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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
遙かなる王国
366/371

天冥会戦

 黒き太陽の王国(アルロデナ)総軍を率いるゴブリンの王は、アーティガンドの領内を進む。山岳地帯を通過し、バンディガム要塞、辺境伯領。更に軍を進めてヘルムズ渓谷を過ぎ、リュシス平原にまで兵を進める。

 そこには、まるで生き物の息吹を感じられない荒廃した大地のみが広がっていた。

「……」

 ゴブリンの王は無言の内に周囲を見回し、その光景を脳裏に焼き付ける。

 この地に住んでいた者達は、皆己が殺したのだと。

 自らの謳う覇道の為、屍山血河を築いて道を作ってきた。世界の果てを目指す道だ。この世界に落ちた己を取り戻す道だ。思い出した記憶の、欠落した部分を埋めねばならない。

 愛した女を取り戻す。自らの手で!

 吐き出す息が僅かに荒くなったのを騎獣が敏感に感じ取って首を振る。ゴブリンの王は苦笑を張り付けて、“推”の首筋を撫でた。

 落ち着けと己と愛馬に言い聞かせ、更に先を睨む。

 勇者の派遣した烏合の衆は討ち果たしたが、天空の一大戦力たる飛翔艦隊は未だ健在であった。龍達との壮絶な魔法の撃ち合いでも数を減らすことなく、任務が達成できないと知るやアーティガンドの奥深くへと撤退していく。

 今の手持ちの戦力では追撃すら出来ないのが歯痒いが、それはギ・ザー・ザークエンドに任せてある。今や、ゴブリン一の知恵者の地位を確立しつつある彼は、軍師という立場でプエルに伍する活躍を見せている。

 そのギ・ザーが空の戦いで全面的に指揮を執るのだ。故にゴブリンの王は空に関する全てを任せることにした。部下に全幅の信頼を置くのはゴブリンの王の美点の一つだ。自身の身は一つであり、如何に有能であろうと全てに手を回すことは不可能である。

 況して、国が巨大になればなる程それは顕著になる。任せられるところは全幅の信頼を寄せる部下に任せ、責任はゴブリンの王が取るということを明言しておけば、自然と組織というものは動いていくものだ。

 リュシスを通り過ぎて更に3日。アーティガンドは広い。人類発祥の地とされ、歴史ある建造物が数多く点在し、農地は良く開拓されていた。豊穣を予感させる広い開拓地の先に堅牢な城壁を持つ都市がある。

 森林という程木々が密生した地域は存在せず、あっても林程度だ。

 視界の開けた平野部には黄金色に実った小麦の畑が広がっていたが、収穫期を過ぎつつある筈のそれは誰の手も加えられていないようだった。占領した都市にも人影は全く無く、野良犬なども魔獣の声を恐れて逃げ出していた。

 アーティガンドの首都へ1日の距離まで到達した時、地平線の彼方から立ち昇る不吉な気配を感じてゴブリンの王は目を細める。思わず口元に獰猛な笑みが浮かんだ。

 間違う筈もない、勇者の気配である。

 先行しているギ・ジー・アルシル配下の斥候兵からの報告によれば、広がる大平原に地を埋め尽くす程の大軍勢が集結しているのことだった。

「進め! 我らが戦場へ!」

 王の号令により、ゴブリンを中心としたアルロデナの軍勢は粛々と歩みを開始する。

 アルロデナの軍勢がその地に到着し、布陣を終えるまで、勇者とその軍勢は咳一つ上げずに待ち構えていた。概算で20万は居るだろうか? 波打つような地形の大平原に配置された彼らは、正に神代に謳われる軍勢である。

 光り輝く矛先を並べた槍兵は、鎧まで対魔法の備えがある。突撃槍を揃えて待機する騎馬兵達は跨る巨大な騎馬にまで鎧を着せ、それぞれが一騎当千の力を有する。弓兵達が構えるのは、人間の手でも妖精族と同等の威力を発揮出来るように作られた弓。

