危機
【種族】ゴブリン
【レベル】24
【階級】ロード・群れの主
【保有スキル】《群れの支配者》《反逆の意志》《威圧の咆哮》《剣技B+》《果て無き強欲》《王者の魂》《王者の心得Ⅰ》《青蛇の眼》《死線に踊る》《赤蛇の眼》《魔力操作》《狂戦士の魂》《三度の詠唱》《直感》《王者の心得Ⅱ》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ハイ・コボルト《ハス》(Lv1)灰色狼(Lv20)灰色狼(Lv20)オークキング《ブイ》(Lv40)
長い回廊は闇に閉ざされていた。その中を焦る心を押し殺して、俺は進む。息を吐き出すたびに痛む肺と砕けた右腕から滴る血が俺の残りの体力を加速度的に奪っていく。
こんなときレシアが居ればと思ってしまうのは、やはり俺の心が弱いせいだろう。
ないものを強請っても仕方ない。
今は目の前に倒すべき敵がいるのだ。懊悩も後悔も、全てその後ですればいい。
鋼鉄の大剣は壁に突き刺さり、その高さは片手で登るには難しかった。故に今、俺は素手である。
革の鎧に差し込んだ短剣はあるが、それもいくつかは大鬼の一撃で壊れ、使い物にならなくなっている。
濃くなっていく腐敗の匂いと瘴気とでもいうのか、独特の雰囲気に、俺は敵が近いことを知った。
まるで纏わりつくような瘴気の中、そいつは居た。
骨付きの肉を齧りながら、俺に気がつくとゆっくりと立ち上がる。同時に手に持った肉を投げ捨て口内に残ったものを吐き捨てる。
見上げるばかりの大扉を背にして、黒褐色の肌は他の大鬼と同じではある。ただその瞳だけは赤く血の色をしていた。手にした大斧は岩を削り出したように荒々しく、腰布だけを纏ったその姿。盛り上がる筋肉は、それだけで如何なる鎧よりも鉄壁の防御を感じさせた。
赤く血の色をした瞳が俺を捉える。
「グォォウオオゥゥォウ!」
部屋全体を震わせる咆哮。まるで歓喜に沸き立つような強烈な咆哮が俺の動きを圧迫する。水中にいるときのように、その動きは鈍くなり、ただでさえ苦しい呼吸がなお一層苦しくなる。
「グルゥゥゥアァア!」
《威圧の咆哮》は先ほど試して効果がないと実証済みだ。これはただ、自分の内にある臆病な心を鼓舞するためだけの咆哮。【スキル】ですらないただの叫びをしたあと、俺は腹をくくる。
──或いは、俺はここで死ぬかもしれない。
生物としての絶対的優位。尚且つ敵は万全で、俺は満身創痍。
分が悪いどころではない。殆ど絶望的な状況が目の前に展開し、現在進行形で俺を追い詰めている。
戦う前から死を感じさせる相手は、これが初めてだった。
◇◆◇
目の前にいる大鬼の数は、3匹を数える。これでも減った方なのだ。さきほどから、ざっと半分になっている。
「王は、無事だろうか」
焦燥に胸を焼きながら剣神の加護を受けるギ・ゴー・アマツキが呟いた。
「わからん……が、とりあえずここを斬り抜けねばどうしようもあるまい」
アルハリハは騎獣の上で苦渋の表情を浮かべる。彼の扱う蛇の鎌槍は、自身の身すらも焼いてしまうため、その身体は焼け焦げてボロボロであった。
「俺達が無事なのだ。信じるしかあるまい」
ガイドガの族長ラーシュカが言うと同時に駆け出す。右腕に籠る黒光を振りかざして大鬼目掛けて一撃必殺を狙う。
「勝手に仕切らないでほしいものだ」
そう言いながらも構える弓はラーシュカを援護するために照準を定める。弓を扱うガンラの最も弓の扱いに長けた者に与えられる称号──ガディエータ。
その称号を持つギルミは、大鬼の眼を狙って寸分違わぬ二射を放つ。両目を狙ったその一射に、更にナーサ姫の矢無き一矢が加わる。
魔力を矢に編み上げるために膨大な集中力を必要とする彼女は、一切無駄な言葉を発することなく黙々と矢を練り上げ放った。
「束ね束ねて矢羽とせよ!」
集中する攻撃に、自由になった残りの2匹の大鬼の動きを牽制するのはギ・ザーを初めとするギの集落出身のゴブリン達だ。隠密ギ・ジー、更には獣士ギ・ギーが必死になって大鬼の注意を逸らす。
「豪風の如く旋風の如く」
祭祀ギ・ザーが更に援護を加える。風の刃が大鬼の足元を狙い、その傷口をギ・ギーやギ・ジーが追い打つ。
苦悶の声を上げる大鬼を尻目に、クザンは焦っていた。自分達のところに4つの宝が集まっているということは、王は力を発揮できずにいるということだ。
