう言われ、なんだか私は寂しくなった。すると口が勝手に、
「いいよ、平気。行こう。部室」
と、精一杯こいつを安心させようとするかのような口調で言った。
そして何故か部屋の場所も知らないっていうのに、先導するように私は旧校舎へと向かった。
そんなわけで私たちは、志田の言う「部室」へやってきた。
だが。
……えーっと。何コレ?
……これは何の冗談かしら?
そこは屋根なんてありもしなければ、部屋でもなんでもなかった。
たしかにここは旧校舎。
いわゆる部室用校舎ではあった。
しかし、ここは世間一般的にいう、「部室」なんてところでは、断じてなかった。
「なぁ! ここからの景色、スゲェだろー? 坂の下の方は一望出来んだよ!」
初めて同級生を「部室」へ招き、はしゃいでいるのは志田少年。
まぁ……確かに、眺めがいいのは認めるけどね……。
「ねぇ、部室に行くんじゃなかったの?」
当然の疑問をぶつける私。
「ん? あぁ。部室? 部室はソレ」
彼が指さす先には、「テントのようなもの」があった。
小学生が作った秘密基地みたいな、『かろうじて雨風しのげるかもしれないなー』といった、申しワケ程度のそれは、吹きつける風によって、はたはたと切なげにブルーシートをなびかせていた。
「……ね、これは、マジなんですか? 志田部長」
「なにが?」
「いや、だから……、ここが部室って話」
「部室はコレだって。ここは屋上」
そうなのだ。
ここは屋上だった。
それも、本来なら生徒が出入り出来ないはずの。
志田は何故か、旧校舎屋上扉の鍵を所持していた。
そして勝手に侵入して、屋上の一角に先程の、「テントのようなもの」をこしらえ、それを部室と称していたのだ。
志田少年は語る。
「この屋上のカギはさー、代々選ばれし園芸部員だけが受け継ぐもんなんだよ。去年はオレの他に二人、三年の先輩が花壇の面倒見てたんだ。で、その人らが卒業する時、オレにこのカギを託していったのさ。だって、園芸部だけ部室がないんだよ? 非道い話でしょこれ? そこで先人たちは立ち上がったのよ。なければ自ら掴み取る。で、こっそりココの合カギ作ったワケさ」
わけわからん。それって犯罪じゃないか。
「まぁ、最初はヤンキーの溜まり場みたいになってたらしいけど」
あぁ、それでなんだか納得した。
つまり昔、不良が溜まり場用として勝手に作っていた合鍵を後輩に代々受け継ぐうちに、柔らかい性分の人の手に渡り、たまたまその人がちゃんとした園芸部員だった。
それ以来、ここは園芸部専用の「部室」に変わった。
ということなんだろう。
……多分。
それにしてもよくまぁ今まで教師に没収されなかったもんだ。
「ここは本当の園芸部員だけの聖地なのさ。まー園芸部なんて、ほとんど帰宅部みたいな扱いだしな。顧問もいないし。で、今年オレ以外の正当な園芸部員第一号が、キミ。雌舞希ってワケ」
誇って良いのか悪いのか。
私には計りかねた。
それでもなんだか、私はそれに悪い気がしなかった。