 更に、指揮官として聖人化した少女達が兵達の先頭に立つ。

 緑髪の剣士リーザ。聖騎士を率いるアリエノールと副長ユアン。狂信者ユーディット。今までの戦では見なかった華麗な装束の兵士達も居る。アーティガンド王家直属の近衛兵達だ。つまりは、王族の出馬もあるということだろう。

 そして、その中央で狂気の笑みを浮かべる勇者と、傍らに控えるレシア・フェル・ジールの姿がある。遠目にそれを確認したゴブリンの王は、手綱を握る手に力を込めて己を律した。

 今すぐにでも飛び出して、勇者に躍り掛かりたい。

 だが、それではレシアは救えないし、自らが率いてきた者達が死ぬだけだ。

 狂いそうな感情を押さえ付け、ゴブリンの王は自らの敵を見定めた。そして救うべき存在を改めて確認し、大剣を引き抜く。

 巨人たちが敵の首を刈る為に用いた巨人の守護短剣(ティタンダガー)。そして、鍛鋼の小人にして稀代の刀匠ダンブル・ダビエ・ダビデの生涯最後の一太刀、大太刀黒き太陽(アルディア)

 並みの者なら片方を持ち上げるだけでも困難な重量の武器を両手に構え、ゴブリンの王は全軍の中央で相対する勇者の軍勢を圧する。

「飛翔艦の姿が見えませんが」

「それは全てギ・ザーに任せる」

 敵から視線を逸らさぬまま、ゴブリンの王はプエルに命じる。

「お前は地上軍の采配を執れ」

「御意。必ず御身に勝利を」

「プエル……」

「はっ!」

「もし、万が一、俺が戻らぬ場合は──」

「──ッ!? 何を」

 それだけ言うと、ゴブリンの王は軍の中央から進み出る。驚愕に目を見開くプエルだったが、既にゴブリンの王の意識は敵に集中している。問い詰めたい気持ちを必死に押し殺し、開戦を告げる王の言葉を待たなければならなかった。

 

◆◇◆


 戦神の系譜に連なりし王の心中には、渦巻く冥府の黒き炎の化身がある。

 開放された戦神の恩寵は、その時を今か今かと待ち構えているのだ。飢えた雛が餌を待ち望むように大きく口を開け、声の限りに叫んでいる。

 ──最早、後戻りは出来ない。戻るつもりもない。

 それ程までに双肩に積み重なった命と使命は比重を増し、それに比例するようにゴブリンの王の覚悟も固まっていく。

 後ろを振り返れば、己に従う近衛騎兵一千騎。その先頭に立つギ・ベー・スレイと彼の掲げるアルロデナの大紋章旗を眩しそうに見上げ、王は問い掛けた。

「ギ・ベー・スレイ。そして我に従う近衛達よ。死を賭しても、我が背に従う覚悟はあるか?」

 ともすれば優しげですらある王の視線に、ギ・ベーは一層背筋を伸ばして声を張り上げた。

「我ら、肉が裂け、骨が砕けようとも、王と共にある覚悟は出来ております! 例えこの身が滅びようとも、我らが従うのは貴方様のみです!」

「──良し。その覚悟、しかと受け取った。ならば者共よ、死しても我が背を追え!」

 頷いた王は、最早振り返らなかった。

「グルウゥォオオオォォオオ!」

 従う兵達の咆哮は世界に響く衝撃となって天を揺るがせ、地を鳴動させる。それを聞くとも無く受け止め、ゴブリンの王は悠然とアルディアを振り上げた。

「──征くぞ。我らが覇道の、此処が到達点だ!」

 アルディアを振り下ろし、ティタンダガーを肩に担ぐゴブリンの王は、戦場に轟く声を張り上げる。混沌の子鬼達の覇者にして世界を敵に回す者は今、最後の戦いに足を踏み出したのだ。

