閑話◇剣と槍の決着
【個体名】レシア・フェル・ジール
【種族】人間
【レベル】30
【職業】ゼノビアの信徒・聖女
【保有スキル】《癒しのマナ》《遠見》《カリスマ》《天賦の才》《魅了の魔眼》《聖女の刻印》《母なる神の恩寵》
【加護】癒しの女神
【属性】光、聖
リィリィの振りかぶった一撃が、ギ・ガーの体を掠める。一撃でしかないその斬撃が三つの傷跡を残すというのは彼女の持つ《三段切り》の賜物だ。
撃ち終わりの隙を狙って、ギ・ガーは左手一本で器用に槍を操り、突く。
体の中心に向かって放たれた一撃は彼女の胸を打つはずが──。
「ふっ」
軽く吐き出された吐息と共にその姿が急加速、ギ・ガーの右手側に回り込む。突き出した槍と同時に踏み出した義足に力を込めて急反転。鉄の槍を盾にして、その斬撃を防ぎきる。
「く」
「ぐっ!」
受けたダメージはどちらが上か、跳ね返される刃に顔を歪めるリィリィ。同時に振るわれる強烈な一撃を、頭を下げて避ける。頭上を通り過ぎた凶悪すぎる一撃に背筋に冷や汗が落ちるが、それを無視してさらに一歩前に出る。
距離をとれば、不利になるのは彼女だ。今は手数と技で圧倒してはいるが、ギ・ガーを倒すべき決定打が撃てない。
懐に入ってからのギ・ガーの防御が意外なほどに固く、堅実だ。
奇を衒わない槍捌きと、確実にリィリィの振るう剣よりも早く戻ってくる槍の動き。
この相手は強いと、リィリィは思う。
魔物としてでなく、一人の武人として。
敗北の傷跡を拭い去る為の壁は、今確かに彼女の目の前にあるのだ。
一方のギ・ガーも慣れない左手一本の戦いと、彼女の巧みな戦法に翻弄されていた。なんとか決定打は受けないものの、確実に押し込まれている。
攻撃の手数が放てず、小さくはあるが傷ばかりが増えていく。
このままではまずいと、思わざるを得ない。
折角リィリィが対等な勝負をと義足というものをくれたのだ。自身の実力を発揮できず負けたとあっては、彼女に対して申し訳が立たない。
戦える喜びを闘志に変えて、ギ・ガーは踏み込んだ。
リィリィが剣を振り下ろした直後を狙っての、横薙ぎの一撃。段々と眼がリィリィの攻撃に慣れてきたころ合いを見計らって、義足を踏み出す。並みの冒険者なら防御に回るべき一撃を、彼女は《音響足》によって距離をとり、再び構えなおす。
だが、同時にギ・ガーも後ろへ飛んでいた。
互いに距離をとりあえば、勢い間合いは遠く離れる。
仕切り直しのつもりか、とリィリィが首をひねった瞬間、彼女の顔の横をギ・ガーの槍が通り過ぎる。
「く!?」
驚愕を押し殺せずに、距離をとるリィリィ。だがそこにさらなる追撃が加わる。
突きのみではあるが確実に間合いを広げてきたギ・ガーの攻撃。
理由は、彼の奇形と言われた長腕だ。
「そういうことか」
《音響足》で距離を最大限取ったリィリィは、ギ・ガーの構えに眼を見開く。
片腕となったギ・ガーは突き、薙ぎ、払うの攻撃をするために槍の柄の中程を持たざるを得なかった。槍の間合いの中、接近戦を挑むリィリィの余りの速度に翻弄されていたといってもいい。
だが、今のギ・ガーの構えは槍の柄の後端を握っているだけだ。
穂先が地に付いた構えから、半身をひねり込むことによって間合いを広げてきたのだ。長腕と相まって、その間合いはリィリィの《音響足》をもってしても一息には飛び込めない。
突くことだけに特化したその構え。引き際の速度からも、リィリィが飛び込む前に更なる一撃が襲いくることだろう。
無闇には飛び込めない。
だが、それは防御を捨てたと同義だ。
今まではリィリィの速度に対応できなかったが故の、接近戦用の構え。間合いが離れたことによって遠距離用の構えをとれるようになったとしても、再び接近戦へ持ち込めば勝機はリィリィにある。
なんのことはない、槍を掻い潜れるか。
撃墜されるか。
それだけのことだ。
腹を括るとリィリィは口元に獰猛な笑みを浮かべる。
──簡単でいいじゃないか。
声に出さずに笑うと、肩に担いでいた剣を、下段に構え直す。
集中力を極限にまで高め、槍の穂先に意識を集中する。
足の裏に踏みしめる土の感触を感じ取り、薄く息を吐き出す。
突きというのは、その起こりさえ見えてしまえば掻い潜れる。その為防御に向いた下段に構え直し、それを掻い潜ることのみに集中する。
ぎ、とかみしめた奥歯がなると同時、リィリィは《音響足》の速度でもって前に出た。
同時、ギ・ガーも前に出たのを驚愕に見開いた眼で確認し、握りなおされた槍が横薙ぎに振るわれるのを、下段に構えていた剣でなんとか防ぐ。
だがその余りの一撃。
まともに受けてしまったリィリィは横に吹き飛ぶ。
転がる体、空転する視界の中でリィリィは今起こったことを正確に理解していた。
ギ・ガーは後端を握っていた手をあらかじめ緩めて、リィリィが前に出ると同時に、自身も前に出たのだ。槍の穂先を地面に付いていたのは、槍が重いからではなく、スムーズに握りを直すため。
──すべて読まれていた!
