幕間◇伸ばされた魔手
【個体名】ギ・ダー
【種族】ゴブリン
【レベル】36
【階級】レア
【保有スキル】《槍技C-》《槍の心得》《投げ槍》《威圧の咆哮》《往生際の悪さ》
【加護】なし
【属性】なし
悲鳴を聞いて駆け出したのは、槍使いギ・ダーと魔術師殺しのミールが同時。二人が同時に間合いを切り、悲鳴の上がった方に向かって走っていく。
足を怪我した分、その原因に辿り着いたのはギ・ダーが先だった。レシアの首に手をかける強猛な雰囲気を持つ男。リィリィはその凶行を前に、腰に吊った長剣の柄に手をかけている状態だった。悲鳴を上げたのは、レシア達を慕ってついて来た人間の女のだった。
「ぐ、グルルアァ!」
地面を蹴る足が、体を一気に前に運ぶ。ギ・ダーは怒りに湧き上がる力をそのままガランドに槍を突き出した。
「ふん」
ギ・ダー渾身の一撃をガランドは鼻で笑って一閃した。突き出される穂先を首を傾けて避けると、無造作とも言える動きでギ・ダーの体を切り裂く。一瞬の後に噴き出す血。ギ・ダーは槍を握ったまま崩れ落ちた。
「くっ……離しなさい、下郎!」
レシアの必死の抵抗を嘲笑うガランド。その首先に、リィリィが剣先を向ける。
「何のつもりだ? 俺は女子供に容赦してやるほど優しくはねえぞ」
地獄の底から響くようなその声は、リィリィの心を心胆から寒くした。背中を駆け抜ける悪寒が、剣先に伝わらないことだけを祈って、彼女はガランドを睨む。
「我が主に手を上げるのなら、命を賭して貴方を止めます」
「主ね……おままごとは他でやるんだな。ここは俺の遊び場だ」
ガランドの青雷の大剣が振りかぶられる。震える足でそれでもなんとか立っていたリィリィは、一瞬後に来るであろう己の死を感じ、反射的に目を瞑ってしまう。
だが、響いたのはガランドの舌打ちと硬質に響いた金属音。
「……なんのつもりだ?」
苛立たし気に問い返すガランドに、あるいはゴブリンに向ける以上の激情を内包した声で暗殺者の少女が答える。
「なんのつもりだと? それはこちらの台詞だガランド!! 今すぐその人から手を離せ!」
ガランドの頭上を飛び越えざまに一撃を加えたミールは、体制を整えるや否やすぐにガランドに向き合った。
「離さない、と言ったら?」
レシアの首を握る片手に力を込めると、レシアの呻き声が聞こえる。
「その指を切り落とす!」
ぎり、と噛み締めた奥歯の音が周囲にまで聞こえた。ミールは鉤爪を交差させると軽やかに宙を舞う。リィリィも事態についていけないながらも、剣を構えガランドを牽制する。片腕で大剣を操るガランドには二人を同時に相手にすることはできないはずだった。
だが、ミールとリィリィの予想は呆気なく裏切られる。操る大剣の速度が、彼女たちの予想を遥かに上回ったのだ。頭上から襲って来るミールの一撃をいなすと、下段から切りかかってくるリィリィの一撃を弾き飛ばす。
「どうした、どうした!遊んでほしいならその気にさせてみろ!」
顔には嘲笑を浮かべ、ガランドは二人の動きを圧倒する。
「くっ……」
それはどちらの苦鳴だったか。ガランドは二人を跳ね返し、悠然とその場に君臨していた。
「あん?」
疑問の声を浮かべたのはガランド。その足にギ・ダーの槍が突き刺さっていた。薄皮一枚を切り裂いただけの一撃だったが、ガランドの注意を逸らすには十分な一撃。
それを見逃すミールとリィリィではない。
「ちっ」
リィリィが三段斬りを放ちガランドが大剣でそれを受ける。同時に頭上に気配を感じて、彼は大剣を一切の躊躇なく振り上げるが、その一撃は空を切る。気配を頼りにミールを切り裂いたはずのガランドの大剣が、何にも当たらず空を切ったのだ。
「なに?」
「こっちだ」
レシアを掴む手に切り掛かる。完全に虚をついたその一撃に流石のガランドもレシアを解放し、その手を引っ込める。
「レシア様!」
解放されたレシアに駆け寄るミールの素顔に僅かにレシアは驚きの表情を浮かべ、しかし直ぐに切り裂かれたギ・ダーの元に向かう。
「遍く者に癒しを」
治癒の光がゴブリンの体を包む。神すら宿るその横顔に、その場にいる者達は皆意識を奪われた。光がゴブリンの体から流れる血を止め、傷口を癒やしていく。神の奇跡の顕現と言われる彼女の御技に、ミールとガランドが魅入る。彼女を慕ってついてきた人間には祈りを捧げる者すらいた。