「王……必ずお戻り下さい。貴方が居なければ、王国は……!」

 引き絞る弓に一抹の不安を載せたプエルは、全軍の合図とすべく嚆矢を放つ。

 ──フェルドゥーク、ザイルドゥーク、レギオル及び同盟軍、前進開始。近衛及びアランサインは右翼へ迂回。

 放った矢にそれだけの意味を持たせると、手近に居た伝令に後衛部隊への指示を託す。

「ドルイド及び妖精族はフェルドゥークの支援に回る」

 放たれた矢のように駆ける伝令を見送り、最前線に視線を移す。

 彼女の視線の先で先陣を切るのは──。

「──グルウゥウアガアアァアァアア!」

 狂える凶獣と化したギ・ズー・ルオが、サザンオルガの残党を率いて敵の防壁に衝突する。

「──やはり、サザンオルガ。ギ・ザー殿、貴方は本当に……」

 僅かに目を伏せるプエルの脳裏に、ギ・ザーの言葉が蘇った。

 ──先陣を任せるのはラーシュカが相応しかったのだが……死んでしまったものは仕方ない。ギ・ズーに任せれば良いだろう。

 ギ・ズーは兵も少なく、精神的にも不安定では? そう問い返す彼女に、ギ・ザーはそんな事は些細な問題だと切って捨てた。あれの本性は狂った獣であり、その力は敵と味方の血に濡れねば十全に発揮されないと。

 その時、プエルは一瞬だけギ・ザーを睨んだ。否定してほしいと願望を込めて彼女は尋ねた。

 「……まさか、だからサザンオルガに遅滞行動を任せたのですか?」

 だが、ギ・ザーは表情一つ変えること無く言い切った。

 ──だったらどうだというのだ? 誰かが役目を担わねばならない。先々を見据えて役目に応じた手駒を配置するのが軍師というものだろう? と。

 一瞬の内に脳裏を駆け巡った過去の邂逅を、彼女は振り切る。

 あの瞬間、確かにギ・ザー・ザークエンドに軍師としての器量で並ばれたのだ。いや、正確に言えば、その冷酷な采配は己を凌駕するかもしれないと彼女は感じた。

 しかし、その感情を彼女は否定する。

「軍略に血を通わせてこそ軍師」

 人を殺す為の軍略ではなく、味方を1人でも生かす為の軍略を。

 彼女は、メルギオンの屍山血河の荒野の先にそれを見たのだ。詭弁と知りつつ、そうと信じなければ彼女は采配を振るえない。

 だからこそギ・ザーの軍略に反感を覚えたのだが、現実問題として起こってしまった問題をどう活用するかという部分においては、プエルもまたギ・ズーを先陣にせざるを得なかった。

 彼の突破力は軍中屈指であるし、20万と見積もられる敵の攻勢を僅かでも受け止める為には、彼の死に物狂いの働きが必要だった。それに何より、ギ・ズー自身が先陣を志願したのも大きい。掴みかからんばかりにプエルに迫るギ・ズーの眼の奥に燃える復讐の炎を、彼女は認めていた。

 嘗て己の中にもあったそれを止めることがどれ程困難か。彼女は身を以って知っている。

 全ては動き出してしまった。

 後は戦線を支える彼らに任せるしか無いと、彼女は指揮杖代わりの矢を放つ。西日に赤く輝くロドゥの胴体は既に雲海に沈む。矢の音曲を奏でるが如く、彼女は矢による指示を下す。

 ──力を奮え! 我らの頭上に戦神の加護ぞある!

 祈りにも似たその命令に、前線指揮官達は応えた。

「サザンオルガの後背を守れ! 前列前進!」

 プエルの弟子を自称するギ・ヂー・ユーブは、突出したギ・ズーの後背を守るべく陣形を整える。

「言われるまでもない。我が王に二度の敗北はない! 進め! フェルドゥークの暴風の意味を奴らに教えてやれ!」

 ギ・グー・ベルベナはゴブリン最大の軍を自在に操り、戦端を開く。

 ギ・グー麾下の高位の前線指揮官たるゴブリン達も、将軍たるギ・グーの命令に従って檄を飛ばす。

「我らアランサインは王の槍先である! 駆け抜けよ!」

 戦場を大きく右へ迂回すべく移動していたギ・ガー・ラークスは配下を鼓舞する。

「進め! 戦場の鍵を握るのは我らだぞ!」

 魔獣軍を率いるギ・ギー・オルドはいきり立つ魔獣達の手綱を良く制御する。戦術行動を取るのが苦手な魔獣達を指揮官の企図に沿って動かすには、獣士達の手綱捌きが重要になってくる。

