敗北
【種族】ゴブリン
【レベル】24
【階級】ロード・群れの主
【保有スキル】《群れの支配者》《反逆の意志》《威圧の咆哮》《剣技B+》《果て無き強欲》《王者の魂》《王者の心得Ⅰ》《青蛇の眼》《死線に踊る》《赤蛇の眼》《魔力操作》《狂戦士の魂》《三度の詠唱》《直感》《王者の心得Ⅱ》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ハイ・コボルト《ハス》(Lv1)灰色狼(Lv20)灰色狼(Lv20)オークキング《ブイ》(Lv40)
「グッ……グルゥぅ゛ゥアぁ゛あ゛アァアァァア!!」
猛り狂う魂が叫びを上げる。口から炎が漏れるように、吐き出す息は熱い。いや、事実俺の体温が上昇しているのだろう。右腕の傷口が焼いた鉄板に水をブチ撒けたような音を出しながら、白い煙をあげている。
燃えるようだ。右腕に絡みつく真の黒が腕の中をのたうっている。そう錯覚するかのような熱。いや、事実のたうっているのかもしれない。
意識が痛みを切り離す。
地面を踏みしめる足が。握りしめる両の拳が。裂けんばかりに咆哮を上げる口が。目の前の敵を殺せと叫び狂う。
「ルゥゥヴウゥアァぁあ゛アァアァ!!」
死ぬまで戦い続ける狂戦士が、獣の咆哮をあげて俺の意識を塗りつぶしていく。
地面を蹴りつけて一気の加速。景色を置き去りにするような加速に、骨と肉が軋みを上げる。
直後それに反応して降ってくる大岩に似た斧。地面を砕き余波で衝撃波を発生させるような強烈な一撃が、目の前に隕石よろしく着弾。そのまま突っ込めば潰されて終わりの所を急停止。
痛みを切り離した意識とスキルの重ね掛けで強化された筋力をもって、不可能を可能にする。
衝突する寸前の俺の体が急停止。更にそこから全身のバネをフルに使って右に迂回。斧の強烈な一撃を左に通り抜け敵の懐に入り込む。
「オォォゥルゥァアアアァ!」
全力で振りかぶった右の拳。痛みを忘れ、燃えるような拳で巨大鬼の巌のような腹筋に向かって渾身の力を込めた一撃を放つ。
ぐしゃり、と音が聞こえた。
俺の拳が修復不可能なまでに潰れている。それを認識してもなお、俺の魂は猛り狂う。
どんな理論理屈か、あるいは何かの神の加護でもあるのか。巨大鬼の鎧のような筋肉には、傷一つなかった。
俺の全力が通用しない。その現実は、今まで積み上げてきたものを突き崩すのに充分だった。
じゅうじゅうと潰れた拳が音を上げる。
──やはり、ゴブリンでは種族の差は越えられないのか……? 俺はここで死ぬのか。
諦めに似た意識が、狂戦士の魂に影響を与えたのか。何とか繋いでいた意識が奪い去られそうになるのを感じる。
──嫌だ。死ぬのは。
最後に頼る《反逆の意志》を発動させ、無理矢理意識を奪い取る。
同時に、巨大鬼の攻撃範囲から死の物狂いで距離を取る。
「はぁ、はぁはぁ……」
気が付けば全身に汗が噴き出ていた。敵が俺を殺そうと、大斧を振りかぶる。
──いやだ、死ぬのは!
体を投げ出し、地面を這って、死の具現化したような鈍器から逃れようと必死に逃げる。再び振りあげられる大斧。冷たい汗が背筋を伝う。まるで氷塊を突っ込まれたかのような悪寒。硬直した筋肉に、荒い呼吸。
──死にたくない!
俺はゴブリンになって初めて恐怖していた。
「ガガガガ……」
大斧を振り上げたまま、巨大鬼が笑っていた。
「逃げ回れ! 恐怖しろ! 竦み上がれ!」
巨大鬼の高笑いが聞こえる。俺の心臓は、嘗てないほど竦み上がっていた。
──怖い怖い怖い!
人として生きている間に覚えている恐怖。心の奥のどこに隠れていたのかと思うほどの恐怖が湧き上がって、俺を絡め捕る。
足が、腕が、心臓が。俺の自由を縛っていく。
「あ、ぁぁ、ああぁ!?」
「ガッガッガ! それ!」
戯れに振り下ろされる大斧を必死に躱す。
地を這って、それこそ虫けらのように逃げ回る。
俺のために戦っている仲間も、幼きゴブリンの願いも、どうでもいい!俺は死にたくない!!
◇◆◇
「興醒めね」
冥府の女神が、魔鏡を見ながら呟いた。今まで熱を上げていたのが嘘のように、その言葉には絶対零度の響きがある。
「真の黒、いるのでしょう?」
「御前に」
進み出たのは、一つ目の赤き蛇。今はゴブリンの王の右腕に絡みついているはずの、彼女の配下。
「つまらないわ」
「……はっ」
従順に頷く赤蛇が、魔鏡を覗き込む。確かに無様な有様だった。悲鳴を上げ、地面を転げ回り、これが本当に弟とまで呼んだ気高き魂かと目を疑うばかりの光景。
「期待した私が馬鹿だったかしらね」
だが、と赤蛇は首を傾げる。これが人間とゴブリンの本来の姿ではないのか。恐怖に慄き、死を恐れ逃げ回り、そして──。
「貴方の力を分け与えるのを止めなさい」
「……よろしいので?」
「構わないわ。こんなもの見ているのも嫌になる」
主の機嫌の悪さは、期待をかけていただけにより一層深刻だった。
今ゴブリンの体を癒しているのは、真の黒から溢れだす魔素が自然に体を癒しているに過ぎない。さもなくば、スキルの重ね掛けと無理な動きで、あのゴブリンの体は数刻も持たず自壊するだろう。
愛着がないわけではない。だが、主の命こそが絶対である。
「……分かりました」
「冥府に来たら、最も苦しい場所へ送り込んでしまいましょう。それこそ完全なる無になるまで、魂を擦り潰してあげるわ」
黄金色の瞳に、殺意すら浮かべて冥府の女神は怒り狂っていた。
◇◆◇
なぜ、体が動かない?
なぜ息が、こんなにも苦しい?
なぜ、俺はこんな化け物を相手に戦っているのだ?
なぜ、俺は……。
体に満ちていた魔素が、力が一気に抜け落ちる。
そうして目の前に迫った大斧が、俺の体に直撃し──。
「王!」
最後に呼ばれたのが、誰の名前かもわからなくなっていた。