ギ・ザーは無条件にかの王を信頼しているようだが、クザンには巨大鬼を甘く見過ぎているとしか思えなかった。
その力はゴブリンの氏族全てに匹敵する。
ましてや、深淵の砦の中に棲みついたとあっては、どんな変貌を遂げているかも分からない。そんなものを相手に王が無事に生きていられるなど、想像する方がどうかしている。
王が死ねば、クザンは望みを果たしえない。
腐敗の主と再びの邂逅は望むべくもないのだ。
かといって、彼女の持つ死の水晶球の力を使ってしまっては、彼女自身が命を落とすことになる。
宝具を掴む手に力を込める。
──なんとかしなければ。
無力であるからこそ、考えなければならなかった。
◇◆◇
その敵の力は圧倒的だった。
「ゴォゥゥオオアオォ!」
振るわれる戦斧が地面に激突する。噴き上がる衝撃の余波だけで俺の体が流れ、まともに攻撃に付け入る隙が見出せない。
右腕から流れ出る血は収まっているのが唯一の救いではあるが、握り込もうと僅かに拳に力を入れるだけで焼き切られるような痛みを伴って俺の神経を責め苛む。まともなのは左腕だが、利き腕でない方の腕でどれほどのことができるだろうか。
生半可なものでは巨大鬼に傷一つどころか痛痒を与えることすらできはしない。逆にこちらが態勢を崩されてあっという間に殺されてしまうのがオチだ。
「くっ!」
隙を窺う俺の思考を邪魔するように間断ない攻撃が襲い来る。
当たれば頭ごと吹き飛ばされそうな横薙ぎの一撃。首を竦めて躱したと思えば、その巨大な体ごと突進してくる。体を地面に投げだしてなんとか回避。腕を庇い忘れて激痛がまた思考を奪う。
──どうする!?
このままでは俺は負ける。封じられた魔素に何か抜け道はないのか!?
直後、背筋に悪寒が走り抜ける。《直感》に従い飛び退いた所に、巨大な岩のごとき斧が振ってきていた。
──なに?
今確かに《直感》が俺を救っていた。
──どういうことだ? 魔素・スキルは全て封じられたんじゃないのか?
封じられたのは《赤蛇の眼》《青蛇の眼》《威圧の咆哮》《魔力操作》《三度の詠唱》などだ。その他のスキルについては試していなかった。
この際だ。可能性は全て潰した方がいいだろう。
条件を満たしていないために使えない《王者の心得Ⅰ》《剣技B+》は別として、《王者の心得Ⅱ》は発動させられるのか?
群れの主である巨大鬼相手であるので条件は満たしている。
【スキル】《王者の心得Ⅱ》は群れの主と戦うとき、魔力20%UP、ダメージ20%増加と引き換えに、相手に与えるダメージ30%増加。
という代物だ。今の俺では、一撃もらうだけで致命傷になりかねないが、狂戦士になってからではまともな思考力も保てるかわかったものではない。
やるなら今の内にしかできないだろう。
果たして、《王者の心得Ⅱ》は発動すると同時に、俺の魔素を間違いなく引き上げた。体内を巡る魔素にも充実感を感じられる。
だが、隙をついて敵の足を狙った俺の拳は、全く相手にダメージを与えられていない。
──これは一体どういうことだ?
続いて、確認のために《威圧の咆哮》を再度試みる。
「グルゥルゥオオアアア!」
発動が成功した時の効果である相手の弱体化が見受けられないどころか、なお一層猛り狂っているようにも見える。
次は、《死線に踊る》第二段階を発動させる。
体力が半分を切った状態でのみ発動できる筋力、機敏性30%上昇のスキル。
《王者の心得Ⅱ》と同時発動させたその力で一気に俺の体が加速する。アクセルほどではないにしろ。
魔素、筋力、機敏性をそれぞれ上げているだけあって体に満ちる力は通常時の比ではない。
引き上げられた筋力のもとに、一気に距離を取る。同時に振り下ろされる巨大な斧の間隙を縫って巨大鬼に一撃を加えるが、やはり相手は全く意に介さない。
相手の防御力が桁外れに強いのか、それとも──。
さて残る一つは、《狂戦士の魂》だ。可能性としては、二つ考えられる。
どちらの目が出るかによって、俺の戦い方も変わるが──。
「狂え」
獰猛なる魂に命じると同時に《反逆の意志》も発動させる。
狂戦士の魂による精神侵略の発生。筋力30%、敏捷性30%、魔力30%がそれぞれ上昇。同時に狂戦士の魂以外からの精神侵略の妨害。一度敗れた敵に対して、戦意高揚。ダメージの軽減20%……。
「グッ……グルゥぅ゛ゥアぁ゛あ゛アァアァァア!!」