 最左翼を任された同盟軍は、その主将格にヴィラン・ド・ズール。副将格にオークのブイを据えていた。

「戦神の加護、か……。熱砂の神(アシュナサン)とクシャインにも肖りたいものだね」

「僕は、そこまで信心深くないのですけれど……」

「構わないんじゃないかな。信じる者は救われる。時期の長短には関わらずね」

「そういうものですかね?」

「そういうものさ。それじゃ、始めようか」

 手を組み合わせて短時間祈りを捧げると、ヴィランは内心で苦笑する。或いは神は信じるに値しないのかもしれないが、彼の想い人だけは信じられる。その人がたまたま教皇だっただけだ、と。

「クシャインとアシュナサンの名の下に、我らが敵に断罪を!」

「前進開始!」

 重装備に身を固めたオークの戦士達が、大族長の号令に拠って前進を開始する。人よりも遥かに巨大な彼らが進む様子は、それだけで周囲を威圧する。その後ろを守るように、ヴィラン子飼いの赤備えの兵士達が続く。

 更に虫人や蟻人など多種多様な同盟諸軍を束ねられるのは、ゴブリンの王の威光とヴィランの手腕故であろう。


◆◆◆◆

開戦時俯瞰図

挿絵(By みてみん)

◆◆◆◆


 アーティガンド総軍20万。その編成は大きく3つに分けられている。

 勇者直率の第1軍。重装歩兵群からなる第2軍。騎馬兵からなる第3軍である。勇者の力により動員された兵力はゴブリン側を圧倒しているものの、戦神との戦いにより勇者の力にも陰りが見える。

 それは受けた傷が完治していないからであった。その治癒に力を注ぐ為に、勇者は魅了の力を下げざるを得なかった。とは言え、それでもアーティガンドの王都に残る人員を皆無というところまで根こそぎ動員出来たのは、彼の力の大きさを示している。

 王族まで投入したその作戦は、文字通りアーティガンドの総力を上げた迎撃軍である。第1軍の飛翔艦隊に乗り込んだ王族は、旗艦である方舟にその座所を定める。

 それを守るべき近衛は各飛翔艦に乗船し、今や遅しと出陣を待ちかねていた。神代の時代に語られる龍の一撃をも防ぐ飛翔艦の装甲は、並の城壁しか持たない王城よりも遥かに安全と言えた。

 勇者は自身の居場所を軍の最奥と定め、全軍の指揮を執っていた。

 傷が癒えぬという理由もあるだろうが、彼特有の驕慢の為せる業でもあろう。敵であるアルロデナ総軍が動き出した時点で全ての軍勢を前に出し、自身は最後尾に陣取る。

 彼の傍らには千の手で運命の糸を手繰ると謳われる運命の女神(リューリュナ)が寄り添う。そして、まるで意思を持たぬ人形のように俯き佇む癒やしの女神(ゼノビア)の愛し子、レシア・フェル・ジール。

 大輪の花束よりも尚美しい2人の娘を従えた勇者は、腕を組むと再び戻ってきた不倶戴天の敵を睨む。

「性懲りも無く死にに来たのか。理解に苦しむ」

 口元に浮かぶのは禍々しい笑み。如何に手傷を負っているとは言え、竜を狩り、神を殺したその力は健在である。たった一人でも目の前のアルロデナ総軍と戦えるだけの力を有する勇者には、余裕すら伺える。