驚愕と共に、激しい痛みがリィリィの左腕を襲う。
──折れたな。
当たり前の感想と、吐き気すら伴う痛みで頭の中が真っ白になる。
──負ける。
その思いに、濡れそうになる視界を上げる。視界の隅に、いまだ槍を構えるギ・ガーの姿。そして、心配そうに見守るレシアの姿がある。
──だが!
ぎり、と奥歯を砕けるほどに噛み締める。
折れていなかった剣を支えに、右腕一本で立ち上がる。
だらりと垂れ下がった左腕は今や錘でしかない。
「私は越える」
震える声が自然と口からでた。
あの王と対峙した時、もっと冷静に対峙していれば。
振り返った先にあるのは、後悔と無念。
ゴブリンを倒したことはあった。だが、あれほどの強敵と対峙したことは今までなかったのだ。冒険者として先輩のケイフェルに付いていけばいいという甘えもあった。
結果、守るべき対象であったレシアはゴブリン達に囚われた。
今の穏やかな生活があるのは、あのときがきっかけであるというのは事実だが。
それは、たまたまあのゴブリンの王が相手であったからという結果論にすぎない。
相手がもっと敵意をもったオークなら、オーガならどうなっていた?
考えるまでもない。守るべきレシアは凌辱され、若い命を散らすことになっただろう。
その結果を導いた自身の不甲斐なさが許せない。
王と対峙した時の、恐怖を、後悔を今ここで越えねばならない。
右腕一本で剣を構える。
酷く重い。
平然として見えるギ・ガーもよくよく眼を凝らせば、額に玉の汗が浮きあがっている。
──苦しいのは、あちらも一緒。
ツヴァイル流剣術の道場に通ったとき、師範である人物からかけられた言葉だ。
苦しいときは相手も苦しい。
精神論ではあろう。だが、尊敬すべき師が言ったその一言は、いまだリィリィの耳の奥に残っている。
自然とその師の姿が思いだされる。
遠くでガラスの割れるような音がした。
右腕一本で支えられた剣は頭上へ振りあげられ──。
◇◇◆
左腕をだらりと垂らしたまま剣を上段に振りかぶったリィリィの姿を見て、ギ・ガーは驚愕に眼を見開いた。
先ほどまで消えそうだった闘志が、その構えに宿っているように思われたのだ。
先ほどの奇襲で左腕は完全に折れたようだった。
──まったく、あの娘の闘志には感服させられる。
自分達、戦うために生まれたゴブリンならわかる。それが全てなのだ。
それを取れば何も残らない。
王は遥か高みを目指している。戦ってその道を切り開いている。
自身も同じだった。王と共に闘う。
それが全てなのだ。
だが、目の前のリィリィという娘は違う。
望めば違う生き方、例えば土を耕す、例えば裁縫をする。
いくらでも生き方があるはずなのに、敢えて戦いの道を選んでいたのだ。
その意志に、その強さに敬意を表する。
それゆえに、全力でそれを叩き潰す。
踏み込む義足と同時に、横薙ぎの一撃を繰り出す。柄の中程を握り、体の真ん中を狙った避けづらい一撃。
「ぬ」
目の前の強敵の意識を狩りとる一撃を放ったはずだった。
だが驚愕に見開かれたのはギ・ガーの瞳。鋭い衝撃が走る槍先は地面に叩き付けられ、リィリィはなお平然とこちらを見下ろしている。
──なら、何度でも。
薙ぎ、突き、払い、叩く。
ありとあらゆる攻撃方法でリィリィの防御を崩そうとする。
だがそのたびに槍先は叩き落とされ、地面に突き刺さる。
どこにそんな力が残っていたというのか。目の前には左腕をだらりと下げ、額には玉の汗を浮かべて疲労しきった、かよわい人間の娘。
──いや。
それは違う。先ほど自らが認めたばかりではないか。
この人間は強いのだ。
戦うしか術がないわけではない。だが、敢えてそれに向き合うその強さ。
そして今の構えはこの娘の中で最も強いものだ。
疲弊してなお、この娘は強い!