同じヒールを使う者でも白き癒し手の使うヒールとは格段の開きがある。大気から溢れ出すマナの力が彼女の周りに集まって精霊さえも従えそうなほどなのだ。その余波が彼女の周りに光を生み出す。まるで彼女を世界が祝福するかのような錯覚を覚えるほどにその姿は美しい。
滑らかに指先が宙を泳ぎ、その後を光が追いかける。蛍の光のように儚く、滑る指先がギ・ダーの体に優しく触れる。彼女の指先を追っていた光がギ・ダーの体の中に入り込み、生きる力を取り戻させていく。
砂を踏む音とともに、ガランドが一歩前に出る。
「面白い技だ。俺の物にしたくなったぞ」
傲慢な物言いに、だがレシアは反応すらせず力を回復に注ぐ。その様子に興を唆られたのか、ガランドが更にレシアとの距離を詰めようしたところで、目の前に立ち塞がるのは聖女に忠誠を誓う騎士と恩義のある暗殺者だった。
「なぜ、立ち塞がる」
口元には嘲笑と、瞳には欲情の炎を宿らせたガランド。
「殺すぞ貴様」
嫌悪も新たに毒づくミール。
「同感です」
リィリィも剣を構え直し、ガランドに向き合う。
「俺がその女を殺すのを心配してるのなら無用のことだ。聖女奪還の命を受けてんだから、殺すわけねえだろう」
「どうだか」
吐き捨てるミールの目には殺気がありありと漲り、頷くリィリィは臨戦態勢をとる。
「信用ねえな。だがそこの聖女様にこれ以上ゴブリンどもを元気にされちゃ敵わねえ。さっさと退け。さもなきゃお前が止めろ」
どこまでも傲慢な態度を崩さないガランドだったが、ミールもその言葉には頷くところがあるのだろう。日ごろからモンスターを相手に戦いを繰り返す冒険者であるからこそ、レシアの行動は理解しがたかった。
レシアに声をかけようと口を開きかけ、僅かな迷いがミールに致命的な隙を生み出す。
「なぁんてなァ!!」
両手で操る大剣がミールの交差する鉤爪の上から叩き付けられる。勢いを殺しきれず吹き飛ばされる小柄な体。
「くっはっ!?」
大木に背中から激突し、ずるずると崩れ落ちるミール。直ぐ目の前に迫るガランドの大剣に必死に剣を合わせるリィリィ。その一撃を防げたのは殆ど奇跡と言っていい。
受けたそばから長剣がへし折れるのではないかと思わせる一撃が降り注ぐ。打ち合うなどとんでもない受けるだけで体が持っていかれそうな剣戟を10合まで耐えたが、リィリィの奮闘もそこまでだった。受け損ねた衝撃が剣ごと彼女の体を吹き飛ばし、地面に投げ出される。
「さぁて聖女様。そこから手を引いてもらおうか」
大剣の切っ先をつけつけるガランドに、レシアはギ・ダーに治癒の光を注ぎながらガランドを見上げる。
「私の前に人もモンスターもありません。傷つき倒れる者は癒すだけです」
「お優しいことだな。それなら俺にやられたあの二人を癒してやれよ。手加減はしてやったが、動けるほどの傷じゃあないぞ」
睨みあげるレシアの視線を、悠然と受けるガランド。その場からレシアが動かないと見るや、舌打ちを一つしてレシアの頬を殴りつける。
「邪魔だ。傷ついた者を癒したいだと? それなら平和ボケした奴らの下でやってりゃいいだろう。鼻の下を伸ばしたジジイどもが喜んで尻尾を振ってくれるだろうぜ!」
「何を!?」
大剣を振りかぶったガランドに、レシアが頬を腫らしながらも鋭い視線を投げる。
「折角治したみてえだがな!死骸にヒールは要らんだろうぜ! ハッハッハッハ!!」
大剣に絡みつく風が、雷を帯びて旋回を始める。
ギ・ゾーを葬った剣戟の嵐が、ガランドの剣に収斂する。
「やめなさい!」
立ち塞がるレシアが両手を広げてギ・ダーの身を庇う。
「ガ、ランド……」
「レシア様……」
立ち上がる二人の少女の姿に、ガランドが舌打ちする。
「ちっ……餓鬼どもが!」
あと一息遅ければその大剣を振り下ろされたであろう。だが間一髪のタイミングで、冷酷とも言える声が届く。
「その剣を振り下ろせば反逆となるな」
「……ゴーウェン・ラニード」
苦虫を噛み潰したかのように呟いたガランド。長剣を手にしたまま、一人悠然と歩みを進めるゴーウェンはガランドに近づく。
「レシア・フェル・ジールですな?」
近づく領主然とした男にレシアは答える。
「そうです」
「ご同行して頂けますな? 王の招聘です」