 だと言うのに、態々人間達を操って戦をしているのは、それが彼の望みであるからに他ならない。世界の理を今一度定め直す刻が来たのだ。

 狂える祖神は、世界が再び生まれ直す為にこそ伝説が必要なのだと考えている。

 数多幾千万の生き物の死と嘆き、生への渇望と祈りこそが伝説を創り上げる。

 嘗て人間達が大陸の覇権を握った時のように。

 嘗て古き神々が眷属達と共に地上の覇権を争った時のように。

 大陸を制覇してきた魔の軍勢を打ち破り、今度こそ完全に人たる者の支配を確立させる。辺境すら尽く人の版図に導き入れ、この世界を人間の物にする。

 そして、それを導いた勇者は築かれた伝説によって神として再誕する。

 神代の時代に定められた世界の理を、今再び塗り替えんが為に。

「さあ、敵も味方も、我が勝利と栄光(ヘカテリーナ)の歌を聞くが良い。築かれた屍の上にこそ、我が望むものがある」

 最早、古き神々など物の数ではない。

 現れ出たとしても消し飛ばすだけのこと。顕界は即ち、著しい力の消耗を引き起こす。それは戦神の例を見ても周知の事実だった。

 400年来の宿願。その成就に勇者は王手を掛けていた。

 それ故にだろうか。

 アーティガンド総軍の動きは鈍いと言わざるを得ない。アルロデナの攻勢に対応するように動くだけで鬼札たる飛翔艦は未だ戦場に姿を見せず、地上軍のみでアルロデナとの戦端を開いたのだ。

 第2軍は正面から敵へ攻勢を掛け、第3軍は敵の騎馬兵に対応して移動中である。幾多にも構えた重層な陣地の奥で、勇者は勝利を疑いもしていなかった。


◇◇◇


 ゴブリンの王自ら直率した近衛とアランサインの両騎馬兵達は、戦場を迂回するように大きく進路を取る。それに合わせて移動する敵の数万にも及ぶ騎兵集団。煌めく軍装と、一糸乱れぬ騎兵行軍。大地を蹴る馬蹄は低い轟となって大気を揺らし、上げる土煙は時に敵軍の姿をすら覆い隠す。

 距離にして約2キロ。血みどろの戦いを続ける本隊から離れた騎馬兵達の戦いにおいて、主導を取ったのはアルロデナだった。配下のゴブリン達が上げる喚声と撃ち込まれる魔法弾の爆発が遠くなったところで、ゴブリンの王は采配を振るう。

「全騎反転──」

 最初から目指す者は決まっている。

 この大戦の勝利はどこにあるのか? 人間の軍勢を全滅させた時か、或いは敵を敗走させた時か。

 ──否である。必要なのはただ一つ、勇者の首だけだ。

 それで全てが決まる。

 ならばこそ、それを成し遂げることが出来る戦力を、そこに集中させればいい。

「──我に続け!!」

 アルロデナの大紋章旗が先往く方向を示す。

 曲芸染みた騎行から、ほぼ直角の方向転換。それは、文字通り血の滲むような実戦と訓練の果てに辿り着いた高い練度による賜物である。一騎も欠けずに方向転換を成し遂げたゴブリンの王が目指すのは、勇者の待ち受ける本陣のみ。

 だが、敵もさるもの。如何に練度が低いと言っても数万にも及ぶ大軍であることに変わりはない。幾つかの群集団に別れた騎兵集団が、近衛の前に立ち塞がろうと移動を開始する。

「行かせぬ! 我らが王の道を切り開け!」

 それを止める為に槍先を向けるのは、ゴブリンの王の第一の忠臣。

 轟く馬蹄の音と共に土煙を割って姿を現すのは、王の矛先となるべく推参せしアランサイン。アルロデナ軍第一の速度を誇る彼らが近衛一千騎を前に行かせる為、その身を呈して反転する敵軍に突撃を開始する。