胸の内から湧き上がる闘志が、戦えと叫んでいる。
燃えたぎる炎のような感情が目の前の敵を倒せと叫んでいる!
「グルゥウアアア!」
気合いと共に、繰り出す自身の最高の一撃。
体の真ん中を寸分の狂いなく狙った一撃は、苦もなく叩き落とされる。だがそれは織り込み済み。今まで対峙してきた中で最強の相手なのだ。
その程度は出来て当たり前。
更に接近して横薙ぎを繰り出すが、これも難なく叩き落とされる。
ゆるゆると天に昇るがごとき剣先が、再び構えに戻る一瞬。
勝機はそこにあると理性が告げる。
落とされた槍先をそのままに、柄を落ちてくる剣に合わせて前に出る。
──受け止めるっ!
間合いの近くなったこの距離なら、力で勝るこちらが有利。
そう踏んだギ・ガーの背を氷塊が滑り落ちたかのような錯覚が襲う。
リィリィと眼を合わせた瞬間。
一瞬だが、確かに斬られると直感が告げていた。
ギ・ガーが操るのは鉄槍。柄も穂先も全て鉄で出来た代物だ。
常識に照らせば斬られるわけがない。
だが、リィリィの虚空を見るような眼が、ギ・ガーに最大限の警鐘を鳴らさせた。
──間に、合うか!?
両の足に満身の力を込めて飛び退く。
義足の付け根から、血が滴るが気にしている余裕はない。
目の前で、構えていたはずの鉄槍が、天上から振り下ろされる斬鉄の一撃によって真っ二つに斬り裂かれ、逃げ遅れた義足までが切断されてしまう。
「うおおおあああ!」
リィリィの気合いの声。
まずいと、思った瞬間ギ・ガーは短くなった槍を口にくわえると、左腕と右足で地面を掴むようにして着地。
まるで獣のような構えで前を見る。
這いつくばったような格好になったが、更に踏み込んでくるリィリィの姿を認めるとそのまま前に出る。
短くなった義足もこれなら苦にならない。
自身も驚くような速さで、リィリィの脇を狙って前に出る。
あるいはそれが元々の構えだったかのようにしっくりくる。
──これだ!
地面に這いつくばり、うずくまったような姿勢から全身のばねを利用して一気に前に出る。同時に腕を使って上体を起こし、リィリィを狙う。
驚愕に目を見開くリィリィ、その横を疾風のごとき速度で駆け抜ける。
口に咥えた槍を前に出ると同時に手に移すと、振りかぶったリィリィのガラ空きの胴体に一撃を加えた。
◆◇◇
眼を開ければ、そこには青空とレシアの微笑む顔がある。
「ああ、負けましたか」
リィリィは苦笑しようとして、痛みに顔を引き攣らせた。
「すいません。レシア様」
「何を謝るんですか?」
「条件を、破ってしまいました」
戦うからには勝てと、言った彼女の言葉を破ってしまった。
「……昔、私も騎士の物語を読んだことがあります」
折れた左腕を撫でる手が優しく彼女の傷を癒す。
「その騎士様は敗北を乗り越える気高い心を持っていました。私の夢はそんな騎士様に守ってもらうこと」
レシアの癒しの手が、リィリィの瞼を覆う。
「ねえ、リィリィさん。貴女は立派な騎士ですよ」
瞼から溢れる涙は、熱くレシアの手を濡らした。
◇◇◆
リィリィ・オルレーア
【状態異常】《敗北の傷跡》によるアルテーシアの呪いが解呪されます。
《天賦の才》《心眼》が解放。《斬鉄》が使えるようになりました。
レベルが上がります。
56→60
【スキル】《天賦の才》
成長速度が速くなります。
【スキル】《心眼》
階級が自分より下の者に限り、相手の行動の一歩先を読むことができます。
【スキル】《斬鉄》
剣技のレベルが同じか、相手より高い場合、鉄製の武具を斬り裂きます。
ギ・ガー・ラークス
欠けた足を義足で補うことにより、戦力30%減となります。
【スキル】《不屈の魂》を獲得。
片腕だけで槍を操っても、両手と同じ効果があります。
【スキル】《閃き》
同じ階級かそれ以下の相手との戦いの途中に、相手の弱点を見破ります。
レベルが上がります。
87→89