ちらりと、身を挺して庇うゴブリン達を見る。雌のゴブリンや、幼生のゴブリン達。ここで拒否すれば彼らは皆殺しになるだろう。そしてそれに抵抗する術をレシアは持たない。
「ゴブリン達を見逃して頂けますね?」
確かめるように聞き返すのは、ガランドではなくゴーウェン。領主然としたゴーウェンの方が、まだしも信用ができる。
「……宜しいでしょう」
「ガランド様にも手を出させないでください」
レシアの言葉を受けて、ゴーウェンがガランドを見る。
「聖女様を連れて帰還せよ、嵐の騎士ガランド。……この意味は分かるな?」
「功を譲るというのか? どういうつもりだ」
疑い深そうにゴーウェンを睨むガランドは大剣を構えたまま問いただす。
「こちらにはこちらの思惑がある」
冷徹に言い放つゴーウェンだったが、ガランドは油断なく剣を構えたまま少し考えた。
「……いいだろう。俺は帰還する。ゴブリンどもなんかにも興味はねえしな」
にやりと、獰猛な笑みを浮かべる。
「おい、ミール。聖女様をご案内して差し上げろ。それぐらいならできるだろう」
憎憎しげにガランドを睨むミールだったが、レシアへの敬慕はそれを上回る。
無言で頷くとレシアの傍に寄り添う。傷を負った彼女にレシアの指先が優しく触れる。一瞬にして光が体を包み込み傷を癒していく。あれ程苦しかった呼吸も今は苦にもならない。そして何より包み込んでくれるような光の温かさに、自然とミールは隠し事をしていた後ろめたさを感じてしまう。
「……ありがとうございます」
「あなたが冒険者をしてるなんて知りませんでした」
「ごめんなさい。レシアさまには言わなければならないと思っていたのですけれど……」
僅かに言葉を交わしたレシアとミールはリィリィを伴って、移動しようとし。
「グルゥゥ……リィリィ殿、レシア様!? こレハ……ドこ、へ!?」
目覚めたギ・ダーの怒号で振り返った。
「駄目、ギ・ダーさん!」
咄嗟に危険を悟ったレシアの言葉も、ガランドの狂猛な大剣の振り下ろされる速さには及ばなかった。
ギ・ダーの苦鳴と、ガランドの笑い声が響き渡った。
「なんてことをっ!」
ギ・ダーに駆け寄るレシアをガランドが掴む。
「ヒールなんかする必要はねえさ。さっさと連れて行けミール」
苦く頷くミールは、強くレシアを抱き止める。
「レシア様、すみません」
冒険者特有の力でレシアを引っ張り、彼女をこれ以上“モンスター”達と触れ合わぬようにする。
「リィリィさん!」
呼びかけるレシアの声に、リィリィはギ・ダーとガランドの間に立つ。
「もういいでしょう!? このゴブリンはもう戦えません」
長剣を抜いて立ち塞がるリィリィに鼻を鳴らすと、ガランドは背を向けた。
「精々苦しんで死ね。俺に傷をつけた罪は償ってもらわねえとな」
続いてゴーウェンを見るリィリィだが、ゴーウェンは然したる感想を口にすることなくガランドに続いて背を向ける。リィリィはギ・ダーの傍にかがみ込むと、僅かに息を呑んだ。
剣戟が、肺を突き破っている。
それだけではなく、左腕はガランドの剣戟の余波でぐしゃぐしゃに潰れていた。
──助からない。
それでもリィリィは血止めをする。自身の持っている血止め用の包帯と、足りない所は衣服の袖を破ってギ・ダーの血止めをした。
「ごめんなさいギ・ダーさん。私はレシアさまを守らなければなりません。この先は貴方方だけで行ってください」
ギ・ダーの血止めだけをすると、リィリィはそう言って立ち上がる。
「ごめんなさい……私には……」
リィリィの握り締めた拳が自身の無力を呪って小刻みに揺れる。
生き残ったゴブリン達と人間たちに向かってリィリィは告げた。
レシア様と一緒に来るのも、ゴブリンたちと生きていくのも、自由に決めてほしいと。
ゴブリン達はギ・ダーの周りに集まり、人間たちは顔を見合わせていたが、結局はレシアとリィリィとともに行くことになった。
仕方がないことなのだ。そう思うたび、自分の無力さだけが胸を突く。
「クゥーン……」
慰めるようにリィリィの足元に身を寄せる灰色狼のガストラを抱き上げる。
「お前も一緒に来る?」
リィリィの言葉が分かったわけではないだろうが、慰めるようにガストラが鳴いた。
忙しすぎて今のペースの更新が厳しいようです。
次回の更新は水曜日あたりになりそうです。よろしくお願いします。