 だが、尚もこの近衛の前に立ち塞がる敵がある。

「この戦術……ああ、解る、解るとも! 歩兵を横に伸ばす。本陣への防壁と成せ!」

「前衛が薄くなりますが!」

「構わぬ! 勇者様を危機に晒して、どうして勝利が得られるか!」

 アリエノールは部下からの報告を一顧だにせず命じる。勇者の権能に触れて才能を開花させつつある彼女は、重装歩兵を本陣の前に展開させる。

「両断の……! おのれ、どこまで我らを愚弄するのか!」

 副長ユアンは歯噛みしてその先頭に立つ。鮮やかに陣形を切り裂くその戦術は、嘗ての両断の騎士シーヴァラ・バンディエを彷彿とさせた。

 信仰に結ばれた聖騎士団が近衛の前に立ち塞がる。

「──グルウゥウアガアアァアァアア!!」

 だが、彼らの前に対峙していたのは復讐に燃える狂神の寵児ギ・ズー・ルオ。サザンオルガの残党と、それを支えるレギオルの猛攻は、今を好機とばかりに激しさを増す。

 全身血塗れとなっても未だ足りないとばかりに猛攻を見せるギ・ズー。10倍以上の戦力差を、正面では覆しつつあった。

 だが、それでもアリエノールの決断は揺らがない。

 自分自身の陣が崩されるのも構わず、近衛の正面に重厚な布陣を敷くべく兵力を移動させる。

 正面からぶつかり合えば、その衝撃力を減らされ、或いは勇者の本陣を突くことが危うくなるかもしれない。アリエノールの判断は、アルロデナの勝利を破砕するだけの意味を持っていた。


◇◇◇◇

戦場俯瞰図

挿絵(By みてみん)

◇◇◇◇


 ──我が身は刃に為り征き、不可侵にして、塵芥の如く……。

 ゴブリンの王は内に渦巻く者の声を聞く。

 黒き冥府の炎の化身が囁く声が、戦場の声を掻き消す程に大きくなっていく。待っていたのだと、ヴェリドが笑う。いや、ヴェリドだけではない。生まれ出でて喰らった命の数だけ、積み重なった者達が声を上げる。

 冥府の暗き底から、敵味方を通じて王の力を認めた者、忠誠を誓った者達が声を上げる。

「──我が忠勇なる戦士達よ!」

 その声は天地を喰らわんとする程に、覇気に満ち。

「──我が宿敵達よ!!」

 眼前に広がる敵の只中にある勇者の姿を、王の視線は捉えて離さない。

「─我が名と共に、今一度、冥府より戻り来て、共に刃を振るわん!!!」

 今正に死にゆく者達すら、その声を聞けば迷いを忘れることが出来たかもしれない。その声は、戦場という死が指呼の間に交差する場所において、間違いなく一筋の光明であった。

「──故に我が名は(コール)!」

 ──叛逆の覇王(レベリオン)!!!

 その瞬間、王の身体から黒き炎が溢れ出す。近衛一千騎を瞬く間に包み込むと、黒き炎は彼らを守るように人型となり、周囲を供に走り出す。

 王の露払いを務めるのは、今まで下してきた強者達。

 王の背中に続くのは、死して冥府の門を潜りし後も忠義を忘れぬ戦士達。

「ラーシュカ殿……! ヴェド殿まで」

 己と並走して駆ける黒き炎に彩られた戦士の姿に、ギ・ベーは呆然と呟いた。主要な者達だけではない。嘗て見知った、そして今はもう冥府の門を潜った筈の戦士達の姿があり、無名のままに死んだ近衛達の姿もあった。

「ベード、ダージェ……貴様ら」

 その中には、ギ・ベーが自ら名を与えた者達の姿もある。彼らは真っ直ぐに前を見据え、王の背中を追っているのだ。まるで、これまでにない強敵に立ち向かう自分達を勇気付けるかのように、寄り添いながら走る黒き炎の戦士達。

「グ、グ、グルウゥオオオオオオォオ!!!」

 内側から込み上げる熱き衝動に、ギ・ベーは吠えた。それは他の近衛達も同様である。

 ただ目の前の敵を突き砕き、敵の御首を挙げる。死すら彼らの歩みを止めることは出来ない。

「──吶喊!!」

 王の声に、鬨の声が重なった。

 大紋章旗が黒き炎に彩られ、風になびく。歓喜と共に駆けるギ・ベー・スレイは思わず叫んでいた。

 誇れ、この身を! 例え我が身が朽ちても、王は我らを率いてくださるのだから!

 喝采を挙げ、口に手綱を咥える。

 後に、この戦いには様々な名が付けられることとなる。アレンシアの決戦。アーティガンドの戦い。だが、最も有名なのはこの名称であった。

 人界冥界邂逅す、天冥会戦、と。

 王暦5年の晩秋。大地を紅に染めるアルロデナとアーティガンドの総力を振り絞った決戦は、未だ勝敗の見えぬ中にあった。


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